114.子爵令嬢は砦に赴く
朝の鍛錬をこなした後、お師匠様の執務室へ向かう。
ちらりと横目で見ると、ユリウス君はあの女の子と並んで朝ごはんに支給されたパンをかじっているところだった。
そばにいた若い兵士に話しかけられてムッと顔をしかめ、女の子に何か言われて破顔する。
ずいぶん子供らしい表情をするようになった。それも気さくなここの人たちのおかげだろう。
わたしがここにいられるのも、肩書きを気にしない彼らのおかげだ。
踵を返すと、戸口に人影があった。
片手を上げてこちらを見るのは久々に見た幼馴染だ。
そういえば護衛にグレンがつくことがここしばらくなかった。鍛錬でも見かけなかったけれど、それにしてはいい感じに日焼けしている。
「グレン、久しぶりね」
「ああ、ちょっと任務で出かけてたからな。隊長のところに行くんだろ?」
「ええ。グレンは?」
「俺も呼ばれてな」
中に入ると日差しが遮られたせいだろう、ひやりとした空気に包まれる。
「相変わらずこっちは寒いな」
「祭りの前だものね」
「向こうじゃまだ半袖で過ごしてたってのに」
「向こう?」
やはりどこかに出かけていたらしい。
「ああ。……詳しくは中で話すよ。ユーマも隊長に呼ばれたんだろう?」
それは事実なので頷いたけれど、祭りの警備にグレンの名前はなかったはずよね。確か、別の任務が入っているとお師匠様が言っていたと思うのだけれど。
お師匠様の執務室に着くまで、なんとなくぎこちないグレンの態度に、違和感を感じずにはいられなかった。
ノックして入ると、八つの目が一斉にこちらを向いた。その視線にこもった強い感情に、開いた口を閉ざす。
……鈍いわたしにもわかるほどの……殺気。
が、誰かの咳でふっと糸が切れる。四人の視線が一斉に他所に向けられて、ようやく息をすることを思い出す。
「何やってんすか。お嬢が怯えるでしょ」
すぐ後ろからグレンの声が聞こえるのに、なんだか遠い気がする。グレンからお嬢、なんて呼ばれたの、初めてな気がするのだけれど、それどころではなくて、息を整える。
「すまんな、ちと気が立っておってな。おい、グレン。茶ぐらい入れて来んか」
まずい茶でよければ、なんて言いながらグレンの声が遠のく。
目の前に落ちた影に顔を上げれば、お師匠様が立っていた。
「……ちと気が緩みすぎだな。殺気を向けられて竦む奴があるか。騎士としても失格だ」
はい、と掠れた声を押し出すのが精一杯だった。
ここの生活は暖かい。暖かくて優しくて、忘れていた。
王宮にいた時は片時も気の抜けない日々だったというのに、あんな分かりやすい殺気に竦むなんて。
こんなことでは騎士なんて務まらない。もっと気配を読めるようにならなくちゃ。
騎士の強さとは剣や力の強さだけではない、とお師匠さまには言われた。
わたしにはまだまだ足りないものがたくさんある。六年かけて失ったものを、半年程度で取り戻せるはずがない。
わかっているのだけれど、気ばかり焦る。
グレンが戻ってくるまでには震えも落ち着いたけれど、自分の不甲斐なさに内心穏やかではなかった。
卓についていた残る三人は、話は終わりとばかりにグレンとともに出て行ってしまった。
その中にクリスがいたことには気づいていた。
通信兵としてではなく、魔術師として警備に関わるのかしら。なんだか痛々しいものを見る目で見られた気がするのだけれど、気のせいかしら。
そして部屋にはグレンとお師匠様とわたしだけになった。
お師匠様は、ちらりとグレンを見てから口を開いた。
「今日来てもらったのは、祭りの話じゃなくてな。……春先に戻ってきて、ここに顔を出した時、着ていた服のことを覚えているか?」
「ええ」
少し気まずい思いで目をそらす。
お師匠様を驚かせたくて、古着屋で見つけた兵士の服を着ていたのよね。髪の毛もバッサリ切って。
切った髪の毛はもう随分伸びたけれど、イタズラがイタズラで済まなくなったのは、とても気まずかったもの。
「あれの顛末を伝えておこうかと思ってな」
「……え?」
今さら持ち出されて怒られるのかと思って俯いていたわたしは、手元のカップから視線を上げた。
お師匠様はグレンの方を見ている。
「さっきの説明をしてやってくれ」
「はい」
グレンはと見れば、得意げな顔でこちらを見て頷いた。