163.子爵令嬢は第三王子に別れを告げる
タイトル間違ってました。第三王子でした……
「俺が言える義理じゃないのかもしれないけど、兄貴のことで苦しむ姉様をもう見たくないよ。……今だって、そうなんでしょう?」
セレシュの思わぬ言葉に、わたしは目を見開く。
そんなに態度に出ていた? だとしたら……姉失格だ。
ここに戻ってきてからいろいろなものを少しずつ取り戻していることは実感している。
周りを気にすることなく笑うことも、思うように顔をしかめることも、悲しい時に声を上げて泣くこともできるようになった。
でも、周りを……弟を心配させてしまうなんて。それはわたしの望んだものじゃない。
あの方のことで辛いのは確かだけれど、それは……わたしがあの方を思い切れていないせい。
わたしは首を横に振る。
「セレシュにまで心配をかけてしまっていたのね。ごめんなさい。……あの方のせいではないわ。これはわたし個人のことだから」
「だって、でも、そうなんでしょう?」
わたしの返答に食いつこうとしたセレシュに、微笑みを向ける。
確かに、きっかけはいつもあの方だから、厳密に言えばそう言えるかもしれない。でもね。
わたしが思い悩んでいることはあの方に責任はないの。
「セレシュ、あの方を恨んではダメよ」
「なんでだよっ!」
「セレシュ」
それまで沈黙を保っていたカレルが静かに口を開いた。その声音は、よく聞かなくても怒りに満ちている。
途端にセレシュは顔をしかめて浮かせかけた腰を下ろした。
テーブルについた手の指がイライラとタップする。
「……わかってる」
小さく呟いたセレシュの声が聞こえる。
カレルの一言にセレシュが言葉を飲み込んだ……?
どういうこと?
専属護衛騎士が主人に意見することはよくあると兄上は言っていた。
そういう相手を選ぶのだと。
ならば、カレルとセレシュもそういうことなのだろう。
カレルに視線を移すけれど、弟は決してわたしの方を見ない。
奇妙な沈黙が場を支配する。
背を伸ばしまっすぐ前を向くカレル。背を丸め、片膝に肘をついてそっぽを向いているセレシュ。
何か言葉をかけようとしたけれど、かけるべき言葉を選びかねてしまう。
何を言うべきなのか。
何を言わないべきなのか。
ここにいるカレルは、わたしの弟だけれどセレシュの護衛騎士。たとえ肉親だとしても、彼の職分に踏み込むことは言ってはいけない。
……ええ、そう兄上から伺ったわ。あの方の護衛騎士になった時に。
あの方の盾となり剣となるためには、肉親でも切り捨てねばならない。その覚悟があってこそ、護衛騎士の任を受けるのだと。
故に、任務中の兄上は決してわたしを見なかった。
兄上が指名されたと聞いた時、王族からの指名を断れるはずもないと思っていた。
でも、覚悟のない人間が護衛騎士になったらどうなるかは、火を見るよりも明らか。後に王宮で習った王族の歴史にも、様々な形で護衛対象を裏切った事件が記録されている。
だから、断ることは許されているのだと。
カレルは、己で選び取ったのだ。セレシュの盾であり剣であることを。
その彼に、任に就いている弟に、かけるべき言葉は見つからなかった。
どれくらい沈黙が続いただろう。
ややあって、セレシュが頭を下げた。
「ごめん、姉様」
「……いいえ。わたくしも余計なことを申しました」
「姉様?」
ええ、兄弟間の話にわたしが口を挟むべきではなかった。
わたしは、姉ではないのですもの。
目を伏せ、心を決めて口を開く。……きっとすんなりとは受け入れてもらえないでしょう。でも。
……もうそろそろけじめをつけなければ。
「セレシュ様、そろそろその呼び方もおやめください」
「え……なんで」
返ってきた声には戸惑いが乗っていた。カレルは、動かない。……ええ、それでいい。
背筋を伸ばし、顔を上げる。
目を開くと、いつの間に立ち上がったのか、セレシュが眼を見開いてわたしを見下ろしていた。
「わたくしは、貴方様の姉ではありません」
「そんなの、最初からわかってる!」
「……貴方様の義姉になることも、ないのです」
「そんなのっ」
言葉を切ったセレシュは……いいえ、セレシュ様、と言うべきよね……わたしを凝視する。
ええ、わかっていますとも。
たかが子爵の娘風情が、王族に楯突いているのですもの。
許されるはずがありません。
……願わくば、その罪はわたしだけに背負わせてほしいものですけれど。
でも、セレシュ様はしばらくわたしを見つめた後、視線を床に落とした。
ガックリとうなだれてソファに腰を落とすと、両膝の上に肘をついて、頭を抱える。
ちらりとカレルの方を見れば、全く表情を変えることなく座っている。でも、その鋭い視線はわたしに注がれていた。
……要注意人物として、警戒されているらしい。
まあ、そうよね。主人の気分を害した敵、と捉えられても仕方がない。
そっと視線を膝の上の手に移す。
ややあって、セレシュ様は「そっか」と呟いた。
「そう。……もう、姉様って偽らなくていいんだね……」
その言葉に胸がずきりと痛みます。……やっぱり、望まないのにわたしを姉呼ばわりさせてしまっていたのですね。
ただの子爵の娘風情を、姉と慕わなくてはならなかったのですもの。
どれほどの苦痛を強いていたのでしょう。
いつも見せてくださっていた笑顔も、送ってくださっていた手紙も、無理やりさせていたと思うと胸が潰れそうです。
……カレルを護衛騎士に選んだのも、まさかその延長ではありませんよね……?
フェリス様も本当はそうなのでしょうか。……わかりません。
涙がじわりと滲んできて、目を伏せます。ここで泣くわけにはいきません。
ええ、悪いのはわたしですもの、泣く資格もありません。
ぐっと唇をかみしめていると、ノックの音が響きました。
わたしはこれ幸いと扉の方に向かいます。ええ、本当に助かりました。
誰何せずに扉を開けると、ベルモントが立っていました。
わたしが直接出たのに驚いたのか目を丸くして、すぐにいつもの表情に戻るとハンカチーフを渡されました。
もしかして立ったはずみで目尻からこぼれてしまったのでしょうか。
「先程、ハインツ領からの迎えが到着いたしました」
「そう。父上とおじさまには?」
「すでに連絡済みです。視察団の方々もお見えになりました。フェリス王女殿下がお部屋の方で護衛のお二方をお待ちです」
ちらりとベルモントが室内に視線を向ける。わたしも肩越しに振り返れば、二人が立ち上がってこちらに来るところだった。
「ライラ様は?」
「すでに玄関にてお待ちです」
「そう、わかったわ」
「お嬢様もお早く」
「ええ、すぐ行きます」
おじさまは視察団が出立した後に山を降りるから、それまで迎えの一行には休んでいてもらう手はずになっている。
それにしても、視察団の出立とおじさまの迎えが同時に来たなんて、間の悪いこと。
玄関はきっと混雑していることでしょうね。
やって来たセレシュ様はじっとわたしの顔を見ていたけれど、カレルに促され、わたしの横をすり抜けて出て行った。
きっとこれで終わり。
もう、あの笑顔を見ることはないのだ。そう思うと少しだけ寂しかった。