174.子爵令嬢は皆を見送る
あのあとすぐ、父上とお師匠様がやって来て視察団の離任の儀となった。
砦で本来は行うべきもののはずだけれど、お師匠様……つまり北方国境警備隊の隊長が不在では行えなかったみたい。
ちなみに、母上もご一緒に出ていらしたのだけれど、父上たちを見る目が冷たかったのは、きっとここに連れ出すまで手こずったからに違いない。
ベルモントも心なしか疲れた顔をしている。
そういえば……祭りの直後はいつもこんな感じだったわね。
とりわけ今年は予定外のことが続出していたし、文字通り寝る間も惜しんでいたのではないかしら。もう無理はしないで欲しいのだけれど。
ともあれ、父上たちがいらしたおかげで、わたしは気持ちに一区切りをつけられた。
今は客人を送り出す時で、わたしが感傷に浸る時間じゃないもの。
あっさりと離任の儀を終えて、視察団の一行が動き出す。
わたしは父上たちと並んで彼らを見送る。
馬車から顔を出して手を振ってくれたユリウス君とミーシャ。次に会った時の成長が楽しみだわ。
窓越しに微笑みをくれたライラ様。来年また会いましょう。
ライラ様の向こう側でふくれっ面をしていたフェリス。侍女のオリアーナが代わりにこちらに頭を下げているのが見えた。……また、手紙を書きますわね。お返事をくれるといいのだけれど。
マルス殿とウェイド侯爵は馬車の横にいて、何かあれば真っ先に馬車を守る意気が感じられる。二人とも、とてもいい顔をしていた。
なんだか、久しぶりにエヴァンジェリン様にお手紙を書きたくなった。……いつか、ウェイド領までお会いしに行けるといいな。
一行の向こう側にはレオ様やセレシュ殿下が同じように視察団を見送っている。
そういえば、フェリスは馬車に乗り込んでからもしばらくレオ様やセレシュ殿下と何事か話していた。
この時ばかりは兄上もカレルも護衛騎士として同行していて、きちんとお仕事中の顔になっていた。
……そういえば、どうしてここに兄上がいらっしゃるのか、聞き出すのを忘れていた。
あの方を置いてくるなんて、ありえないのに。……やはり、あの馬車のどちらかにいるのかしら。
片方はレオ様の、もう片方はユリウスおじさまの分だと伺っている。それでも、なんだかモヤモヤは晴れない。
……いいえ、会いたいわけではないの。
もし、そこにあの方がいるのなら、問い詰めてしまいそう。
どうしてここにいるのかと。
こんなところで何をしているのかと。
そんな場合じゃないでしょうに、と。
だから……やはり聞かなくて正解だったのだと思うのです。
視察団を見送るのに少々手間取ったおかげで、ユリウスおじさまの出立は午後となった。
レオ様たちは山を下ってすぐに王都に向かうらしい。騎馬での強行軍はわたしもやったけれど、春先と晩秋とでは、この辺りはまるで違う。
まあ、この時期の夜の危険性は、兄上もカレルも知っているはずだから、無理はさせないと思うけれど。
軽い食事を配ることになって、わたしはワゴンを押すセリアとともに外に出た。
ちなみに、レオ様たちには中に入ってもらおうとしたのだけれど、固辞されてしまった。
名無しが子爵家に上がるわけにはいかないって……それ、兄上の言葉を根に持ってますよね。
それでも、お弁当を受け取って兄上たちとともに食べ始めたのをみて、ちょっとホッとした。
ハインツの護衛たちのところへも配りに行くと、手馴れたもので先頭の兵士たちがまとめて配ってくれて、すぐにワゴンの上は空っぽになった。
ただ、あの黒髪の兵士だけは、ぷいとそっぽを向いてどこかへ行ってしまったけれど……お弁当、食べなくても大丈夫?
隣の兵士が弁当を持って行ってくれるというので預けたけど……なんだかもやもやする。
それにしても、護衛たちの無遠慮な視線がちょっといたたまれない。
つい先ほどまでここで繰り広げたことを思えば、仕方がないのだけれど。……当分ハインツ領には行けないわね。
まあ、もうじき冬。春になるまでには忘れ去られていることでしょう。
「世話になったな」
「それはこちらのセリフだ」
父上が首を振ると、おじさまは首を振った。
「いや、今回は本当に世話になった。孫の件でな」
「ああ、ユーマか」
「わたしは何も。ミーシャのおかげです」
「それでも、連れ出してくれたのはユーマじゃ。礼を言う」
おじさまの言葉に、わたしは笑みで受け入れる。
「それにしても、王族三人を袖にするとは、なかなかの悪女じゃな」
「おじさまっ……」
かっと顔に熱が灯る。そうだった、おじさまもあの場にいたのよね……。袖にしたって、そんなつもりじゃ……それに、あの方は、違うもの。
「ユリウス」
「冗談に決まっておろう、ニール。目くじらをたてるな」
「冗談にならんわ」
父上の目がものすごく剣呑です。……食事の間にユリウスおじさまから聞いたのね。父上には知られたくなかったのに……。
「ユーマ、気にすることはない。お前の意に染まぬことには絶対させんからな」
「父上?」
そんなこと、無理なのに。
あれはお忍びだから言い訳ができただけで、本気で求婚されたら、もう回避なんかできないのに。
「実はな、陛下とそう言う取り決めをしたのだ」
「……どういうことですか?」
あの日、父上たちはなかなか王都の館に帰ってこなかったと、セリアからは聞いている。
その間に……?
「お前の意に反したいかなる縁談も強要しない、と言う約束をな。王族の一存で求婚しておいて、向こうの勝手に破棄されたのだ。二度とそんな真似をさせぬようにな」
「そんな……」
じゃあ、もしあの求婚が本気で、王族としてされたのだとしても、受ける義務はなかったってこと……?
もっと早く知っておきたかった……。そうすれば、こんなに悩むこともなかったのに。
「お前を六年も閉じ込めたのだ。そのくらい願っても悪くないだろう? ただ、期限を切られた」
「期限?」
「六年だ。その間は王族だろうと公爵だろうと、求婚されても断っていいからな」
「そうなの……」
「おい、ニール。また無茶を言ったな」
「まあ、こちらから言い出したものじゃないんだがな……」
苦々しいそのつぶやきに、わたしは納得した。国王陛下と王妃陛下なら、言いそうだから。
もしかしたら、今回のようなことも危惧されていたのかもしれない。
「まあ、心配せずとも彼らはわしが責任を持って連れ帰る。三人ともな」
「……ああ、頼む」
父上と握手を交わしておじさまは馬車の方へと歩み去った。
もう一台の馬車の前にはレオ様とセレシュ殿下、兄上たちが揃っている。
山を降りるまでは馬車で移動して、麓に降りたら騎馬に乗り換えるのだろう。
レオ様とセレシュ殿下が手を振りながら馬車に乗り込む。馬に乗った兄上たちがその横につくと、ゆっくりと馬車は動き出した。
目の前を過ぎていくハインツの護衛たちをなんとなく眺めて、ふとあの黒髪の兵士がいないことに気がついた。先行して降りたのかもしれない。
もしかしたら本当にあの時の子なのかもしれない。ハインツの兵士なら、おじさまに聞けばわかるだろう。
……でも、変な誤解はされたくないのよね。今日のこともあるし。
春になったら、聞いてみよう。
それまでにはきっと、思い切れているはずだから。