176.第三王子は歯噛みする
セレシュはずっと窓の外を見ていた。
随伴する騎士たちや沿道の人たちが目に映っていたが、その実何も見てはいない。
ただ、ぼんやりと出発前のやりとりを反芻する。
……結局、レオ兄に転がされただけだった。
あの時、どれだけ本気でユーマに求婚したと思っているのか。
それを戯れと一絡げに一蹴された。
しかも、お忍びだから名無しだと。
名無しからの求婚は認めない、なんて横暴すぎる。
ユーマに姉呼びを拒否された時、よく暴れなかったものだ、と自分でも思う。
我慢していたのだ、六年もの間。
あれは兄のものだからと、幾度も言い聞かせられた。
姉になるのだからと、自分でも納得した。
いずれ自分は臣下に下るとしても、家族になるのだから、と。
それを、手のひらを返された。
……姉でないと主張したのは姉様の方。だから自分は悪くない。
なのに、レオ兄に先を越された上、冗談だった、と?
膝の上の拳に力が入る。
ーー冗談なんかで終わらせられてたまるもんか。俺は本気なんだ。
「それほど悔しかったのかね」
不意に声をかけられて振り向けば、向かいの席に座る伯爵がセレシュを見ていた。
子供っぽく窓にかじりついているように見えることに気がついて、セレシュは居住まいを正す。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません、ハインツ伯爵」
すると、伯爵は目を細めた。目尻に寄るシワが、笑っているのだと知らせてくる。
それがセレシュにはどうにも不快だった。
やらかした感はある。
レオ兄に釣られて求婚して、拒絶された。
ーーそう、あれは明確な拒絶だ。
わかっている。
それでも、一度の拒絶くらいで諦められるものではない。
そもそもすでに一度拒絶されているのだ。怖いものなど何もない。
目の前の男の目には無様に映ったのだろうが、笑いたければ笑えばいい。
すると、伯爵は首を横に振った。
「……セレシュ第三王子殿下」
その呼び方も、あの茶番の後では苦く感じる。
眉を寄せて黙り込むと、やはり伯爵は目を細めた。
「少し老人の話に付き合ってもらってもよいかな?」
「……ええ。それと、敬称は要りません。猛将閣下」
セレシュの返答に伯爵は目を見開き、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「なるほど、ダンから聞いた通りだの。ではどう呼べばよいかな」
「カレルと同じ扱いで構いません。……名無しですから」
ひねくれた物言いだと自覚しながらちらりと同席するカレルを見るが、なんの反応もない。いつも通りか……と思ったら、目を閉じていた。
「ああ、麓に着くまで起きるまいよ。……馬で降るのはなんともないくせにの」
まさか……馬車が苦手だと?
そういえば、ベルエニーから王都までは馬車旅だったが、よく寝ていたのを思い出す。
あれは、周りに護衛がいるのと、まだ専属護衛騎士になる前だからだと思っていたのだが、それが原因なのか……?
「まあ、寝かせておけばよい。着いたら起こしてやろう。……それで、なぜ悔しかったのかね」
悔しかったのか、と二度言われて改めて沸々と感情が煮えてくる。が、なぜ、と問われると少しだけ頭が冷えた。
内に渦巻く感情を言葉にするのは難しい。だが、目の前の老人がなんの理由もなくこんなことを言い出すとも思えない。
セレシュは言葉を探しながら口を開いた。
「……そうですね。兄に本気を貶されたから、でしょうか」
「貶されなければ悔しくなかったと?」
「いえ……」
その言葉に頷けない自分がいる。
レオ兄がいなかったとしても、きっと結果は変わらなかった。
結局、彼女に男として認識されなかったのだから。
男を感じさせればよかったのか。
カレルとは違うと主張すればよかったのか。
姉と弟というポジションに長く居すぎたせいかもしれない、なんて思ったりもした。
けれどその関係が崩れれば、側にいることすらできない。
もっと側に居られれば、こっちを向いてくれることもあるのだろうか。
兄よりも、カレルよりも。
「……どうすれば振り向いてくれるのでしょう……」
口にするつもりのなかった言葉がするりと溢れた。
はっと顔を上げれば、目を丸くした伯爵と視線が合う。
口を押さえてそっぽを向けば、ぬるい視線を感じた。
「ふむ、こればかりは手伝えんな」
突き放した物言いについしかめ面になりーー居住まいを正す。
どうしてか伯爵の前では格好の悪いところばかり見せている。ロイズグリン将軍と並び称される、伝説の猛将にして知将ユリウス・ハインツ。
いまだ最前戦にいるロイズグリン将軍とは反対に、早くに一線を退き、家族を大事にしたと聞いている。
そして、ベルエニー一家とは隣地ゆえに家族ぐるみの付き合いだとも。
そんな伯爵から見れば、今日のことには怒っているに違いない。
「申し訳ありません」
「はて、何を謝られることがあったかな」
「それは……」
わざわざ言わせたいのか、と眉を寄せると、伯爵は目尻を下げ……その目がきらめいた。
「女性の扱いが下手だな、坊主」
「なっ……」
坊主、と呼ばれてセレシュは目を見開く。かつてそんな呼び方などされたことがあっただろうか。
いや、それよりも。
「秋の空よりも変わりやすい、と王都では言うのだったかな。この辺りでは冬の空のように変わりやすい、と言うんだ」
「冬の……?」
「晴れたと思ったらあっという間に吹雪になる。良い状態が長続きせん上に、いつ変わるともわからない。故に、冬に外を歩くときは常に空を読む。……それと同じだよ」
それはつまり、女性は気分が変わりやすいと言うことだろうか。
でも、それは彼女にはふさわしい言葉とは、セレシュには思えなかった。
王宮で見せていた穏やかな微笑みを思い出す。彼女を例えるならば、春の暖かな木漏れ日だ。
小さく首を横に振り、眉を寄せて伯爵に視線を向ける。
「姉様は……ユーマは違う。いつも穏やかに微笑んで……」
「そうかね? 君はここに来て、何も見なかったのだね」
「何も、見ていない……?」
伯爵の目がゆっくりと細められる。
「私は十四までの彼女を知っている。……よく笑い、怒り、ころころと表情を変える元気な子だったよ。決して、全てを飲み込んで微笑むだけの子ではなかった。だからね」
言葉を切った伯爵の目は、鋭い光を宿していた。
「……ただの笑う人形に戻すつもりの君らには、渡さない」
「ちがうっ」
「同じだよ。六年前と同じように、王族の力で奪おうとしたじゃないか」
「ちがうっ、俺はっ!」
「セレシュ」
言い募る言葉を遮られる。目を転じれば、横になっていた護衛騎士がむくりと起き上がった。
向けられた冷ややかな視線に、セレシュは拳を握って顔を背ける。
「……二度目は許さない。二人にもそう伝えなさい」
猛将ユリウスの放つ威圧にセレシュは奥歯を噛み締めた。