128.王太子は三人の美姫と夜会に出る
風に乗って軽快な音楽が聞こえてくる。
まだまだ夜は始まったばかりで、賑やかな笑い声や雄叫びが池の上を滑って行く。
今日の夜会は若い者だけの集まりで、年寄りの昔話に付き合わされることもない。池に面した広い庭を解放した公爵は太っ腹と言えよう。
もっとも、ここに集う者の多くは基本全て彼の部下であり、軍務に就く者たちだ。それと独身の女性たち。
言わずと知れたお見合いパーティーなのだが、これも日々忙しい彼らへの慰労の一環なのである。
王族が二人も参加しているとは、と他の貴族たちには言われそうだが、セレシュは軍属として参加している。実のところ軍属でない男性はミゲール一人であった。
「どうかなさいまして?」
テーブルの向こうから当たり障りのない言葉を投げてくるのは今日も赤いドレスのミリネイア。その隣には月の光で青白く光るドレスのシモーヌ。ライラは挨拶に来る者たちの対応で捕まっていて、ここにはいない。
最近の夜会では常にこの三人がミゲールのそばに侍っていた。
まだ正式に王太子妃候補と決まったわけではないが、国内ではすでに秒読みと思われている。
その実ーー三人には断られているのだが。
緩慢に首を横に振ると、二人はミゲールのことなど放っておいて先ほどまでの話を再開した。
女性の話は冗長でとらえどころがない、と言っていたのは誰だったか。
三人と顔を付き合わせる夜会の際にはいつもこうやって彼女たちの情報交換が始まる。
ミゲールが意見を聞かれることはない。が、こちらに聞かせようとしている話はなんとなしに聞いていても耳には残るもので、政務の中でも時折思い出したりする。
今日の話題もその一つだ。
「ところで、北の姫の話ですけど」
目を閉じて風を感じていたミゲールは、耳と意識だけそちらに向ける。
「着いたそうですわよ。王都に姿を現したと」
……予想より速い。
ディムナ王国に入ったと報告が上がってから大して日は経っていない。なのにこれとは……王家の情報網よりミリネイアの方が相変わらず早い。本職たちが彼女のネットワークを欲しがるのも頷ける話だ。
しかし、今はそれよりもかの姫がついに王都に入ったことの方が気がかりだ。
ベリーナ女王の娘として、王城に来るのは間違いない。
王族は皆こちらにいる。城に来たところで留守番役のレオが応対するだけだ。それも、重要案件は王がいないと何もできない、と返すのみ。
空っぽの王都で開かれる貴族の夜会や茶会に彼女が呼ばれることはない。国賓扱いでもない北の姫を招待したとあっては、反逆の意思ありと捉えられかねない。
怪しい動きは抑え込めるだろう、というのが陛下の判断だった。
だが。
「さっそく夜会でやらかしてますわ」
ミリネイアの一言に、ミゲールはため息をついた。
夜会はなにも国内貴族だけが開くわけではない。商人や逗留している他国の貴族が開くことだってある。
ミゲールの婚約破棄が外国の知るところとなって、あちこちから妃候補にと女性たちが送られて来ている。
そう言った者たちは、国内貴族とのコネクションを求めて招待状不要の夜会や茶会を催すのだ。
夏の間にやってきて、地盤固めをしようとしている国は少なくない。北の姫はそれを利用したのだ。
「それは、まずいですわね」
「しかもリムラーヤ所属の商会が催した夜会ですって」
リムラーヤと聞いて目を開いた。
北の砦を挟んで直接敵対しているファティスヴァールより東北にある大国の名だ。もともと小規模な国が乱立していたのを武力を持って平定したのが今のリムラーヤ王家だ。
建国王が崩御され、代替わりしてまだ間がない。その後、前王の弟が国土の約半分を奪って独立したことは、記憶に新しい。
どちらも正当な王と名乗り、国名もリムラーヤと名乗るから、国内では便宜上、前王弟の興した国を『新リムラーヤ』と呼ぶことにしている。
我が国としてはどちらとも直接的には敵対していないが、ファティスヴァール王族との姻戚関係がどちらもある以上、信用ならない相手だ。
そんな大国の商会が王都で夜会を開いた。
しかもその場所にファティスヴァールの姫がいたという。
東半分を新リムラーヤに奪われたリムラーヤにとっても、東方諸国へのルートになる海路はそれほど欲しいものなのだろう。
視線を感じて顔を向ければ、ミリネイアがじっとこちらを見つめていた。
思わず眉根を寄せる。
「……その様子だとご存知なかったみたいですわね」
返す言葉もなくてさらに眉間に皺が寄る。
ミリネイアは知り得た情報を隠すことはない。常に外相であるアーカント侯爵を通じて王家にもたらされる。
おそらく今頃報告が上がっているのだろう。王家の影も面目丸つぶれだ。
「それにしても、どうしてリムラーヤの商会なのかしら」
シモーヌが重い雰囲気を払うように口にすると、ミリネイアは勢い良く身を乗り出した。
「あら、ご存知ないの? リムラーヤとファティスヴァールは姻戚関係じゃありませんの」
「それは知っていますわ。でもほら、他の国の貴族だって夜会は開いていましたでしょう? 商会よりはそちらの方が良かったのではなくて?」
確かに、外国の商人主催よりも国内の貴族主催の方が披露目にはなるだろう。だが。
「……レオが招待されていた」
「リムラーヤの夜会に、ですか?」
目を丸くしたのはシモーヌだけで、ミリネイアは知っていたのだろう。
王族が招待されたからと言って、他国の商会の夜会にまで出て行く必要はない。義務はないのだから。
レオのことだ、なんらかの情報が得られることを期待して、行くことを選んだのだろう。
「でもそれは……まずくはありませんか?」
ミリネイアが低い声でつぶやく。
言いたいことはわかっている。……レオを王太子に推す者はいまだにいる。大国との結びつきが得られれば、そちらに乗り換える者も出るだろう。
レオがそれを望むなら、今だって不可能ではない。
もともと、北の姫の参加は予定になかった。偶然の結果だと言っても、勝手に憶測する者は出るだろう。
「重々承知の上だ」
そう告げるとミリネイアはシモーヌと顔を見合わせて、口を閉じた。