153.子爵令嬢は客を自分の部屋に案内する
「最初に謝っておくわね。本当に何もない部屋だから」
自分の部屋の扉の前で、後ろをついてきた彼女たちを振り向く。
「わかっていますわ、姉様」
ニッコリと微笑むのは先頭に立つフェリスだ。ガウンの下から覗く薄ピンクの寝巻きがとても可愛らしい。
その横にはフェリスの侍女オリアーナ嬢。こちらはいつもの制服と比べてラフなベージュのワンピースだが、そのまま館の中を歩ける服装を選んでいる。
後ろにはリリー様がこちらも似たような紺色のワンピースで立っている。どうしてそこに立つのかとも思ったけれど、考えてみればリリー様は今もフェリスの部屋付き侍女なのよね。
ライラ様はとみれば、興味がないような顔をしてちゃっかりネグリジェに着替えてフェリスと肩を並べている。
深い紫のネグリジェの上にガウンを羽織ったライラ様は本当に大人の女性の色香があって、直視できずに視線を彷徨わせてしまった。
フェリスには、あの方から贈られた品々は北の館にあると話はしてある。検品が終わるまでは出すつもりはないことも。……検品が終わっても出さないと思うけれど。
視線の圧力に負けて、わたしは扉を開いた。
「何もない部屋でしょう?」
先頭切って扉をくぐったフェリスはわかりやすく固まっていた。
目を見開いて部屋全体に視線を走らせている。
わたしも部屋の中を見回した。
寝台と文机、お茶を頂くための丸テーブルと椅子が二脚。
基本的にはそれで全部だ。
王宮では寝室は別になっていたし、妃候補の部屋にもプライベートな茶会を催すためのスペースがあった。
どれも特別な場所なのだと一目でわかるほど丁寧に作られた空間だった。
それに比べれば、使用人の部屋以下だろう。
実際、セリアに割り当てられた部屋は、この部屋より広かったもの。
それでも、この半年で色々増えた。領内の巡回でもらった木彫りのブローチや黒曜石の文鎮。壁を彩るのは子供たちが描いてくれた似顔絵。
机の上にはフェリスからの手紙を入れる文箱。これも領内の木彫り職人の手によるもので、フェリスの紋章の特徴である百合が彫り込まれている。……白百合ではなく山百合だけど。
それ以外はほぼ元のままだ。
こんな殺風景な部屋に寝てもらうのはやはり気がひける。今からでも遅くない。客間にお戻りいただこう、と扉のそばに控えるセリアの方に向いた時。
声が聞こえた。
「……だわ」
俯いて拳を握るフェリスに、わたしは目を伏せる。そうよね、こんな部屋に寝てもらうわけにはいかない。
「……やっぱり元の部屋に」
「姉様っ」
振り返ったフェリスの瞳は輝いていた。
「素敵ですわっ!」
「え」
「あの、椅子に座ったり触ったりしてもよろしくて?」
「え、ええ……」
何が嬉しいのかわからないけれど、わたしが頷いたのを確認すると、フェリスは小走りで文机に近づいた。
割れ物に触れるごとくに椅子の背をそっと撫で、それから矯めつ眇めつしながら椅子に座る。……うっとりした顔で。
「……ええと」
今日も手紙を書くのに座ったし、この間は少し紅茶をこぼしてしまったし、そんな大仰に喜ぶほどのものではない、と思うのだけれど。
「放っておきなさいな」
ライラ様はそう言うと、丸テーブルの前の白い椅子に腰を下ろした。
「リリーもいらっしゃい」
「あ、はい」
リリー様はライラ様の隣の椅子に腰掛けた。
……やっぱり簡易寝台、準備してもらったほうがよかったかしら。それか、椅子を人数分。
わたしの部屋で腰をおろせるところはもうベッドの上しかない。
オリアーナ嬢は妄想の世界に飛んで行ったままのフェリスのそばで何やら囁いているし、セリアはお茶の準備に部屋を出て行ったばかり。
仕方なくベッドに腰を下ろすと、途端にフェリスが飛んできて隣に座った。……右腕に抱きついて。
「ふ、フェリス?」
「ふふ、姉様の隣は渡しませんの」
微妙に物騒な眼差しを椅子に座る二人に向けるフェリスは、しかし上機嫌みたい。
「あらまあ、本当にお子様ですわね」
「当たり前でしょ、デビューしたてだもの」
べえっと舌を出すフェリスに、わたしは頬を緩ませる。
王女としての自分の立場をよく理解しているフェリスが、これほどに自分を出せている。それは、ライラ様に十分気を許している証拠でもある。
よかった、とやはり思う。半年前のフェリスはライラ様たちお三方を敵と見なしていたものね。……わたしが個人的にお茶に招待していたことも、実はあまり快く思っていなかったらしい。
思い返してみればたしかに二人だけの茶会によく乱入してきていた。いくら諭しても、こればかりは聞いてくれなかった。
あれは、わたしを守ろうとしていたことだったのよね。
フェリスをからかうライラ様に苦笑しながら、デビュー当時の自分を思い出す。
あの時は初めて行く王都に興奮して眠れなかった。
この地しか知らなかったわたしは、王都があれほどの規模の街で、あんなに多くの人が住んでいることが信じられなかった。
王宮も、目に入る何もかもが素晴らしくて美しくて、そこに落ちている小石ですら洗練されているように見えたものだ。
そして、広間に集まる麗しい人々。
見たこともないデザインにカラフルな衣装。大粒の貴石があしらわれた貴金属。軽やかに舞い踊る人たちに、わたしは圧倒された。ええ、文字通り。
夜だというのに昼と見まごう明るさで、芳しい香りを放つ花があちこちに飾られて、行き交う給仕の立ち居振る舞いの方が自分よりも洗練されていることに驚かされたり恥じ入ったり。
何もかもが初めての経験だった。
きらびやかな衣装で白いドレスの娘と踊る男性が王子だと聞かされて、さらに驚いた。
デビュタントは初めてのダンスを王子と踊るのが決まりとは聞いていたけれど、あんな綺麗な人と一緒に踊るだなんて。
自分の番が来るまでに心臓がどうかしてしまうんじゃないかと思うほどにドキドキして。
わたしの番になって目の前でプロポーズされた。
そのあとはもう、デビューどころではなかった。
領地に帰ることもできず、両親に会うこともままならず、ただひたすらに王妃になるための勉強に明け暮れて。
気がつけばもうこんなに時が経ってしまった。
「姉様?」
声の方を向けば、フェリスが不安げにわたしの顔を覗き込んでいる。
「ごめんなさい、少し考え事をしていて。何の話だったかしら?」
いつもの笑顔を浮かべると、フェリスはじっとわたしの顔を見つめた。
それからややあって、視線を外すとフェリスはため息をついた。
「姉様、そんな笑い方しないでくださいませ」
「え……」
「……まるで王宮にいた時みたいだったわね」
フェリスのため息交じりの言葉を聞いて軽く固まったわたしに、ライラ様が追い打ちをかける。
ここに戻ってきて、普通に笑えるようになった。
……ユリウス君に初めてあった時には指摘されたけれど。
「姉様、疲れているでしょう?」
眉根を寄せるフェリスにわたしは苦笑を浮かべる。
疲れているのはフェリスだってライラ様やリリー様だって一緒。
それを理由にするわけにいかない。
なのに。……どうしてみんな優しいのだろう。
「顔色も良くないわね。……ゆっくり休みなさい。わたくしたちはお暇するわ」
ライラ様とリリー様が立ち上がる。
「フェリス様、頼みますわね」
「ええ、任せなさい」
フェリスは不安そうなリリー様に自信たっぷりに微笑む。
……ええと、何が任されたのでしょう。
三人……いいえ、セリアまでも視線で何事か交わしているのですが。
一人だけ仲間外れにされた気もして、少し寂しかった。
ストック尽きました(汗)
動きのないシーンなので書いては消し書いては消ししています。
ううん、お月様に浮気しすぎたぁ(汗)