111.子爵令嬢は素焼きのタイルを持ち帰る
「どうなさったんですか、それ」
「ちょっとね」
食後、茶を持ってきてくれたセリアは、テーブルに置いたままの素焼きのタイルをじっと覗き込む。
「きれいですね、すっごく上手。収穫祭のアレでしょう? 子供たちに絵を描かせて街中に飾る」
「ええ」
言葉の後半、嫌そうな顔をしたところを見ると、セリアもあまりいい思い出はないのかもしれない。
「もしかして、お嬢様が描かれたのですか?」
「わたしじゃないわ」
わたしは首を振りながらタイルを手に乗せる。
貴族の女性が絵が上手い、と言うのはよくあることだ。刺繍の絵柄に使うからとスケッチする女性も少なくない。
……そう、女性なら。
「じゃあ、誰かのお手本かも……祭りが終わったら持ち帰ってもいいんですよね?」
手の中のそれを覗き込むセリアの目がキラリと光る。
「ええ。他にも色々あったから、探してみるといいわよ」
「リリーと一緒に探してみます!」
どうやらよほど気に入ったみたいね。……ユリウス君に教えてあげたら喜ぶかしら。
「ユリウス君はどうしているかしら」
「食事はお部屋に運んだのですけど……」
セリアは眉根を寄せ、言葉を濁す。
あのあと打ち合わせを済ませて館に戻って聞いてみると、ユリウス君は部屋に閉じこもってしまっていた。
「……出てこない?」
「はい。あの、何かあったんですか?」
なにから話すべきだろう、と頭を巡らせて、はたと気がつく。
これも、同じではないの?
貴族にとって、絵画や音楽に興味を寄せるのはおかしいことではない。
才能ある者たちを保護することはよくあることだと、今のわたしは知っている。
……自分が嗜むことを良しとしない風潮があることも。
我が家もハインツ家も武人の家だけど、両親やユリウスおじさまはそんなことは一言も言わなかった。まあ……わたしたちにそちらに才がなかったから言えるのかもしれないけれど。
でも、綺麗なものを綺麗と思うのは、いけないことだろうか?
わたしやリリーの時と同じ。
貴族にとって体面が大事なのは一応わかっているつもり。一応、ね。
でも、そこまでして守るべきものなのかどうか。
わたしにはわからない。
彼らの言う貴族とは、北の地で暮らすわたしたちはかけ離れているのかもしれない。厳しいこの地に住むわたしたちにとって、領民は家族も同然だから。
中央で役目をこなしている人たちや剣をもって国を守る人たちを馬鹿にするつもりも貶めるつもりもない。
ただ、好きなことを、好きなものを諦めなければいけないのはなぜ? と問いたいだけ。
ユリウス君の絵も、わたしの剣も、リリーの仕事も。
心を殺して諦めなければならないのはどうして?
女が馬に乗って剣をふるってはなぜいけないの?
男が絵を描いてはなぜいけないの?
『体面が悪いから』『立場にふさわしい行いを』
王宮にいた時、散々聞いた言葉だ。
それがあの方の隣に立つのにふさわしくないというから、わたしはこちらを選んだ。
……でも本当は、両方とも諦めずに済む道もあったのではないかーー。そんなことを考えてしまう。
こんなことを思っている限り、前には進めない。
……もう、戻れないことはわかっているのに。
「お嬢様?」
「……なんでもないわ」
浮いてくる思いに重石を乗せる。
今考えるべきはユリウス君のこと。
「セリア、飲み物の用意をお願いできる?」
「ええ、すぐに。軽くつまめるものもご入用ですか?」
「そうね。ホットミルクを二つ、甘くしてくれる?」
上機嫌なセリアに言うと、すぐに満面の笑みが返ってきた。
「わかりました。どちらにお持ちしましょうか?」
こう言うところはセリアには敵わない。
わたしは寒くないようにガウンを着込むと立ち上がった。
「小さな巨匠に会いに行ってくるわ」