125.子爵令嬢は公爵令嬢に謝罪される
四日目もウェイド侯爵は順当に勝ち上がって、最終日の決勝戦出場者九名の中に残っていた。
他の八名は全員砦の猛者たちで、我が家の私兵は結局一人も残っていない。まあ、お師匠様のしごきに耐えてきた人たちだものね、強いのは間違いない。
ともあれ明日の出場者が決まり、今日の試合が終わったと知らされると観客が三々五々帰り始めた。わたしたちも今日はこの後、街を散策することにしている。
今日の護衛は昨日に引き続きグレンで、クリスはと聞けば休みらしい。
祭りで忙しいとはいえ、皆が祭りを楽しめるように交代で休みを取る。それは我が家の私兵も一緒だけれど、地元出身者は店の手伝いなどもあって休みが休みにならないのよね。だから、祭りの後に休みを取れるようにしている。
砦の兵士たちは、遠方から訪ねてきた家族と一緒に祭りを回ったりするらしい。
でも。
「なんかさあ、美人と歩いてたって噂になってた」
と聞けば、もしかして、と思うじゃない?
でも、セリアにこっそり確認したらリリーは今日は手紙を書くから出かけない、と祭りへの誘いを断ったらしいのよね。
なら、クリスの連れてる美人って、誰だろう。
もしかしてもうこっちで彼女作ったりとか……いや、先日の様子からだとそれはなさそう。どう見てもリリー様のこと、諦めてないもの。
となると、仕事かもしれない。
クリスが護衛するほどの人物で女性って、わたしとライラ様リリー様以外に貴族令嬢がこの街にいるってことにならない?
これもお忍びなのかしら。
クリスが護衛してるのだから、お師匠様もご存知、父上もご存知ってことよね。
……ウェイド侯爵といい、サプライズか何か知りませんけど、わたしにまで内緒にすることないじゃない。
「ユーマ様、行きますわよ」
そんなことを考えて内心拗ねていたわたしは、この時のライラ様の表情に気がつかなかった。
◇◇◇◇
「先に謝っておきますわ、ごめんなさい、ユーマ様」
あのあと、屋台を回りながら街を散策した。ついでにユリウス君の花を探したのだけれど、なかなか見つからなかった。ただ飾ったはずのタイルや布の花がなくなったりしていたのは残念だった。
一応詰所の当番兵には伝えておいたけど、忙しい時にそんなところまで見回れない。
それに、最後までいられない家族に欲しいと言われれば、断れないのも事実で。
来年は初日にゆっくり見て回ろうと心に決めた一日だった。
そして今は、夕食も終わり、ライラ様と二人、暖炉の前でお茶をいただいているところだけれど。
「……はい?」
思い当たりがなくて首をかしげると、ライラ様は金髪を揺らして俯いた。
「今日、情報が上がってきたわ。……我が家の諜報員が、あなたの噂を流布していたと」
ぎゅっと握られた白い拳が震えている。
噂。
胸が苦しくなる。
祭りの間にもちらほら耳に入った。それでも、ライラ様と一緒に幕の中に閉じこもっていたから、悪意にさらされることは少なく済んでいる。
……もしかして、それも考慮の上の行動だったのだろうか。
「どんな噂かなんて聞かないで頂戴。……口にするのも嫌よ」
「……はい」
青ざめた顔のライラ様にそう言わせるほど、流れている噂はひどいのだろう。……やはり、わたしはここに戻ってきてはいけなかったのかもしれない。
「犯人は捕縛したわ。砦の兵士に渡して、正式なルートで抗議してもらうようお願いしておいたから」
「え……?」
それが本当だとして、どうしてライラ様が……?
チェイニー公爵家に不利になるどころか、公爵自身の逆鱗にも触れかねない。
公爵は黙っていないだろう。もみ消そうとするに違いない。ライラ様だって、どんなお叱りを受けるか……ここに来るのだって、反対されていたのでしょう?
「大丈夫、すべてウェイド将軍が預かってくださるから」
どうしてそこにユリウス君のお父上の名前が出てくるの?
いやまあ、視察団団長ではあるけれど、関係ない、わよね?
すると、ライラ様は眉を跳ねあげた。
「わかってないようですわね。ウェイド将軍は、今回の視察団の団長でしょう?」
「ええ」
「視察には、砦を取り巻く環境や事物すべてが含まれるの」
ますますわからない。それと、わたしの噂と、何がどうつながるの?
「その中には砦の兵士たちや町の人たちの生活状態や精神面の健康なんかも含まれる。……もちろん、あなたもよ。ユーマ様」
ライラ様は先ほどまでの青い顔とは打って変わって興奮気味に話し始めた。
噂を流したことで、当事者や周辺の人たちの精神状態を乱した。且つ、誤った情報を流布して世情を荒らそうとした。
立派に騒乱罪が適用されるのよ、と若干嬉しそうに胸を張る。
「でも……ライラ様のお立場が」
「大丈夫、わたくしは何もしていないもの。それにそんなもの、気にする必要はありませんの。……まあ、あなたとこうやってお茶できなくなったら残念ですけれど」
そんな怖いことを言いながら、ライラ様は昼間よりも明るい表情だった。
「わたくしはね、ユーマ様。自分のしたいことを我慢しないことにしましたの」
どきりとした。
あの時のわたしも、きっとこんなスッキリした表情をしていたに違いないから。
「手始めが今回の収穫祭ですの。すべて自分で決めて、交渉して、手配して、ここまで来ましたのよ。ふふ、楽しかったですわ」
まあ全部ではないですけれど、とちょっとだけ悔しそうなライラ様。
それがどれだけ貴族令嬢として外れたことか、今のわたしにはわかる。高位貴族ならなおさら、家令に命じれば終わりだ。
「ライラ様……」
「聞きましたわ。今回の祭り、ユーマ様も運営に関わっていたとか」
「そんな、大したことは」
「大したことですわよ。……少なくとも、わたくしにとっては」
真剣そのものなライラ様に口を閉ざす。
「シモーヌ様は孤児院で子供達に読み書きと計算を教えていますの。見込みのありそうな子はご自身の店で雇って訓練させているそうよ。いずれ孤児院を出るときのためにって言ってましたけれど、そのまま雇う気満々でしたわよ。ミリネイアは交友関係をさらに広げて、王家よりも広い情報網を作ろうとしていますわ。いつかシモーヌ様と組んで、各国の特産市を開きたいと話していますのよ」
シモーヌ様が教育に力を入れていることは知っていた。
孤児院の子たちは皆飲み込みが早くて、年長の子にはバザールで店を出す時の手伝いも頼んでいると。もうお店で働いているなんて思いもしなかった。
ミリネイア様は北どころか東の小部族とさえ交流がある。彼女からの手紙にはよく外国のことや、珍しい風習について書かれていて、とても興味をそそられる。
その二人が手を組んだら、どんな特産品が並ぶのだろう。それをこの目で見てみたいと心の底から思った。
「でもね、わたくしには何もないの。……たくさんの兵士を見て来たけれど、それだけ。わたくし自身が戦えるわけでも教えられるわけでもない」
それはそれでとても価値のあることだと思う。でも、ライラ様は首を横に振る。
「わたくし自身に価値がないの。チェイニー公爵家の長女で、王太子妃候補だった。ただそれだけ。ユーマ様のように馬に乗って剣を持つこともできない、シモーヌ様のように店を運営することもミリネイアのように情報網を作ることもできない。何もない」
そんなことはない。ライラ様が何もないなんて、無価値だなんて、あるはずがない。
思いを込めて首を横に振ると、ライラ様は元のように晴れやかな笑みを浮かべた。
「だから、わたくしも真似をすることにしたのよ」
「え……?」
「ふふ、わからないなら良いですわ」
ライラ様はそれ以上言わずにカップを傾ける。わたしは首を傾げながらも、曇りのないライラ様の笑みに微笑みを返すのだった。