100.子爵令嬢は謝罪を受ける
「すまなかった」
晩餐の場に降りて行くと、待ち構えていたおじさまに謝られた。横には紺色のジャケットに着替えた先ほどの男の子がふくれっ面でそっぽを向いている。
「お前も謝りなさい、ユリウス」
お孫さんもおじさまと同じ名前なのね。
そういえばハインツ伯爵にはユリウスの名を持つ人が多いんだって、以前おじさまに聞いたことがある。
なんでも初代がユリウスだったらしくて、あやかることも多いらしい。
促されても態度を改めない男の子を叱るおじさまの声はいつもになく厳しくて、本当に怒っているのがわかる。
男の子もそれは感じ取ったらしく、ふくれっ面のままわたしの方におざなりに頭を下げた。
「きちんと言葉で謝りなさい」
「……ごめんなさい」
おじさまは男の子の態度にさらに小言を言いかけたが、わたしが首を横に振ると、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
おじさまに促されて卓につく。男の子は別室で食べるらしく、給仕が入って来るタイミングで家令に連れられて出て行った。
「ドレスを貸していただいてありがとうございます、おじさま。助かりました」
「古いデザインですまんな」
そう、わたしが今身にまとっているドレスは深紅のイブニングドレスだった。
気心の知れたおじさまのところだからと思って、ドレスの替えを準備していなかったのよね。
若い家令が持ってきた中にはドレスに合わせた宝飾品も靴もあった。靴は合わなかったけれど、ドレスはありがたくお借りした。
春以来初めてのことで、また発作に襲われるんじゃないかとセリアも心配してくれた。
でも、ドレスが着られないことをおじさまに知られたくはなかったし、それを考慮してほしい、とは言えなくて。
社交界に出るわけじゃない、気心の知れたおじさまだから、と出来るだけ華美でないものをセリアに選んでもらったの。……華美でなくてこれなのよね。
宝飾品は家宝レベルのものまで並べられていてびっくりしてしまった。本来ならおじさまの後を継ぐ人かその奥様に渡されるものじゃないの?
流石にそれはお断りして、小さな紅玉のイヤリングだけお借りした。それなら気負わずに済みそうだし、つけていることを忘れられそうだったから。
奥様の、と若い家令が言っていたからどれもおばさまのものらしい。ありがたくお借りしたけれど、本当に良かったのかしら。
というか、本当におばさまはセンスの良い方だったのね。
「しかし……本当にすまない。どうも娘が甘やかしたようで」
「いえ」
「末娘の子だからと甘くしたつもりはないんだが」
ということは侯爵家に嫁がれたエヴァンジェリン様のご子息なのね。確か八歳を先頭に男の子が二人に女の子が一人いらっしゃったはず。
年齢的にはユリウス君は長男よね。
「エヴァンジェリン様はご一緒なのですか?」
「いや。春先に四人目の子が生まれて動けないらしい」
おめでとうございます、と寿いだものの、おじさまの顔色は冴えない。それどころかため息をつかれた。
「おじさま……?」
「ああ、いや、なんでもない」
そう答えたおじさまはもういつものおじさまの顔で、晩餐が終わるまでユリウス君の話題が出ることはなかった。
◇◇◇◇
「やっぱりきれいには落ちなかったそうです」
ベッドに薄緑色のドレスを広げて泥汚れの場所を確認すると、うっすらと茶色い。夏用の布地だから軽くて薄いのだけれど、それがあだになったのかもしれないわね。
「仕方ないわよ。あとは帰るだけだし」
「ダメです。伯爵様からもう一着お借りしてますから、それを着てください。これはもう一度洗ってもらいますから」
おばさまのドレスを借りて帰るのは申し訳ないけれど、背に腹は変えられない。
シミの落ちなかったドレスは染め直して、作業用にでもしてしまおう。
「それにしても、やっぱり許せません」
「直接謝ってもらったし、もういいわよ」
おじさまとは気心の知れた間柄だし、十分すぎるほどよくしてもらっているもの。
しかし、セリアは顔をしかめて首を横に振った。
「いいえ、たとえ次期伯爵であろうとも、簡単に許すわけにはいきません」
「……次期伯爵?」
「ええ、館の侍女たちが」
ユリウスおじさまのお孫さんが一人でどうしてここにいるのかとは思ったけれど、そういうことなら納得はいく。
「なんでもハインツ伯爵様ご自身が指名なさったとかで、お一人でいらっしゃったのだそうです」
「そう……」
うなずいたものの、なんだかおじさまらしくない気がする。
娘たちには自由に嫁ぐことを許した方だ。
後継に据えるために子供を親から引き離すようなことをなさるだろうか。
それに、次男がいるからといって、エヴァンジェリン様も侯爵様も、本来の嫡子をあっさり諦めるものだろうか。
「セリア、おじさまに面会を申し込んでくれる?」
「えっ、今からですか?」
晩餐も終わり、湯もいただいてあとは寝るだけのわたしは、借りたドレスも脱いで気楽な部屋着になっている。
ガウンを羽織ればいいとはいえ、昔のように気軽におじさまに会いに行ける格好ではない。
わかっているのだけれど、明日の朝では遅いかも知れないのだもの。
「だって、おじさまは家族のようなものだもの。セリアが同席してくれれば二人きりにはならないし」
「……本当は、お嬢様がお一人で伯爵家を訪問して、お一人で泊まられるというだけで十分醜聞になり得るんですからね」
渋い顔をしたけれど、結局セリアは折れてくれた。
通番で100話となりました。
長い話なのに読んでくださって本当にありがとうございます!