14.子爵令嬢は自領に着く(3/12)
久しぶりに見る外の世界。
さすがに六年ぶりともなると、王都からベルエニー領への街道沿いもずいぶん変わった……らしい。
らしい、としか言えないのは、一度しか通ったことがないからだ。
あの時は、長旅だというのに最初から飛ばして、見えるものすべてにワクワクしていた。
その思いの方が強くて実際にどうだったかという部分はずいぶん薄れている。けれど、それでもこんなに大きな町はなかったとか、家が増えているとか、道が広くなっているとかはおぼろげながら分かった。
そんな、旅というには急ぎ足の旅だけれど、いよいよ北の山が近付いてきた。
ここまでかなり急いで馬を走らせてきた。途中で雨に降られて身動きが取れなかったりもしたけれど、噂に追いつかれることなく自領へ戻れたのは、兄上と、馬たちが頑張ってくれたおかげだと思う。
今朝、最後の宿を発って、あとは自領の門をくぐるだけだ。
馬――兄上の乗っている黒毛の大きい方が闇月、わたしの乗っている栗毛が白妙というのだそうだけれど――たちは、本当にがんばってくれたと思う。
かなり無茶な走り方をさせた。
普通の馬ならば、途中で乗り換える必要があったに違いない。
でも、この子たちは――ベルエニーから連れてきていたから、寒さに強い子たちなのだと思う。
春とは言え、北に向かえばどんどん寒くなる。その中を、風のように走ってくれる。昔のことを思い出して、うれしくなった。
ベルエニーの風を感じながら馬を走らせるのが大好きだった。
ようやく、本当に帰ってきた気がする。
「兄様」
「ん?」
隣で寝転んでいる兄上に声をかける。
先ほど木陰で昼食を摂ったところだ。お腹がいっぱいになって眠くなったと言って、兄上はごろりと横になった。
馬たちはすぐそばにつないである。
このあたりは寒いところでありながら、幸いにも領民は飢えることなく暮らしている。おかげで、窃盗や馬泥棒などは少なくて助かっている。とはいえ、荷物はすべて馬に括り付けてあるので、ちゃんと馬番はしているのだけれど。
腰の剣に手を置いて、周りを警戒しながらわたしは言葉をつづけた。
「ありがとう」
「なんだ突然」
「兄様がいなければ、ここまで帰ってこられなかったもの」
「ああ、そうだな。……お前が世間知らずだってこと、実感したか?」
「したした」
「まさか、貨幣価値まで頭からすっぽ抜けてるとは思わなかったからなあ」
「言わないでよっ」
寝転んだまま、兄上はごろりと寝返りを打ってわたしのほうに顔を向けた。意地悪そうに笑っている。
だ、だって仕方ないじゃない。六年も王宮にいたんだもの。自分で買い物をすることもないし……。
セリアが王宮の荷物を片付けてきたとき、部屋には貨幣が全くなかった。だから、旅の間の買い物は、すべて兄上持ち。……兄上とはぐれたら生きていけない身の上だなんて、情けない。
王都を出てすぐ、ぼろきれのようなマントと、手ごろなサイズの短剣を買ってくれた。
セリアが準備してくれた旅装ではあまりに華美すぎて、一目で出自が知れると言われたのよね。
そりゃそうよね……あの旅装も、城にいるときに作ったものだもの、王家御用達のデザイナーが手掛けたうんたらかんたらとか……。ごめんなさい、あまり興味なくて覚えてないの。
こんなことだから、王太子妃候補失格って言われるんだよね……。あ、もう関係ないんだった。
ともかく、ご飯一つ、宿一つ自分で満足に手配できなかった。
人怖じする性格ではないので、困ったら人に聞けばいいと思ってはいるのだけれど……道行く人や露天商の人などの、時折見え隠れする裏黒い笑顔を見たら動けなかった。
なんでだろう……王宮ではそんなの日常だったし、見て見ぬふりをしてやり過ごす術は会得したはず。
なのに……怖い。
結局、見るに見かねた兄上がすべて手配してくれたのだけれど……。
「お前はまじめすぎるんだよな」
言われてふと顔を上げれば、兄上はじっとわたしの方を見ていた。
「そう? わたしを真面目と言ったら本当の真面目な人が怒ると思うけど」
「……人の心の動きに敏感だからな、お前は」
つきりと胸が痛んだ。
取り繕うように笑顔を浮かべたけど、口元は妙な形にゆがんだ。
「そうでもないよ? それにそんなに繊細なお嬢様だったら、こんな道端でお弁当食べたりしないと思う」
「そういう意味じゃねえよ、バカ」
伸びてきた手が頭を撫でた。
兄上に撫でられるのは好きだった。優しい兄上。――ごめんね、出来の悪い妹のせいで。
「そういえば、昨夜のお前のアレ、何が何でもひどすぎるわ」
「ええっ。み、見てたの?」
ぱーっと頭に血が上った。
宿の人たちが寝静まった後に、中庭を借りて、剣の型を確認するために体を動かしただけなのに、ダメだしってひどい。
「そりゃ、護衛だからな。お前が出てくのはすぐわかったから。――まあ、六年経って昔なかったところに肉ついてるし、仕方ねえけどな」
そう言う兄上の目がわたしのささやかな胸元と腰回りに向いている。……き、胸部はともかくとして、腰回りは女の子らしくなったと思うんだけど、たしかに動きが鈍ったなとは思った。
「帰ったら鍛錬やり直す……」
「ああ、そうしろ。今のお前じゃ剣振り回して自分が怪我しちまう」
「えーっ、そんなにひどい?」
「まあ……帰って砦の親分にしごかれて来い」
砦の親分……うわー、懐かしい。
ベルエニーの領内には、北の隣国につながる街道がある。今は隣国との仲が悪くて閉鎖中だけれど、一応何かあった時を考慮して、砦が作られているのよね。
国防の理由から、今もそこにはそれなりの兵士たちが詰めていて、わたしはよくそこに遊びに行っては色々教えてもらったものだった。
そこのトップが『砦の親分』と呼ばれている、隊長さんだ。
一応、王国から派遣されているので、ときどき人は入れ替わっていた。でもわたしが覚えている限りでは、隊長さんはずっと同じ人で、『砦のヌシ』とか『親分』とか『親方』でだいたい通じる。
「懐かしいなぁ……みんな元気かな」
「すこぶる元気らしいぞ」
「そうなんだ。楽しみ」
うふふ、と笑ってわたしは山の方を見あげる。もう、青い山脈が見えるようになってきた。
馬であと半日。
戻ったら、何しよう。まずはあちこち見て回りたい。きっとみんな驚くよね……まあ、いろんな意味合いで。
とにかく、いろいろな人に会いたい。一緒に遊んでた子たちも、もう成人したよね。元気だろうか。
「ま、いろいろやって見ればいい」
「え?」
まるでわたしの心を見透かすように、兄上が言った。
「とりあえず、お前は世間を知ることだな」
「……兄様のいけず」
「事実だ。……いっそのこと、商売始めるってのもいいよな」
「そんなの無理だってば」
「無理と決めつけることはないさ」
「そう、だね」
兄上の言葉に驚いた。驚いてる自分にも驚いた。
わたしって、前からこんなだったっけ……。
最初から何もかもできないと決めつけたみたいに。
やってはだめなことなんて、大してないはずなのに。呪いのような声が耳の奥にこびりついている
そうだ。あれは――元女官頭の声。もう、名前も覚えていないけれど。
木に登るな、走るな、笑うな、大声を出すな……。最初っからダメダメばっかりだったな。
そのうち、あれはだめこれはだめって言われる前に自分で抑え込むようになった。
――王妃は美しく凛として気高く、それでいて慈愛に満ちた女神さまであらねばならぬのです。
ああ、いやな言葉を思い出しちゃった。
そんな女神さまになれるはずがない。お人形さんみたいなのが欲しいなら、そういう人を選べばいい。
わたしなんかほっといて。
「……マ、ユーマ?」
「……えっ?」
肩を揺り動かされてはっと顔を上げると、寝そべっていたはずの兄上が起き上がっていて、心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。
「あ、ごめん。ちょっと考えごとをしていただけよ」
「そうか。ならいいが……大事を取ってもう一泊するか?」
「何言ってるのよ、最後の宿はもう通り過ぎちゃったでしょ?」
「それほど遠くないし、戻ればすぐだ」
「いいってば、目の前に家が見えてるのに」
失敗した。つい嫌な記憶に引きずられてしまった。
まだ気になるみたいでじっとのぞき込んでくる兄上に笑いかけて、立ち上がる。
「もう休憩はいいんなら、行こうよ、兄様」
「俺はいいが……いいのか?」
「うん、疲れはとれたし」
「そうか」
兄上が立ち上がり、馬を木から解く。
やってみろ、か。
まずは、わたし自身が気が付いていない、自分にかけている縛りを解きほぐさなければ。
「お店か……」
「お、やってみる気になったか?」
「お店をするかどうかはわからないけど、何か考えてみるね」
「おう、楽しみにしてる」
闇月に乗った兄上は、にやりと笑って見せた。にっこり、じゃないよね。にやりだった。
白妙の背に乗って首に手をやると、白妙は嬉しそうに首を震わせる。
きっと闇月と白妙にとっても久々の里帰りだ。
「さ、いこっか」
ゆっくりのつもりだけれど、やはり気持ちがせいていたのかもしれない。
軽やかに馬を進めたわたしたちは、日が落ちるずいぶん前に城門をくぐることができたのだった。
連休&6万PV御礼ということで、一話前倒しで明日(10/9)の12時に更新します!
いつもありがとうございます~