178.公爵令嬢は闘志を燃やす
ライラはふと顔を上げた。
先ほどまで賑やかに騒いでいたはずの第一王女殿下、フェリスは侍女の肩に寄りかかるような体勢で目を閉じている。
どうせならば体を横たえてあげれば楽なのに、と視線を侍女に向ければ、侍女もこちらを見ていた。
その目には、少しながらライラを咎める色を帯びている。
「……ごめんなさいね」
本来ならばライラが同乗しているのだから、話相手を務めるべきだった。
が、来年の話をきっかけについつい色々考え事をめぐらせているうちに、こんなに時間が経っていた。
せっかく話に乗ってきてくれていたというのに、こんなに放置するつもりはなかった、と心から詫びると、侍女は目を瞬かせた。
「それは、何に対する謝罪でございますか、ライラ様」
「せっかく乗り気になってくださったフェリス様を放置してしまったことよ。来年の予定を組み上げているうちに、ついつい熱が入ってしまって」
「それなら謝罪は要りません。先ほどのご提案はことのほかお気に召されたようでしたので」
先ほどの、とは来年の祭りに誘ったことだろうか。
王族のスケジュールは少しのことですぐに差し替えられる。
一年前から約束したとしても、確約ではない。
が、そこはチェイニー公爵家の力を使ってでも、フェリスのスケジュールを抑えるつもりだ。
なにせ彼女がプレゼンターなのだ。彼女がいなければ始まらない。
「そう、喜んでいただけたのなら幸甚ですわ」
それならばなぜ、この侍女は咎めるような目でこちらを見たのだろう。
そんなことを考えている間も、馬車は下の道を順調に降りていく。
そろそろ馬を休めるために一度止まるはず、と窓の外に視線を向けると、木々の間から白く煙った空のかけらが覗いている。
「ところで、いい機会ですから一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
何気ない口調でかけられた言葉に、ライラは視線を侍女に戻した。
「ええ、何なりと」
「……何が目的です?」
ライラは黒髪の侍女をしげしげと見つめる。
王女の侍女、いや護衛をも任されるほどの者だ。しかも、王女に対してぞんざいな口を聞くこともある。それを王女も咎めることもなく、まるで小うるさい姉に対するように答えている。
オリアーナ、といったか。
一度は王妃を目指して教育も受けた身だ。ほとんど全ての貴族とその系譜は頭に入っている。
王族の付き人は多くが高位貴族であるけれど、この娘の情報を探し出すことはできなかった。
「目的も何も、ユーマ様絡みで共同戦線を張っているだけですわ。あなたは最初からご存知でしょう?」
言葉に嘘はなかった。……少なくとも最初は。それ以外の接点はなかったし、四人で盛り上がるのは今だってユーマの話だ。
けれど、最近はそれ以外の話題が増えてきている。
ミリネイアのもたらす外国の情報や物品、シモーヌのもたらす子供達の話題と市井の話。ライラの語る騎士たちのこと。
フェリスもユーマ以外の話に興味を見せ始めていて、時折鋭い質問を混ぜて話に加わることが増えた。
そして今回、ユーマと共に過ごした幾日かの間に、ライラとフェリスの間にあった壁はずいぶん薄くなった気はする。
でも。
「最終目的は変わりません。……わたくしもユーマ様には幸せになっていただきたいのです。彼女の望む形で」
お間違えなきように、と宣言するように言うと、オリアーナはふっと目の力を抜いた。
「そうですか。……では、何も申し上げることはございません」
オリアーナが再び沈黙すると、ライラは一つため息をついた。
王女の名代に名乗りを上げたことは、予定外の波紋を広げた。王太子の隣を確実に手にするために妹を狙っているのだと根も葉もない噂があることも聞いた。
あれは単に、自分の目的……この場合はベルエニーの闘技会だけれど……のためであり、ユーマに会いにいく口実だった。
それを、そんな俗な話にしたがるのが貴族だ。
ユーマのことで集う三人の妃候補と王女には、そんなことに割ける時間などない。
もうあれから半年が経った。
次に彼女に会えるのは、本当に一年後かもしれない。
そして、あの地が雪に閉ざされて再び開かれるまで半年。ライラは、その半年を無駄に過ごすつもりはない。
ミリネイアやシモーヌと違い、自分には何の取り柄もない。
彼女たちの持つ、商才や外交力がライラには魅力的だった。
だからこそ、自分で動くことを選んだ。
父の言うままに動く人形にはもうならない。
そのためには、力を手にしなければ。
彼女たちと並び立てるだけの力を。
公爵令嬢なんて肩書きは、ただの借り物だ。自分のものでない爵位が何になろう。
だから、せめて自分でできることは自分ですると決めた。
父の威を借るのではなく、自分の足で。
使用人を使うのではなく、自分の手で。
愚かしいと謗られたって構うものか。
ただ少し綺麗なだけの小娘と、言いたい者には言わせておけば良い。
……わたくしは、彼女たちの横に胸を張って立ちたい。ただそれだけ。
そのためには、何だって利用する。
時折不審そうにこちらを見る黒い瞳に、ライラはにっこりと微笑んだ。