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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第二章 王太子とその兄弟たちの事情
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11.王太子は弟妹の訪いを受ける

 執務室にはペンを走らせる音だけが響いていた。

 時折背中が痛むが、湿布薬を貼ってからはずいぶん痛みも遠のいた。宮廷付きの薬師には腕のいいのがいるらしい。

 背筋を伸ばし、ミゲールはひたすらペンを動かしていた。

 昨夜フィグに殴られたおかげで顔にあざが残っている。しばらくは残るだろうと医師に告げられた。

 おかげで傷が治るまでは外回りなどの仕事は外された。

 この顔で出歩けば殴られたことは一目瞭然で、外聞も悪い。ゴシップ好きの貴族たちの耳にでも入れば、何を言われるか分からない。醜聞が自分だけで収まればよいが、殴ったのが誰かなど探られて要らぬ噂が流れるのは望ましくない。

 仕方なく、完治までの軟禁状態を受け入れることにした。

 こんなタイミングで室内にこもるのは逆効果だと分かっている。

 忙しく外に出ていれば、気を張って王太子として振る舞うことを求められる。余計なことを考えずに済むうえ、婚約破棄の衝撃などみじんも感じていないとアピールすることもできる。

 だというのに、机の前にじっと籠ると、要らぬことばかりを思い出す。

 書類を書く手も滞りがちになって、机には書類が山と積まれている状態だ。

 外聞的にも、まるで婚約破棄した側がダメージを受けて閉じこもっているように見える。


 ……ユーマとの婚約破棄を手ぐすね引いて待っていた三家につけいる隙を与えるようなものだ。


 ため息をついて、ミゲールは手元の書類にサインを入れる。

 ともあれ、時間は待ってくれない。やれることをやるべき時に行うのみだ。


 決裁済みの書類の山に書類を戻した時、ノックの音がした。

 この時間はいつも、侍従が紅茶を差し入れてくれていた。いつもなら、ユーマが焼いた菓子を供されたな、と思い出し、首を振った。

 もうユーマはいない。優しい味がする焼き菓子もないのだ。

 胸の痛みを無視して入るように促すと、侍従が案内してきたのは、レオとフェリスだった。


「仕事中に済まないね、兄上。あ、お茶は俺が入れるから置いてって」


 弟の言葉に、ミゲールは侍従を下がらせた。 

 ソファの傍に置かれたワゴンには三人分の茶器が乗せてある。


「兄上、こっちで休憩にしませんか」

「レオ兄様、わたくしがいれましょうか?」

「ああ、いいよ、俺がやるから。フェリスは座っていて」


 妹をソファに座らせて、レオは茶の準備を始める。いい匂いが執務室に広がって、ミゲールはペンを走らせる手を止めた。


「焼き菓子もありますよ」


 レオの言葉に、ミゲールは立ち上がった。

 ユーマの焼き菓子のはずがない。分かっているのに体が勝手に動いた。

 ワゴンの上に置かれた焼き菓子をつまんで口に入れる。


「……っ」


 ミゲールは目を見開いて焼き菓子を見つめた。そんなはずはない。……あるわけがないのに。


「どうしたんです? 兄上」

「レオ兄様? ミゲール兄様?」


 状況が今ひとつわかっていないのだろう、フェリスはきょとんとして手に持っていた紅茶のカップをローテーブルに降ろした。


「何がそんなに衝撃的だったんです?」

「……知らん」

「じゃあ、言いましょうか。……それ、ユーマの手作り(・・・・・・・)じゃない(・・・・)ですよ」

「なっ……」


 目を剥いたミゲールの表情を見て、レオはそれまで浮かべていた笑顔をかなぐり捨てた。


「同じレシピで城の料理人が作った代物です。なんでそんなに衝撃を受けるのかわからないな。兄上。……ユーマはもういないんですから、当然でしょう? あんたが追い出したんだから」

「え……どういうこと?」


 目を丸くしてワゴンの上の焼き菓子を見る妹に、レオは苦笑を浮かべた。


「フェリスは知らなかった? このバカのところに出される茶菓子にだけ、ユーマが自分で焼いた焼き菓子が添えられてたんだよ」

「嘘……聞いたことないわ」

「内緒にしてたからな。王太子妃候補の自分が手ずから料理をしていることが知られるといろいろ面倒だからと」

「知らなかった……」


 フェリスは衝撃を隠せずにぽつりとつぶやいた。それから、まだ呆然とする兄を上目づかいに睨み上げた。


「そんなに大切にしてくれていたユーマ姉様を、どうして蔑ろにしたんですか」

「蔑ろにしたつもりはない」

「なら……どうしてっ」


 妹の言葉にミゲールは口を閉ざした。


「だからへたれだって言っただろう? ……こんなことなら兄上に遠慮せずに俺がユーマを口説けばよかったな」

「……何」

「危険極まりない兄上の婚約者より、俺の横にいたほうが安全だし、将来的にも王妃になる確率は低いし」

「……お前」


 ミゲールのレオを見る視線に殺気がこもる。だが、レオは言葉を続けた。


「少なくとも、三人の王妃候補者に気遣うことも、いじめにあうことも、それを知っていて何もできない、なんてこともなかっただろうからな」

「お前に何がわかる!」


 フェリスが短い悲鳴を上げた。ワゴンが横倒しになる。茶器が絨毯の上に落ちてしみを作る。

 ミゲールがレオの胸倉をつかみ上げていた。

 ミゲールとレオは背丈も身幅もそう変わらない。だが、レオの方が力では上だ。騎士団の一員として毎日鍛錬を積んでいるレオに、ミゲールがかなうはずもない。

 胸元にかけられたミゲールの腕をやすやすと外して、レオはあざ笑うように兄の顔を覗き込んだ。


「分からないね。でも、あんたがユーマを傷つけたことは事実だ」


 レオの言葉に、ミゲールは背を向けた。


「フェリスから聞いたんだけどさ。……ユーマに好きだとも愛しているとも言ったことがないんだって? ひどいよね、いきなり求婚されて、でも好きと言われずに六年も王宮にとどめ置かれてさ」


 からかうような口調の中に、怒りが見え隠れする。

 レオの先ほどの言葉がまるっきり嘘ではないのだとミゲールは苦々しく思う。

 言葉を惜しんだわけじゃない。他の候補者たちと同等に扱えというのが、ユーマを候補者に加えるときの国王ちちの出した条件だった。

 正式に婚約が調う彼女の誕生日を待ち望んでいたのだ。婚約者として公式に発表することでようやく、思いを口に出せるのだと。

 だが、告げることはできなくなった。

 手放すことを決めたのに、つらくなるだけなのに、どうして愛の言葉など告げられよう。

 目を閉じれば、毒にうなされる彼女の顔が浮かぶというのに。


「一つ教えてくれない? 兄上。ユーマを本当はどう思ってた? 返答次第では……」

「それを聞いてどうする。……もう婚約は破棄した」


 不意に右頬に鋭い痛みが走った。

 驚いて目を開くと、フェリスが目の前に立っていた。平手打ちを食らったのだ、とようやく頭が理解する。


「やっぱり兄様はバカです! 大バカ者です! どれだけユーマ姉様が心細い思いをしてたか、ご存じないんですかっ! 後ろ盾も何にもない、ただの下級貴族の娘に本気になるはずないって……言いながら笑ってたんですよっ? もしそれが本当なら、気まぐれでユーマ姉様を弄んだことになるのに……怒りもせずに……っ」

「フェリス、もういいよ。泣くな。……このバカには何を言っても無駄だ」


 レオはぼろぼろ涙をこぼす妹をそっと抱きしめる。泣き声を漏らすまいとフェリスは兄の胸に顔をうずめ、ぎゅうと抱き着いた。

 妹の頭を優しく、なだめるようになでてからレオは顔を上げた。ミゲールを見るその目は全く笑っていない。


「答えは聞いた。俺はユーマを本気で口説くよ。あんたの都合で捨てたものだ、俺が拾っても問題はないよな?」

「……レオ」

「ああ、許可は要らないよな? 恋愛は自由だ」

「レオ兄様……」

「それなら、フェリスにとっても義姉あねなのは変わりないしな」


 不安そうに顔を上げたフェリスに、レオは柔らかく微笑んだ。


「ヘタレで臆病なあんたの代わりに、俺が彼女を手に入れる。後から文句を言うなよ」


 物音を聞きつけたのだろう、侍従が部屋に飛び込んできた。


「何事ですか!」

「ああ、すまない。ちょっと転んだ拍子にワゴンを巻き添えにしてしまってね。片付けをお願いできるか?」

「はい」


 侍従が片付けを始めるのを横目で見ながら、レオはフェリスを促して執務室を出ていく。

 ミゲールは侍従が片付けを終わらせて声をかけるまで、その場で立ち尽くしていた。

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