172.子爵令嬢は求婚される
わたしと兄上が話している間にユリウスおじさまとレオ様の会話は終わっていたようで、ふと顔を向ければ、王族三人が仲良く集っている。
本当に仲の良い兄弟だ。正直羨ましい。……最近はすっかりカレルも護衛騎士然としてきたようで、近くにいても目もくれないし何も喋ってくれない。
まあ、仕方ないわよね。護衛対象が目の前にいるのだもの。
成長したのだと捉えなくちゃ。
「ええっ」
「あのハインツ伯爵のお供だぞ、光栄に思えよ」
セレシュ殿下の素っ頓狂な声に顔を向ける。どうやら、レオ様やユリウスおじさまと一緒に山を降りるらしい。
「なんでっ」
「母上から早く帰ってこいと言われていてな、騎馬で帰る。フェリスのいる視察団と一緒では時間がかかりすぎる」
「言われたのは兄上でしょう? 私一人いなくても……」
「いや、フェリス以外全員だ」
レオ様の言葉にセレシュ殿下はハッと目を見開いたのち、眉根を寄せ、小さく頷いた。
「そう言うことですか……じゃあ、フェリスの護衛は」
「ウェイド将軍に一任してある。帰りは隊を分けないと聞いているし、問題はないだろう。お前のことは将軍も承諾済みだ」
「……承知しました」
「残念ね、セレ兄様。ゆっくり帰れなくて。仕方ないから兄様たちの分もお土産を見繕ってあげる」
「そうだな、頼む。……三人分」
レオ様の言葉に、フェリスの勝ち誇った笑みが一瞬凍りついたように見えた。
わたしもとっさに下を向く。……歪んだ笑顔を見られたくなくて。
やっぱりダメね。あの方のことが話題に上るたびに顔がこわばってしまう。自覚はしているのだけれど、まだ……。
「わかりました。でも、あまり期待しないで下さいませね」
フェリスはそう言うと、ぷいと視察団の方へ行ってしまった。もうそろそろ出発なのだろう。ユリウス君も、おじさまに手を引かれて行ってしまった。
視察団が出発すれば、次はおじさまとレオ様たちの番。そろそろ父上たちも出てくるはず。
流石に、視察団の見送りにも出られないようなら、禁酒していただかなくちゃね。お師匠様も。おじさまはしゃっきりしていらしたのだもの、できないはずはないわよね。
楽しげにおじさまと語らうユリウス君を見ていると、最初の出会いが嘘のように思えてくる。
ユリウス君はきっともう大丈夫。それに……ミーシャもいるしね。
ミーシャと共に馬車に乗り込んで行くユリウス君。
二人なら、王都までの長い旅もきっと楽しいものになるに違いない。わたしに気がついて手を振ってくれたので、わたしも振り返した。
……ええ、今生の別れじゃないものね。そう遠くないうちに王都に行ってみてもいいかも知れない。まだ、いろいろ怖いけれど、怖がったままでは何もできないもの。
なんてほのぼのと視察団の一行を眺めていたら。
「ユーマ」
少し硬い声で呼ばれて振り向けば、目の前にレオ様が立っていた。
出会った頃に比べるとすっかり背も伸びて体つきも一回り以上大きくなっている。
そのレオ様がおもむろに膝をついた。
先ほどまでわたしを見下ろしていたのに、今は見上げられている。
……これ、は。
全身から血の気が引いた。口の中がカラカラに乾いていく。
この先を、紡がれる言葉を、聞いてはいけない。
聞いてしまったら、もう引き返せなくなる。
耳を塞いで逃げるべきなのはわかっている。
なのに、足がすくんで動かない。手も動かせない。……どうして、わたしの体はわたしの心の通りに動いてくれないの。
「ユーマ。……結婚して欲しい」
とっさに兄を見たけれども、兄は顔を背けていた。その態度でわかってしまった。
……レオ様が、わたしに求婚するのを知っていたのね……?
だから、さっきあんなことを言ったのね……?
足元が崩れていく。昨日までの日常が、六年ぶりに取り戻したはずのものが、消えていく。
どうして……?
どうして放っておいてくれないの!
わたしは、まだ……!
「それなら俺だって!」
わたしが凍りついている間に、セレシュ殿下が飛んできて、レオ様よりも近い場所で膝をついた。
「ユーマ。俺も我慢するのはやめた。本当の家族になりたいんだ、だから、結婚してください」
そう言って、セレシュはわたしの手をすくい上げる。それを見たレオ様も、反対の手を取り上げて……唇が触れる前に、必死の思いで二人の手から己の手を引き抜いた。
「お、お戯れはおやめください」
震える手を胸元に抱え込みながら、もつれる舌で二人に告げる。声が震えてしまった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
わたしのせいなの……?
「戯れなんかじゃないよ。真剣に、ユーマを欲しいと思っている」
「セレシュ、こういう時は兄に花を持たせるものじゃないか?」
「レオ兄だろうと何だろうと、引くつもりはないよ。我慢しないって決めたんだから」
セレシュ殿下のまっすぐな視線を避けるように、わたしは背を向ける。
目の前に立つ兄を見た途端、堪えていた涙が頬を転がり落ちた。兄の冷たい一瞥に目を伏せると、頭上をため息が通り過ぎた。やんわりと抱きしめられて分厚い胸板に頭を預けると、少しだけ汗の匂いがした。
「……俺の妹を泣かしたな」
低く響く声がすぐそばから聞こえる。
「フィグ殿、邪魔をしない約束だろう?」
「約束は守った。あんたが妹に求婚するところまでは邪魔しないでやったぞ」
レオ様の声は苛立っているように聞こえた。けれど、兄上の低い声が本気なのを知らせてくる。
「それに、言っただろう。どこの誰とも知れない奴に、大事な妹は渡せない。名乗れるようになってから、出直してくるんだな」
息をのむ音が聞こえた。