171.子爵令嬢は第二王子と再会する
「半年ぶりかな。久しぶり」
「……はい、お久しぶりです、レオ殿下」
「殿下じゃないだろう?」
「……レオ様」
顔は上げたけれど、視線を合わせることはできない。
……もう、わたしは単なる子爵令嬢でしかないのだもの。
お忍びだと言われても、王族であることは変わらない。
「急な訪問ですまない。母上から、『きっとあの子たちは帰りたがらなくて駄々をこねるだろうから、迎えに行って頂戴』と言われたのは本当だよ」
王妃陛下の口真似につい頬を緩ませる。あのお方は、あれほど忙しいのにきちんと子供たちのことを見ているのだ。
「ひどいな、兄上」
「まったくですわ、レオ兄様」
「ほう? きちんと報告は上がっているんだが」
彼女たちの方に向きつつにやりと笑うレオ様に、フェリスはぱっと顔を赤らめた。
「わ、わたくしはっ」
「ユーマと一緒に寝たんだってな?」
「はぁぁっ? お前、なにやってんだよ。何歳だよっ!」
「いいじゃないのっ、女同士なんですからっ。昔を懐かしんでいただけですぅっ! そう言うセレ兄様こそ、羨ましかったのではなくてっ?」
「なんだとっ!」
素っ頓狂な声をあげたセレシュ殿下に、フェリスが食ってかかる。
本当に仲がいいわね。羨ましいくらい。
まるでここが王宮内のようにごく自然なやりとりに、ほんの少しだけひやりとしたものを感じる。
ここ、うちの玄関先、なんですけれど。
……ええと、これは止めた方がいい、わよね?
そう思ってちらりとレオ様の方を伺う。
けれど、レオ様の口から出たのは諌める言葉ではなくて。
「へぇ、羨ましかったのか? セレシュ」
からかうように言うレオ様に、目を丸くする。
え、止めないのですか?
からかわれたセレシュ殿下は、きつい視線をレオ様に向けた後、わたしの方を見つめてくる。
その目に浮かぶ失望を見たくなくて視線をそらすと、兄上と目が合った。
任務中は常に無表情を決め込む兄上。でも、感情の乗らない目で見つめられるのは……正直こたえる。
あの方の後ろにいた兄の視線など、もう慣れたと思っていたのに。
こちらから視線を外す前に、兄上が顔を視察団の方へと向けた。
釣られてそちらを見れば、おじさまがにこにこと笑っている。
ユリウス君も嬉しそうにミーシャと手を繋いで立っている。
「ユリウスおじさまのお孫さんです」
おそらく聞きたいであろうことを答えれば、兄上は表情はそのままで、小さく頷く。
おじさまは、わたしと兄上の視線に気がついたようで、ユリウス君を伴ってこちらにやってきた。
「レオ様」
兄上の呼びかけにレオ様が振り返ると、おじさまは頭を下げた。
レオ様は、一瞬のうちに公の顔に戻り、それから目を見開くとおじさまのそばに歩み寄る。
「……ああ、ようやくお会いできました、ハインツ伯爵。こちらにおいでと伺って、迎えの一行とご一緒させていただきました」
「それはそれは、もう引退した老いぼれに何用でございますかな?」
「勇名は聞き及んでおります。そちらは?」
「わしの孫にしてウェイド侯爵の後継ですじゃ」
「それは楽しみですね」
ユリウス君は、目の前の人が誰かわかっていないみたいだけれど、おじさまとのやりとりで貴族だということはわかったのだろう。名を聞かれてきちんと礼をして答えている。
「……あれがウェイド将軍の長子か」
「ええ。ユリウス君というの」
答えてハッと振り返る。……兄上が、任務中に声をかけてくるなんて、ありえない。
これは、任務ではないのかしら。……兄上はまだ、あの方の護衛騎士のまま、なのよね……?
じっと伺うように覗き込むと、ユリウス君から視線を動かした兄は、眉根を寄せた。
それでも、視線を外そうとはしない。
周りが王国騎士団員に囲まれた王宮でも護衛対象者から目を離さないのに。ましてやここにはハインツ家とベルエニー家の兵士たちもいる。
「兄上」
「……何も聞くな」
わたしの視線に耐えかねてか、兄は視線をそらす。その先がハインツ家の馬車の方に向いた気がして、わたしもそちらを見た。
……やはりあの馬車にあの方がいるのかしら。いえ、そんなはずはないわね。もしそうなら、馬車のそばから絶対離れないはずだもの。
馬車の横に立つのは黒っぽい鎧とマントに身を包んだ騎士たちだ。腰に下げる剣を見る限り、王国騎士団員が混じっているのがわかる。
お忍びだからと紋章のない鎧とマントだけれど、剣の鞘までは変えられなかったのね。ハインツの兵士たちのそれとは違うからとても目立つ。
……まあそれに、レオ様が連れてきたのは近衛兵。貴族の子息で構成されているから見目も振る舞いも優雅なのよね……。
馬車の前にはハインツの兵士たちが並んでいる。
こちらも地味な装いだけれど、ハインツの紋が入っているからすぐにわかる。
最前列の兵士たちを何とは無しに見ていた時。黒髪の兵士がいきなり横を向いた。すぐに横の兵士に小突かれて前を向きなおしたけれど、何かあったのかしら。
それにしても、黒髪に青い目だなんて、珍しい。
……そういえば、あの子もそうだった。今はどうしているのだろう。
「ユーマ」
兄上の声に引き戻されて振り向けば、眉根を寄せた兄がわたしを見下ろしている。
「……お前はもう自由だ」
「え?」
「だから、俺や家のことなど気にするな。国のこともな。……お前の思うように道を選べ」
突然の言葉に驚きを隠せなかった。
どうしてそんなことを、今言うのかしら。
「いいな、忘れるなよ」
それきり兄上は口を閉ざした。