158.王太子は麓の村にたどり着く
麓の町に着いたのは、もう陽が傾き始める頃だった。
ここで馬を乗り換えて走れば、夜のうちには着くだろう。
そう思っていたが、妙に賑わっている。
花が飾られ、楽が掻き鳴らされて、歌う者、踊る者、楽しげな様子は門を入らずとも読み取れる。
「祭りか」
「そういやここも同じ時期に収穫祭するんだったっけな」
護衛騎士たる友の言葉に改めて街の様子を見る。
王都で行われる様々な祭りとは随分と雰囲気が違う。賑やかで洗練されてはいるもののどこか薄っぺらい王都のそれよりも、余程暖かく、人の営みを感じさせる。
何より、人々の笑顔が本質的に違うのだ、とミゲールは気がついた。
貴婦人の微笑みではない、心からの笑顔。それが、老若男女問わず輝いて見える理由だ。
「楽しそうだな……」
「まあ、冬に入る最後の楽しみだからな」
「……そうだったな」
この地はじきに長い冬に閉ざされる。
ここは山の麓だから、山の上よりはまだましなのだろうが、何も入ってこない閉ざされた街では、娯楽がほとんどない。
暖炉を囲みながら、耳をそばだてて大人の語る物語を聞いたり、本を読みあったり、絵を描いたり。
雪の止んだ昼間は表に出て雪の中を転げ回ったり、雪玉をぶつけ合ったり。
そうして、春を待つのだ。
「さて、もういいか?」
フィグの言葉にミゲールは頷いた。
のんびりしていては弟に先を越される。
昔を懐かしがるのは、向こうについてからでいい。
そう思って馬の首を巡らせた時。
隣から盛大な舌打ちが聞こえた。
フィグの視線の先には、見覚えのない馬車が待っていた。薄墨色の車台の横には紋章が入っている……ハインツ伯爵の。
この地の領主がどうしてここにいるのか。
馬車は、人混みの中をゆっくりとこちらに向かってくる。付き従う馬上の騎士は護衛だろうか。
周りの者たちは、誰の馬車かをよく知っているのだろう。自然と道が割れて、ミゲールたちの前に横付けになった。
馬から降りて待っていたミゲールとフィグはしかし、開かれた窓から覗いた顔に、苦虫を噛み潰した。
「遅かったね、兄さん」
そこには、にこやかに微笑むレオがいた。
あれほど休みなく走ってきたのに、やはり追いつけなかったのだ。
もしかするとレオはもっと前に出発していたのかもしれない。
要領のいい弟のことだ、翌朝と言いながら、その足で出発したのかもしれない。
だとしたら、とんだ道化ではないか。
落胆よりも、怒りが先に湧く。……自分に対しての。
窓が閉じられ、開かれた扉からレオが降りてくる。気がつけば側に騎士が控えていて、渋々馬の手綱を渡した。
それが旅の終わりを意味するのだと、ミゲールもフィグも悟った。
自分たちは負けたのだ。
「とにかく、馬車に乗ってよ。兄さん」
その言葉に従う謂れはない。が、周りの好奇の目が集まるのを感じ、渋々馬車に歩み寄った。
「護衛騎士はそのままついてきて」
「……御意」
背中にフィグの声を聞きながら、ミゲールは弟とともに馬車に乗った。
馬車は街中をゆっくり進む。車窓から街の様子を伺いつつ、ミゲールは口を開いた。
「……どこに向かっている」
「今日の宿。ベルエニーには明日向かう。……ああ、先に言っておくけど、夜中に出し抜こうとはしないでよ。この時期の山は単独では危ないから。兄上を危険に晒したいわけじゃないんだ」
どの口が言う、と思ったものの、賭けに乗ったのは自分だ。
「明日朝一番に出発するよ。昼までに向こうに着かなきゃならないから」
「……わかった」
「フィグ殿には、護衛を務めてもらう。本来の護衛騎士を置いてきてしまったし、兄上にその役をしてもらうわけにもいかないしね」
ミゲールは頷く。
フィグにとっては望まぬ形での帰郷となる。レオの隣にいることで、王太子付きから外されたと見る者もいるかもしれない。
「表向きは、サプライズでフェリスを迎えに来たことにするつもり。だから、兄上はこの街で待っていてくれない?」
その言葉に、ミゲールはぎゅっと拳を握る。
ここまで来て、顔も見られないのか?
たしかに、レオとの勝負には負けた。求婚する権利を失った。
……ユーマは、王族の求婚を断れないだろう。だから、レオが求婚した時点で、ユーマはレオのものとなる。
……でも、それは賭けの対象じゃない。
「嫌だ」
ゆっくりと弟に視線を向ける。
子供のような物言いだと気がつきはしたが、言い換える気は起こらなかった。
「お前と賭けたのは、ユーマへの求婚権だけだ。それ以外を制限される謂れはない」
じろりと睨み付けると、レオは驚いたようで目を丸くしていた。
それから、ふっと目を細める。
「まあいいよ。……俺がプロポーズするところをそんなに見たいのなら。そのかわり、明日は騎士たちに混じって護衛してもらう。フィグ殿に話はつけておく。でも、プロポーズの邪魔はしないこと」
「……ああ、わかっている」
感謝する、と小さく呟くミゲールにレオが目を丸くしたことに、俯いていたミゲールは気がつかなかった。