135.王太子は三美姫に見舞われる
ふわりと花の香りが広がる。
「あら、このお茶」
「ええ、東方の友人からいただきましたの。色々ありますので皆さんにお試しいただいているんです」
「あら、もうリサーチ中ですの?」
商魂たくましいですわね、とライラがすました顔で並べられた茶器に手を伸ばす。
「だって、取り寄せるのに時間がかかりますもの」
「東方からなら海路が使えるのではなくて?」
「いいえ、海路では茶葉が湿気てしまいます。陸路となると運べる量がどうしても少なくなってしまいますから、今回は商品を絞ろうと思ってますの。できれば色々仕入れたかったのですけど」
シモーヌは申し訳なさそうに言い、手にしていたポットを下ろす。
「湿気は茶には大敵だものね」
「ええ、最高級の茶葉も台無しになってしまいますもの」
「いっそのこと国内で茶葉の栽培をしては?」
「それが、茶葉の育成に適した土地がなかなかなくて……」
「あら、どういう条件の土地が良いんですの?」
「それが……」
シモーヌの話は続く。
ミゲールは書類から目を上げ、眉間をもみほぐした。
少し離れた場所に設えられたソファには、見舞いに来たことになっている三人が、賑やかにおしゃべりを続けている。
妃の座を争う三人という仮面は、ここまで誘導して来た騎士と侍女が退室するとすぐに剥げ落ちた。
ミゲールとしても見舞いは口実だけどわかっているから、やって来た三人が繰り広げる茶番が終わった時にはホッとため息をついたほどだ。
「それにしても色々あるもんだな。この薄い色のはいい香りだ」
「あら、お分かりになりますの?」
「意外ですわね」
「茶葉にうるさいのが身近にいたもんでね」
「誰かさんとは大違いですわね」
三人とともに茶卓を囲んでいるのは、ミゲールの護衛騎士、フィグである。
仕事を理由にミゲールが試飲を断ると、三人はそばにいたフィグに目をつけたのだ。
ここで誰かに襲われることもないだろう、と持ち場を離れることを許可したのはミゲールなのだが、ずいぶん楽しげだ。
そして三人の美姫は、何かと言えばフィグと自分を比較して揶揄してくるのだ。
気にするだけ無駄、と四人の話を意識して頭から締め出し、書類に集中する。
山と積まれた書類は、どれも疎かにしていいものではない。……まあ、時には唾棄すべき内容の嘆願書も含まれているのだが、読み飛ばすわけにはいかない。訴えの中に是正すべき内容が潜んでいることもあるのだ。
それにしても多すぎる。国王に見せる前にふるい落とせる物もあるだろうに。
手元の書類を処理不要の山に乗せ、ため息をこぼす。
「おい、ミゲール」
次の書類に手を伸ばしたところで、先ほどまで書類を置いていたスペースにカップが置かれた。
先ほど入れてもらった茶がある、と言いかけて、置いてあったはずの冷めきった茶がなくなっているのに気がついた。
「休憩取れ」
「いい」
この書類の山をこなさないと今日の仕事は終わらない。茶会に加わっている暇はないのだ。
「いいから飲め。……頭痛を和らげる薬茶だそうだ」
はっと目を向けると、シモーヌと目が合った。
「……すまない」
そう呟いてカップを受け取ると、シモーヌは柳眉を開き、ふわりと微笑んだ。
「そういえば、ライラ姉様。交渉はうまくいきまして?」
ミリネイアの言葉に、ライラはちらりとミゲールの方を見る。
「ええ、こればかりは父上に感謝ね」
「ライラ様、騎士嫌いですものね」
シモーヌの言葉にライラはくすりと笑う。
「あら、嫌いではないわよ? チェイニー領では有望な騎士候補をずっと見て来たもの。……ただ、夏に開く我が家の慰労会はちょっと……」
「あからさまに集団お見合いですものね」
先日のチェイニー邸での夜会のことだ。
そういえばあの日、結局ライラは終盤まで姿を現さなかったが、交渉とやらで忙しかったのか。
「ウェイド将軍が護衛なさるのなら安心ですわね」
「その分、強行軍になるそうですけれど」
「馬車で十日の距離ですものね、大変そう」
ミリネイアの言葉にミゲールはカップを下ろそうとした手を止めた。
馬車で十日の距離。それは、彼女のいる地ではないのか……?
三人の視線が刺さって痛い。分かっていてこの話を振ったのだ。止めた手を動かして、手元に書類を引き寄せる。
「まあ、姫さんがいない分、あの人は無理するかもしれないなあ、将軍はよ」
「セレシュ殿下も一緒なのでしょう? そんな無茶するかしら」
「王子と言えどもただのルーキー扱いだ。配慮はしてもらえねえ。……だよな?」
フィグの言葉にミゲールが渋々頷くと、三人の口からため息が漏れた。
「では、手土産を準備しなくてはね?」
「そうね、何にしましょう」
三人はもうミゲールのことを忘れて楽しげに話し始めた。
視線から解放されて、ミゲールは肩の力を抜く。
北方視察団にセレシュが参加することは知っている。ライラは視察団に参加するのか。
……何をしに、とは愚問か。ユーマに会いに行くのだろう。
そこまで考えて、はたと気がついた。フィグは『姫さん連れじゃない分』と言わなかったか?
「フィグ」
三人の会話に加わっていた護衛騎士を呼ぶと、すぐにそばにやってきた。
「フェリスは行かないのか?」
「ああ、らしい。公務が忙しくなるからだろうな」
「それはーー」
自分が動けなくなるせいだ。
フェリスが自分の公務をミゲールに譲ろうとしたのは、そういうことだったのだ。
ライラが代わりに行くことになったのか。
ため息をついて頭を振ると、まだ頭が鈍く痛む。
「あんまり根をつめるなよ」
「……病人らしく見えるか?」
「そんなの、前日に徹夜すりゃ一発だろ。わざわざ辛い思いすることねえって」
前日に徹夜する方が辛いと思うのだが。
にやりと笑うフィグに首を小さく振ると、背もたれに体を預けて肩の力を抜いた。