131.王太子は友に振り回される
ええと、深刻そうに見えますが、基本ギャグ回です。
三日後、ミゲールは馬車に揺られていた。
向かいに座るフィグは寝不足なのか目を閉じて揺られるがままだ。
その手元に置かれた白い仮面に視線を落とし、それから友を見つめる。
今日のフィグは、いつもの騎士服を脱ぎ捨て、真っ白なシャツの上から白いローブを羽織っている。茶色の髪を金に染めて現れた時には、近衛を呼ぶところだった。
自分の手元に目をやると、仮面が置いてある。顔の半分を覆うフィグのものとは違い、顔全体が隠れるタイプだ。口元も声が通るための隙間はあるが、飲食はできない。毒味がいない状態なのだから当然だろう。
ミゲールの身につけているものはいつもの最高級品ではなく、飾り糸も少ない黒いシャツとローブだった。
髪も黒く染めている。
これらは全てフィグの準備したものだった。
一体どんな夜会なのか、フィグは決して口にしない。だが、身分がわかるようなものを全て隠し、髪の色まで変えてマスクをするとなれば一つしかない。
避暑地ではさまざまな夜会や茶会が開かれる。朗読会や宝探しと共に人気があるのが仮面舞踏会だ。
身分を気にせずに一夜の恋を楽しむにも、秘密の恋人が逢瀬を重ねるにもちょうど良い。
招待状はなかなか手に入らず、人気が高じて招待状の取引にさえ高額の金品が動くという。
「懐かしいだろ」
眠っていると思っていた友は薄眼を開けてこちらを見ている。
ミゲールは眉根を寄せた。
「お前によく引きずられて行ったな」
「その割には毎回断らなかったじゃねえか」
「これも勉強のうちだと譲らなかったのはお前だろう?」
にやりとフィグは笑い、体を起こすと仮面をつけた。
「勉強しといてよかったろ」
それに答えず、ミゲールも同じように仮面をつける。
「何を企んでいる」
「別に何も。……ただ楽しんでくりゃいい」
それが言葉どおりでないのは、マスクからはみ出た口元が雄弁に語る。ミゲールは肩をすくめると諦めて背もたれに体を預けた。
◇◇◇◇
広間に足を踏み入れれば、すでに多くの者たちがいた。始まりも終わりも特にない仮面舞踏会では、客の出入りは自由だ。だが思ったよりフロアで踊る者たちが少ないのは、すでに今夜の相手を選んで階上の個室に入った者が多いのだろう。
壁際に並ぶ女性たちの視線がこちらに向く。が、その多くは二人を見定めたのち、フィグに向けられた。
口元まで覆う仮面は飲食が許されていない、つまりは招待されていない客の印。
しかもフィグのきらびやかな衣装を引き立てるような地味な装いだ。一瞬のうちに従僕と判断されたのだろう。
大柄で派手な装いのフィグが主役で地味なミゲールは従者、と言う立ち位置らしい。
「どうする? 誰か選んで踊ってくるか?」
「冗談を言うな」
即座に却下するとフィグは肩を揺らして笑う。
「とって食われるってか。まあ、それもありだがな。……踊らないなら行こう」
フィグが踵を返すと、あちこちからため息が漏れる。秋波の飛び交う中、ミゲールは後を追った。
今宵は敷地全体が会場らしい。庭にも篝火が焚かれ、テーブルやソファが持ち出され、そこかしこに人がいる。同じような仮面をつけた者たちが集い、戯れ、絡み合う。
「こっちだ」
誘導されたのは庭の端にある四阿だった。篝火に照らされた屋敷全体が見渡せる場所には先客がいて、二人の姿を見ると腰を上げた。
闇に溶ける濃紫のドレスにこぼれ落ちるのはうねる金の髪。白い仮面が浮かんで見えて、艶やかさが不気味に変わる。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
仮面舞踏会だというのに、こちらの正体がわかっているかのようで、フィグを振り返ると唇が弧を描いた。
「どういうつもりだ」
「わかってるだろ。……イネス、あとは任せるぞ」
フィグが言うと、イネスと呼ばれた女性は途端に舌打ちした。およそ淑女らしからぬ振る舞いだ。
が、こういう場にはそういう女性も呼ばれることは知っている。
女性がフィグの袖を引っ張った。耳元に寄せられた赤い唇がだけが鮮やかに脳裏に残る。
フィグは顔をしかめて女から離れると、ミゲールに向き直った。
「……説明はあるんだろうな」
「帰ったらな。まずはお手並み拝見といこうじゃねえか」
にやりと笑うフィグに、ミゲールは内心ため息をつく。学院の頃からそうだった。フィグの思いつきにどれだけ振り回されてきたことか。
今さらこの程度の揺さぶりは驚かない。
フィグが退場しないことを視界の隅で確認しつつ、ミゲールはイネスに歩み寄った。
◇◇◇◇
朝の光が目に痛い。
窓の日よけを二重に引き、働かない頭を動かして目の前の書類に集中する。
ノックの音と共にフィグが入ってきた。いつもならまだ執務に入る前の時間だというのに。
訝しげに顔を上げれば、やはり寝不足の顔のフィグが目の前に立っていた。
いつもならば朝の挨拶を返し、定位置に着くのだが、今日のフィグは動かない。
「どうした」
「……あのタイプの女は嫌いだったか?」
「別に」
「ならどうして誘いに乗らなかった?」
昨夜のことを思い起こして顔をしかめる。
四阿で会ったイネスは、知識と教養を兼ね備えた才女であり、そういう女、と軽々しく断じたことを恥じる結果となった。
場所を移そう、と入った小部屋はもちろんそういうことを致すための部屋で、フィグが見る前でイネスはミゲールにすがりついた。
仮面越しに唇を押し付け、体を寄せてきたイネスは、先ほどまでとまるで人が変わったようだった。
ミゲールがほんの若造であったなら、その肉体に陥落したかもしれない。
それこそがこの友の策略であったのだ。
「俺には立場がある」
「あの場に王太子はいなかった」
「詭弁だ。結果は一緒だろう」
そう答えると、フィグはふらりと後退り、執務机に手をついた。
「あのなあ……俺が言ったこと、忘れたのか? 会話はイネスに助けられてるわ、迫られたら逃げ帰るわ、散々じゃねえか。それで、どの口で相手を見つけるとか言えるんだよ。女心とか女の好きそうな話題とか、レオ王子に教えを請え」
「レオは王都だ」
「……なら自力でなんとかするんだな。次は五日後だ」
フィグはそれだけ言うと、自分の持ち場に着いた。拒否権はないらしい。
ミゲールはため息をこぼして次の書類に手を伸ばした。
イネス「ちょっと、せっかくの仮面舞踏会なのに名前呼んだら意味ないじゃないのっ」
フィグ「構わねえだろ。あいつにバレたところで困るもんでもなし」
イネス「困るわよっ、王妃様の護衛につくこと多いのよ?」
フィグ「多分個別認識されてねえから」
イネス「あー、やっぱり?」
フィグ「それにそれだけ着飾ってりゃわからねえよ。見事に化けたもんだ」
イネス「やだあ、そんなに褒めても何にも出ないわよ」
フィグ「……痛い」
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