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子爵令嬢は自由になりたい【連載版】  作者: と〜や
第二章 王太子とその兄弟たちの事情
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10.王太子は昔の夢を見る

 ぱちぱちと薪の燃える音がする。

 暖かい暖炉の前に置かれたソファで、黒髪(・・)の少年は小難しい顔をして本を読んでいた。

 冬になった。外は真っ白な雪に覆われ、遊びに出ることもなかなか簡単ではない。

 それに、毎朝の雪下ろしのおかげであちこちが痛かった。

 逗留している男爵の別邸には十分な使用人がいて、雪かきなどしたことはなかったのに。

 どうしてここにいるのだろう、と少年は本から顔を上げて部屋を見回した。

 世話になっている領主の本館、その応接室。広々とした室内には、自分しかいない。

 何かのはずみで、雪のせいで外で遊べない、と言っただけだったはずだ。

 なぜか気が付けば男爵の本館にとどまることになっていた。

 目付け役のカイヤが絶対許可しないだろうと思っていたのに。

 昨夜は食事を男爵の子供たちと一緒に摂った。彼女がかいがいしく弟の世話をしているのが少し妬けた。

 今朝は朝早くに起こされて雪下ろし、そのあと集まってきた子供たちと雪合戦までした。

 体がギシギシ痛い。走り回ってずっこけて、座っているのも痛いぐらいだ。

 だから昼からはゆっくり本を読むだけにしようとしていたのに、それすらも痛みのせいで全然進まない。

 今日中にこの本を読み終えたかったのだけれど、と何度目かのため息を漏らす。


「どうしたの? 難しい顔して」


 不意に後ろから声をかけられて、顔を上げると、栗色の髪の毛とこげ茶色の瞳が飛び込んできた。

 読みかけの本を閉じようとすると、するりと抜き取られた。


「おいっ」

「へえ、難しい本読んでるんだね。絵本とかじゃなくて。難しい単語とかない?」

「返せ」


 ページをぺらりとめくった少女は、少年の手に本を戻した。


「これならもっと詳しい本がうちにあるはずだけど」

「え?」


 少年は手に戻ってきた本を見つめる。

 目付け役から、ここに滞在している間に読むようにと出された『宿題』のうちの一つだった。今読んでいるのは神獣と神話の本。


「父上に図書室の鍵、借りてくる」

「お前、これ読んだのか?」


 居間を出ようとする少女に声をかけると、くるりと振り返ってうなずいた。


「このあたりって冬になったらあまり外で遊べないでしょ? だから、本だけはいっぱい揃えてあるの。クリス(・・・)も入っていいかどうか聞いてくるね」


 嬉しそうに微笑んでそれだけ言うと、スカートを翻してパタパタと走り去る。

 この本でさえ、自分にとっては読みづらく、気が散ると読み込むのに時間がかかっているというのに、少女はもう読んだという。自分より二つ年下のはずの少女に負けていると言われた気がした。


「……この程度の本、すぐ読み終わってやる」


 少年はそういいながら、本を読みこんでいく。

 そういえば、これは自分が負けず嫌いだということを初めて意識した時のことだ、と気が付いた。

 夢だ、これは。

 なぜなら彼女はもうここにはいないから。

 そう気が付いて目を閉じたとたん、場面が変わった。


「お誕生日おめでとう」


 すっかり大人になった彼女は、空色の――自分の瞳の色を映したドレスを身にまとっていた。

 これは、彼女の誕生日だ。

 招待された者たちを前に、彼女が礼を述べている。

 にこやかに微笑んで、差し出されたグラスを手に乾杯をする彼女。

 隣に立つ自分や男爵とふちを触れ合わせ、グラスの葡萄酒に口をつけた彼女は倒れた。

 倒れ込む彼女を支える自分の腕。医師を呼べと叫ぶ声。

 これは夢だと、助かることがわかっていてもなお、心臓にこたえる。

 自分自身ではこの時のことをはっきりと覚えていないはずなのに、なぜか夢の中では鮮明に描かれている。不思議なものだ。

 床に臥せ、熱にうなされる彼女の姿が脳裏から離れない。

 守ると言ったくせに守れなかった。

 だから――罰を受けなければ。


 ◇◇◇◇


 重い頭を引きずって目を覚ます。

 昔の夢を見ていた気がする。――彼女がまだ朗らかに笑いかけてくれていたころの夢。

 目を閉じて彼女の笑顔を思い浮かべる。

 王宮に来てから、会うたびに彼女の笑顔が消えて行った。

 それまで自領でのびのびと過ごしていた彼女は、『王太子妃』としては不十分だと言われた。

 どこに出しても恥ずかしくない王太子妃に仕上げるためにと始まった教育。彼女が様々なことを一度に大量に一生懸命に学んでいることは、教育係から聞いて知っている。

 むしろ、教育係や使用人の受けはよかったと聞いた。

 王族が揃うときだけ、王太子妃候補たちとともに晩餐を取ることになっていたが、会話などは全くなかった。

 月に一度の茶会で顔を合わせると、いろいろな話を聞かせてくれた。喜々として彼女が話をするのを自分が聞いていることが常だったが、楽しいひと時だった。

 が、それも日を追うごとに笑顔が消え、話題も減った。

 夜会でごくたまに顔を合わせても、貼り付けた笑顔以外を見せてくれない。

 真剣に剣を振るう横顔に、表裏のない笑顔に惚れ込んだというのに、王宮で彼女はいわゆる『貴婦人の笑顔』を身に着けてしまった。

 裏の思いを隠して表だけ微笑む彼女の笑顔は、見たくない。

 成人を迎えて王の代理としての公務が増え、王宮を離れることが多くなった。これも必要なことだと言いながら、彼女との茶会が延期になることをいつもどこかで願っている。

 そんな自分に嫌気がさした頃。

 彼女の成人の宴で、彼女は倒れた。毒を盛った犯人と首謀者はいまだに捕らえられていない。

 ――彼女を守るどころか自分が危険に晒していたのだ。

 自分ができることは、一つしかなかった。


 ◇◇◇◇


 目を開き、痛みをこらえて起き上がる。途端に背中に痛みが走って顔をしかめ――さらに痛みに眉を寄せる。

 背中の痛みを夢の延長で雪合戦の痛みかと勘違いしかけたが、顔の痛みで思い出した。

 昨夜殴られたのだ。

 左の頬に手をやると、湿布薬が貼られていた。唇も切ったらしく、腫れぼったくて熱っぽい。

 抵抗せずに殴られたおかげで受け身も取れず、背中が痛い。


「……手加減なしだったな」


 殴られるのは当然だと思っていた。殴られるだけのことをした自覚はあったから。

 こうすることを決めた時から、フィグに殴られるだろうとは思っていた。

 自分の我儘で、彼の妹を王宮に閉じ込め、今また自分の我儘で、王宮から追い出した。

 きっと一生許されないだろう。

 もし、フィグが職を辞したいと言えば、応じるしかなかっただろう。

 だが――フィグは自分を殴った。殴った責任で職を辞すのは許さなかった。


 ――勝手だとはわかっている。だがそれでも、今すぐフィグを手放すことはできなかった。


 一か月の謹慎を言い渡したのは、フィグを引き留める理由でしかない。

 謹慎が解けたのち、彼は傍にいることを選んでくれるだろうか。

 そうであればいい、と祈るように目を閉じる。


 今頃は自領へ戻る道中だろう。

 あの冬の風の冷たさを思い出す。もう一度、王太子妃となった彼女とともに行きたかった。

 自分があの地を踏むことは、二度とない。

 

 ――幸せに。


 それを自分が願うくらいはかまわないだろう。

 声にならない祈りは、脳裏に吹き続ける冬の風に紛れて消えて行った。

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