182.子爵令嬢は領主代行を引き受ける
お待たせしました。冬の間のユーマの様子です。
「お嬢様」
「書類ならそこに置いてくれる?」
セリアの声に反射的に答える。
最初はどうすればいいのか悩んだりしていたのだけれど、さすがにもう慣れたわ。
山と積まれた書類の上にさらに積まれる書類。
セリアの後ろに追加を持ってきたベルモントが見えて、ため息をつく。
――まさかこんなことになるだなんて、引き受けた時には思いもしなかった。
ユリウスおじさまがレオ様たちと共に山を降りた翌日、両親は山の封鎖に降りて行った。向こうでお祭りの慰労会もするからとお師匠様も一緒に。
去年まではきっとここに戻る前におじさまのところで一泊して、祭りの主催を務めてくれるおじさまをねぎらっていたのだろう。
それならばと快く送り出した翌日。
夜遅くに戻ってきた父上は……腰をやられていた。
いつもなら山道の封鎖をするのは王都からの帰りだから、護衛も侍女もいて人手は十分あった。でも、今回は数少ない護衛を伴ったのみで。
……封鎖の作業を手伝っていたら、やっちゃったのだそうです。ギックリ腰。
しかもその状態でも封鎖を手伝い、無理がたたって悪化したらしくて、一歩も歩けないのよね。馬車から降ろされる時も痛みに声を上げていたもの。
寝室に運ばれた父上は、その状態でも領主の仕事をやると言い出した。
山道は閉鎖されているとはいえ、冬の間も領主は忙しい。
それなら母上がやると言ったのだけれど、身じろぎもままならない父上の世話も必要なのよ。ベルモントを張り付けるわけにもいかないし。
いずれはカレルが戻ってきて跡を継ぐにせよ、わたしがそれまでここにいる可能性は高いわけで。
わたしが父上の世話をするよりは、と手を上げた。
それほど忙しくないわよね、と気軽に領主代行を引き受けたその時の自分を今は呪いたい。
なんで……こんなに書類が山積みなのよ。それも次から次へと。
積まれた書類を取り上げて目を通す。
雪かきの要請、強風で倒れた柵の復旧、雪の重みで潰れた納屋の発掘、迷子になった家畜の捜索、読書会に使う菓子のメニュー相談、薬の手配に飼い葉の追加、などなど……。
人を動かせば手当ての計算もしなきゃならないし、備蓄の残りもきちんと管理しないと春までもたない。
父上なら即決できることも、わたしには難しいことばかり。幸いベルモントが助言をくれるからまだなんとかなっているけど、一人だったらきっと何も決められなかったに違いない。
ちなみにこれでも仕事は減らしてもらっている。父上は陳情に来る人たちと直接話して即決していたそうだから。
わたしの場合はそれが無理だからということで、書面にしてもらっている。
それでも、緊急を要する場合は即呼ばれるけど。
積まれている書類も、緊急度を考慮して仕分けしてある。それでも、緊急度が低いからと言って無視していいものは一つもないわけで。
そんなわけで、一日中父上の執務室にこもりっきりになっている。
こんな冬越しなんて予想もしていなかった。
最重要の書類の山をなんとかやっつけて、背もたれに身を預けると、ふわりと優しい香りがした。
「お茶を」
「ええ、ありがとう」
差し出されたティーカップを受け取ると、ベルモントはそういえば、と口を開いた。
「お嬢様にお客様が来ております」
「えっ! いつから」
「ええ、半時ほど前から」
それって結構待たせちゃってるわよね。
陳情や依頼の客ならベルモントが捌いているだろうし、急ぎなら割り込んでくるはず。
なのにこちらの手が空くのを待っていたって……もしかしてブレンダたち?
この地でそんな風に待ってくれる友達なんて、彼女たちぐらいなものだもの。
「入ってもらって……ううん、客間にいるのよね?」
「いえ、扉の外に」
「すぐ入ってもらって!」
どうして扉の外なんて寒いところで半時も待たせているのよ! 風邪ひいたらどうするの!
慌ててカップを机に戻し、立ち上がったところで扉が開いた。冷たい隙間風と一緒に入ってきたのは――クリスだった。
「え……」
「手紙」
どうして。
祭のあの時から全く姿を見せなくなったクリスが、いつものように砦の騎士服を身にまとって立っていた。
手にしているのはいつもの封筒。今日の分厚さはいつもの倍ぐらいありそうだけれど。
机の前までやってきたクリスは、分厚い封筒を差し出した。――ほんのり青い、あの方からの。
「返事あるなら待つけど……すぐは無理そうだな」
クリスは目を丸くするわたしに不愛想に言い、脇に積まれた書類の山に視線を移した。
そうだ、これは彼――通信兵としての仕事だった。どうして、今までどこにいたのかとか、あのあとどうしたのかとか、いろいろ聞きたいのだけれど。
――今の彼は通信兵。魔術師じゃない。ここにはベルモントだけでなくセリアも護衛もいるし。
「え、ええ。すぐは無理だわ。こんなに分厚いし……明日また来てくれるかしら」
「わかった。――明日は茶ぐらい出せよ」
ぷいと踵を返すと、クリスはさっさと部屋を出て行った。
「申し訳ございません、お嬢様。お待たせするのは申し訳ないので手紙の配達だけならお預かりすると申し出たのですが、頑として手渡しを主張されまして」
視界に割り込んできたベルモントのおかげで我に返る。
「そう……」
すとんと椅子に腰を下ろして、手にした封筒を見る。相変わらずふわりといい香りがしていて……どきりと胸が高鳴った。
あふれそうないろいろを押し戻して、机の引き出しに封筒をしまい込む。
「お嬢様?」
「……夜にでも読むわ」
カップを取り上げながら、自分の手から力が抜けているのを感じる。震えないだけましなのかもしれない。
あの方からの手紙じゃないのに。――あの方からの手紙はどうせ入っていないのに。
どこかで期待してしまっている自分がとてもあさましく思えて、深々とため息を吐くと残っていたお茶を飲み干した。
紅茶はすっかり冷めきっていた。