166.子爵令嬢は公爵令嬢に翻弄される
ベルモントについて玄関ホールに出ると、ライラ様が待っていた。
簡素だけれどきちんと公爵令嬢らしいドレスに着替えている。
王都まではフェリスと同じ馬車で視察団とともに降りるから、きちんと装っているのね。
彼女はセリアと何か話しているようだったけれど、わたしに気がつくとふわりと柔らかく微笑んだ。
……ああ、こんな風に微笑まれる人だったのね。
王宮で私的な茶会にお呼びした時はまだ、こんなに打ち解けてはいなかった。
ふふ、最初などずいぶん警戒されていたものね。
本当に、王太子妃に最もふさわしい方だ。……あの方はライラ様の好みからは外れているそうだけれど。
わたしもニッコリと微笑みを返す。と、ライラ様は不意に眉根を寄せた。
「ライラ様?」
「ユーマ様、嘘をつきましたたわね?」
「え……?」
嘘……と言われてハッと胸に手を当てる。ライラ様に嘘をついたことはないはず。……まさか、わたしの思いを見透かされているの……?
しかし、ライラ様はふっと力を抜くと視線を扉の外に向けた。
「何もないところではありませんでしたわよ?」
――何もないところ。
それは以前、ライラ様に送った手紙で書いた文言だった。
早くから王太子妃候補として王宮に上がり、何もかもある王都で学び育ってきたライラ様にとって、ベルエニーなんて何もない。
だから、フェリスの名代としてライラ様が現れた時には何かの間違いだとしか思えなかった。
……ううん、勝利を宣言しに来たのだと、思ってしまった。
なのに。
収穫祭には結局全日参加して、兵士たちの力くらべを何よりも、きっと誰よりも楽しんでいた。
……それ以外は見ていない気もするけれど、いつのまにか色々お土産を取り揃えていたようだし、ユリウスくんの騒動の時には、砦の硬いベッドで一泊する羽目になって、でもそれもいい思い出と笑って。
気取らない姿を、屈託ない笑顔を、真剣に戦いに見入る横顔を見せてくれた。そして、本当の思いも打ち明けてくれた。
もし、もっと前に出会えていたら。お互いの立場とそれにまつわるしがらみがなければ……きっと素敵な時をもっと長く過ごせたのに。
そんな思いで、ライラ様をまぶしく見つめると、彼女はわたしにもう一度微笑をくれて、そっと手を延ばしてきた。
「もっと早く知り合いたかったわ」
「……ええ、わたしも」
ライラ様の悔しそうな表情に、わたしは伸ばされた手に手を重ねる。
ライラ様とこんな風に同じ思いを抱くことができるだなんて、半年前には思いもしなかった。
そして、それがこんなに嬉しいだなんて、こんなにも心が満たされるだなんて。
ああ。
……わたしの六年間は、無駄ではなかったのですね。
こみ上げる感情に目を潤ませていると、ライラ様は真剣な顔でわたしの手を両手で握りしめた。
「わたくし、来年はもっと早く来ますわ」
「……え?」
「それに、もっとゆっくり参加者の方々と語らってみたいんですの。我が家の武闘会はそのあとの交流会が最も重要なんですの。お互いの健闘を称え、互いの問題点を語ったり、酒を酌み交わしたり……。今回はその時間も取れませんでしたし……」
「それは……」
収穫祭の力比べは終われば閉会式。すぐ片付けに入るからのんびり語らう時間などはなかった。
日ごろの鬱憤を晴らしたり自分の力を見せつけたりと祭りの余興的な側面が強くて、どちらかと言えば楽しむ場、だったのだけれど。
今年は……ライラ様のおかげで本格的な戦闘を見られた。
北との最前線とは言うけれど、休戦状態が長いから活躍する場面はほとんどない。……まあ、冬にやってくる飢えた獣の駆除はとても助かっているけれど。
だから、あんなふうに真剣な顔で切りあう場面を見られたのは、とても珍しいことだった。
子供たちも結構食いついたらしい。砦の鍛錬に参加したいと聞いてくる子たちが思ったより多かったのだとお師匠様から伺った。
「だから、来年はもっとゆっくり参加しますわ。我が家の優秀な護衛たちも引き連れて。ええ、楽しくなりますわよっ」
「えええっ」
砦の騎士たちはともかく、我が家の兵たちがチェイニー公爵家の護衛に勝てるとはとても思えないんですけれど……。
「だって、今回は時間が足りませんでしたもの。皆様の全力が見てみたいですし、我が家の護衛たちももっと活躍させたいですわ。なんならハインツ家の方々の参戦もお願いしましょう? そうすれば、団体戦も見られますわよっ」
そう熱く語るライラ様は、とても生き生きとしていらっしゃった。
「それに――」
そこで言葉を区切って、ライラ様はわたしの手のひらを上になるように握り替えて、じっと見る。
……あまり見ないでください。王宮にいた頃とは違って、今のわたしの手は剣を握り家事も行う、日に焼けたがさがさの手だ。わたしの手を握るライラ様の白く細い指と比較すると泣けてくる。
それでも、これはわたしの選んだ道。後悔はしていない。
「来年は女性の部とか子供の部も作りましょうね」
「えっ?」
ライラ様はわたしの手の豆を細い指先で触れる。
「知っておりますのよ。ユーマ様も剣を振るわれるのでしょう? 違いまして? わたくし、ユーマ様が剣を振るう姿を見たかったのに、見せてくださらないんですもの」
「え……えっ?」
それは間違ってない。間違ってないけど!
六年間のブランクは伊達じゃないんですっ。体づくりからやり直して、ようやく剣の重みに振り回されなくなってきた気がするレベルなんですっ。
文官のブレンダにだって負けっぱなしなのに、そんなの無理ですっ!
「み、見せられるようなものじゃ……」
「あら、あなたのお師匠様は褒めていらしたわよ?」
ライラ様はそう言いながらくすりと笑う。
どうしてお師匠様が……そういえば、最終戦の日。視察団の出迎えに呼び出された時、お師匠様も幕内にいたのよね。もしかしてその時に……?
「それに、来年の武闘会についてはわたくしに一任くださると一筆もいただきましたの。だから、楽しみにしていてくださいませね?」
なんてこと! わたしが不在にしたたった半日ほどの間に、お師匠様とライラ様の間ではすでに約束が取り交わされているだなんて。
どう考えてもいやな予感しかしない。
「むむむ無理ですっ!」
「どうしようかしら。戦闘フィールドはもっと実践的なものを準備したいですわね。あ、必要な資材はわたくしが費用を出しますから、安心してくださいませね?」
うふふと実に楽しそうに笑うライラ様の目には、もうわたしなぞ映っていなかった。
ライラ様の発案が将来のベルエニー大武闘大会のきっかけだったりして……。