154.子爵令嬢は第一王女と眠りに就く
就寝の準備を終えてセリアが下がると、シーツの衣擦れの音と二人分の呼吸音だけが部屋に響く。
左手を握るフェリスの手は柔らかく、その暖かさがじわりと心に染みる。
指摘されたように、わたしは疲れていたのかもしれない。心のささくれが解けていくのを感じる。
「姉様」
呼ばれて声の方に寝返りを打つと、暖炉の火がもたらすほの赤い光がフェリスの顔を浮かび上がらせている。
視線が合うと、フェリスは私の左腕に抱きついてきた。
「どうしたの? 眠れない?」
「ううん。……ねえ、姉様」
「ええ、なあに」
「……あれ、セレ兄様の言う通り、わたくしを狙ったのでしょう?」
不意の言葉にわたしは身をこわばらせる。
「だって、わたくしが一人になったときを狙っていましたもの」
すっかり普通どころかいつもよりリラックスしていたように見えていただけに、予想外だった。
……いいえ、わたしがフェリスを見くびっていたのですね。
「……わかりません」
子供たちの誘拐未遂はすでに犯人は捕らえられ、理由も判明している。
けれど、魔法のつむじ風は自分たちではないと証言したと聞いた。
……まあ、こんな機密事項、どこで誰が聞いているかわからない我が家の中で、彼らが本当のことを話している保証はないのだけれど。
「あの場には色々な人がいました。誰が狙われていてもおかしくない状況だったのは確かでしょう」
「……姉様、口調」
フェリスの拗ねた声にハッと口に手をやる。事務的な内容だからついお師匠様に話している気になっていた。
「ごめんなさい、つい……」
「まあいいわ。……そういえばあの男、帰ってきました?」
「まだらしいわ。お師匠様からも居場所を聞かれたのだけれど。リリー様もご存じなかったし」
子供たちの救出以降、クリスの姿を見ていない。
わたしたちは祭りの片付けもせずに子供たちの相手をしていたから、単に会わなかっただけかと思っていたのだけれど、砦に戻っていないとなると事情が違う。
「他の魔術師たちも山を降りているのでしょう?」
「そうなのよね……」
あの様子だと、子供達を探し出すのに力を貸してくれていたのは間違いない。
彼らにもきちんと報いたかったのに、結局何もできないままだ。
とは言え、あの時はわたしとミケしかいなかったし、彼らを引き止めることは難しかった。
あとでクリスに話を聞こうと思って確認しなかったのはわたしの落ち度だ。
クリスが出てきてくれれば終わる話だと思うのに。
「残念だわ。あの時回り切れなかったから、もう少し見たかったの」
「そうだったわね」
「王都の祭りだと出歩けないし、本当に残念」
フェリスの言葉に頷く。
王都での祭りはこことは比べ物にならない。華やかなパレード、打ち上げられる花火。
露店の数も半端ない。魔術師の店も多いと聞く。……そこに王族が自由に出かけることはできないから、わたしも聞きかじりだけれど。
王都にいる間に一度ぐらい見てみたかった。次の機会なんてないでしょうし。
「……ところで、どうしてあの男の話でリリーの名前が出るんですの?」
隣でフェリスが起き上がり、わたしを見下ろしてくる。
暖炉の明かりを背にしているから、フェリスの表情は陰っていてよく見えない。
が、機嫌良いとは言えない声音だ。……もしかしてまずいことを言ったかしら、わたし。
「え……だって二人は幼馴染でしょう?」
「……えええええっ?!」
そう告げると一瞬の間を置いて、フェリスは悲鳴をあげ、慌てて口を押さえた。
廊下の音に耳をすますが、誰かが飛んでくる様子はないらしい。
リリー様は……今は公爵夫人とはいえ、フェリスの部屋付き侍女。てっきり知っていると思っていたのだけれど。
「知らなかったわ……嘘じゃないわよね」
「ええ。二人から聞いたの」
「クリスがわたくしの護衛をしていた時にはそんな様子は少しもなかったのに」
クリスはともかく、リリーは真面目だものね。仕事中なら幼馴染と言えども態度は変えなかったのでしょう。
フェリスはぱたりとうつ伏せでベッドに倒れこむと、枕を抱き込み、顔を埋めた。
「フェリス?」
「……最低じゃない」
枕に吸い込まれてはっきりとは聞こえない。けれど、フェリスの声音が弱々しいのはわかる。
しばらくブツブツと聞こえないことを呟いていたフェリスは、ごろりと寝返りを打つと仰向けになり、枕を引っ張ると胸の前で抱きしめた。
「道理であの男に恨まれるわけよね……」
「え?」
「あの男、リリーがここにいるから来たのね」
「……かも知れないわね」
はっきりと言葉では聞いていないけれど、あの様子からそれは間違いないだろう。
「姉様、聞いてくれる?」
「ええ、何なりと」
体を起こして覗き込むと、フェリスはまっすぐ天井を睨みつけていた。
「リリーが結婚することになったのは、わたくしが原因なの。……リリーをこの役目につけたのはわたくし。兄上から信用できる者を紹介して欲しいって頼まれて。でも、そのまま使者に立つことになるなんて思っていなかったの」
リリーから一通り話は聞いているし、驚きはしなかった。けれど、あの方のことに触れられて胸がざわめく。
「使者には宰相が立つはずだったの。検品には梱包してくれたリリーにも立ち会って欲しいなんて兄上が言い出さなければ」
驚いて目を見開く。以前聞いた話だと、お年を召した宰相に長旅はきついからとリリーが申し出たからだったはずよね?
あの方が一枚噛んでいるの?
「リリーでは国の使者としては不十分だからってあんなことに……まさか宰相が婚姻を申し出るなんて思わないじゃない! それに、まさかリリーが同意するなんて」
任務が終わって王都に帰って、白い結婚を理由に離縁してもなかったことにはならない。リリーは婚家から戻された令嬢扱いになる。いい縁談は見込めないだろう。
……まあ、カルディナエ公爵のことだから何か手を打っているのではないかと思うし、それがクリスなんじゃないかと思っているのだけれど、想像でしかない。
「わたくしのせいですわ……」
「それを言うなら、わたしのせいでもあるわ」
「姉様は悪くない。悪いのは愚兄よ」
「だとしても、荷物を置いていったのはわたしだもの」
「いいえ、やっぱり愚兄のせいよ。だって姉様に誤解させたのでしょう?」
「それは……」
言い淀むとフェリスは、ほらやっぱり、と頬を膨らませる。
たしかに、あれらの品々は王太子妃に捧げられたものだと思っていた。だから、持ち帰るわけにはいかないと判断したのだもの。
「だから姉様のせいなんかじゃないわ」
ね? と微笑むフェリスの顔は、もはやデビューしたての少女のものではない。
わたしが王都を離れた半年のうちに、フェリスは大人の顔をするようになっていた。
彼女の成長は喜ばしいことなのに、少しさみしいと思ってしまう。
でもこれはわたしのわがままね。
「ええ。……ありがとう。でも、フェリスのせいでもないわよ」
リリー様からは誰かに結婚を強制されたわけじゃないと聞いている。むしろこの件でフェリスが胸を痛めていると知れば、リリー様は自分を責めるだろう。
「だから、この話はお終い。ね?」
そう答えてわたしも横になる。
枕を引きずって寄って来たフェリスは、唇を尖らせていた。
「姉様その顔ずるいです。……でも、ありがとう」
その言葉にわたしは頬をゆるめる。
本当はもっと遊びたい年頃のはずなのに、公務に社交にと駆り出されている彼女の、時折見せてくれるいつもの笑みには本当に癒される。
「さあ、もう寝ましょう。明日も忙しくなるわ」
「はぁい……ねえ、姉様。少しだけでいいから冬の話をしてくださらない?」
「冬の?」
「ええ。……本当は自分で体験したかったけど無理だから、せめて話だけでも聞きたいの」
フェリスは先ほどと同じように左腕に抱きついてくる。わたしは苦笑を浮かべつつ、右手でフェリスの髪の毛を撫でた。
「いいわよ」
そういえば昔、冬を知らない子に同じような話をしたことがあった。
あの時の男の子は今頃どうしているかしら。
フェリスも同じような反応をするのかしら。
そんなことを思いながら、わたしは話し始めた。
ふぇえ、間に合ったー。
ひとまず、フェリスとの会話はここまでです。