冬化け②
「いやあああああああああああああああ!」
その悲劇は、あまりに突然の出来事だった
決死の告白をして逃げ出した美春を追った少年は、運悪く通った自動車に撥ねられた
美春が慌てて抱き抱えると、愁はまったく動かなかった
「救急車!救急車を…」
「そんな…愁くん……」
柊真は瞬き一つせず、その場に膝から崩れ落ちた
「嘘…だろおい?そんな冗談ありかよ、キツすぎるぞ……」
運転手は状況が掴めないのか、車から降りずにただ呆然としていた
頭からは大量の出血、体がどんどん冷えていったことは、触れていた美春がよく分かっていた
「イヤ…死んじゃダメだよ!愁くん!!」
「……み…は…」
「愁くん?!お願い…いなくならないで!私の前で死なないで…また一緒に遊ぼう…また、一緒に…」
愁の震える手がそっと美春の頬に触れる
「ごめん…そ…わがま…は…無茶…」
「うっ…お願い…お願い…」
何とか…何とかしなくちゃ…
応急処置?いや、血を流しすぎてる
運ぼうとしても私にはできない
蘇生…なんてそんな…
「あっ……」
ふと思い出したように、口を開けたまま止まる
《あれ》を使えば、助けられる…!
でも、それは《禁呪》
使った者には重い、重い罰が与えられると教わった禁断の妖術だ
使い方は教わったことがあるけど、使う機会など無かった。できる保証などどこにもない
それでも、一つの可能性を信じて…
「絶対、助けるから…」
美春は目を瞑り、ゆっくりと、閉じかけていた愁の唇へキスをした
ぐっと力が入り、頭の中で唱えた
《生命の脈動》
「とにかく、愁は…!」
走り回っていた夏希が戻ってきて見たものは、愁と美春が口づけを交わし、その周りが弱くも明るく暖かい光を放っていた
「これは…?」
ついさっきまで荒れていた心臓の鼓動が、静まってゆくのが分かる
神秘的な光景に、脳はおろか心臓まで安らいだ
それと同時に、ぼんやりとだが美春の声が光の粒を通して聞こえてきた
『シュウクンガスキ…』
『シュウクンヲタスケタイ…』
「愁…生きてるのか?」
美春がそっと離れると、咄嗟に柊真が立ち上がって駆け寄る
傷口らしき箇所は見当たらず、真っ白だった顔色は徐々に赤みを取り戻してきている
「助かるのか?美春ちゃん」
「うん…もう大丈夫」
「はぁ……ったく、本当に世話がかかる…バカだ…」
愁を抱きしめて、声を殺して泣いた
周りが安堵に包まれる中、一つの鈴の音が頭の中に響いた
「なんだこれ?」
「やってしまいましたね、九尾の者よ。」
現れたのは、真っ黒な喪服を着た、頭に純白の布を被った人達が10数名
顔の見えないその人達は、人間かすらも怪しくなるほどの禍々しい雰囲気を放っていた
「…覚悟はしています。」
「ではおとなしく来てもらおう、人間共は…今回はほっといてやろう」
「おい美春ちゃん、こいつらは…?」
「高天原と現世の境界線を守る、いわば警察のような方々です。私は《禁呪》を使いました、当然のことでしょう…」
ああ、嫌だな
これでしばらく現世には来れないんだろうな…
また皆とお泊まりしたいな
また皆で買い物に行きたいな
また皆で海に行きたいな
皆に、誕生日お祝いしてほしかったな…
こみ上げてくる未練と後悔
否、後悔などしていない
大切な人の生命が守れたのなら、それでいいのだから
愁に指摘された辛そうな笑顔を浮かべて、愁へ集まる3人を見つめる
「美春…どこ行くんだよ…?」
「なっちゃん…今までありがとう、なっちゃんはいつも私の面倒を見てくれて、守ってくれて…本物のお姉ちゃんみたいだった。なっちゃんは…私のたった1人の、親友だよ」
「美春ちゃん…」
「柊真くんは、いつもへらへらしてて掴めない人だったけど、愁くんや私のためにいつも頑張って動いてくれてたよね…いつも私達を笑わせてくれた、大切な人…」
「九尾さん、やめなさい」
「綾子ちゃんは、すっごく尊敬してる。自分の好きな人にあんなに積極的になれるのはすごいと思う。それでも時折私の背中を押してくれたりして…とても頼もしかった。」
「やめろ美春!行かないでくれ!!」
夏希が美春の元へ駆け寄ろうとするが、黒喪服の集団に行く手を阻まれる
「くっそ!どけよ、美春を連れてくな!!」
「大丈夫だよ、私は…必ず帰ってくるから。それまで待ってて…お願い」
「……」
涙混じりの微笑みは、集団の乗っていた雲が眩い光に照らされてより輝いて見えた
そして、何か口を動かして見えたが、言葉は聞き取れなかった
集団と美春がこの場から消えると、時間が止まったように思考回路も止まった
目の前から、友達がいなくなった
この事実だけが、暗い夜の空気に残されていた
「愁が目ぇ覚ましたら、なんて言おう…」
♡
純白の着物を身につけ、手には妖術を阻む手錠が付けられた
だが、私に抵抗する力など残っていない
私の中では既に満身創痍だ
大好きな人は、まだ生きていられる
これから地上では、日常が始まる
私のいない、日常が始まる
これが今できる私の最善…
刑罰は、数年の謹慎処分及び現世へは出入り禁止と定められた
魂の抜けた肉塊は、部屋にぽつんと取り残され、ただぼんやりと時間を過ごしていた
そして、半年という時が過ぎた
あれ以来、私は笑顔を作っていない。正しく言えば、作れないと言うべきだ
大事な何かなど見い出せぬまま、ただただ時が過ぎ行くのを肌で感じるだけだった
心配した兄は何度も私を外出させようとしたが、私は拒んだ
「何なんだよお前、ついこの前まで元気が有り余っててうるさかったのに…」
「そうだっけ?」
「…人の食べ物は取るし、甘ったれるし…」
「…」
「…だから言ったじゃねえか、人間とは付き合うなって。」
辛い思いをするのは美春と、美春の想い人だけじゃ
父親に言われた一言が、鮮明に、何度も頭の中で反射し響き渡る
やっぱり、そうなのかな?
でも、やっぱり…
その夜、美春は1人こっそりと家を抜け出し、現世への門へと歩いていった
門が見えると同時に、あの頃の記憶が蘇ってきた
美春ちゃん!
美春!
美春と会えて、よかったよ。
いやだ…いやだ
まだ皆と一緒にいたい、皆と笑っていたい!
私の居場所へ、帰る!
「よし、決めた!」
そう叫んで踵を返し、家へ帰る
「どこ行ってたの美春?」
「ちょっと散歩!」
ドタドタと走って自分の部屋にある机へ向かうと、棚から一つのレターセットを取り出す
♡
重い瞼を開くと、真っ白な天井が映る
ここは…天国?
確か僕は、美春を追いかけて…車に…
「愁!愁が起きた!!」
大きな声とともに僕の体へのしかかる
「柊真…?」
「よかった…本当に……」
柊真の隣には母と秋乃が目と鼻を真っ赤にして泣いていた
そうか、ここは病院
生きてたんだ…僕…
止まっていた思考回路がゆっくりとスピードを上げ、最も大事なことを思い出す
「美春は…?大丈夫だった?」
「…」
その言葉に返事をするものは、その場に誰もいなかった
ただ、重く殴られたように俯くだけだった
「ねえ…美春は?まさか、僕への責任を感じて…」
「いいか、愁。」
柊真の顔が引き締まり、真剣な目つきで僕の瞳の奥を覗き込む
「美春ちゃんは…こう現世には来ないらしい」
再び、思考回路が止まった
カチコチと鳴り響いていた秒針が、電池が切れたように1ミリも動かない
「…そんな、冗談だよね…母さん、秋乃…?」
2人は僕と目を合わせてくれない、ただ泣き続けていた
「そんな…」
♡
年明け最初の学校
生徒達は当然のように登校し、各々の変化を探しあっている中、愁達3人だけは曇った表情を浮かべていた
美春のいた一番後ろの机は、いつの間にか無くなっている
面影すら残さず、美春はこの学校を去ったのだと改めて痛感させられた光景
あれから僕は、何をしても彼女を思い出してしまう
当たり前だと思っていた何気ない時間は、失って初めて気づいた
歌の歌詞なんかによく使われている、とても臨場感のない言葉だったが、今ではその意味が痛いほど分かった
昼休み、ぼーっと外を眺める僕の隣へ間宮綾子がやってきた
いつもの騒がしさは無く、ひどく落ち着いた顔だ
「珍しい、と思ってますか?」
「…君なら、チャンスだとか言いそうだと思ってたよ」
「張り合う相手がいないと面白くないですわ、それに…今のあなたは、とても見ていられません。」
間宮に言われるほど、僕は参ってしまっていたのか
「ごめん…いつまでも引きずっちゃうのは僕の性なんだ」
「知ってますわ。でも…早く元気になってくださいね?」
「ありがとう…間宮さん」
それでも気持ちが晴れることはなく、澄んだ空の下一人歩いて向かった先は、美春の神社
正月は人で溢れていたが今ではすっかり静かになっている
「いるわけ、ないよな…」
初めて美春に心を開いたテトラポットの上、皆で遊んだ海辺、花火を見た穴場、どこに行ってもあの姿は見えない
「君、高校生でしょ?今何時だと思ってるの?」
ふと警察に呼び止められ、ケータイの時計を確認する
23:24
学校が終わってから、こんなに時間が…
急いで家へ帰ると、すぐに母が走ってやってきた
「大丈夫愁?!全然帰ってこないから心配したんだよ?!」
「ごめん…ご飯はいらないから」
2階へ上がり、自分の部屋に鞄を置く
ここにいてもやはり、彼女の面影がある
ふと写真立てを見ると、そこには信じられない映像が映っていた
「そんな……」
そこには誕生日に撮った写真、皆が笑顔で写っている中、美春は幽霊のように写真から消えていた
「…いやだ…忘れたくない、消えてほしくない…戻ってきてくれよ、美春……」
膝を曲げ、床へ崩れ落ち、静かに涙を零した
1年後
もうすぐ高校三年生になる愁に特に変化は無く、今まで通りに日常を過ごしていた
たまたま、何となく神社の前を通ると一人の子供がぎこちなく走って僕の前へ立った
「ど、どうしたの?」
「これ、みーちゃんから!」
「え?」
それだけ言い、少年は神社の中へ走ってゆくと、煙のように姿を消した
手渡されたのは1通の手紙
差し出し人は、九尾美春
中には、丁寧な美春の字で綴られた文が羅列していた
読み終えた愁は、抑えきれない涙を手紙に零し、手紙を強く抱きしめた




