17.子爵令嬢の兄は家令の報告を聞く
「で、様子はどうだ?」
気楽な部屋着に着替えたフィグは、ノックして部屋に入ってきたベルモントに声をかけた。
「はい、領地については滞りなく。旦那様と奥様は無事こちらに向かっていると連絡が来ています」
「そうか。……じゃなくて」
探るような目つきでベルモントを窺うと、家令は小さく咳払いをして頷いた。
「まだ噂は届いておりません。お嬢様に気が付いた者たちは皆、婚姻前の宿下がりだと思っているようです」
「そうか。……なら、間に合ったな」
「ですが、いずれ噂は入ってきますよ。王都からの買い付け商人も入ってきていますし」
「ああ、わかっている。それはいいんだ」
眉をひそめたベルモントに、フィグは頷いた。
「噂より早く戻りたいというのがあいつの願いだったからな」
「……そうでしたか」
ベルモントはほんの少し目を眇めた。
「それにしても、門番や兵士たちには教えなかったのか? 館の者たちには事実を伝えたのだろう?」
「ええ、館の者に黙っておくわけにはいきませんでしたから。それに」
「それに?」
「その方が面白いでしょう?」
「……確かにな」
確かに、六年ぶりに妹を見る幼馴染たちの反応は見ていて実に微笑ましかった。ユーマが戻ってくることを知っていたら、あんな素直な反応は見せなかっただろう。
それに、すっかり大人になった幼馴染たちを見て驚くユーマは、王宮にいた時のうわべだけではない心からの笑顔を浮かべていた。
王都からここまでの間にだんだんと口調も戻ってきたし、屈託ない笑顔を自分に向けてくれるようにもなってきていた。
六年ぶりの里帰り。しかも理由が婚約破棄とあって、少なからず妹が萎縮しているのは感じていた。
ここを出る時、王太子妃候補として華々しく送り出されたわけではない分、気は楽なようだ。が、だからと言って何のわだかまりもなく笑えるほど、妹は図太くない。
その妹が屈託なく笑う一助になったのだ。町の人たちからはユーマの連れ程度にしか認識されなかったのは面白くなかったが、些細なことだ。
フィグは口元をゆるめた。
「ありがとう」
そう告げた時、ベルモントがほんの少し口角を上げた。めったに表情を変えないベルモントの笑みに、フィグは目を見開いた。だがすぐにいつもの無表情なベルモントに戻る。
「驚いた……お前が笑うこともあるんだな」
「失礼な。私とて笑うことはありますよ」
「そうか? この二十年、ろくに見たことがない気がするが」
「フィグ様は甘い顔をするとすぐに付け上がりますので、特別厳しくするようにと旦那様からも奥様からも言われております」
フィグはちっと舌打ちした。
確かに、両親からは長男として、いずれ爵位と領地を受け継ぐことを期待されている。だが、王太子の専属護衛騎士として引っ張られて城勤めしている身だ。受け継いだとしても、家令であるベルモントに全部一任することになるだろう。
いや、一か月の謹慎ののち、首が飛ぶ可能性だってある。婚約破棄したユーマの兄が護衛として傍にいることを咎めるものも少なくないだろう。
王宮内で王太子の傍に常にいる立場で、他の高位貴族からにらまれるのは今までと変わらない。ただ、その風当りが自分だけでなく王太子にも及ぶ可能性がある以上、今までフィグを受け入れてくれていた者たちも従来通りとはいかないだろう。
そうなれば、両親の願い通りにここに戻ってくることになる。
「早晩、ここに戻ることになるかもしれん」
「おや」
ベルモントは意外そうに眉を跳ね上げる。
「坊っちゃまにしては珍しく諦めるのが早いですね。何かありましたか?」
「坊っちゃまはやめろ。もういい歳なんだから」
心底嫌そうにフィグが顔を歪めると、ベルモントはしれっと頭をさげた。
「それは失礼いたしました。ですが、あれだけ戻るのを嫌がっていたフィグ様の言葉とは思えませんが」
ベルモントの言葉にフィグは苦り切った顔をした。
「そりゃそうだが、仕事をクビになれば仕方がないだろう?」
「首なんですか?」
「……嬉しそうに言うなよ。それにまだ確定したわけじゃない」
「これはこれは、失礼しました。詳しくお聞かせ願えますか? それに、そもそも領地に戻ってこれないのは、王太子付きの専属護衛騎士だからとおっしゃっておられませんでしたか? お嬢様の護衛のためとはいえ、お側を離れても大丈夫なのですか?」
どことなく嬉しそうなベルモントの無表情を見て、フィグはため息をついた。
「……その王太子を殴って自領での一ヶ月の謹慎中なんだよ」
そう告げた時のベルモントは、明らかにがっかりして見えた。
「なんだ、そうでしたか。では、こちらには二週間いらっしゃるだけなのですね」
「……ああ、よろしく頼む」
「承知いたしました。ところで旦那様と奥方様がこちらに戻られるのは十日ほど後の予定です。それまではフィグ様を代理として扱うようにとのことでしたから、明日から執務をおねがいいたしますね」
「……は?」
フィグはあっけにとられて目の前の家令を見上げた。ベルモントは先ほどの微笑の衝撃をを吹き飛ばそうとでもするかのように、にっこりと微笑んだ。
「きっと王宮暮らしで忘れておいででしょうから、ビシバシしごいて差し上げましょうね」
「……お手柔らかに頼む」
「かしこまりました」
家令が出て行く背中を見送って、フィグは深くため息を吐いた。