秋化け①
怒涛の夏休みがようやく終わり、9月。
大学生の夏休みは少し長く、家には未だに姉の秋乃が居座っていた。
つまり、毎日つきまとわれるのである
「ねぇ〜愁ちゃん暇だよ〜秋乃ちゃんと遊ぼ〜」
「これから学校、邪魔しないで。」
「相変わらず冷たいなぁ〜さすがの私でも悲しいぞ?」
「いってきまーす。」
「もー!!」
うるさい姉を振り切って玄関を開けると、まだ眠そうに大あくびをかく柊真がいた
「おはよ、ここまでアネさんの声聞こえたぜ…」
「…あのバカ女…」
「お、愁と付き添いの人だ。おっはー!」
後ろから走ってきたのは夏希と、腕を引っ張られて既にバテている美春だった
正直、今の僕は美春と少し気まずい雰囲気があった
別れ方があんなだし、花火のときから会ってもいない。
なんて話しかければいいのだろう?
「愁くん、おはよ!」
「お、おはよ…」
何だ、案外普通だな。
僕の気負いすぎだったか…?
すっかり夏服が定着した9月、続々と生徒達は学校へ集まり、その変化を目の当たりにする
ある者は部活で真っ黒になったり、ある者は髪の色を変えてみたりと、長期休みは人を大きく変えることがある。
だが、僕もその例外ではない
「美春、これ借りてたやつ。ありがと。」
「あ、いいえ〜」
男子達はその会話に並々ならぬ衝撃を感じた
しまった…すっかり定着してて忘れてた…
「おい真柴よ…九尾さんとどういう関係なんだ?まさか夏休みに何かあったのか?!」
「あった、といえばあったけど…」
ぐああ!っと絡んできた男衆は頭を抱える
「夏休み前から少し話すとは思ってたが、まさかここまで距離を詰められていたとは…!!」
「恐るべし夏の魔法…!!」
鬱陶しい、助けて柊真。
視線を柊真の方へ向けると、やはり女子に囲まれて幸せそうな顔をしてやがった…
あの女ったらし…
始業式を終えると、クラスの人達は教室の異変に気付いた。
一番窓側の列、後ろに席が一つ増えていた
「これって絶対…」
「間違いないでしょ!」
「イケメンかな〜」
話をしていると、担任の小野と、高校の制服を着た、お淑やかな雰囲気の茶髪ロングの美少女がやってきた。
「うおおお!女子だ!美少女だ!!」
この瞬間の僕は、誰かまったく検討がつかなかった。
しかし
名前を聞いた途端、僕と柊真と、僕の過去が動き始めた…
「東京から転校してきました、《間宮綾子》です。皆さんこれからよろしくお願いします。」
一同から歓声が上がる中、僕は耳を疑った
間宮…綾子?
心臓の嫌な高鳴りと、冷たい汗が吹き出してくるのを感じた
「間宮は一番後ろの席だな、じゃあついてくれ」
頷いて歩いてゆくと、愁の前で足を止める
目を細めて、思い出したように手を叩いて笑顔をつくってみせる。
「あら!もしかして愁くん?お久しぶりですね〜♪」
「っ…」
「驚いてらっしゃる?それもそうですわね、あれからもう3年と半年程経ちましたし…」
「おい。」
間宮の背後から、机から立ち上がった柊真が低い声で話しかける
「あら、相河くんもお久しぶり。感動のさ」
遮って柊真が鋭い眼光で吐き捨てる
「愁に近寄るな、色魔女が。」
一瞬でクラスは凍りついてしまった
女子人気No.1、どんな女子にでも笑顔で優しく話すあの相河柊真が、初対面からこの態度、当然皆はこの対応だ。
「おい相河、間宮も席に着け。」
「は〜い」
「…」
美春には、何が起こっているのかまったく理解できなかった。
柊真くんがあんなこと言うなんて…知り合いなのかな?愁くんとも知り合いだし、あの女の子と2人の間に何が…?
ピリピリした雰囲気を残して、午前だけの二学期初日が終わった。
即座に愁のもとへ間宮が近付いた
「お話のついでに、学校案内してくれませんか?」
「あっ…あの…」
「それなら俺がしてやるよ、ついてこい」
「相河くんは怖いから嫌です、愁くんがいいです!」
「てめえ…」
だがここは柊真だ、相手が女子である限り手を挙げはしない。
ただただ、憎悪に満ちた目で間宮を睨んだ
「大丈夫だよ柊真、簡単に1周してくるから…」
「愁…」
「…たまには一人にしてよ。」
その一言に、柊真は目を緩めた
普通なら食い下がる場面だが、柊真は黙って机へ戻った
「お邪魔もいなくなりましたし、行きましょう♪」
案内するはずの愁が手を掴まれ、教室から連れ去られた
美春は咄嗟に柊真のもとへ向かうと、柊真の表情は殺気に満ちていた
「柊真くん…あの間宮さんって…?」
「…あいつは、小6まで俺らのとこにいて、卒業と同時に引っ越した。そして、愁をあんなにしちまったのは間違いなくあいつだ。」
「えっ……」
柊真から語られたのは、俄に信じ難い、そして残酷な4年前の3人に起きたトラブル
♡
真柴愁、11歳。
当時の彼は柊真の影に隠れてこそいたが、友達は多い方だった。
彼の暗い性格は生まれつきのようなものだったが、交友関係は広く、柊真を中心に幅広いクラスメイトと話をしていた
柊真の暴走を止める役割として、クラスにも馴染んでいた
そんな彼の人生を大きく狂わせたのは、一人の少女、間宮綾子の恋心からだった。
相手はもちろん、相河柊真
クラスの中心であり、小1から始めたサッカーで地元クラブのエース、おまけにルックスも申し分無い。
モテないわけが無かった。
クラスの女子の大半は柊真が好きで、間宮もその1人。
彼女はクラスの女子とあまり馬が合わず、浮き気味になっていたところを柊真は敏感に感じ取り、積極的に話すように
それが火に油を注ぎ、間宮はより孤独へと追いやられていった
そんなとき、相談相手になったのが柊真の親友にして、影こそあまり濃くないが周りから評判のいい愁だった。
真面目な彼は、小6女子の真剣な悩みに必死に答えを出そうと奔走していた。
その素直な優しさに、いつしか魅力を感じてしまったのだろう…
気付いたら彼女の興味は、愁へと変わっていた
「何で最近、柊真じゃなくて僕のこと聞くの?」
「それはぁ〜…なんとなく?」
「ふぅん…」
たくさん話すうちに、愁もまた心を開いてきていた
当時はまだ11歳だったが、大人びた容姿の持ち主で小学生とは思えない色気を放っていた
そんな彼女は、《愛のカタチ》について考えるようになった
どうやったら愁くんに好きだと伝えられるだろう…
なんて言えば愁くんに振り向いてもらえるだろう…
大人はどうやって、好きな人と過ごしているのだろう?
そう悩みをぶつけられた間宮の母は、冗談半分で答えた
「小学生なんだからそんな難しいこと考えなくていいの、チューでもしとけば?」
ニヤニヤと笑って間宮の顔を覗き込む
そうすれば、愁くんは分かってくれるだろうか?
気持ちを言葉で伝えるのは苦手
だから、そうすればいいんだよね…?
11月、愁の誕生日に間宮は2人きりになるよう呼んだ。
2人しかいない教室、聞こえるのは冷たい秋風が窓へ当たる音だけの静かな部屋
息を飲み、間宮は正直な気持ちを伝えた
「私…愁くんのことが好きです…。」
「…あ、え?だって間宮さんは柊真が…」
遮るように近付き、愁の肩を持つ
「え?」
「受け取ってください…」
愁は、何が起こったかも分からないまま、唇を交わした
彼女の唇は柔らかく、触れたことのない感触に戸惑う
まったく頭の中を整理できず、ただ現実だけがグルグルと掻き乱している
離れて間宮の顔が目の前に来ると、彼女は笑っていた
裏表のない、喜びに満ち溢れた表情だった
「何で…こんなこと…」
「うーん、愁くんに喜んで欲しかったのと、友達以上の関係になりたかったからです。」
世界が、音をたてて崩れてゆくような衝動に襲われ、胸が痛くなる
「入る…ぞ…?」
たまたま入ってきた柊真は、その様子を見た
「え?なになに?もしかしてこれから…?」
楽しそうに声を上げる柊真を見た愁の目は、何者にも形容できない絶望をあらわにしていた
「おい愁…どうし」
振り返り、走って教室をあとにする。
このあと柊真と間宮さんが何を話していたかは知らない
喜びなど微塵もなかった
残ったのは、計り知れない虚無感。
何で…なんで…?
友達じゃダメなの?
友達以上に何があるの?
もしもそれが苦しいのなら…
《友達なんて…いらない》
《恋なんてしたくない》
翌日、学校へ来なかった愁を心配した柊真は帰りに愁の家へ行った
2階の扉の前には、ご飯が置かれたままだった
「柊真か…来てくれたんだな」
「秋乃ちゃん…!」
秋乃もまた、心配そうな顔で部屋の扉を見つめる
「昨日の夜からああなんだ、柊真なら何か話すんじゃないかな…」
そう言って自分の部屋に戻ると、柊真は恐る恐るノックをした
「愁…俺だ」
「……ま」
「どうした?大丈夫か?」
「…友達なんて…いらない……」
計り知れぬ絶望に触れるが、柊真は親友のために、勇敢に立ち向かった
「何言ってんだよ、俺らは友達じゃねえ。親友だろ?それに、俺はお前が嫌だと言っても傍で支え続けてやる。絶対にな!」
ふざけているようで、真剣に、友達のために。
柊真の優しさに触れた愁の声はかすれていた
「じゃあ、柊真だけでいい……助けて…」
♡♡
話し終えると、再び教室に沈黙が訪れた
美春の目は涙で溢れていた…
「そんなことが…」
「何で美春ちゃんが泣くのさ。それに、これは俺達の問題だ、無理に入ってこなくていいんだぜ?」
「でも私…」
柊真は立ち上がって、優しい笑顔を美春へ向ける
「訂正する、入ってきちゃダメだ。」
「…」
「さてと、俺は仕事をしなくちゃな…」
「仕事?」
「ああ、いつものな…じゃあまた明日。」
カバンを担ぎ、背を向けて手を振って教室をあとにする
「ダメって言われても…」
「ここが音楽室、っていっても僕達はあまり使わないけどね。」
「そうですの、残念ですわ」
「あのさ…」
「はい?」
「腕組むの、やめてくれないかな?」
「あらすいません、つい♪」
目を逸らして窓の外を眺める
今の状況を見られたら殺られる…色んな人に
間宮は気にせず、楽しそうに僕のあとをついてきた
僕はこんなにも神経を尖らせているのに、彼女はまるで気にしていない
同じことをしたのに、何故彼女は平然としていられるのだろう…
「ところで愁くん?」
「はい?」
「好きな人でもできましたか?」
「ぶっ…」
疲れきった神経に、またも攻撃が加わる
ここでいないと言ったら、また狙われるかもしれない。かといって、いると言うと美春が危ない…気がする
それ程のことをやってのけそうな女だ、少しも気を抜いてはいけない
「いるよ…」
「まあ!どんな人ですの?」
「僕にはちょっと高嶺の花って感じの人かな…」
「あら、楽しそうな恋をしていますのね!」
「楽しい?」
「はい、それはもう♪」
僕にはいまいち理解できなかったけど、そういうものなのだろうか?
すると彼女は、僕の前へ躍り出て顔を覗き込む
「だって…こんなに楽しそうなお顔をしているんですもの!」
「…よく分かるね。」
「当然ですわ、私がどれだけ片想いしていたとお思いで?」
「…」
再び愁は目を逸らす
最後に見た彼女とはまるで別人
背が伸びて、黒い大きな瞳に当時黒くて短かった髪は茶色の長い髪へと変貌している
独特な色気と、妖艶な笑顔は健在だった
「今でも気持ちは、変わってませんよ?」
思わず間宮を見る
彼女は1歩近付き、顔の前までやってくる
「お返事を、聞かせてください」
♡♡♡
「お、帰ってきたか」
「柊真…」
家へ帰ると、リビングには柊真と…
「たまには一人にしてよ、ってそういう意味合いだろ?」
「よく分かってるね…でさ、何で美春までいるの?」
「「うっ…」」
耳と尻尾をたらし、苦笑を浮かべて愁へ向けた
愁は至って無表情だったが、悲しげにも見える…表情を変えぬまま向かいのソファへ腰掛けると、早速口を開く
「返事を聞かせてって…言われたよ。」
柊真は、意外にも冷静な表情で話を受け止めた
「やっぱそうくるか…で、なんて言った?」
「まだハッキリとした答えは出せない、って。」
美春はホッとして、小さくため息をつく
「お話、柊真くんから聞いたの…でも、何で断らないの?」
「…それは話せない。」
「どうして…」
「分かった、帰るよ美春ちゃん。」
「え、でも!」
言ってみたはいいが、留まる理由はどこにもない
静かに家を去ると、愁は部屋へ戻り、布団へ身を投げる
「僕は、どうしたいのかな……」