127.王太子は護衛騎士に愚痴をこぼす
時は少し遡る。
ミゲールは掃き出し窓からベランダに出ていた。
吹く風は熱をはらんでいて、額に前髪を張り付かせる。
ベランダから見下ろせば、湖のきらめく水面に船が滑る。
ここに来たのは何年振りだろうか。
七年振りに来たメイナスの街は記憶とそう変わっていなかった。
それでも、昔と今では見えるものが違う。
七年前の経験も知識も足りない自分では、見えなかったもの。
あの時も、今と同じく三人の王太子妃候補がいた。
先日の失態は妹と母に救われる形となった。……おかげでライラもシモーヌもミリネイアも、いまだに王太子妃候補の筆頭だ。
……晩餐で顔を合わせても会話などないが、夜会や茶会ではそれなりに振舞ってくれている。
三人の方がよほど己の役割をよく知っている。
女性たちは時間があれば五人揃っては仲良さげに出かけて行く。以前なら想像もできない光景だ。が、それも全て北の姫対策の一環と思えば納得できる。
自分はと省みれば、己の感情に振り回されて自分の役割を果たすことも満足にできない。不甲斐ないばかりだ。
避暑に同行したセレシュは不機嫌そうだった。
レオが一緒でないことと、ミゲールが一緒なことがその原因だろうとは思っている。
自分としても、ここに来るつもりはなかった。
例年、父上の留守を守って王都に残るのはミゲールの役目だった。
だが今回は時期が悪い。
サマーシーズンに入る直前に例の北の姫がディムナ王国に入ったと連絡があったのだ。
予想をはるかにしのぐ速さで、東回りでの母国入りを果たしたことになる。
おそらく魔術師の力によるものだろう。あの国は魔術師の宝庫だから。
そして入国したとの報告が上がって来た。夏の間に国境を越えるだろうとは言われていたが、あまりに早い。
我が国にとって歓迎できない、招かれざる客。
父上からは正式な訪問とは認めない旨、すでに聞いている。
だからこそここにいるのだ。
『王妃になりに来た』などと嘯く痴れ者など、受け入れるはずがない。
故に、今年は留守を守るレオ以外全員がメイナスにいる。
もちろん三人の妃候補も一緒だ。
彼女たちに釣られて各派閥の主だった高位貴族も来ている。
そのおかげで毎日茶会だと妹が愚痴をこぼしていたが、それも仕方あるまい。
ここにほぼ全ての王族と高位貴族がいるということは、それに連なる下位貴族たちも来ているということ。
王都はほぼ空っぽだろう。
派閥に与しない者たちくらいだ。……その中にはベルエニー家が含まれているが、そもそも今年のシーズンにはもう出てこないだろう。
もう一度、湖面に目をやる。
彼女もこの風景を見たのだろうか。
一度も共にこの地を踏んだことはなかった。
陛下不在の間、王都を守るのは王太子の役目であったから。
今回、三人の妃候補と共に来たのも七年ぶりだ。立太子した翌年から、一人王都に残されるようになったのだ。
一年を通して休みのない王の、唯一の休みだと言われれば断ることもできない。
ノックの音に振り向くと、掃き出し窓のところにフィグが立っていた。
眉間のシワが深いところを見ると、あまり機嫌は良くないらしい。
「何だ」
「何だ、じゃねえだろ。仕事しろ」
「……せっかくの避暑地だぞ」
「何だよ、女引っ掛けに行きたいのか?」
にやっと笑うフィグに、ミゲールは眉根を寄せる。
ここに来てからずっとこんな感じだ。
フィグはもちろん自分の専属護衛騎士だから、ここにも一緒に来た。彼の弟のカレルもセレシュと共に来ている。時々兄弟揃って並んでいるのを見かけるが、筋骨隆々のフィグと細身のカレルが兄弟だとは、知らぬ者は思うまい。それほど違う。
「そんな暇がどこにある」
「そう言いながら呑気に湖を眺めてるじゃねえか」
「……たまの息抜きぐらいさせろ」
ここに来てもやっていることは王宮と変わらない。
父上が見るまでもない書類の決済はこちらに回ってくる。
今日は母上が茶会だからと朝から出かけている。妹と三人も一緒だ。
父上も留守のはずだったが、地元の領主に呼ばれたのだと嬉々として一人で出かけて行った。
セレシュはカレルと残っているはずだが、手伝わせるわけにはいかないだろう。
「息抜きが多すぎるだろ。……早く終わらせないと、夜会に間に合わないぞ」
からかうようなフィグの言葉に顔をしかめる。
ここには二人以外いないせいか、口調がいつもよりぞんざいだ。
「……それも悪くない」
ここに来てから二日と置かずに夜会が開かれている。
父上や母上も参加するものから、デビューしたての男女ばかりを集めたもの、ダンスメインや狩猟メイン。はたまた美術品や希少な動物を囲んだり、珍味を楽しむ会だったり。
この間は妹宛に迷宮茶会なる招待状が届いた。
宝探しもあったし、薔薇狩りもあった。
よくまあ他とかぶらない話題を思いつくものだと感心する。
「そういうわけにはいかないだろう。今日のは」
「わかっている」
眉根を寄せる。
今日はチェイニー公爵主催の夜会だ。
将軍自らの招待とあっては断るわけにもいかない。
なにより王太子妃候補のライラがいるのだ。無下になどできない。
だからこそ回避したいのだが。
「今日はセレシュ王子も招待されているのだろう?」
「ライラの妹を娶せようとしているのかも知れんな」
確かライラの妹も今年がデビューだった。年の差としてはちょうどいい。そんな話が耳に入っている。
「今夜の趣向は?」
「軍関係者が中心だな。功労者への慰労を兼ねているのだろう」
「だからお前にも招待状が来ているのか」
ミゲールが言うと、フィグは顔をしかめた。
「俺は欠席する」
「そんなことが許されると思うのか?」
専属護衛騎士は護衛対象に常に付き従う。
ミゲールが赴くところに行かないと言う選択肢はないのだ。
「護衛騎士として行くのであって、フィグ・ベルエニーは欠席する」
詭弁だ、とミゲールは笑う。だか、フィグの性格からすれば、それも予想の範囲内だ。
いつもそう言ってはミゲールが招待される夜会は不参加を決め込んでいるのだから。
「笑ってねぇでさっさと仕事しろ」
さらに不機嫌になった友は少し離れた場所に腰を下ろす。
「お前もたまには休みを取れ」
仕方なく執務机に戻って書類を取り上げつつ呟いてみるが、フィグは答えない。
本当に頑なに約束を守るのは、ベルエニー一族の特質であるのかもしれない。
やれやれと肩をすくめると、今度こそ本当に書類に集中した。