150.子爵令嬢は第一王女を訪う
マルス殿はミーシャを気にしながらも砦に戻っていく。
ミーシャを一人にするわけにいかないから、マルス殿が戻ってくるまで部屋で一緒にいることにした。
騒動のせいで心身ともに疲れ切っていたのだろう。
暖炉の前でユリウス君の話をしているうちにミーシャは眠ってしまった。
いつもならセリアに後をお願いするのだけれど、セリアはいない。
眠るミーシャを抱き上げてベッドに運んだ。……あれくらいの子って思ったより重いのね。ミーシャは体を鍛えているからなおさらなのかもしれない。
もう少し体力と筋力をつけようと心に決めて、眠るミーシャを見守りつつ、明日からの予定を立てる。
今日の襲撃でフェリスは街に出るのを渋るだろう。
護衛一人だけなんて状態ではもう街を歩かせられない。
セレシュもカレルも何も言わないけれど、一緒にいたフェリスの侍女と護衛の目が雄弁に物語っていた。
……信用して預けられたフェリスを守りきれなかったのは事実だものね。
今日が祭りの最終日でよかった、と思うしかない。
日が変わればいよいよ本格的に大門の視察が始まる。
夕方にはウェイド侯爵を筆頭に視察団と砦の騎士団を招いた晩餐会がある。
……まあ、侯爵もカレルもセレシュも、我が館にお泊まりいただいているし、夕食も明日の朝食もご一緒することになっているけれど。
フェリスとわたしはその場には参加しないことになっている。
晩餐を取りながらより軍事的な話をするのだそうだ。そんな重要な場に門外漢のわたしやフェリスがいていいはずがない。
ライラ様やリリー様が戻ってきたら女だけの晩餐にしようかしら。
セレシュには、晩餐が終わった後に広間で茶を飲む約束はした。
……でも、どう転ぶかはわからない。
子供たちが素直に話してくれればいい、と願う。
あの様子だと何も聞けない気がした。
それに、クリスの協力的ではなさそうだし。
ユリウス君の発見にはクリスが関係しているに違いない。でも、ただの通信兵にそんなことができるはずもない。
正体を隠すためにも、きっとクリスは黙るだろう。
明日が思いやられてため息をついた。
翌日、朝食の場でようやく、ウェイド侯爵に正式にご挨拶できた。
昨夜はあのままミーシャと一緒にいたし、侯爵もユリウス君と一緒の部屋に泊まっていただいた。
二人とも少し目が腫れぼったくて、寝不足らしくあくびを連発していたけれど、想像していたより二人の仲は良さそうだった。
そしてなぜだかユリウスおじさまとお師匠様まで食卓には揃っていた。晩餐と言う名の軍事会議の準備が云々と言っていたけれど、嘘ですよね、お師匠様。飲みたかっただけでしょう?
昨夜も三人で飲み明かしたに違いない。
ユリウスおじさまは、仲良さげな息子と孫を見てとても嬉しそうだった。……嬉しくてお酒が進むのもわかりますけど、朝から深酒はダメですよ。
ちなみに昨日保護した子たちは別室で食事を摂っている。ミーシャもユリウス君もそちらにいる。マルス殿も将軍との同席を固辞してミーシャと一緒を選んだ。
子供達の聴取はわたしとグレンが行うことになった。
視察団はここに三日しか滞在できないと聞いている。本件に関わっていられる時間はないのだ。
砦側も視察団の対応と収穫祭の後処理で手は足りていない。
わたしの護衛を引き続きグレンが引き受けたのも、どちらにもカウントされていないかららしい。
そしてやはり、クリスからの連絡はない。あの場にいた魔術師たちも、探す術がなかった。人手も足りないしね。
フェリスはーー部屋から出てこなかった。セレシュもカレルもそちらについているらしい。朝食も部屋に運ばせたと聞いた。
昨日は顔を見に行くこともできなかったし、早めに朝食を切り上げて様子を見に行くことにする。
昨日家に帰った子供達が来たら忙しくなる。それまでに行かなきゃ。
部屋に入ると、護衛と侍女のきつい視線に晒される。カレルとセレシュはすでにいなかった。
ソファに座るフェリスはわたしを見るなり立ち上がって出迎えてくれた。
「姉様!」
「ごめんなさい、来るのが遅くなって」
「本当ですわ、せっかくここまで来ましたのに」
ぷぅ、と頬を膨らませてみせるフェリスに、わたしは微笑む。
「姉様が来てくれたってことは、もう出ていいのよね?」
「え?」
「セレ兄様ったらひどいんですのよ。狙われてるのはわたくしだから、外には決して出るなって。そのくせ自分は自由に部屋を出入りして。横暴ですわっ」
「姫様が楽天すぎるのです」
側に控えた侍女が聞こえるように独り言をつぶやく。
「聞こえているわよ、オリアーナ」
「聞こえるように申しました」
そのやり取りは主人と侍女という枠からははみ出ていて、仲の良さを感じさせる。
オリアーナと呼ばれた侍女は確かリリーと同じく部屋付きの侍女だったはず。でも、どこの家のご令嬢だったかはっきりとは覚えていない。
……あれほど読み込んだ貴族の系譜を忘れるはずがないのに。それとも半年で忘れてしまったのかしら。
じっと黒髪の彼女を見つめていると、はっと気がついた彼女はバツの悪そうな顔で背筋を伸ばし、黙り込む。
「それで姉様、もう部屋から出て良いのでしょう?」
「それは」
馬車に押し込められて十日。ここに来てまで部屋に軟禁状態は辛いに違いない。
わかってはいるけれど、安全が最優先だ。
「ごめんなさい、今日は予定外に忙しくなってしまって、領内の案内はできないかもしれないの」
「それは構いませんの。その……姉様の部屋を見てみたくて」
「部屋?」
「ユーマ様、お断りになって構いません。主人は少し浮かれておいでなのです」
「ええ……」
それは理解しているのだけれど。
部屋なんて、面白いものは置いてない。王宮のあの部屋にはなんでも揃っていたけれど、ここは違う。
「わたしの部屋なんて、本当に何もないのよ?」
「いいんですの、ここに来た理由の一つですもの」
「理由?」
首をかしげると、フェリスはふふ、と笑った。
「ええ。姉様の生まれ育ったところを見てみたかったんですの。……兄様だけが知っているとかずるいです」
フェリスの言葉にわたしは苦笑を浮かべる。
「でも、セレシュはわたしの部屋には入ったことないわよ?」
「セレ兄様?」
「違うの?」
「あ……そうよね」
セレシュの名前に首を傾げたフェリスは、途端に青い顔になりーーすぐ真っ赤になった。
「そういう意味じゃなくてっ……その」
その様子があまりに可愛らしくて、つい口元がほころんでしまう。
「姉様、その笑顔、ずるいわ」
笑われて拗ねたフェリスが頰を膨らませる。ずるいと言われても、どんな顔をしているか自分ではわからない。
むしろ今のフェリスの方がずるい。きっと世の中の男性が見たら一発で恋に落ちてしまうわね。
「それでは、誰かに案内させるわ」
「姉様は一緒ではないの?」
「これから用事があるの。終わる時間が見えないから」
とはいえ、子供たちの話を聞くのだから、夜遅くなることはないだろう。
「それか夜なら大丈夫だと思うけれど」
「じゃあ夜! 一緒に寝てもよい?」
きらきらした瞳をしたフェリスには敵わない。
「じゃあベッドを運ばせるわ」
「同じベッドではだめ?」
「フェリス様っ!」
後ろに控えた侍女が叱咤するが、フェリスはお構いなしだ。
「いいけれど、本当に狭いのよ?」
「いいの、昔みたいにくっついて眠りたいの」
王宮にいた時にも確かに一緒の寝台で眠ったことはある。
でも、あのベッドは五人寝ても大丈夫なくらい広かったし、部屋自体も広かった。わたしの部屋とは大違いなのだけれど。
それでもフェリスの希望は無下にできなくて、ベルモントを呼ぶと手配を頼んだ。