134.王太子は妹に提案される
ぱたぱたと後ろから追いかけてくる足音に、ミゲールは足を止める。
物憂げに振り返れば、ガウンを翻して妹が追いかけてきていた。
目の前で立ち止まった妹は、両手を腰に当てて胸を張る。
「……何か用か」
「わたくしが行く予定の政務を代わって差し上げるわ」
「お前の?」
「ええ。……北の収穫祭の視察よ」
それが何を意味しているのか。
「……断る」
「なっ、どうしてっ……!」
目を見開いた妹は、目を釣り上げた。
「何を考えてるんですのっ」
「お前こそ、何を考えている。こんな時に」
目を眇めて妹を見下ろすと、妹は上目遣いに睨んでくる。
「こんな時だからじゃないのっ! わたくしはユーマ姉様に幸せになって欲しいだけ。そのためなら兄上とだって手を組むわよ」
「……意味がわからないな」
「だから!」
フェリスは苛立って声を上げた。
「行けばいいじゃないのっ。父上だってそのつもりで……」
「行って、巻き込むのか?」
妹の顔がこわばる。
おそらく想像の外だったのだろう。……父王は分かってやっているのだろうが。
フェリスのユーマ好きは筋金入りだ。家族とどちらか一方を取れと言われれば、迷わずユーマを取るだろう。
だからこそ、周りの状況を見落とすことになる。
首を狙われている状況であんなところに行ったら、間違いなく巻き込む。それも最悪の形で。
それだけは避けなければ。
今の彼女は王太子とは何の関係もないのだから。
……それとも、最後に一目会ってこいとでも思っているのか?
父王はそのつもりだったのかもしれないが。
「話はそれだけか」
不愉快だとばかりに顔をしかめると、フェリスは首を横に振る。
「……さっきのあれは何のつもりよ」
「ただの思いつきだ」
「嘘!」
「嘘ではない」
先に首をすげ替えてしまえば、狙われることも減る。……なくなると言えないのが残念だが。
「病気療養で閉じこもるのも、結局は同じことだ」
「同じじゃないわ。レオ兄様だけが兄上の代理ではないもの」
「それでも同じだろう?」
「違うわよっ、愚兄」
妹の暴言に目を眇める。が、お構いなしにフェリスは続けた。
「以前とは違うのっ。兄上の居場所に誰かが座るわけじゃない。兄上の仕事をわたくしやセレ兄様も含めて全員で勤めるの。兄上が帰ってくるのが前提なのよ? わたくしやセレ兄様では不安かもしれないけど、きちんと勤めて見せるから、心配せずにちゃんと篭ってなさいよっ」
ミゲールは眉尻を下げる。いつもの調子が戻って来たらしい。フェリスは喧嘩腰で突っかかってくるくらいがちょうど良い。
「……そうか、よろしく頼む」
ミゲールの返答と表情に、フェリスは怒らせていた肩を落とした。
「はあ……もう、なんだか拍子抜けしてしまったわ。じゃあね」
「フェリス」
元来た道を引き返し始めた妹に、ミゲールは声をかけた。
「何ですの」
「彼女を……頼む」
そう告げると、フェリスは目を釣り上げた。拳に握った両手を腰に当てて、踏ん反り返って見せる。
「とうっぜんでしょうっ? 兄上に頼まれなくともきちんと守るわよ。兄上こそ、ユーマ姉様を悲しませるようなこと、なさらないでくださいませね!」
そう言い捨てて、フェリスは戻って行った。
「そればかりは……わからないな」
ミゲールのつぶやきは、誰にも拾われずに消えた。
◇◇◇◇
翌朝から偽装工作が始まった。
あれほど入っていた夜会の予定が綺麗さっぱり消え、部屋に軟禁状態になった。
もちろん護衛騎士も一緒に軟禁されている。
主人が病の時に出歩けば、仮病を悟られかねないというのが理由だが、フィグについては別の理由もあった。
ユーマの兄だから、である。同じ理由でカレルもセレシュと共に自主謹慎中だ。
ここでセレシュまで病気療養とすると王族自体に不安感を持たれるので、騎士団の任務、ということにしてある。
セレシュまで軟禁状態にせざるを得なくなったのは、痛い誤算だった。
その分、フェリスや両親の外出は増える。
不在時の決裁は全てミゲールが担うことになった。
フィグは暇すぎて体が鈍るからと、執務室の中で鍛錬を始めた。
時折、体調の良くない兄を見舞う弟のふりをしてセレシュとカレルがやってきて、三人で鍛錬をする。
幸い、ミゲールの執務室として割り当てられた部屋は天井も高く広い。周りに調度品があるので剣を振るうのには少々気を使わねばならないが、フィグのお眼鏡には叶ったらしい。
ミゲールも付き合うようにしているが、騎士団の本気レベルの鍛錬には流石についていけない。
病弱だった少年期を送ったせいなのか、レオや、セレシュにだって体つきではもうじき勝てなくなるだろう。
「悪いな」
「ちっとも思ってないだろう」
フィグとカレルには事情は知らせてある。仮にも護衛騎士が主人の事情を知らぬわけにはいかないからだ。
フィグの口先だけの詫びにツッコミを入れつつ、執務に戻る。
あと三日もすれば、王都への帰還の途に着く。
到着までの長い時間を、周りの人を欺きながら過ごせるだろうかと一抹の不安はある。
病弱なミゲールの印象が戻ってくる可能性も捨てきれない。
それでも、やり遂げる以外の選択肢はない。
「そういえば、ベルエニー行きを断ったんだってな」
片腕で腕立て伏せをしながらフィグが言う。誰から仕入れた情報だ。……って、フェリス本人しかないか。
「馬車で十日もかかる場所だぞ。知らせが届いた時にはもう手遅れだ」
「まあ、確かにな」
今回の件がどう転ぶか、まだ見えて来ない。
場合によっては国が滅ぶかもしれない時に、遠く離れる気はない。
むしろ、万が一を考えて弟たちを遠ざけたいくらいだ。
黒真珠が帰国するまで、二人を預かってもらうのも考えた。
少なくとも、冬の間は山には登れない。春になるまでは安全と言える。……敵の手の者がいなければ。
最後の条件を満たせないのだ。今のベルエニーには多くの間諜が入り込みすぎている。
「愚問だ」
「はいはい。…。ああそうだ。フェリス殿下から言伝を預かってきた」
「言伝?」
鍛錬を中断したフィグは、脱ぎ捨てた服のポケットから白い紙を取り出した。
「ああ」
言伝なんだから口頭でいいのだが、フェリスはいつも手紙にして来る。
ぺらりと開いた紙片の内容に、ミゲールは目を見開いた。
「どうかしたか?」
「お前は知っていたのか?」
「何が」
首をかしげるフィグに紙片を見せると、途端に笑い出した。
「笑い事じゃない」
「いや、まあ、確かに理にかなってるよな?」
紙片には、『ライラたちが集まりたがってるから、今日の午後、見舞いに行かせるわね』とあった。
もはや見舞いが形だけで、三人が集まってもおかしくない状況を作るのに使われている。
ここまでサバサバしていれば、いっそ清々しい。
三家とも、娘たちの動向は把握しても、その場で何が話されているかは知らなかったのか。
「ま、いいんじゃねえか。引きこもってる間の情報も手に入るだろ」
フィグはそれだけ言うと鍛錬に戻ってしまった。
次回更新は3/19を予定しています。
ストック買い積み上がれば前倒ししますね。
追記
ストック積み上がったので3/15の12時に1話前倒しで臨時更新しますねー。