102.子爵令嬢は次期侯爵を伴って自領に帰る
「わかったな、ユリウスよ。わしが迎えに行くまでユーマたちのいうことをよく聞くだぞ」
「……はい」
幼いユリウス君は眉間にしわを寄せておじさまを見返している。
「おじさまも、収穫祭には間に合うようにきちんといらしてくださいね。両親共々お待ちしていますから」
「わかっておるわ」
おじさまも眉間にしわが寄っている。かわいい孫に一人で旅をさせるのだもの、心配しないはずはない。
「わしも一緒に行ければ良いのだがな……」
おじさまは何度目かのため息をつく。でも、遅くまで執務室にこもっているくらいだもの、孫と一緒に一月も自領を空けるわけには行かないのだろう。
収穫祭まではまだ一月以上ある。
「おじさま」
居住まいを正して顔を上げると、おじさまはますます眉根を寄せて、わかっている、と答えた。
「ニールによろしく伝えてくれ」
「はい、母にも喜んでいただけたと伝えておきます」
そう告げると、おじさまは目を細めて口元をゆるめる。
「祭りを楽しみにしている」
「はい、わたしも楽しみにしています」
それきり、お互いに頷きあうと、わたしはユリウス君を促して馬車に乗り込んだ。
◇◇◇◇
「……おまえ、おじさまになにしたんだ」
無愛想どころか警戒心をむき出しにしてわたしを睨みつけてくるユリウス君は、馬車の中でも入り口から一番遠い場所に収まっている。
わたしはセリアと向かい合う形で入り口に近い場所に座っていた。セリアが無言を貫いているのがむしろ不安を誘うのだけれど……。どう接するか、悩んでいるのかもしれない。
あれだけ怒っていたものね。一日だけの話なら我慢すれば通り過ぎるけれど、我が家で一月預かるとなれば話は違ってくる。
わたしは子爵令嬢だけれど、おじさまから託されたのだもの。遠慮はしないことにする。
「お祭りに誘っただけです」
笑顔を作ってみたけれど、胡散臭そうな顔でぷいと横を向かれた。
「その顔は嫌いだ」
嫌われるだろうことは織り込み済みだけれど、どうして顔、なのかしら。
まあ、きっとわたしの存在自体を嫌っているのでしょうけれど。
じっと見つめていると、そっぽを向いたままどんどん眉間のシワが深くなる。
「……子供だましがきくと思うなよ」
十に満たない子供の声とは思えないくらい低い声でユリウス君はうなる。
子供だまし、とは彼に向けた笑顔のことだろうか。それとも、彼の問いに対する答えかしら。
「騙すつもりはありません」
「ならうれしくもないのに笑うな。……ぼくはごまかされないからな」
誤魔化すつもりもないのだけれど、どうやら不興を買ってしまった。
子供、と侮ったつもりもなかったけれど、幼くても侯爵家の一員なのだと思い知らされる。
「なにがめあてだ」
ユリウス君はこちらに顔を向け、じろりと睨みつけてくる。
「目当てなど」
「だめだぞ、金も爵位も、ぼくのじゃないからな」
「そんなものは望みません」
「うそだ。最初はみんなそう言うんだ」
そう言うユリウス君の視線は馬車の床におちていく。
その顔に浮かぶのは怒りと、悲しみ。
国家の重責を担う上位貴族と辺境の末端貴族では、住む世界が違う。
侯爵家の後継として生まれてきた彼の背には、ただの子爵令嬢では思いもつかない重荷が載っているのだろう。
でも。
いまのわたしはただの子爵令嬢だけど、世界の片鱗は知っているつもりだ。
「そうね」
事実、王宮に上がってすぐに周りにやってきた人たちは、地位を失った途端にあっという間に離れていった。
王子に求婚されたからといって、ただの男爵令嬢が次期国王とどうにかなるなんて、ありえなかったのに。
何を期待していたのだろう。
「おまえに何がわかる」
ユリウス君の痛みはわからない。わたしは父上や母上のおかげで幸せな子供時代を過ごせたもの。
別の痛みは知っているけれど、それを言ったところで彼には届かない。
だから、こう返すしかない。
「そうね」
「おまえ……変なやつだな」
呆れ顔でユリウス君はわたしを見ている。
それでも、先ほどまでの視線に比べればマシだ。子供に暗い目は似合わないもの。
「ええ、変なやつです」
「お嬢様」
セリアにたしなめられて、わたしは口をつぐむ。
自分が普通の貴族令嬢と違っていることは事実だもの。そうでなければ、今頃ここにいない。
胸が痛くなるのを無視して笑みを唇に乗せる。
ユリウス君はわたしをじろりと見た後、視線をわたしの膝の上に向けた。
そこにあるのは扇を握るわたしの拳。ドレスに合わせた鮮やかな色の手袋が、女性らしくないわたしの手を隠してくれている。
剣の鍛錬を再開して、ずいぶん手のひらも分厚くなったと思う。
六年ぶりに酷使した手はすぐにマメができた。四ヶ月経って、打ち合うだけで精一杯だった頃よりはましになってきているけれど。
「そんな手で剣なんか握れるものか。嘘つきめ」
ユリウス君はそれだけ言い放って、窓の外に目を向ける。
セリアの手が拳を作る。わたしは彼女の手に手袋の手を重ねると、目を見開いたセリアに首を振ってみせた。
わたしのために憤ってくれるのは嬉しい。でも、これはわたしの役目。
信頼関係のない相手には、言葉だけでは伝わらないもの。
こちらに全く興味を失ったユリウス君の横顔を見ながら、わたしは館に着くまで明日からのスケジュールをユリウス君を中心に組み直した。