162.子爵令嬢は矛盾した思いに自嘲する
暖炉の薪が弾ける音が、重苦しい沈黙を引き裂いて響く。
あのあと、侍女オリアーナに追い出されたわたしたちは、一階の広間にいた。
ライラ様は準備のためにと部屋に戻られたし、リリー様はあのままフェリスの部屋に残った。
ここにいるのは、セレシュとカレルだけだ。セリアもベルモントに借り出されていった。
二人は帰らなくていいのかと聞いたけれど、すでに砦は引き払っていて、フェリスの護衛として派遣されたのだとか。
その二人は、向かいのソファに座っていた。
セレシュは萎れた菜のようにうなだれており、カレルは背を伸ばして我関せずとばかりに無言を貫き通す。
「姉様、ごめんな」
「もう気にしないで」
何度目かの謝罪に、苦笑を浮かべる。
フェリスの気持ちだって本当は痛いほどわかっている。
手紙であれほど何度も書いていたのだもの、許可さえあれば、本当に一冬過ごすつもりなことも。
だけど、許可はできなかった。
残るのが彼女一人であっても、きっと許可しない。
この地の冬はとても厳しい。
高地で作物があまり育たないこともあって、冬の食料は貴重品だ。
それを、人一人分ひねり出すのは困難なことだ。
ましてや護衛や侍女の分など、到底無理。……建前上は。
誤解のないように言えば、冬の備蓄は万が一を考えて十分すぎるほどに蓄えてある。薪も、食料も。
実りの少なかった年はギリギリの量しか集められなかったと聞くし、足りない分を補うための冬場の猟で命を落とした話も知っている。
だから今は、十分すぎるくらいには蓄えはされているはず。
だけど、だからといって安易に受け入れていいものではない。
父上……いいえ、領主一族は、領民を守るためにここにいるのだもの。
セレシュが押しかけて来た時は、山の封鎖が解けて新鮮な食材が入り始めた春先だったから、彼の分も(影の護衛の分も)賄えた。
でも今は、冬ごもりの直前。あの時とは違う。
「わたしの方こそごめんなさいね、セレシュ。……いやなことを言わせてしまったわ」
「それこそユーマ姉様が気にすることじゃないよ。本来ならフェリスがちゃんとわきまえてるはずのことだ」
そう告げるセレシュの苦々しい表情に、わたしは苦笑を浮かべるしかない。
王族としての心得を、フェリスが忘れているわけがないのは分かっている。それでも、言わせてしまったことが心苦しい。
それほど慕われていることを呑気に喜べるほど、わたしはまだ六年間で叩き込まれたあれこれを忘れていないのだもの。
「そうね……」
「だからユーマ姉様が気にすることじゃないってば。……って、俺が言える義理じゃないかもしれないけど」
何度目かの堂々巡りになりかけて、わたしは言葉を飲み込むと微笑みを浮かべた。
「セレシュは本当に真面目ね」
そう告げると、途端にセレシュは唇を尖らせた。
「……ユーマ姉様、俺のこと子ども扱いしてるだろ」
「そんなことないわよ?」
でも、その言葉も気に入らなかったみたいで、ぷいと横を向かれてしまった。今のやり取りのどこが子ども扱いだったのかしら、と思ってみる。真面目ねと言ったのが悪かったのかもしれない。
どう答えるべきだったのかしら、と考えあぐねていると、セレシュがこちらを向いた。その目はいつもと違う光をたたえている気がして、見なかったことにする。
「ねえ、ユーマ姉様。俺ってそんなに子供っぽい?」
「子供だとは思っていないわ」
だって、騎士養成学校を首席で卒業した立派な騎士だ。体つきだって声だって、すっかり大人の男に育ったセレシュを、誰だって子供だとは思わないだろう。
「でも、カレルと同じに見てるだろ?」
「それは……」
言い淀む。カレルとセレシュは同い年で四つ年下。確かに、弟のように思っているところはある。
……正直に言えば、あの方との婚姻が前提であった王宮での生活の中では、レオもセレシュも『弟』だった。否、弟として接すること以外を禁じられていた。
婚約が破棄された今では、その関係はもう成立しない。だから、セレシュは弟じゃないのだけれど。
……叩き込まれた倫理観はなかなか抜けない。
黙り込んだ私に、セレシュは肩をすくめると首を振った。
「ごめん、姉様を困らせたいわけじゃないから。……俺が頑張れば済む話だし」
トーンを落としてぼそぼそとつぶやいた後半はあまりよく聞き取れなかったけれど、吹っ切れたように笑うセレシュに、胸をなでおろしつつわたしも微笑を返した。
「ところで姉様、あれから半年経ったけど、気は変わらない?」
かちゃりとティーカップが音を鳴らす。
顔を上げると、セレシュが伺うようにこちらを見ていた。……以前と同じように。
わたしはほんの少しだけ眉根を寄せ、首を横に振る。
それだけでセレシュには伝わったのだろう。
膝の上で組んでいた両手に視線を落として、小さく「そっか」とだけ呟いた。
あれからもう半年。
あの時のことを思い出すと胸は痛む。でも、時間というのは偉大なもので、ここに戻ってきてからの様々な出来事が、だんだんとその痛みを遠ざけてくれる。
……もちろん、思い出せば変わらず胸は痛むけれど。
ブレンダたちにも言われているのよね。
もう半年経ったのだから、そろそろ新しい恋を探しなさい、と。
でもね。
……まだ半年、と思ってしまう自分がいるの。
あの方のことを忘れなきゃならないのはよくわかっている。
……祭りが終わったら、目録の確認をしなきゃならないし、六年間の記録を読み解きながら、あの方を忘れる努力をする。
だけれど、まだ次の恋は考えられない。
両親もわかってくれているから、次の婚約者の話を持って来ることはない。
いずれはどこかに縁づいて嫁いでいくのだろうけれど、それは……あの方が次の婚約者を決める前であって欲しい。あの方の隣に立つ女性を見るのはまだ辛いから。
そんなことを考えながら、ふと笑った。
縁談は待って欲しいと言ったのに、あの方の婚約より早く嫁ぎたいだなんて、我ながら矛盾している。
「姉様? どうかしたの?」
訝しげなセレシュにわたしは薄く笑う。
「ごめんなさい、なんでもないの」
「……なんでもないって顔じゃないけど」
それには答えず微笑みを浮かべていると、セレシュはいきなりガシガシと自分の頭をかきむしり、わたしの方に向き直った。
「ユーマ姉様、もう我慢しないでよ」
「……え?」
思わぬ言葉に、わたしは目を見開く。
「俺が言える義理じゃないのかもしれないけど、兄貴のことで苦しむ姉様をもう見たくないよ。……今だって、そうなんでしょう?」