103.子爵令嬢は北の砦で手合わせをする
カン、と木同士の打ち鳴らす音と威勢の良い掛け声が絶え間なく続く。
初心者用の木剣ですら小さな体には大きすぎる。でも切っ先を引きずることなく両手で振り回し、剣に引きずられることもない。
対戦相手の女の子の一撃を受け止め、跳ね返す。剣の動きは悪くない。でも、周りが見えてない感じ。相手の剣先ばかり見ている。
だんだん動きが鈍って足を取られてるのは、スタミナがないせいかしら。
……まあ、眠れなかったみたいだから、寝不足も原因の一つだと思うけど。
「ありゃあ、誰だ」
不意に頭上から声が降ってきて見上げると、髭の生えた顎と青い服が見えた。
「ユリウスおじさまのお孫さんです」
「へえ、あれがねえ」
お師匠様は面白そうにユリウス君を見ている。女の子の方が少し背が高いかな。
「どこのガキだって?」
「ウェイド侯爵のご長男です」
「ああ、なるほどな。あいつの孫でもあるのか」
お師匠様は家名を聞いただけで納得した。
ウェイド侯爵家は武人の血筋で、先代はおじさまやお師匠様もよく知っているらしい。
今の侯爵ーーユリウス君のお父上が結婚した時に代替わりをしたのだとか。
「それにしちゃ動きが甘いな」
対戦相手の子は砦に詰めてる騎士の娘で、わたしが鍛錬に参加しているのを見て始めた子だった。
……始めて数ヶ月でこの動きができるとか驚いたけど、実は父親に隠れてこっそり鍛錬してたのだと本人から聞いた。
女性が剣を握ることに理解のない男もいるものね。父親も騎士ならなおさらでしょうし。
どれだけ危険か、よく知っているはずだから。
なので、ユリウス君が決して劣っているわけではないと思うのだけれど。
「基本はできていると思います」
「六歳のユーマ並みだな」
「……対戦相手が上手いんです」
ユリウス君は初めて訪れた場所で、地の利も薄い。落ちている石ころやくぼみに足を取られることもある。
でも、女の子は周りをちゃんと見て、利用している。
彼女くらいの頃のわたしには、こんな余裕なかったと思う。
「いや、ありゃ負けたことがない顔だな。同年代の子とやったこともないんじゃろ。指南役が手を抜いてたってところか」
確かに、彼の顔に浮かぶ焦燥感が募っていくのが見て取れる。焦りが悪手につながり、女の子はどんどん前に踏み込んで行く。
でも、そういう家柄ならなおさら厳しく育てるものだと思うけれど。
手抜きして勝たせてやるのは本人にとって決していいことじゃない。
「あっ」
「負けじゃな」
師匠の声で視線を戻すと、ユリウス君の剣が弾き飛ばされたところだった。
「そこまで!」
相手をしていた女の子が剣を引き、ユリウス君は悔しそうな顔で体を起こす。
ユリウス君はもう一戦したかったみたいだけれど、審判役が首を横に振った。
「さて、次はお前さんじゃな。なんならわしとやるか?」
お師匠様と剣を合わせられるほど、腕は戻っていない。悔しいけれど、六年のブランクは確実にわたしから剣を振るうに必要な筋肉を奪っていた。
首を横に振り、わたしは立ち上がる。
「お師匠様の相手は務まりませんから」
「そうか?」
わしも歳じゃしなあ、とか言っているけれど、お師匠様が今も現役であることは知っている。
得物を持たないお師匠様にだって勝てるかどうか。
見習い騎士から一本取るのがやっとなのに。
「まあ、行ってこい。お前らしく、な」
ぽん、と背中を押されてわたしは模擬剣を手に場に出る。
向かいにはいつも手合わせしている見習い騎士たちのうちの一人。
未だに一本取ったことのない相手だ。
でも、今日ばかりは負けていられない。勝てなくとも引き分けに持ち込まなきゃ。
剣を握る手に力を込めて、合図とともにわたしは飛び出した。
体が軽いのはお互い様だから、初動の速さは利にならない。見習いと言えども男性の力で打ち下ろされる一撃は重たい。
最初の頃は一撃目で手が痺れて剣を取り落としていた。
ぐっと柄を握り込んで手首を翻す。
まともに打ち合えば今だって痺れる。でも、相手の勢いを利用して受け流せば軽いダメージで済む。相手に比べて体力も力も劣る場合の定石だ。
足は止めない。わたしも相手も身が軽い。剣の腕だけで打ち合うタイプではないから、止まれば致命的だ。兄上のような腕力馬鹿相手だったら弾き飛ばされてしまう。そうでなくても簡単に押し切られる。競り負けたらおしまいだ。
だから、走る。でも、六年前と違ってすっかり育った体は重い。
すれ違いざまに剣で薙ぐが剣で防がれた。振り向きながら返しの剣を防いで飛び逃げたところで強い風が吹いた。鍛錬場の砂を巻き上げて小さな渦が巻く。
砂が目に入らないように腕でかばいつつ、相手のいるはずの方を睨みつけていると。
「剣を引けい」
お師匠様の声が飛んだ。
構えは解かないまま、動きを止める。風の渦はしばらく巻いたのち、はたりと消えた。
「勝負はこれまで」
審判役の騎士がお師匠様に頷いて宣言する。相手の騎士が構えを解くのを横目で見ながら、わたしも剣を下ろした。顎を伝う汗をぬぐい、お師匠様とその隣の少年の方を向く。
二人で何かを話しているらしいが、わたしのところまでは届かない。
ふと視線を感じて顔を向けると、焦げ茶色のボサボサ頭が見えた。同じ色の目がどうしてかわたしをじっと見ている。
誰だったか、としばらく頭をひねったところで思い出した。
通信兵としてやってきた、リリーの幼馴染だ。
鍛錬場であまり遭遇しないから忘れていたわ。名前はなんだっけ。クリスという名前は覚えているけれど。
そういえば、王都への通信が前に比べてずっと早くなったことを思い出す。彼のおかげだと思い直して会釈をしたけれど、彼はそのまま踵を返して行ってしまった。