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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第十二章 子爵令嬢は収穫祭を迎える
115/199

112.子爵令嬢は小さな巨匠とホットミルクを飲む

 だいぶ遅い時間で、ユリウス君くらいの子ならもう寝ていてもおかしくない時間だ。


 訪ねるのが遅すぎたかもしれないとは思ったものの、明日ではきっと遅い。

 こんなこと、前にもあったと思い出してみれば、ユリウスおじさまを訪ねた時のことだった。


 ノックに反応はなかったが、くしゃみが聞こえた。


「入るわよ」


 セリアとともにワゴンを押して入ると、毛布を頭からかぶってソファに座るユリウス君が見えた。やはりここの気候は彼には寒いのね。


「セリア、暖炉はもう使える?」

「はい。火を入れましょうか?」

「そうね、薪を取って来てくれる?」


 セリアが出て行くのを見送って、わたしはソファに歩み寄る。


「ごめんなさい、寒かったわよね。これ、少しは温まると思うから」


 そっと目の前にカップを差し出す。ユリウス君はカップをじっと見つめたのち、手を伸ばしてきた。

 テーブルの上に焼菓子の乗った皿を置き、ユリウス君から少し離れた場所に座る。


「……おまえ、笑いに来たのか」

「まさか。セリアがすごく褒めていたわ。祭りが終わったらもらって帰るって」

「もらう?」

「ええ。このタイルは祭りが終わったら持ち帰っていいの。きっとユリウス君の描いた花は奪い合いになるわね」


 素焼きのタイルをテーブルに置くと、ユリウス君の視線が釘付けになる。


「こんなのが……」

「昔この辺りが激戦地域だったのを知っている?」

「……知っている。おじいさまに聞いた」


 北との戦争の際、ここは最前線だった。今は街道を大きな扉で閉鎖しているが、あの先は、北の地に続いている。

 北の王が急死して、軍隊が撤退して行くまでの間、ベルエニーの民もハインツの民も前線に出たという。


 ……愛する者を守るために。


 戦地に赴く者の中には王都から参加した騎士もいた。

 彼は家族の姿絵をペンダントにして肌身離さず持っていた。

 それを聞いて、この地の男たちも欲しがったのだと言う。愛しい者たちの似顔絵を。


 しかし、そんな洒落たもの、簡単には手に入らない。そこで思いついたのが素焼きのタイルだった。

 石畳に使うのに準備してあったそれに、紅で描いたのが始まりらしい。男たちは愛しい者たちのタイルを胸に縫い止めて砦を守りきったのだという。


 今では祭りの一部として残っているだけだけれど、元は武人の胸元を飾っていたのだ。


「だからなんだよ」


 結局、女子供が描いたものには変わりない。

 そう告げるユリウス君にわたしは微笑みかける。


「実はね、彼女たちの似顔絵を描いたのって、ユリウスおじさまなのよ」

「……えええっ?」


 ギョッとしてこちらを見るユリウス君ににっこりと笑う。


「……うそだっ、おじいさまはえいゆうなんだぞっ」

「嘘だと思うなら聞いてみるといいわ。もうじきこちらにいらっしゃるから」


 最前線に画家なんか来るはずもなく、絵を描ける女性もそう多くはない状態で、タイルに自分で奥様の絵を描いたユリウスおじさまに依頼が殺到したのは想像に難くない。

 そして、ありったけの染料で彼女たちを描いたのだ。無事に彼らが戻って来ることを祈りながら。


 今ではタイルを胸に縫い付けることもなくなって、祭りで当時を懐かしがっているだけだけれど。


「ユリウス君は絵を描くおじいさまを恥ずかしいと思うかしら?」


 そう問うと、ユリウス君は黙り込んでしまった。

 今でこそ引退して妻を思いながら花を育てている気さくで優しいおじさまにしか見えないけれど、かつては猛将ハインツとか知将ユリウスとか二つ名をつけられたほどの方だ。


 ……まあ、この話をしてくれたお師匠様は、「顔に似合わず繊細な絵を描く奴」と評していたけれど。


「だから、ユリウス君が絵を描くと知ったらおじさま……おじいさまは喜ぶと思うわ」


 知らないんでしょう? と聞くと、彼はうなずいた。


「でも」


 すがるような目で見上げてくるユリウス君の頭を撫でて、にっこり笑う。


「何か言う人があれば言ってやればいいのよ。猛将ハインツの孫ですからって」


 当時のおじさまの逸話は北の南進を食い止めた英雄譚とともに吟遊詩にまでなっている。

 昔のこととはいえ、侯爵家の家庭教師を務めるほどの者が知らないはずはないだろう。


「もうしょうハインツの孫……」

「ええ。だから、胸を張りなさい」


 ユリウス君はしばらく俯いていたが、セリアが戻ってくる頃には心が決まったのだろう。いつもより穏やかな顔でミルクを飲み始めた。


 そういえばとっておきの話があった、とおじさまから聞いた話を思い出してくすりと笑い、わたしは続けた。


「そうそう、当時の話にこんなのがあるの。休戦となって帰ってきたある男性の話よ」


 当時、独身の女性からタイルを渡すのは告白と同じだった。タイルを胸に飾るのは若い独身男性にとってはステータスだったらしい。

 もちろん、それ目当てで拝み倒す男もいたらしいのだけれど。


「でも、彼のタイルは無地でね」

「無地?」


 怪訝な顔でユリウス君がわたしを見上げてくる。


「そう。普通は女性側が自分の似顔絵を描いてもらったり、自分で何かを描いて渡すのが普通だったのだけれど、彼が胸につけていたのは無地。どうしてだと思う?」

「……そんなの知るわけないだろ」


 ふん、と顔を背けるユリウス君に、わたしは続きを語る。


「『あなたが無事に帰ってきたら描いてあげる』って言われたと本人が言いふらしていたそうよ」

「……それ、女の人に無理やりもらったんだろ」


 ユリウス君の答えにくすりと笑う。

 実際は彼女からもらったものですらなかったんだけどね。


「周りの男たちはその話をみんな知ってて、帰ってきたらすぐにでも絵を描いてもらいに彼女のところに行くだろうと思っていたのよね。でもいつまで経っても行かない男性に、業を煮やして無理やり連れて行ったのですって」

「……それで?」

「見栄を張ろうとして自分で用意したことがみんなにバレて、笑われたそうよ」

「バカだな、そいつ」


 ユリウス君の容赦ない言葉に口元が緩む。


「しかも、彼女には夫がいたの。彼はそれも知っていたのね。会いに行ったりしたら間違いなく面倒なことになるもの」


 それでも、諦められなかったのだろう。


「でもね、ちゃんと絵は描いてもらえたのよ。どうしてだと思う?」

「そんなの知らないよっ」


 ぷん、と頬を膨らませてユリウス君はそっぽを向く。


「実はね、彼が横恋慕していたのがユリウスおじさまの奥様……つまりユリウス君のおばあさまだったの」

「はぁ? なんだよそれっ。連れていった周りの奴らも知らなかったのか?」


 あきれ顔のユリウス君に、くすくす笑いながらわたしは続ける。

 タイルをもらった人の名前を本人の名誉のためとか言って公表してなかったのよね。男たちが締め上げて吐かせた住所に行って初めて、誰のことか知ったらしい。


「それで? 誰が描いたの」

「おばあさまの侍女が描いたのよ」

「侍女が?」


 驚くユリウス君にわたしは頷く。

 買い物帰りに通りがかったハインツ家の侍女が、家の前でへたり込んでいた男と周りの男たちから話を聞いて描いたのだという。


「なんで描いてやったんだろう」

「さあ。でも、のちにその男性の奥様になったと言うから、まんざらでもなかったんじゃないかしら」


 そう言うと、ユリウス君は目を丸くした。

 きっと、その人がお師匠様だったなんて知ったら気を失ってしまうわね。

 わたしもおじさまから聞いた時にはあまりにびっくりしてめまいがしたもの。


「お嬢様、そろそろ」

「そうね」


 暖炉に火が入って部屋も温まったし、話も終わった。これ以上ここにいるとユリウス君の眠りの邪魔になる。そう思ってミルクを飲み干して腰をあげると。


「あっ」


 ユリウス君の声にびっくりして振り向けば、毛布にくるまったユリウス君がこちらを見ていた。……いや、見てはいなかった。視線が合わなかったけれど、こちらを向いてチラチラとわたしを見ている。

 何かを言い忘れたのだろうか。それとも、何か聞きたいのかしら。


 しばらく黙ったままだったけれど、戸口から痺れを切らしたセリアがわたしを呼んだのを聞いてガバッと立ち上がった。


「あ、りがとう」


 顔を真っ赤にして視線も合わせられないまま、ユリウス君は大きいとは言えない声でそう告げると、かぶっていた毛布を掴んで寝室の方へと駆け込んで行った。

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