160.子爵令嬢は迎えの話を聞く
「ハインツから迎えがじき来るそうだぞ」
その連絡を受けたのは、朝食の場だった。
父上母上はもちろん、ユリウスおじさまとお師匠様もいらっしゃった。……また朝まで呑んだくれてましたね? 顔が赤いです。それに酒臭い。フェリスたちが同席でなくて良かった。
まあ……祭りも一応無事終わりましたし、良いですけど。
父上は流石に残るほどまでは飲まなかったみたいね。視察団を送り出すのに領主が酔っ払いでは様にならない。
ううん、王族の出立に赤ら顔で立ち会うなんて言語道断って父上なら言いそう。
ちなみに、ここにいないフェリスは、昨夜一緒の寝台で眠ったのだけれど、朝早々に侍女のオリアーナが迎えに来て引きずられていった。帰る前の準備がこれまた大変らしい。
食事もごく軽いものを部屋でという話だったのは残念だったけれど、仕方ない。山道は揺れるものね。
セレシュとカレルは昨日のうちに砦に戻った。こちらも帰還準備があるとのことで、出立で顔を合わせるのが最後になりそうね。
ライラ様も昨夜早々に切り上げて部屋に戻って行かれたあとは見かけていない。今朝は食事はいらないと聞いていたから、この場にはいない。……もう少しお話したかったわ。そういえば彼女のお眼鏡にかなった兵士は結局いたのかしら。あとで手紙で聞いてみなきゃ。
リリー様は……きっとフェリスの手伝いをしているわね。オリアーナがリリー様の名前を出していたもの。
「……早すぎるわい」
父上の言葉に嘆く声で視線を向ければ、ユリウスおじさまは天井を仰ぎながらため息をついていた。
ウェイド侯爵が麓まで送ると申し出てくれたのを断ったのはユリウスおじさまだった。
迎えが来るからということで下山を取りやめたのは昨日の話。
視察団の最初の予定では、昨日のうちに山を降りて、ハインツ領で一泊してから王都に向かう手はずだったらしい。
ウェイド侯爵にとっては舅の領だから、というのとユリウス君とはそこで会う予定だったから、だそう。
ところが舅……ユリウスおじさまもユリウス君もこの街にいることから、麓で一泊しなくてもよくなった、ということらしい。
そのおかげでフェリスたちともう一日一緒に過ごせたのは嬉しい誤算ね。
とはいえ、これ以上とどまれば、いつ山を降りられなくなるかわからない。
まだ日数的には余裕があるとはいえ、山を閉鎖する作業もあるのだし、ゆっくりはしていられない。
……冬を越す準備だってまだ終わったわけじゃない。
薪だって買い足さなきゃいけないし、今回の収穫祭の締めくくりも片付けも必要だ。
思ったより多い来訪者のおかげで露店商たちはホクホク顔で帰っていったらしい。街の宿屋も食堂もうれしい悲鳴が上がっている。
反面、食材や薪が切れかけて冬の備蓄に手をつけたという報告もあって、補填を急がなきゃならない。
最後の荷車が上がって、降りるまでは止まるわけには行かないの。
その後に来る冬は、容赦なく私たちに襲いかかるのだから。
「ふむ、仕方ないのう」
ユリウスおじさまは嫌々ながら腰を上げる。その際、ちらりとわたしの方を見てふっと目を細める。
……偶然にもおじさまを見守っていたわたしは、視線がバッチリ合ったことで、なんだか言い知れない不安を感じてしまった。
……おじさまがあんな顔をする時って、大抵何かあるのよね。人を驚かせるのが好きなんだから。まったく。
「砦にも使いを送ってくれ。どうせ山道は混雑する。わしは視察団が降りた後でゆっくり山を降りるとしよう」
かしこまりました、とベルモントが出て行く。
まあ、ユリウスおじさまは一番近い人だものね。時間の制限も一番ゆるい。
「そういえばユーマ」
「はい」
腰を浮かしたおじさまがこちらを振り向くとじっと見つめてくる。
「わしの話をユーリにしたな?」
「ええ。……まずかったでしょうか?」
おじさまの話といえばあれだろう。別にみんな知っていることだし、話しても問題ないと思うのだけれど。
すると、おじさまはちらりと隣のお師匠様を見る。視線につられてそちらを見ると、ブスッと不機嫌そうにカップを傾けるお師匠様がじろりと睨んできた。
「あれがこやつだと教えてやればよかったのに」
「いらんことを言うなっ」
お師匠様のますます眉間のシワが深くなる。わたしは笑いをこらえて微笑みにとどめたけれど、おじさまは愉快そうに笑った。
「ユーリに花を描かせたのはユーマか?」
「いいえ」
答えながら眼を見張る。
ユリウス君の花、といえばあの、タイルに描いた花たちのことだろう。
おじさまには何も言っていないはずだけれど、ユリウス君自身が話したのかしら。
「収穫祭でタイルに絵を描くのは子供達の役目だ」
「……昔は女たちの仕事であったがな」
父上の言葉にふん、とつまらなそうに口を挟むのは、お師匠様だ。
「戦乱の世ではな。今は寿ぎの花だ。……お前にももう少し絵心があればのう」
「……なかったから良かったんじゃないか」
「まあそうじゃの、お陰で結婚できたようなもんじゃしのう」
「やかましいわっ」
おじさまが揶揄い、赤くなったお師匠様が声を荒げる。いつもの日常が戻ってきた気がして、わたしはほんの少しだけ頬を緩めた。
「そんなことよりこれを見ろ。あれはわしより上手いぞ」
ほれ、と懐から出してきたのは、ハンカチーフに丁寧に包まれた素焼きのタイルだった。書きかけで筆を放った時のものらしい。筆の跡が残っていて、あの時のことを思い出す。
その横に並べられていたのは、おじさまの似顔絵だった。
色がなかったのか単色で書かれているが、ヒゲといい優しそうなタレ目といい、おじさまの特徴をよく捉えている。いつの間に描いたのかしら。
「ほう……たしかにな」
「将来が楽しみじゃろ。そのうちお前も描いてもらえ」
「……機会があればな」
将軍にはならないと宣言したユリウス君。きっと、おじさま……おじいさまのような騎士になることでしょう。
ミーシャと揃って騎士として立つ姿を是非見たい、と思った。