137.王太子は王都に戻る(9/20)
王宮に帰ってきて、離宮に部屋を構えた。
避暑地にいた時と同じく、引きこもったまま書類仕事に明け暮れるつもりだったが、父王が政務に復帰したことで仕事は激減する。
避暑以前の政務も休養を理由に他の兄弟に割り振られ、文字通りミゲールは暇になってしまったのだ。
北の姫との顔合わせは、登城してきたその日に済ませた。
歓迎の夜会では、二人は国内の貴族たちに紹介された。
煌びやかに着飾った二人は、三人の妃候補を連れた王太子には見向きもせず、レオにしきりに話しかけていた。
のちにレオから聞いたところ、二人とも十四でミゲールよりもセレシュかレオの方が年も近く、話しやすかったらしい。
それならセレシュは、と聞けば年が近すぎて、子供っぽく見えたのだと言う。
女心はわからない、とセレシュがつぶやいていたのが印象的だった。
そして。
「準備はできたか」
「ああ。……なあ、ミゲール。本気でやるのか?」
「ここまでやって冗談だとでも?」
そう言いながら視界に垂れ下がる黒い髪をかきあげる。
腰に佩いた剣の柄には王家の紋と鷲の紋が刻まれていた。王国騎士団の備品である証だ。
身を包む黒い騎士服もフィグのものと同じで、見かけだけならば護衛騎士に見える。
「どこから持ってきたんだよ、それ」
「レオの護衛騎士に借りた」
「ああ、あれか」
フィグは小さく頷く。レオの護衛騎士はフィグとは違い、細身の剣士だ。フィグの服を貸りられれば良かったのだが、体型が違いすぎた。
前面を守るように革鎧を当ててあるのが、王宮と違う点だ。
「それにしても、まさか本気でやるとは……」
「何度同じことを聞けば満足するんだ。それにそもそもお前が言い出したことだろう」
フィグが口をつぐむ。おそらく騎士団のキツい鍛錬をやらせれば諦めるとでも思っていたのだろう。舐められたものだ。
「心配するな。勝手に動くことはしないと誓う」
そう言いながら私室から執務室の扉を開くと、ソファに座っていた四人が振り返った。
ライラ、ミリネイア、シモーヌ、そしてレオ。
妃候補三人は目を丸くして こちらを見つめてくる。
レオはさっと立ち上がると、ミゲールの前に立った。視線が黒く染めた髪に釘付けとなっている。
「兄上……」
「え……ミゲール様……ですの?」
ようやくライラが言葉を絞り出す。視線を向けて頷くと、ライラは立ち上がった。
「まさか、こんなに印象が変わるとは思わなかったな……」
「目も黒にできたら良かったんだが」
フィグが口を挟む。そんなことができるのは魔術師ぐらいだろう。王宮魔術師はいるが、今回のことに関わらせたくない。
何しろ、このことはレオ以外の家族にも話していないのだ。
秘密を共有するのは、カムフラージュに協力してもらうライラたちとレオ、レオの護衛騎士だけだ。
「ミゲール様が、どうしてこのような姿に?」
ミリネイアたちも立ち上がり、ミゲールの前にやってくる。
「事情は聞くな。……君たちまで巻き込みたくはない」
「ええ……そういう約束、でしたわね」
ミゲールの言葉にライラが答える。
ミゲールがこの姿でいる間、見舞いの口実で三人が部屋に居座ることになっている。
今の王太子は、妃候補以外の見舞いを受け付けていない。だから、彼女たちが見舞っている間、他の者たちがここにくることはない。
仮病で引きこもっている現状では、制服横流しの件で王太子が探っていると漏れるのはとてもまずい。それをカムフラージュしていることを三人が知られることもまずいはずだ。
「全て終わったらお話しいただく約束ですわ」
「ああ、忘れていない」
「それと、今回の件については報酬がいただきたいですわ」
「報酬?」
「口止め料、と申しましょうか。……前払いで」
にっこりと微笑むライラの言葉に眉根を寄せる。他の二人はと見れば、すでに話はついているのだろう。期待のこもった目でミゲールを見てくる。
「……私個人の資産内で収まるものであれば叶えよう」
その言葉にライラは笑みを浮かべ、他の二人を振り返った。シモーヌたちも嬉しそうに頷いている。
「資産はかかりませんの。手紙を届けていただきたいんですの。……ユーマ様に」
「手紙」
そんなもの、普通に手配すれば届くだろうに、なぜそれを自分に頼もうとするのか。
訝しげに見つめると、ライラが口を開いた。
曰く、仲が悪かった妃候補から頻繁に文を出せばいらぬ噂が立つこと。
曰く、今までフェリスに直接手渡ししていたけれど公務が忙しくなって会えなくなったこと。
曰く、文だけフェリスに送るのは途中で中身を読まれる危険性があること。
「だから、フェリス様がお忙しい時にはミゲール様に代わりをお願いしたいのです」
「それは構わないが……」
婚約破棄した側から婚約破棄された側へ頻繁に手紙を送るのは、避けなければならない。
とりわけ今は。
ならば。
「フェリスの名前で送れば良いのだな?」
「はい。フェリス様はもともとユーマ様と手紙のやり取りをなさっておられましたから、疑われることはないかと」
「わかった。引き受けよう」
そう答えると、三人はホッと表情をゆるめて互いに頷きあっていた。それからソファに駆け寄るとすぐに三人とも戻ってきた。
ミゲールに差し出された三人の手には、それぞれ分厚い封筒が。
「快諾していただいて助かりますわ、王太子殿下。フェリス様がお忙しくなられてから全くお会いできなくて」
「それでも話したいことはいっぱいあって、つい書いてしまって」
「送るに送れなくて悩んでいたところですの」
「それなら僕もお願いしようかな」
「……お前もか」
手に押し付けられた三通の封筒の上に、薄青の封筒が載せられる。
「もし送るのならセレシュにも声をかけておくよ。仲間はずれにしたら怒るからね」
にこやかなレオの顔に、ミゲールはため息をついた。
弟たちが自分に隠れてユーマと手紙のやり取りをしていたとは知らなかった。手紙一つ出せない自分と比べると、弟たちはなんと自由なことか。
まあ、この仕組みを知っていたとしても、手紙を出そうとはしなかっただろうけれど。
「父上と母上にも伝えておくよ」
両親もか。両手が空であれば頭を抱えたいところだ。
「ああ、そうそう。手紙を送る時には中を確認してね」
「確認?」
「内容物に問題がないか、内容も不穏なものはないか。変なものを送るわけにいかないからね。……特にフェリス名義で送るなら気をつけた方がいいよ」
検閲をしろということか。三人を見れば、若干青ざめたり赤くなったりはしているものの、否定や拒否はしないようだ。
「わかった。問題があれば返すことにする」
「それと」
まだあるのか、と目をすがめてレオを見ると、弟はにやりと笑う。
「……兄上も手紙を書けば?」
どきりと心臓が鳴った。
ユーマに送ったのは、『忘れ物』に託けたあの一度きり。
一方的に婚約破棄した側が一体何を書けるだろう。今さら、困らせるだけではないのか。
眉根を寄せて黙り込むと、レオが顔を覗き込んできた。三人の視線も痛い。
本当に余計なお世話だ。
「時間だ。行くぞ」
「はいはい」
預かった封筒を執務机の引き出しにしまって鍵をかけながら、気軽に引き受けるべきではなかったかもしれない、と小さくため息をついた。