113.子爵令嬢は思う
部屋に戻っても、胸の奥がじんわり暖かい。
ユリウス君の照れて真っ赤になった顔は年相応に見えた。
いつのまにか町の子たちと仲良くなって、一緒に絵を描いて、にーちゃんと呼ばれるほどに慕われて。
この一ヶ月でユリウス君は変わった。いい方に。変わったきっかけはやはり、砦で女の子に負けたことだったのだろう。
午前中は砦で体を鍛えていることは知っていたけれど、午後は町に繰り出していたのね。祭りの準備に参加していたのもその一環だったみたい。
今日も一緒にいたし、あの子が町の子たちとの橋渡し役も務めたのだろう。
きっと今のユリウス君なら、弟たちとも仲良くやっていけるに違いない。
あとは近々来るおじさまに委ねよう。
ウェイド侯爵からは祭りへの参加の連絡はないけれど、もし来られたとしても大丈夫なように護衛のシフトは余裕を持って組んである。
……できれば来て欲しい。来て、ここでのユリウス君を見て欲しい。
町の子たちに慕われるユリウス君を、繊細な絵を描くユリウス君を、認めて欲しい。
真面目なユリウス君のことだから、きっとこれからも両親や周りの期待に応えようと頑張るだろう。
彼が口にしない言葉を、わたしから伝えるわけにはいかないから。
ほんの少しの後押しが、成功するように祈る。
「きっと大丈夫」
そう、口に出して呟いた。
◇◇◇◇
そろそろ他の来賓のことを考えなくてはならない。
顔を上げ、ベッドサイドに積んだままの封筒を取り上げ、便箋を広げた。
フェリスからは、予定通りにこちらに来るとあった。馬車で十日かかるから、こちらに着くのは祭りが始まってからになる。
初日から一緒に回れないのは残念だけど、初日の会場警備にその分の人を回せるようになるのは嬉しい。
祭りは色々な人とものとが一気に押し寄せる。当然、警戒も強めなければならない。
一番人の動きが大きいのは前日と初日で、フェリスの警備に人を割かなくて済むのは正直助かるのよね。
祭りの混雑は、セレシュを見失ったあの市の日とは比べ物にならない。
しかも、広場だけでなく町の中も外も人で賑わうのだ。
お忍びとはいえ王族が祭りに参加するとなれば、どれだけ警戒してもしたりない。
混雑の中で人を害するのは本当に簡単なのだから。
この地にどれだけの諜報員がいるのか、お父様は教えてくれないけれど、十分警戒しておかなければならない。
昨日クリスが持ってきた封筒には父上宛のものがあった。
おそらくフェリスとともに参加する予定のリストだろう。
彼らにも警備はつく。こちらとしては王都からの警備隊では足りない部分を補う予定だった。
明日は警備の最終確認のために砦に呼ばれている。
早く寝なくてはとは思うものの、寝付けない。
理由はわかっている。
ため息をつきつつ便箋をめくる。
今回のセレシュからの手紙は、南の避暑地に行った時の話だった。
以前、ライラ様やフェリスからの手紙にあったから、今年は王太子妃候補としてライラ様たち三人が呼ばれたことは知っていた。
以前、まだわたしが王太子妃候補であった時にも四人揃って王家の避暑地に招かれていたから、何もおかしいことではない。
でも、王宮を空っぽにするわけにはいかないからと、いつもあの方が王都に残っていて、避暑地でともに過ごしたことはなかった。
なのに。
『今年はバカ兄貴まで一緒で肩が凝ったよ』
セレシュのこの一言が胸に刺さった。
フェリスもライラ様たちも、あの方が一緒だなんて一言も触れていなかった。
王太子妃候補の時も婚約者時代も、国王陛下と王妃陛下は一緒でも、あの方はいらっしゃったことがなかった。
なのにーー。
ああ、そうなんだ。
一夏を共に過ごすことすら厭われていたのだ。
……なら、どうしてわたしを婚約者にしたの?
いいえ、わかっている。
派閥の色のないわたしだからこそ、宮廷内の力関係を崩さずに済んだ。
だから選ばれただけで、もともとあの方はわたしには興味などなかったのだから。
ただのカムフラージュだって……わかっていたことだもの。
わたしも……もう断ち切らなければ。
そうしなければ、いつまでもリリーをここに縛り付けてしまう。
祭りが終わったら……あの方を、忘れる努力をしよう。
今年の冬は、あの方からもらったものを整理して過ごそう。
六年の記録を紐解いて、思い出もみんな、洗い流してしまおう。
だから、祭りが終わるまでは全部忘れる。
いまは、祭りが無事に終わることだけに集中しよう。