12.第二王子は第一王女と共謀する
兄の執務室を出て、自分の部屋に向かう。その後ろをフェリスが小走りでついてきた。
「どうした? お前の部屋はこっちじゃないだろう?」
「レオ兄様……さっきの話、本気ですの?」
レオは妹の顔をじっと見つめ、ため息をついた。
このまま放っておけば、話を始めてしまうだろう。場所をわきまえずに。
今自分たちがいるのは、王宮でも公的な部分だ。王太子の執務室があるのは、王の執務室の比較的近くで、王族以外の高官や役人も通る。
こんなところでしていい話じゃない。
情報なんてどこからどう漏れるか分からないのだから。
仕方なく、妹に手を差し伸べる。
「おいで。――話の出来るところに行こう」
素直に手を乗せてきた妹を連れて向かったのは自分の私室だった。
第二王子たるレオに、王宮内の執務室は別に作られていない。騎士団の施設内にはあるが、そこを使うわけにもいかない。
私室とはいえ、ある程度の執務が行えるように応接室と執務用の部屋は設えられている。
フェリスを応接室に通し、侍従に茶を頼む。
程なく運ばれてきた茶を、向かいあったソファに座って味わいながら、人払いをする。
「さて、何が聞きたいんだったかな」
「……さっき、ミゲール兄様のところで仰っておられたことよ」
「うん、それで、どれのことを言っている?」
「……ユーマ姉様を口説くって」
「ああ。本気」
こともなげに答えて、紅茶を一口味わう。
「レオ兄様は、わたくしに協力してくれるのではなかったのですか?」
「協力? そうだったかな」
「そうですっ! ミゲール兄様とユーマ姉様はほんの少しすれ違ってるだけなんです。だから、それを二人に伝えて、お互いの思いに気が付けば……」
「気が付いてると思うよ」
妹の言葉を断ち切って、レオは口をはさんだ。
「え……?」
「少なくとも、あのバカは、ユーマが自分を好いてくれていることぐらい気が付いてる」
「えっ。まさか」
そんなことはない、と断定口調で語る妹に、レオは苦笑を浮かべた。それほど信用がないらしい、あの愚兄は。
「お前、ユーマの話しか聞いてないだろう」
「だって、ミゲール兄様はお忙しいし、手紙を書いてもなしのつぶてだし、会いに行っても緊急でないと会えなかったりしたし……」
「しかもそれ、自分の授業の時間をぶっちぎって行っただろう?」
「なっ、何で知ってるのよっ」
フェリスは真っ赤になって叫んだ。
「知ってるも何も、お前が授業を時々エスケープして困るって家庭教師たちから報告が上がってたからな。その時間帯にもし来ても、取り次ぐなと命令が回ってたんだよ」
「そんなのって……ひどいですわっ」
「ひどいって……お前にとっては自分の役目を果たす方が重要だろう? ユーマを見習ってちゃんと勉強はしなさい」
「してますっ。でも、ユーマ姉様のことだけは、放っておけなかったんだもの……」
すっかりしょげ返る妹に、レオは優しく微笑んだ。
「ありがとう、フェリス」
「え……?」
「お前がいてくれたおかげで、ユーマはそれほどつらい思いをしなくて済んだに違いないからさ」
「そうかしら……わたくしなんて、お話を聞いて差し上げるぐらいしかできませんでしたわよ?」
「それで十分だ」
レオの言葉に、フェリスは少し頬を赤らめてありがとうと返した。敬愛する姉のために自分は何の役にもたてていない、と思っていたのだろう。
「でも、それならどうしてミゲール兄様は……」
「立場にある人間は、時として自分の思うように動けなかったりするからね。あのバカが昔は体が弱かったのを知っているか?」
「ううん、知らない。そうなの?」
フェリスは自分より六つ下、ミゲールからは八つ下だ。当時はまだ二つかそこらのフェリスが覚えているわけもない。
「俺は第二王子でかなり気楽な立場にあるけど、あのバカが今のように健康になるまでは、早晩王太子になるだろうと言われていたんだ」
「え……そうなの?」
「そう。今ではもう担ぎ出そうとする輩は減ったけど、あのバカが成人するまでは、本気で王太子の首を挿げ替えようとしていたのもいたからね。どっかの派閥の姫を婚約者に仕立てようとしたり」
「それは知ってる。……レオ兄様にいつまでも婚約者ができないのも、そのあたりに理由があるの?」
レオは頷いた。
「今も一応王太子のスペアだからね。迂闊な人間を婚約者に据えるわけにはいかない。むしろ、何の後ろ盾もない力もない女性の方が都合がいいんだよ。――たとえばユーマとか」
「だからっ、それはだめですっ!」
それまでおとなしくレオの話にうなずいていたフェリスは、怒った顔で声を張り上げた。
「ユーマ姉様は、愚兄が好きなんだものっ……」
「だから泣くなって」
「泣かせてるのはだれですかっ!」
「参ったな……じゃあ、本当のことを言おうか」
「……本当のこと……?」
「俺以外、誰にも言うなよ。仲のいい友達とか侍女とかでも駄目だ。もちろんユーマも、母上も父上にもだ」
「……うん」
「誓えるか?」
涙にぬれた瞳をレオに向けて、フェリスは頷いた。
「誓う。から教えて」
「……いいだろう。じゃあ、最後まで口を挟むなよ?」
「はい」
「いずれ俺はユーマに求婚する」
レオの言葉にフェリスは口を開きかけ、慌てて手で口を覆った。
「でもそれは、あのバカに対する揺さぶりのためだ。ユーマの成人の宴のこと、覚えてるだろう?」
「……ええ、覚えてるわ」
フェリスは目を伏せて答えた。
宴の最中に倒れ伏したユーマ姉様の真っ青な顔、ミゲール兄様の苦しそうな――泣きそうな顔。
「あのバカがユーマを積極的に遠ざけたのは、あれからだ」
「え……? そんなはずはありません。ユーマ姉様はそれまででもずっとこぼしていらっしゃいました」
「それは逆に、父上があのバカに押し付けた仕事のせいだろう。成人してすぐ、国内の見回りや外交にあちこち行かされていたからな」
「そうだったのですか? 父上の仕業だったなんて……」
「まあ待て。それだってあのバカとユーマの仲を悪くしようとしたわけではない。いずれ王となるあのバカの顔つなぎの意味合いが大きかったんだ。俺や母上で代わりが務まるものでもなかったから仕方がないんだ」
「でも、それならなおさら、ユーマ姉様を放っておくなんてひどすぎませんかっ?」
「だから、俺やお前が話し相手になっていたんだ。――それもどうやら三家の不興を買う一因だったらしい」
レオの言葉の意味を理解して、フェリスは青くなった。
「ま……さか……わたくしたちが足繁く通っていたせいで……姉様が……?」
「ああ。……そうだ」
三人の王太子妃候補に飛び込んできた下級貴族の娘。
その娘だけに会いに来る第二王子と第一王女の姿は、王族から寵愛されているようにしか見えなかったのだろう。
ミゲールは確かに、四人の王太子妃候補を並列に扱った。――あくまでも、ユーマに合わせず、その他三人にユーマの扱いを合わせたのだ。
表向きはそれで問題はなかったが、王子や王女との関係は、三家には面白くなく映ったのだろう。
フェリスもレオも、第三王子のセレシュも、他の三家の姫たちが候補者になったときに顔合わせをしているはずだ。
だが彼女たちには近寄らなかったのだ。
それは、政治的、勢力バランス的な問題ではなく、主に性格的に合わないという理由で。
三家の姫たちはどれも、顔合わせをした当時すでに『将来的な王妃』という身分に酔いしれていて、王太子と他の王族に対する態度がまるで違っていた。
居丈高に話す彼女たちを好きにはなれなかったのだ。
「だって……だから、レオ兄様は訪うことをやめたの?」
「いや。……それよりひどい噂を耳にしたからだ」
口にするのもおぞましい、低俗な噂。だれが言い出したのかは分からないが、許せるものではなかった。
だが、噂を消すことは難しく、噂の原因となる行動を控える以外に対策は取れなかった。
「そうだったの……わたくしも原因を担っていたのね」
「まあ、もう今更だ」
「じゃあ、愚兄がユーマ姉様を遠ざけた理由は何ですの?」
「……守るためだろうな」
「何……」
「だからヘタレだって言っただろう? 好きな女に好きと言えず、遠くから見守るだけなんて」
「そんなの……自分勝手すぎますっ」
「ああ」
「しかも、ユーマ姉様には何も言わず? どんだけヘタレなんですかっ。もう二、三発平手くらわしてくればよかったですわっ!」
憤慨するフェリスに、レオはくすりと笑みを漏らした。
「うん、だから揺さぶるんだ」
しばらくレオの顔を見つめていたフェリスは、やがて決心したように力強くうなずいた。
「わかりました。わたくしも協力いたしますわ。――へたれな愚兄に振り回されたユーマ姉様の敵、絶対取って見せますの」
「……ちょっと意味違うけど、まあいいか。頼むよ、フェリス」
「ええ、お任せくださいませ。それで、まずはどうなさいますの?」
「そうだな……そういえば、もうじきセレシュが戻ってくるだろう?」
「ええ、この春で卒業ですものね。そのあとレオ兄様と同じく騎士団に入るのでしょう?」
第三王子セレシュは例にもれず騎士学校に入学している。成績はレオよりも優秀で、常に主席を争っていると聞いていた。
「セレシュの同級生で、一人どうしても勝てない相手がいるのは知っているか?」
「え? ええ、ずっと主席を守っているという学生でしたわよね。名前は伺っていませんけれど」
「カレル。カレル・ベルエニーだ」
名前を聞いて、フェリスは悲鳴を上げかけた。
「まさか……ユーマ姉様の」
レオが首肯すると、フェリスはため息をついた。
「存じませんでしたわ。弟君がいらっしゃることは伺っていたのに、まさかセレシュ兄様のご学友だなんて。しかも、そんなに優秀でいらっしゃるのね」
「うん、だからセレシュが戻ってきたら、彼も巻き込んで計画を立てようかなと思ってね」
「わかりました。では、それまではどう動きますの?」
騎士学校の卒業は三月末、今はまだ三月の初めだ。今頃はちょうど卒業直前の試験だか試練だかがあって、忙しくしている時期のはずだ。
「まずは手紙を書こう。フェリスは書くと約束していたよな?」
「ええ。毎日でも書きますわ」
「俺も便乗して書かせてもらう。……俺の名前で出すとまだいろいろ面倒なことになるから、フェリスの手紙に同封してもらっていいか?」
「ええ、それはかまいませんけれど……読ませていただきますわよ?」
フェリスがいたずらっ子のように笑うと、レオは顔をしかめた。
「それじゃ愛の言葉は書けないじゃないか」
「いいんですの、そういう言葉は、まずは直接伝えないと響きませんわ」
「……まあ、それもそうか。いいよ、読まれても問題ない内容にしておく」
「わかりました。……愚兄をぎゃふんと言わせてやるんですもの、わたくし頑張りますわよ」
レオはくすりと笑い、本当の本当の想いを心の奥にしまい込んだ。
「そういえばお前が先に手を出したから、結局殴れなかったな」
「あら、もしかしてそれがレオ兄様の『用事』でしたの? それなら待てばよかったかしら」
「うん、でも俺の拳より、フェリスの平手の方が効果はあったみたいだから」
「そうですの? ならいいのだけれど……」
きっと明日は両頬に湿布薬を貼って朝食の場に出てくるだろう。その顔を見るのも面白いかもしれない、とレオは黒い笑みを漏らした。
これにて第二章は完結です。次回は第三章、子爵一家に話は舞い戻ります。