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付き合って。  作者: 紅葉
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05 濡れてるね

 映画の試写会のあの日から私と廣田さんは、恋人として『付き合う』こととなった。だからといって何が変わったと言うのだろう。


 私は相変わらずイベントサークルには籍を置くだけで、イベントはおろかクラブハウスにも顔を出していない。

 登校して講義を受けて大学の図書室に籠り、また講義を受けては永渕教授の研究室に入り浸る、そんな充実した毎日を送っていた。

 そう、私は児童文学論の永渕先生の研究室に入れてもらえたのだ。

 偶然、廣田さんも永渕教授のゼミ生だったことが分かり、学内で会えることが多くなった。

 でもまだあの日の『もっと凄い事をする』の凄い事が何かは教えられていない。まあ、耳年増な私のこと、実技経験はなくとも何の事だかは想像がつくのだけど。だからこそあんなに真っ赤になったのだし。


 そんな夏休みを一カ月ほど前にしたある日のことである。


 学生生協で買った冷えたパックコーヒーを飲みつつ、読書をしていた私に廣田さんが言った。


「来月サークルでキャンプに行くらしいんだけど、楓ちゃん俺と一緒に行かない?」

「キャンプですか……?」


 蚊をはじめ虫がいっぱいいるだろうな。テントも張ったことないし、野外の飯盒炊爨だって経験ない。走るの遅いからクマに追いかけられたら絶対襲われる。


「あまり乗り気じゃなさそうだね」


 廣田さんは私の顔色から何かを読みとったのだろう。


「はぁ、まぁ。だって、私体力ないですし」

「体力ってキャンプにどんなイメージを持っているんだろうね」


 前に座った廣田さんが頬杖をつきながら柔らかく微笑んだ。どこか面白そうに。


「こーんな大きいリュック背負って山を歩いたりするんでしょう?」


 こーんなの部分で身体の半分くらいを占めるおおきなおにぎり型を空間に描いた。

 廣田さんはますます可笑しそうに笑みを深める。


「まさか。4回生の先輩たちの車で行くオートキャンプだよ。山中行軍なんかしないしない。それに、キャンプ用品はほとんどサークルの部屋に代々使ってきたものがあるらしいから、個人で用意するのは寝袋くらいかな」


 寝袋も一応サークル部屋に幾つかはあるけど、女の子は誰が使ったか分からない寝袋は嫌でしょ? と付け加えて。


「せっかくだから一緒に行こう」


 うーん、あんまり興味ないんだけどな。


「満天の星空、湿度を含んだ夏の空気に梟の声」


 私は蛍光灯の下、冷房の効いた室内で読書の方が良いです。


「コーヒー片手にランタンの明かりで読書もいいね」


 暖かな灯に照らされながらの読書か、ロマンチックかもしれない。


「バーベキューしたり、近場の温泉にお風呂に行ったりもするよ」


 実は結構食いしん坊な私。屋外でバーベキューなんてしたことがない……。


「これから先輩に頼まれたのを買いにキャンプ用品の店に行くんだけど、一緒にこない?」


 どうしよう。読みかけの本をそのまま読んでいたい……。

 悩んでいる様子の私を見て、廣田さんが微笑む。


「楓ちゃんって今日はもう授業ないよね」


 あうう……毎週水曜日の2講目以降は図書室か研究室に籠っているのがばれている。


「前に『leaves』で楓ちゃんがガン見していた書店カフェでごはんしない? 今日は車だから連れていってあげられるよ?」


 本当に!?

 表情を窺うと廣田さんが小さく頷いた。


 『leaves』は、この辺のお洒落雑貨屋さんとか、カフェとか、ご飯屋さんなんかを紹介している隔週雑誌なのである。ムック本になるとつい買ってしまうのだが、普段は立ち読みで済ませている。

 廣田さんが言っているのは、この間本屋巡りをしたときに、私が思わず買おうか悩んだ号の『leaves』に載っていたお店で、書店の奥にカフェが併設されていて、買った本を読みながらお茶ができるだけのみならず、ごはんも食べられる。そこのハンバークプレートがスッゴク美味しそうで……生唾ごっくんものだったのだ。だけど、徒歩や電車ではちょっと行きにくい場所だったので、雑誌を買うのも諦めたんでした。


 ちゅるる~とパックコーヒーを急いで飲み干すと、ストローをくわえたままそれを畳み、ごみ箱に捨てた。本をトートバッグにしまって肩にかけた。


「お待たせしました」


 


◇◇◇


 大型ショッピングモールのなかにその店はあった。


 キャンプ用品専門というより、アウトドア、スポーツ用品の専門店といった方が良いのかな。

 私には今までとんと接点のなかったお店だから、なんだかどこを見ても面白い。


 廣田さんに無理矢理連れ出されてしまった私は、車に乗せられここにいる。


「廣田さん、車運転出来たんですね」


「もうハタチだからね。知ってる? 運転免許は18歳から取れるんだよ」


「……知ってます。あの車は、廣田さんのなんですか?」


「いや、まさか。俺、学生だし、一人暮らしだから」


 ふ~ん、じゃああの車は誰の?


 は!! まさか! 盗んだ車で学校に……いやアレはバイクだったか。しかし支配からの卒業はすでに済ませている。


「何を思い付いたのか知らないけど、多分違うよ。あれは親の。」


 大型のショッピングカートを押している廣田さんの少し後ろをキョロキョロとしながら付いていく。ここでは完全にアウェイ。借りてきた猫になってしまうのはどうしようもない。


 廣田さんは、炭と書かれている小さめの箱だのガスボンベのようなものだのをカートに放り込んでいく。


「買うのは消耗品だけだよ。テントやターブ、コンロはサークル部屋にあるから」


 小さなメモを片手に、軍手の10組パックをカートに入れる。ここでは何のお手伝いもできそうにない、すみません。


「楓ちゃんは、何色の寝袋買う? 夏場だから3シーズンもののでいいよ」


「私やっぱり……!!」


 あまり行きたくないな、と言いかけてソレを見付けた。

 こ、これは!!


「……着火MAN」


 赤いジャケットを着た襟足の長い髪に、耳にピアスを開けているイケメン男子のイラストが付いたパッケージ。

 これは着火用ライター!?

 彼の決め台詞は「お前の心にも火を付けてやる」


 へえ~、こんなの出てるんだ。


 裏を見れば、彼のプロフィールが。


 プロフィールデーター 火野恭介。

 黒髪、黒瞳、身長178センチ。

 燃えやすい性格で俺様キャラ。


 あ、他にもある。

 眼鏡をかけた優等生キャラ、年下犬系男子キャラ。

 なんてツボを押さえたラインナップ。

 しかし、しかし、あれがない!

 ここまできたらあのキャラがあるはずなのだ。

 ……あった!!

 青い立襟のシャツをはだけさせた色白金髪のおかっぱ男子! ふふ、なかなかやるな。

 さっそく裏を確認すれば、彼は焔 艶樹という名前らしい。

 フェミニストで人当たりはいいが、内に激しい熱を秘めている……。


 いいな、これ。この中では焔くんが好みだな。ヤンデレに成長しそうで期待値高い。


「君の身体、俺が火照らせてあげようか」


「うにゃーー!」


 正に心の中で読んでいた焔くんの決め台詞が、リアル音声になった驚きで3センチくらい飛び上がった。だって、耳の傍で囁くようにして聞こえるんだもん。


「これ、欲しいの?」


 廣田さんが背後から手元を覗き込むようにして立っていた。どきどきどきどき……。


「いえ、見ていただけですから」


 両手に持っていた着火MENを売り場のフックに戻す。

 うん、私には要らないものだ。

 すると、廣田さんは焔くんを手に取り、カートに入れた。

 ああ! そんな乱暴に……!


「いいよ、どうせ着火用ライターも買わなくちゃいけなかったんだ。焔くんには着火剤への着火に、蚊取り線香に、花火にって活躍してもらうから」


 でも、でも! こんなパッケージのを買って行ったら、廣田さんが笑い者にならないかしら。


 


◇◇◇



 結局、焔くんはキャンプ場でサークルのみなさんの人気者になった。

 パッケージから出され、ふつうに何処にでもある着火用ライターの姿になった今でも、着火の用がある時には「焔くん取って~」「はい、焔くんで~す」と呼ばれている。


 心配していたテント張りも、男の人たちが女子の分も設営してくれ、手を出す暇もなかった。

 その代わりといってはなんだが、現在私は簡易テーブルの上で他の女子サークル部員さんたちと野菜の皮を剥いている。お髭の先輩曰く、「キャンプと言ったらカレーだろ!」なのだそうです。そんなお髭の先輩、白いてぬぐいを頭に被ってなかなかワイルドなファッションです。


「澤野さんが参加するなんて、初めてだね」


 在りし日の友人が、疎遠になっていた月日もものともせずに話しかけてきてくれた。彼女はあの新歓コンパの日からサークル部員となり、かなり熱心にイベントに参加しているようだった。


「う、うん」


「で、で! あれ以来どうなってるの?」


 興味深々で訊ねてくる意味が分からない。

 焦れたように彼女は、手に包丁とジャガイモを持ったまま、肩を使って押してきた。所謂「もう、しらばっくれちゃって、このこの~」な感じで。


「あれ以来、とは?」


「新歓コンパの時に廣田先輩に迫られてたじゃない。あのあとなんにも進展ないの? 廣田先輩目当てでサークル入ったって女の子も多いのに誰も寄せ付けないってウ・ワ・サ♥」


 ほれ、あの辺。と彼女がアゴをしゃくる方を見れば、ピンクのTシャツにベージュのショートパンツを履いたかわいこちゃんと、ポ二―テールで水色のカットソーを着た美人系女子が、軍手を嵌めて先輩にこき使われている廣田さんをきゃあきゃあ言いながら見ていた。その手に持った玉ねぎの皮むきは進んでいない。


「ま、私はね、最初からしゅうくん目当てだけど♥」


 と恥じらいながらジャガイモの皮を剥く彼女が可愛く見えた。そして、あの夜、彼女が履修相談を持ちかけていた先輩が修くんという名前なのだと知った。

 なんとか野菜が切り終わり、紆余曲折を経てコンロにかけた大鍋で「誰が食べるんだ、これ」というくらい気持ち悪くなるほど大量のカレーができあがった。

 やっぱり私は大勢の人間とコミュニケーションを取るのが苦手なんだなぁと、カレーを付けたナンを咀嚼しながら思う。隣に座っていた唯一友人と呼べる彼女は、サークルに熱心に参加していただけあって、この場に馴染んでいる。色々なところから話しかけられて、話題が盛り上がるにつれ、隣に私がいたことを忘れていくだろう。

 彼女みたいに最初から、いやせめて廣田さんが「顔見せなよ」と言ってくれた時点で素直に行っていれば、少しは違ったんだろうか。いや、やっぱりどの時点で参加していたにしろ、私は会話に入れないうちに空気に、路傍の石に姿を変えていく。邪魔にはならないけど、存在感がないものに。

 そういえば、お髭の先輩以外に名前聞かれなかったな、と思いだす。新歓コンパに一度顔を見せただけの人間が名前と顔を覚えられているとは考えにくい。結局、そういうことなんだと腑に落ちた。

 せめて忘れられてこの場に置いて帰られないように気を付けようと心に決める。


 夜の帳が下り、ランタンに灯が灯された。


 近場の温泉は良かった。想像していたよりずっと普通の公衆浴場で、本当に温泉なのかと疑ったが、じっとりと肌にまとわりついていた汗を落とせてさっぱりした。置いて行かれまいと警戒しすぎてゆっくりと湯に浸かれなかったのは残念だったけど。


 私は読みかけの文庫を片手に場所を探した。

 

 サークル内にはすでにカップルになっている人達も多いのか、そういう人たちはオートキャンプ場の施設のあちこちに散らばって行った。もっとも夏休み中ということで他のキャンパーも数多く訪れており、その中には小学生や幼稚園児もいることから、滅多な声を出す行為には至らないとは思うが。いや、そう願いたい。

 私は無意識に廣田さんの姿を探してしまっていた。

 迷子の子どもが親を探すように、どうも心細くて仕方がない。

 一緒に行こうって誘ったくせに。廣田さんは先輩たちに掴まって、あれこれ用事を頼まれて走り回っていたから、実際あまり会話を交わせていなかった。


「誘ったくせに……」


 廣田さんが女の子に囲まれてきゃっきゃうふふしている姿を見せられるかもしれないと、少しは覚悟していたものの、それは杞憂に終わりそうだ。でも……。


 座れそうなどの場所にも誰かが座っていて、そのどのグループにも私が入る余地はなくて。入れて欲しいと言うだけの勇気が持てなくて。


 明かりから逃れるように歩いていくと、ふいに木の根っこに足をとられてすっ転んだ。ジンジンとする痛みをやり過ごしてから手をつき、ゆっくりと起き上がる。暗くて見えないが、服も膝も砂だらけかもしれない。ペタンと座り空を仰ぐと星が瞬いていた。

 都会では見られない、夜空いっぱいの星空がそこにあった。


 太陽系の惑星以外の目に見える星たちは、みな恒星なのだと聞いた。つまり、自分できらきらと光を放てる星なのだ。そして、その星の周りには自分では光れない地味な星がある。

 

「衛星は、光る星の周りでくるくると回りながら、羨ましくて仕方がありませんでした。光に照らされていないとき、自分がそこにあると教える術をもたないのですから……」


「それでも光る星には、衛星は必要な存在でした。いつもそばにいてくれる存在がどれだけ大切か、衛星が自分が大切な存在だということに気付いていないのを、光る星はずっと心配していました。……ってこれ、楓ちゃんのオリジナル?」


 足音も気付かず、ぺたんと地べたに座り込みながら空を見上げていた私の一人言の後に続いてストーリーを進めたのは、廣田さん。

 廣田さんは傍まで来ると、上半身を屈めて手を差し出してくれた。その手を握ると上へと引き上げられる。さっきまで惨めで寂しかった気持ちまで一緒に引き上げられた私はようやくその場に立ち上がった。


「ひとりで暗い場所にいたらダメだよ」


 優しい表情で注意されると、心配をかけたことへの申し訳なさよりも先に気持ちがふんわり暖かくなった。


「誘っておいて寂しい思いをさせてごめんね」


 顔を覗き込まれそうになって、慌てて俯いた。大きな手のひらが私の頬を包む。


「濡れてるね」


 濡れた頬を、まぶたを、ごつごつした長い指が拭っていく。


「そんな瞳で見られたら抱き締めたくなる」


 掠れた声で囁きながら、濡れたまぶたに廣田さんの唇が押し当てられた。


「楓ちゃん、さっきのおはなしで俺と一緒に絵本を作ろうか」


「えっ……」


「共同製作ってやつ。楓ちゃんがおはなしを作って、俺が絵を描く。どうかな?」


 私は廣田さんの周りをくるくる回る地味星。だけど、廣田さんの光に照されて明るく輝いても良いだろうか。たとえ何万光年先まで光が届かなくてもいい。

 光っている姿を廣田さんにだけ見てもらえたらそれでいい。









 


 

 


 









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