109.子爵令嬢は宰相夫人にお願いをする
ひとまず一息つこう、と外に控えていたベルモントを呼ぶ。
顔をのぞかせた時に表情をゆるめたところを見ると、相当心配させてしまったみたいね。
まあ、人払いした上、未婚の男性と二人きりにしたのだもの、心配もするわよね。
冷めた茶を回収して、そのまま出て行こうとするベルモントを呼び止めると、家令は深々と腰を折った。
どうやらわたしの言いたいことは筒抜けみたいね。
「お叱りはどのようにでもお受けいたします」
そう言われても、ベルモントの雇い主は父上だし、彼ほど出来る家令を放り出せるはずもない。彼は彼の役目を果たしただけだもの。
「いいわ、もう」
ため息をついて肩をすくめて見せると、ベルモントはクリスに対して礼を取り、出て行った。
「それで、今日いらしたのはその件ですか?」
茶を待つ間に切り出すと、クリスは背もたれから体を起こした。
「ああ、それが主だ。昨日の今日であんたが来ていないと聞いて、肝が冷えた。……本当にすまなかった」
何度目かの謝罪に、眉根を寄せる。
わたしとしては、謎も解けたし不安の種も除けたし、それ以上のものは要らないのだけれど。
「謝罪はもう充分いただきました。何も被害はありませんでしたし」
しかし、魔術師は首を横に振る。
王宮付きの魔術師としてはあってはならない失態なのだろう。
確かに、王宮はそういうところだ。けれどここは王宮じゃない。
わたしは居ずまいを正すとまっすぐクリスを見た。
「それに、我がベルエニー領に魔術師はいませんもの」
「だからそれは」
「それとも、王宮に戻りたいですか? リリーを置いて」
否定しようとしたクリスの言葉にかぶせて言うと、彼は押し黙った。
「それならお止めしません。でも、ここにいらしたのは王命ではありませんか? だとしたら、次はあなたの代わりに相棒とおっしゃる方が派遣されて来るのでは?」
「それはっ……」
眉根を寄せるクリス様に、やはりと思う。王宮付きの魔術師が身分を隠した上、宰相の名代で来るなんて、国王陛下が知らないはずはない。それに。
「ここにあなたが来たことには意味があるのでしょう?」
わたしの言葉にクリスはさらに眉間のシワを深くした。
ーー北が動くかもしれない、いう噂はかなり信憑性が高いと王宮は思っているのね。魔術師を置くほどに。
「それならなおさら、ここを空けるわけにはいかないのではなくて?」
「……あんた、どこまで知って……いや、知ってて当然か」
「そうとも限りません。現に、あなたのことは知らされていなかったし」
にこやかに返すと、クリスは苦い顔をしてうなだれた。
「あぁもう、あんたにゃ敵わねぇわ。なんであんたはこんなところにいるんだろうな」
ぼそりと告げられた言葉の後半は、聞かなかったことにした。
しばらくしてノックをして入って来たのは、リリーだった。
「お茶を……」
入ってきたリリーは向かいに座るクリスに気がつくと口を閉じ、わたしと彼を交互に見る。
「なんでリリーがこんなことしてるんだよ」
さっと立ち上がったクリスは彼女の手からワゴンをもぎ取ると、自分が座っていたソファに彼女を押し込んだ。
「わ、わたくしはベルモントさんに頼まれて」
ベルモントに悪気がなかったかどうかはわからないけれど、最適な人材であることには違いないわね。
クリスの素性も、リリーは知っているに違いない。
わたしは立ち上がるとワゴンの茶器に手をかけた。
「いいのよ、わたしが頼んだの」
立ち上がりかけるリリーを押しとどめて、手ずから茶を淹れる。
「クリス、お嬢様を困らせてない?」
「お嬢様って、お前ここの使用人じゃねえだろ」
それはわたしも同意する。セリアたちと一緒にいることの方が多いけれど、わたしにとっては大事な友達だ。
「セリアたちが迷惑をかけているのなら改めさせるわ。リリーはお客様で、わたしのお友達だもの」
茶を配り、席に戻ってにっこり笑うと、リリーはパッと顔を赤らめたのち、青ざめた。
「いいえっ、皆さんが悪いわけではないんです。わたくしが普通にして欲しくてお願いしたのです」
「だとしても、お嬢様呼ばわりとか行き過ぎだろ。強制されてないんだったら、お前が勘違いさせてるんじゃないのか?」
「そんなこと……」
「そうね、あなたはフェリスの侍女であって、わたしの侍女じゃないもの」
リリーの言葉を遮って口を開く。
わたしとしても言いたいことは色々あるのだけれど、少なくともお嬢様呼びはやめてもらわなくちゃ。
「……申し訳ございません」
「なんで謝ってんだよ。リリーは悪くないだろ」
すっかりしょげて頭を下げるリリーにクリスは不快感を隠さない。原因を作ったわたしも睨みつけてくる。
頭を下げさせるつもりはなかったけれど、結果としてそうさせてしまった。
「リリー、顔を上げて。謝って欲しいわけじゃないの。……友達と思ってくれているのなら、対等でなきゃ」
本当は彼女と対等だなんて言えない。方や宰相閣下の妻、方や辺境に住むただの子爵の娘。
こうやって対面するのだって、ちゃんと手順を踏んで行うべきもので、呼びつけるなんてもってのほかなのに。
頭をあげたリリーは、しょんぼりとうなだれている。
「でも、何もせずにいるのはとても心苦しくて」
その言葉に、息を飲む。震える手でなんとかカップをテーブルに戻すと、ソファに体を預けた。
リリーの言葉は、王宮にいた時のわたしの想いだ。
やりたいことを何もさせてもらえない。
体面ばかりを重んじ、思うように笑うことも微笑むこともできない。
女は子を産めば良い、と言わんばかりの無言の圧力は、わたしをずっと苛んでいた。
それを歯がゆく思ったし、あの時だっていい機会だと思ったからこそ、何も言わずに従ったのだ。
だというのに。
何をしているのだろう、わたしは。
……リリーに同じ思いをさせているなんて。
彼女をここに縛り付けているのはわたしのわがままだ。……さっさと片付けてしまっていれば、今頃リリーは王都に帰ってフェリスの侍女に戻っていただろうに。
全てはわたしのせい。
「……ごめんなさい、リリー」
「ユーマ様?」
こぼれそうになる涙をぐっと押し殺して顔を上げれば、向かいのソファから身を乗り出すリリーが見えた。
横に座るクリスに視線を移すと、眉根を寄せて何かを耐えているように見える。
……彼も同じ思いなのかもしれない。
それならば。
「わたしは大丈夫。少し疲れただけだから。……リリーに一つお願いがあるのだけれど」
「わたくしにできることなら何なりとおっしゃってください」
不安げに眉を寄せるリリーに、にっこりと微笑む。……大丈夫、わたしは笑えている。
「クリス様の部屋付き侍女をしてくれないかしら」
「はぁっ? 何言ってっ」
「ええっ」
二人は顔を見合わせ、揃ってわたしの方に向き直る。
「小耳に挟んだのだけれど、客室係を部屋に入れないのですってね。掃除もベッドメイクもできないと嘆いていたわ」
「そんなの、自分でやるから!」
そう、クリスの部屋は客室の一番奥とは言え、他の客室と同じ並びにある。担当も客室係なのだけれど、部屋に入れなかったらしいのよね。
ベルモントからは彼の部屋は掃除しなくて良いと言われたらしい。
王国騎士団の一員だし、通信兵だから機密を扱っているからなのかと思っていたけれど。
魔術師ということを隠すためだったってことよね。
それならーー知っている人なら問題はないはず。
「リリーなら、問題ないのでしょう?」
伺うように彼の顔を見れば、わたしを睨んだあと、リリーの顔を見て眉根を寄せた。
リリーはと言えば、彼女もまた眉根を寄せて不安そうに幼馴染を見ている。
かなり長い間クリスはわたしとリリーを交互に見ていたが、最後にわたしをひと睨みしてからため息をついた。
「……わかったよ」
「本当に?」
「ああ。……ったく、本当になんでもお見通しってか?」
「いいえ。半分は賭けだったわ」
半分、と言ったけれど、何も確証はなかった。
リリーとクリスは幼馴染と言っていたし、互いの距離も近い。彼女を見るクリスの目に後ろめたさがなかったし、きっと隠し事はしていないだろうと思ったのよね。
「じゃあ、明日からお願いできるかしら」
「ええ」
嬉しそうに頷くリリーに、クリスは眉間のシワをますます深くした。