165.王太子は昔を懐かしむ
遅刻です、ごめんなさい!
レオを乗せた馬車の一行は街の中を進んでいく。
ミゲールは前を向きながらも、あちこちに残る花のような飾りや垂れ下がる色布が視界に入るたびに懐かしさに襲われた。
……帰ってきた。
記憶の中の収穫祭も、こんな感じだった。
そういえばあの時も、今のように黒く髪を染めていた。名も偽って。
最初の頃は早く王都に帰りたいとばかり思っていたな。
……今思えば、当時の自分は何と鼻持ちならない人間だったことか。
フィグも彼女も、さっさと見限ってしまえばよかったんだ。そうすればきっと、こんなことにはならなかった。
……彼女を欲しいと思わなかっただろう。あのまま順当にレオが王太子となり、役立たずの自分は南の離宮にでも追いやられていたことだろう。
だというのに。
街のあちこちに、彼女やフィグたちと駆け回った思い出が転がっている。
王太子でさえなかったら、あのままこの街で彼女たちと過ごす道筋もあったのかもしれない。
……いや、それは感傷というものか。
王太子になることを選ばなければ、彼女を得ることはないと知ったから、俺は戻ったのだ。
もしあのままレオに位を譲れば、災いの芽となる自分は国外に出されていた。
彼女とともにある未来はなかった。
だから、悔いはない。
……はずなのに。
視線を街に向ける。
すでに祭りは終わり、広場にあったはずの舞台や柱はもう片付け終わった後のようだけれど、街の人々の醸す雰囲気は、やはり柔らかく、賑わしい。
昔と変わらず、そのまま自分を受け入れてくれそうな錯覚さえしてしまう。
馬車や騎馬隊の紋章で、ハインツ家の一行であることはわかるのだろう。
通りに面したあたりでは、一行に対して脱帽して首を垂れる人々もいた。
簡素ながら鎧を纏った警備兵たちは直立不動で見送る。
だがそこに畏怖の感情は見えない。
この街も……ハインツの街も、領主……貴族と民の繋がりがとても近い。
実際、自分がいた時も、彼女は民の子らと自らを分けるようなことはなかったし、周りの大人たちも、彼女を領主の娘と尊重しつつも、自分の子と分け隔てなく接していた。
王都では決して見られない光景だ。
彼らが辺境の重鎮たる所以なのかもしれない、とミゲールはしみじみと街の様子に目をやった。
街中をそんな風に流して、祭りの名残を後にして。
ミゲールは見えてきた砦に背筋を伸ばす。
聳える砦の威容は記憶のそれよりも聳えて見えるのは、自分の中に後ろ暗いところがあるからかもしれない。
こんな形で戻ってくることになるなんて、思ってもいなかった。
名を名乗り、堂々と胸を張って戻ってきたと、彼女を迎えに来たと言えれば。
……何度思ったかしれない。
いや、本当ならば、彼女とともに戻ってくるはずだった。
こんな風に、名を名乗ることもできず、姿も変えて、こっそりと彼女を垣間見るために来るなどと、誰が思っただろう。
ミゲールは首を振り、前を向く。……何もかも、今更だ。その屈辱を分かった上で、同行したのだから。
後ろからせっつかれながら、馬を歩かせる。
領主館の門をすり抜け、馬車は館の少し前で止まる。合わせて馬の脚を止めて見れば、その先にはすでに黒塗りの馬車と騎士たちが並んでいた。
「ありゃ視察団だな」
後ろの兵が漏らした言葉にミゲールははたと思い出した。
そうだ、あの馬車には見覚えがあった。出立するフェリスを見送った時に見かけたものだろう。長旅を考慮した、お忍び用のものだ。
立派な黒毛の手綱を引いて先頭に立つのは、ウェイド将軍だった。王宮の式典などでは白を基調とした煌びやかな正装姿だが、今は茶色をベースにした旅装だ。腰に帯びた剣も、普段よりは短めのもの。
他の騎士たちも同様の姿をしてここ……ベルエニー家の玄関で待っていると言うことは、これから王都に向けて出立するのだろう。
一行の中にセレシュの姿を探したが、見つからなかった。フェリスの護衛についているのかもしれない。
となれば、彼らが待っているのは、フェリスに違いない。帰りたくないとでもすがっているのだろうか。
そういえば、奇しくもこの地に兄弟四人が勢ぞろいしていることに、ミゲールは気づいて苦笑を浮かべた。
王宮では、彼女を姉と慕うフェリスとセレシュが常に彼女のそばにいた。レオは少し離れたところから見ていて、自分は彼女の隣に。
だが、今やレオが彼女の隣に座ろうとし、名乗れない自分は枠外に一人立っている。
何とも皮肉なものだ。
馬車の扉が開くのを横目で見つつ、ミゲールは空を仰いだ。