143.子爵令嬢の兄は王太子を追う
「おいっ、ミゲールっ」
前をすごい勢いで馬を走らせるミゲールに呼びかける。だがこちらを振り返りもしない。
馬はすでに王都を出て、北へ向かう街道を進んでいる。
どこへ行こうとしているかなんて、一目瞭然だ。
「馬鹿野郎っ」
馬を並べて手を伸ばすが、ミゲールはさらにスピードを上げてフィグを置いていく。
昼前から走り詰めで、馬が泡を吹きかけている。自分の馬はミゲールが飛び出して行ったと聞いて後追いした分、ひどい走らせ方をしたせいだ。
だが、ミゲールのは。
不意に前の馬が嘶いた。
「ミゲールっ」
ミゲールは棒立ちになった馬から振り落とされる。馬は背が軽くなるとふらふらと歩き出した。
慌てて馬を走らせ、ふらつく馬の手綱を取ると、大人しく足を止めた。
幸い近場に水場があった。周りは草も豊かに茂っており、自分が乗ってきた馬と二頭を木につなぐと、ミゲールの落ちたところまで戻った。
ミゲールは仰向けに倒れたまま、顔を腕で隠していた。ざっと見たところ傷はなさそうだが一応あちこち確認しておく。草原だったことが幸いしたようだ。
「一体全体、何トチ狂ってんだ。なんの準備もせずに飛び出したって、ぶっ倒れるのが落ちだぞ」
その言葉にミゲールはのそりと起き上がる。眠れなかったのだろう、血色の悪い顔が黒髪のせいでさらに青白く見える。
旅装は整えたようだが、こんな体調でどこへ行こうと言うのか。
「何も聞いていないのか」
「ああ、いきなりお前が出発したって言われて。なんだよ、家出か?」
「馬鹿を言え。ちゃんと両親には断った」
王太子が公務放り出して出奔とか、醜聞にしかならない。だからこそこの姿で出てきたのだろう。
……ちょっと待て、それなら俺、ここにいちゃまずかったんじゃないか?
ミゲールがレオの護衛騎士のふりをしているなら、あの魔術師崩れがミゲールの身代わりをしているはずだ。
なのに俺が詰めていないとかありえない。
だが、ミゲールが飛び出したと知らせてきたのはその男で、忘れ物と称して路銀を差し出したのは王妃陛下の侍女だ。
……許可出てるって言うことでいいのか?
「とにかく事情を話せ。俺が納得できなきゃこのまま王都に逆戻りだ」
路銀は自分が握っている。馬は自分の背後、旅装で剣を外したミゲールと帯剣したままのフィグ。抵抗したところで無駄なことは分かるだろう。
観念したのかミゲールはポツポツと話し始めた。
◇◇◇◇
「つまり、ユーマへの求婚権を賭けた勝負でレオ殿下に先を越されたから焦ってたってか」
そうざっくりまとめると、ミゲールはうなだれた。
勝負の話は状況から考えても国王と王妃は認知済みで、しかも路銀まで渡されたってことはつまり、行って来いと言われたわけで。
……ミゲールの望む望まないに関わらず、すでに答えを知られてるってことになるんだが。
まあ、いいか。
「だからって無計画にもほどがある。ここで馬が潰れたら、勝負は決まってた」
だろ? と問えば、ミゲールはうなだれたまま頷く。
「……動けるか?」
「ああ」
「出るぞ」
そう告げて手を差し伸べると、ミゲールの目が丸くなる。フィグはニヤリと笑った。
「負けるわけにはいかないんだろ?」
「……ああ」
ミゲールの目がすっと細められる。
「じゃあ、夜通し走る」
「馬が潰れないか?」
「街ごとに馬を乗り換えればいい。……前は無茶できなかったけど、お前なら大丈夫だろ?」
前、が何を意味しているのか気がついたのだろう。青い瞳が複雑に揺れ、伏せられた。
この期に及んでまだ悩んでいるらしい。……まあ、そりゃそうだ。自分の勝手な思いで婚約破棄してまた求婚するなんて、普通に考えりゃバカにしてんのかって話。
ただの貴族同士なら相手にもされないよな。
しかしこいつは王族で、王族からの求婚を断るなんてこと、普通に考えればできない。
レオにしろミゲールにしろ、求婚すれば妹は受けるだろう……六年前と同じに。そこに妹の気持ちはない。
それが分かってるから、迷うんだろうな。
この調子でレオに勝ったとして、求婚できるのか?
「……わかった」
差し出していた手を握り、ミゲールは立ち上がる。その目は強い光に満ちていた。
……まあ、そこから先は本人が考えることだ。向こうに着くまでに結論が出ればいいがな。
兄としては、こんな形で妹を巻き込んで欲しくない。妹の意思を無視するなら、レオであろうとミゲールであろうと、容赦するつもりはない。
というかだな。
好きなら好きでちゃんと口説けよ。思いが届かないのに無理やりイエスと言わせるとか、子供じゃねえんだ。
本人にぶちまけたい思いを飲み込んで、フィグは繋いだ馬の方へと向かった。
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