明日を紡ぐ
七 明日を紡ぐ
「こんにちは、課長おるか?」
玄関先で案内を請う声がする。話し方、声音、誰が聞いても近藤だということがすぐにわかる。
「近藤さんだね。亜矢、客間に通して。課長も早く立ってよ」
宮内の一声で皆が動き出した。
ここは吉村の自宅。宮内たち五人組は、夏の旅行以来足繁く出入りするようになり、正月三日目の今日も炬燵で無駄話に興じていた。台湾とは違うであろう日本の正月を体験させたいと亜矢が発案し、雪深い実家の正月を再現していたのである。
いつの間にか自宅が乗っ取られていることに吉村が気付いたが、家族のいない正月をすごさずにすむことをありがたく思った。それにしても宮内が一切を取り仕切り、他の娘たちも素直に従っている。主人である吉村にさえ、宮内はあれこれ指図していた。
その宮内の指示である。亜矢は玄関にすっ飛んでいった。
華やかなセーター姿の亜矢が玄関を開けると、パリッとした背広姿の近藤が立っていた。
「近藤班長、あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします」
てっきり吉村しかいないと思っていたのに、亜矢が現れたことを近藤は不思議そうに見ている。
「ああ、おめでとう。今年もよろしくな。だけど、なんでお前がおるんだ?」
「娘なんだから当たり前じゃないの。課長でしょ? あがって、遠慮いらないからあがって」
正月早々に何故呼ばれたのかわからず、近藤は妙な表情を浮かべていた。酒に縁のない男である、一人ぽっちの正月を慰めてくれるのだろうという程度の考えしかない。
「明けましておめでとう、今年もよろしくな。役人生活最後の正月くらい賑やかにしたくてな。まあなんだ、お屠蘇がわりのコーヒーで盛り上がろうよ」
狭い炬燵を詰め合って、ものの30分ほど冗談を言い合っただろうか。にわかに照れくさそうに吉村は客間に近藤を誘いこんだ。
「ところで、言い難いんだけど、退職前の一働きをしたいんだが、家庭をもつつもりはないか。いや、籍をどうこう考えなくていいんだ。相手は二人の子持ちなんだが、気性のさっぱりした働き者で、……実は隣に来てるんだ」
吉村は幾分声を落とした。
「課長、そればっかりは断わる。心配してくれるのはありがたいが、だめだ」
近藤は間髪をつげず吉村の申し出を断った。
「なんだ、誰か目当てがいるのか?」
「そうじゃない。そうじゃないが、いくらなんでもそれはできん。……俺にはその……」
「逃げられた女房と子供が忘れられんのだろ? 家族に会ったのか? 会おうとしたのか?」
「……」
「あー、苛々してくる。男らしさを見せろよ近藤班長!」
吉村が呆れたように吐き捨てたのと同時に隣から大声がして、襖が弾けるように開いた。
「この根性なし! まだ勝手なことをするのか!」
大粒の涙をこぼしながら近藤の妻と二人の娘がそこに立っていた。
「無断で悪かったけど、出会ってからのことを包み隠さず奥さんにも娘さんにも話したよ。きっと勇気が出ないというのは様子を見てれば判る。だからおせっかいをしてしまった。怒るのは後にして、話し合ってくれないか」
吉村はじっと近藤を見つめていた。
「……俺、とことん駄目な男だ。自分の不始末を他人様に……」
家族を凝視していた近藤は、やがてきつく目を閉じ、紅潮した顔を俯けた。
「こんにちは。課長、佐竹です。こんにちは」
小さく佐竹の声が聞こえてきた。
「まずい、佐竹さんが来た。そっちの部屋に隠れてろ」
吉村は、寝室に使っている部屋に彼らを追いやった。
「これが公務員の家か、大きな家やな。高級取りは違うなあ」
佐竹も亜矢の案内で客間に通された。普段と変わらぬ馬鹿話の合間に、鼻を啜る音が聞こえることを訝しんで佐竹がそっと理由を尋ねると、襖が細く開いて近藤が吉村を手招きしている。近藤が何故いるのか、何をしているのか知らない佐竹は、近藤が真っ赤な眼をしてしきりと啜り上げるのを呆然と見ていた。
「佐竹さん、課長が女房と娘に会わせてくれた。根性なしって叱られた」
近藤は、かろうじてそれだけ言うと大きな手の平で顔を覆った。
「さよか……。課長、そんなことしたったんかいな、そら、何よりの正月やないか。泣いたらええで、狛犬かて泣いたらええ」
まさに佐竹が近藤の肩に手をおいて満面の笑みを浮かべたその時、玄関で案内を乞う村井の声がした。玄関に行こうとする亜矢を台所に戻し、吉村が自ら応対に出て、短いやりとりの後で戻ってきた。
「みんな、明けましておめでとう。今年こそいい年にしような」
言いながら村井が通されてきた。玄関先で事情を知らされたようで、特に驚きもせず部屋を一瞥しただけで後に立つ女性を招きいれた。
「俺も客を案内したんだけど、罪作りだったかな」
『あいかわらず妙なことを言う奴っちゃ、正月早々、何言うんや』
何気なく振り返った佐竹のすぐ前に、忘れようのない女性が立っていた。
呆然と立ちつくす佐竹にその女性が一歩、二歩と歩み寄る。
「この、ど阿呆!」
そう言うなり、佐竹の横面を張り飛ばしていた。
「ことみ……」
佐竹は絶句していた。
「何してんのや、あんたは。あんたは……」
叩いた手を左手でおし包むようにして女性はそれ以上の言葉を失った。
「佐竹さん、俺にならいくら怒ってもいいから奥さんと話し合ってくれないか。そろそろ自分のしでかしたことを清算すべきじゃないか」
村井はしんみりとした声でゆっくりと佐竹を諭した。
「ええと、これでは居場所に困るから、佐竹さんは洋室を使ってくれ。近藤さんはこの部屋を使ってくれ。正月だから炬燵がないと落ち着かんのでな。若いのも台所では辛いだろうから」
「忘れてた! 皆でつつこうと思ってすき焼きの材料を持ってきたんだった」
村井のとぼけたもの言いがわずかな救いである。
すき焼きがグツグツ煮え始める頃になり、ようやく気の決まった佐竹と近藤の表情がすっかり柔らかくなっている。
「奥さん、私の話嘘じゃないでしょ? でも良かった、会って話し合うことができた。この先は自分達で考えるんだぞ、もう口出ししないからな」
吉村が何を話したのかはわからないが、近藤の妻はしきりと頷いた。
「かんにんや。わしな、自分でどうにもできんかった。いっつもそうや。しやけど、いつの間にそんな話してくれてたんや?」
これが二度目である。村井は佐竹が頼んでいないのに二度も救ってくれた。それに甘んじてよいのか、佐竹は自分を恥じていた。
「あんさんの知らんとこで動いてくれたはったんやないか。なんべん京都に来てくれはったか知っとおいやすか?」
「京都へ行ってくれたんか?」
「手紙ももろたし、電話ももろた。あんさんが働いてるとこビデオに撮って送ってくれはったんで」
「うちももらいましたよ」
「そないなことしてくれてたんか。村井はん、おおきに。おおきに……」
膝にのせた手を震えるほど握って、佐竹が深く頭を下げた。
「よせよ。義兄弟の盃交した仲じゃないかよ。そんなことはいいから、もう壊すなよ」
村井は悪戯坊主そのままに晴れ晴れと笑うばかりである。
「そんなことしたのか、子供みたいな奴等だな」
吉村は、彼らが義兄弟に契りを結んだことを始めて知った。
「このお人は心配事があっても自分で背負い込む悪い癖がおましてなぁ、誰にも相談せんとどんどん内向きになるんどす。考えてみれば相談する相手がいてへんかったのかもしれまへんなあ。しやけど、京都にいた時とは顔つきが違うてます。剣も取れて、なんや柔うなってます。ええお友達ができたんどすな。こんなら大丈夫やろう。春になって、新学期が始まる時やったら子供にも都合がえぇやろう。あても名古屋に来ることにします。家中でお世話になりますよって、よろしゅうおたのみ申します」
「そうか! 佐竹んとこも名古屋に来るか。よかったなぁ、おい。 奥さん、今更嫌だって言うなよ、死ぬまでの付き合いだからな」
「はいはい、湿っぽいこと言わないの。いつもの空元気みせなさいよ。なんなら喧嘩売ってあげようか?」
涙話はそのくらいでいいだろう。それは当人同士のこと。せっかく皆が顔を揃えたのだから賑やかにしよう。宮内はそう思った。
「今日は遠慮する」
「ワシも」
「そうなの。……つまらん」
誰が肉を盗ったの、野菜が少ないのと賑やかに食べていると玄関先で声がした。
「亜矢、見てきなさいよ」
「そんなこと言って、あたしがいない間に肉を食べようとしてるでしょ」
「そんなイジマシイこと言わないの。職場じゃないんだよ、恥ずかしいじゃないの。ちゃんと取っといてあげるから行ってきなさい」
「木村班長が来たよ。女の人連れてる」
玄関に出た亜矢が吉村を呼んでいる。
「誰とは言わなかったのか?」
「お父さん呼んでくれって」
「新年おめでとう、今年もよろしくな。そちらは? 奥さんだと! ……そうか、奥さんか。とにかく玄関先では話ができん。ちょうど近藤さんと佐竹さんも来てるんだ。すき焼き食べてるとこなんだよ。何でもいいから上がれ。にえきらん奴だな、あいかわらず。業務命令だ、あがって一緒に食べて行け」
吉村は動転した。いくら手紙をだしても連絡がとれなかった木村の妻が玄関先に建っているのである。しかも木村と連れ立って。
動転するなというほうが無茶というものだろう。
吉村に脅されるようにして、木村が皆の前に姿を現した。
「座れよ。でっかい図体してるくせに気が小さいんだから。奥さんも遠慮せずに座って下さいよ、見ての通り、がさつな者の寄り合いだから、妙に遠慮されると箸が止まってしまう」
「じゃあ遠慮なく」
部屋の隅に正座するなり、
「課長、女房から聞きました。家族を元通りになるように骨折ってくれていたそうで、何も知らなかった。ありがとうございます」
いきなり両手をついて畳に頭をこすりつけた。
「佐竹さん、あんたの励ましで女房と話し合う勇気がもてた。あんたが励ましてくれなかったらいつまでも一人ぽっちだった。ありがとう、ありがとう」
「やめんかい、せっかくの料理が喉通らんやないか。うまいこといったんやったらそれでええ。近藤はんとこもワシとこも仲直りできたんや、めでたい正月やないか」
「木村さん! 大の男がメソメソしないの。丹梅だって我慢したんだよ、横で見てたでしょ? 今日はアタシの味付けなんだからね、次はいつ食べられるかわからないよ。先に食べて、それから話せばいいから。仲居さん、御願いね」
丹梅がいそいそと箸の用意をする。
「みんながこう言ってるんだ、先に食えよ」
器にとられた料理に箸をつけずうなだれている木村に近藤も声をかけるが、その声が聞こえないかのように木村が話し始めた。
「今まで黙っていたけど、……前科もちなんだ俺。すごくいい仲間に囲まれて働くのを捨てられなくて今まで言えなかった。だけど、こんなに俺のことを心配してくれる人に嘘をつきたくない。俺の話を聞いて、ここに残してくれるか決めてほしい。
俺は大学を出て熊本で高校の教師をしてた。学生相手に怒ったり笑ったりしてた。
大学の後輩と結婚して息子ができたのが三十歳の時だった。可愛くて可愛くて、どんな青年になるのかいろんな夢を描いていたよ。俺と違って小柄でな、運動が得意な子だった。運動会のビデオを見るのが嬉しくてな。小学校の五年生になった時だった。妙に転ぶことが多くなって、病院で診てもらったら病気だというのがわかったんだ。小児性の白血病だった。このままではいけないということで入院生活が始まったんだ。骨髄移植をすれば直る可能性があるというので親戚や友人にもたのんで型が合うか調べてもらったよ。けど、見つからなかった。病院での生活が長くなって、薬もけっこう高くてな。借金したさ。親からも、女房の親からも。銀行からも借りた……。それでも追いつかなくて、気が付いたら生徒の修学旅行の積立金に手をつけていた。そんなことをしたらだめだ。理性ではわかっていたけど、自分に強さがなかったんだな。監査の時に申し出て、横領で逮捕された。手をつけた分は俺の親と女房の親が返済してくれたらしい。だけど、いくら返済したとはいえ、罪は罪だ。三年間の懲役だった。
刑務所入って一年後に息子が先立った。自分の馬鹿さ加減を恨んだよ、最後まで父親でいてやれなかった。送ってやることすらできなかったんだからな。それから希望がなくなってしまって、離婚届けを女房に送って……。女房の気持ちを思いやる余裕もなくしてたんだ。だから、満期釈放を選んだよ。帰住先を書けと言われても書く先がないんだ。そりゃあ親元にたのむことができたかもしれないけど、迷惑かけるのがわかってたしな。でも、それではだめだということで更正保護施設への帰住ということになって、三ヶ月の仮釈をもらって社会に戻ってきた。だけどな、金なんてほとんど持っていないし、それに働くところもない。教員免許は剥奪されたからな。でも、なんとかして生きなきゃいけないから土方仕事をするしかなかった。結局、半年間施設でお世話になったけどいつまでも居座ることはできん。土方で貯めた金を握って名古屋に出てきたんだ。名古屋が一番仕事があるって聞いたから。だけど厳しかった。日雇いすらままならない日が続いて、虎の子が猫の子になり、オケラになってしまった。あとは想像してもらえるだろ?
去年の九月だったか、佐竹と家族の話をしてたら背中を殴られて。まだ自分勝手なことをしていると気付かせてくれた」
「もう十分聞いた。もうえぇやないか、そんくらいにしとかんかいな」
「で、どうしたらいい? このままよその町に行こうか。……やっぱりそうしたほうがいいよな」
「殴ってほしいんか、この意気地なし!」
「木村さんはどんな返事がほしいの? アタシなんか意地っ張りだから気持ちと反対のことを言うのがしょっちゅうなんだけど、木村さんの本心は? 今のだと追い出してほしいって聞こえるんだけど、そうなの? それで何をしたいの? 納得できる考えだったら賛成してあげる。どう?」
「他の町に行ってひっそり暮らすよ」
「他の町に行くんだ。友達がいなくてもかまわないと思ってるんだ。ニヒルな男ってやつだね。それもいいかもしれないね。でも、それでお荷物を解消できると思う?」
「お荷物って。……秘密にしておけばいい」
「そうか、秘密にしておけばいいのか。けどさ、自分に秘密にしておける? 死ぬまで付き合わされるんじゃないかな」
「それでも、仲間に迷惑かけるよりはいいと思う……」
「仲間に迷惑かけるのが嫌なんだ。そうなんだ……。木村さんもけっこう意地っ張りなんだね、安心した。ちょっとアタシの考え言うけどごめんね。木村さん勘違いしてないかな、アタシたちどんなつながりだった? 昔のことなんか関係なしだったよね。一緒にご飯食べて一緒に風呂に入って、一緒に枕並べてきた家族なんでしょ? 近藤さんじゃなくても怒ると思うな。木村さんがいなかったら救援課はどうなるの? 誰が仏さんを掘り出してくれるの? 救援課にはいなくてかまわない人なんていないよ。絶対あたしの片腕になってもらうんだから覚悟してよね」
「それ言うんやったらおせぇたる。ある所に設計事務所をかまえて羽振りのえぇ男がいたんや。ちょうどバブルの絶頂でごっつう稼いで贅沢も覚えたんやけど、泡がはじけて仕事が無うなった。あん時使わんと残してあったら……。なんぼ後悔しても元に戻るもんかいな。よくよく阿呆な奴でな、いっぺん覚えた贅沢をよう忘れよらん。阿呆も極まれりっちゅうやっちゃ。そいつ、どないしよったと思う? 借金しよってん。家や事務所はローンが残ってて売ったら損すると考えたんやな。仮に売ろうとしてもおいそれとは買い手がつかんし、いつ銭になるやらさっぱりわからん。銀行・カードローン、返すあてなんかあらへん。破れかぶれになってたんやな。借金取りに追われる毎日でな、家族を気遣う余裕なんぞなくしてもうて、借金取りから逃げたい一心で蒸発しよったんや。残された家族は怒るわな、殺したいと思うてもしゃあない。そんなど阿呆がいてんにゃ。そいつを面倒みてくれて、家族とよりを戻そうとしてくれたお人がいたはる。ここまで言うたら意味わかるやろ? 自分だけちゃうで、哀しいこと言いな。お前も近藤も死ぬまで仲間やないか」
「もういいだろ? 気が済んだだろ? 言い足りないかもしれんが十分伝わってるよ。そんなことより佐竹さん、よく背中を押してやってくれたな、ありがとう。俺からも礼を言わせてもらうよ。木村さんの家に連絡をとろうとしたんだけど、あれは親元なのか? 本籍地に転送してもらうよう何度も手紙を書いたけど返事がなくてな、そういうことを拒んでいるんだろうと諦めてたんだ。そうか、高校の教師だったのか。だから入庁式であんなに長く話しかけてたんだな。やっと納得したよ」
「あの時は勝手にああなっただけで。……息子が重なったのかもしれんな」
「そうか、重い荷物を背負ってたわけか。まあいいじゃないか、定期預金にでもして預けてしまえ。忘れさえしなけりゃいいさ」
「すき焼き、汁がなくなった」
丹梅が遠慮がちに呟いた。
「えっ? 本当だ、どうすんのよ。種播いたの木村さんだからね、佐竹さんも引っ張るから悪いんだよ」
「お前かて引っ張ったやないか」
「アタシは……。とにかく全部食べてもらうからね。仲居さん、水と調味料おねがい。タレントさんは肉と野菜。ドアガール、お客さんにお飲み物よ」
「若女将は?」
「決まってるじゃない、おもてなし専属よ」
「なあ課長、えぇ娘ができてよかったな、陽気な娘ばかりやないか。凶暴なのもおるけどな」
「俺の娘とも仲良くしてやってくれるか? ちょうど同じ年頃だ、ちょっと引っ込み思案で心配なんだ」
「若手四人も内気なの。このまえ辞書読んでたら、あたしみたいなのを世間ではおしとやかというらしいね。春になったらお雪も来るし、下級生も集まるんだから賑やかにやろうよ」
「亜矢! 無駄口たたいてないで働きなさい! さぼったら食事抜きだよ!」
「またあれだ、犬じゃないんだからね」
「誰だった? お座りしちゃったの」
「お座り?」
「村井さんに合図されてお座りしちゃったの、なさけない」
「いつや?」
「秋田で面接会の前の晩。泣きたくなったよ」
「そうか、おもろいやないか」
「佐竹さん、呑気なこと言わないでくれる。四人ともやっちゃったんだよ、恥ずかしい」
「自分だって固まってたじゃないか、似たようなもんだ」
「うるさい! まったく、なんて正月なのよ」
鍋がグツグツ煮えはじめると
「では僭越ですが、音頭をとらせてもらいます。
みんな箸もってくれる? 家族固めのすき焼きだよ、残したらこの宮内が追い出すからね」
まだいくらか重い雰囲気を引き摺ったまま食事が始まった。
「ちょっと聞きたいんだけど、いいかな?」
木村が宮内に向き直っている。
「なに?」
「おまえの話し方なんだけど、誰かに習ったのか?」
「話し方? そんなこと考えたことないよ。どうして?」
「さっきもそうだったし、訓練の仕方を教えてる時もそうなんだけど、いつも聞き返すだろ? 頭ごなしに決め付けないで考えさせてるだろ? どうしてかなと思って」
「そうだよ、お姉ちゃんの教え方は他の人と違ってる。困ったと言えば、困ったの? 何に困ったの? こうしようかなと言うと、こうしたいの? どうしてそう思うの? そうしたらどうなると思う? いつもこんな調子なんだよね」
「そうそう。こうしろ! じゃなくて、理由を言わされて結果の予想をさせられるよね。あれズルイと思うな」
「あたし観察してたもんね。お姉ちゃんね、絶対に先に指示をしないで、相手に決めさせてるよ。右か左かって迫ることもしないよ。答えをだすとね、どうしてそう考えた? その方法だとどうなると思う? 違う答えをだすと、どうして考えを変えた? さっきの考えと何が違う? さんざん考えさせられるの。どんな答えをだしても、百点満点なんてありえないから不安なことを知っておけって。どんなトンマな答えでもヒントがあるはずだって。でね、自分の考えでやってるつもりなんだけど手の平の上で踊らされちゃってる。結局思うように誘導してるみたい。亜矢みたいに突っかかるのは操縦しやすいみたいだよ。逆に、丹梅みたいに全面的に信用されるとかえってやりにくいみたいね」
「みちるは性格直したほうがいいよ、あたしを観察してどうすんのよ。たしかに亜矢は小次郎より操りやすいよね、素直だから」
「だから、誰かに話し方を習ったのか、それとも身近にそういう人がいるのかと思ってな」
「親は違ってたよ、ガミガミ言う方だったから。先生も違うし課長も違う。あとよく話した人といえば……、師匠と村井さんかな? だけど、師匠は無口だし、そういえば村井さんもよく聞き返しているね。そうだよ、いろんな話をしているうちにうつっちゃったんだよ。でも何で?」
「そうか、村井さんか……。あんた、そうなのか?」
はっとしたように見つめられ、村井はキョトンとした顔をしてみせた。
「俺がそっち系? ばか言うなよ、ただのカジヤだよ」
大笑いで否定してみせた。
「それで? あたしの教え方では落第かな?」
「いいと思う。ただ教えるんじゃなくて考えさせるんだからな。そうか、村井さんか……」
「ところで、どうです、私たちの雰囲気。これがそのまま職場の雰囲気なんですよ」
木村の妻に話しかけた。
「あのう、申し訳ないのですが誰がだれやら」
「紹介するの忘れてたな」
「課長、ワシが紹介するわ。
救援課の吉村課長。最高責任者や、もうじき定年らしいけどな。こっちが近藤はん、鳶の責任者や。鳶だけあってな、高い所へ登りたがる」
「俺は馬鹿か」
「洒落やがな。ほんで、奥さんと娘さんか? 近藤はんに似んでよかったな、似たら最悪やで。こっちが土木の責任者やってる木村はんや。墓掘りの名人や」
「墓掘りって、俺は埋まった人を掘り出してるんだぞ」
「ほな、墓あばきか。洒落やないか、怒ったらあかんがな。水抜きの溝や便所の穴掘らせたらうまいもんや。それと木村はんの奥さん。この口うるさいのが宮内係長、犬の訓練士や。ほいで言葉の怪しいのが丹梅。テレビに映ってた奴や、そう、台湾のな。そこに並んでいるんが実習生や。亜矢、奈緒、みちる。いつも名前で呼ばれてるさかい苗字を無くしてしもうたかわいそうな奴らや。
もう一人、蛍カジヤの村井はん。この人は部外者やけど、今こうして話ができる大元の縁を取り持ってくれたお人や。村井はんが何もせなんだら災害救援課は産まれてへん。他に、林はんいう元営業マンも義兄弟なんやで。最後に、ものしずかな佐竹と嫁はん。これでわかるやろ?」
「係長って、その若さで?」
「せや、この若さで係長や。性格が祟ってるんやろうな、浮いた話の一つもない哀れな奴ちゃ。課長の定年が目の前に迫ってるよって、近い将来に課長に昇進するんやで。ますます恋愛が遠のくわな。生涯独身かもしれん、かわいそうに」
「なあ佐竹さん、たのむからもう少し働かせてくれよ。やっぱりこうなっちゃうんだ。俺が紹介すればよかった。だけど楽しい正月だな、家族がどんどん増えて。
救援課の職員な、それぞれ一本ずつ糸を持ってるんだよ。その糸を紡いで丈夫な紐にするのが俺の夢なんだ。人が増えて紐が太くなって、その紐をどうすると思う? 明日に括りつけて引き寄せてやりたい。だからな、全員の家族を再生したいんだ。柄に合わんかな?」
「慌ててもだめだよ、ゆっくりやろうよ」
「いや、やるんやったら早いほうがえぇ。時がたつと傷が膿んできよるさかいな。休みの間に寄って相談せぇへんか、わしもしっかり働くさかい」
佐竹は吉村を見つめてそう言った。
「俺も手伝うぞ。野宿から拾ってもらって、家族を結んでもらって、二回も助けてもらったのに知らん顔できるか。男が廃るわ。お前も手伝えよ」
佐竹の言葉を待っていたかのように近藤が続き、木村の方を叩いた。
「俺も、俺も協力する。もうやめだ、自分を殺すなんて」
自分を押し殺していた荷物から解放されたのか、すっきりした表情の木村がいた。
「決めた! 俺、ここに骨埋める。知ってる限り教えてやる」
竹を割ったような性格の近藤も晴々としている。
「せやな、こんなことされたら我侭言われへんなあ。若女将もりたてて課長にするか」
佐竹は、今の仲間となら何でもできそうな気がしていた。
「俺は……、課長の墓穴でも掘るか。課長を埋めたら墓守をしてやる」
木村のとぼけた冗談が皆の笑いをさそった。
「そうしたり。絶対出られんような深―い穴掘ったり」
穏やかに聞き役に徹していた村井が突然タバコの箱を取り出して一本抜くと、佐竹が、そして近藤が一本ずつ抜いた。
「あんたも取れよ」
村井に促されて吉村も真似をした。
「木村さんも一本取れ、吸わなくてもいいから。これは大事な儀式だ」
近藤に促されるまま木村も一本抜いた。
「救援課をこしらえた時に、この蛍カジヤが誘ってくれたんだ。放っといてもいいのによう。初めは何を言ってるのか、からかわれたと思ったんだがな、赤の他人の心配してくれる奴がいて、俺たち嬉しくてな」
あの日のことを思い出したのか、近藤の目から大きな涙が一粒こぼれた。
「せや、あんな嬉しいことなかったわ。まわりはみいんな外人ばっかりやった。見てくれや看板で物いいよる。村井はんだけやったわ、人として付き合ってくれたん。なあ木村はん、わいら三人、互いを呼び捨てにせんのは、兄弟分やからや。けどな、村井はんは別格や、どう転んだかてかなわん。せやから悪態ついたんねん」
指にはさんだタバコを弄びながら、湿った声で佐竹があとを引き継いだ。
「いやな奴らだね、正月早々湿っぽくしやがって。お前達喋るのをやめろよ。課長も木村さんも取ったか、火をつけるぞ。これが固めの盃だ。課長も木村さんも今日から兄弟だ。仲良うしたってや」
佐竹は何度も救ってくれた村井をじっと見つめた。
「課長はんえぇこと言わはるなぁ。みんなの持ってる糸を紡いで明日を引っ張り寄せるやなんて、うちのお人が惚れこむはずや。せやからこないな別嬪の娘はんが寄ってくるんやな」
「若女将、佐竹班長の奥さんに飲み物をお勧めしてよ」
「何なの、突然」
「本物の京都弁で別嬪さんって言ってくれた」
「馬鹿だね亜矢は、お世辞にきまってるじゃない」
「ところで、家の人はお出かけか? 留守中にこんなことしてていいのか?」
「家族? 全員揃ってるけど、どうして?」
いつになっても家族が姿を見せないことが不思議になり、近藤が吉村に尋ねた。
「おるんなら挨拶くらいせんとな、ちょっと呼んでくれんか」
「だから全員ここに揃ってるって」
言っている意味が理解できないのかと、吉村はおかしくなった。
「せやのうて、奥さんやらお子さんいてるやろ?」
冷静な佐竹ですら現状を把握できないようだ。
「やめろよ、お子さんなんて慣れん言葉使おうとするから舌がもつれてるじゃないか。女房と娘だろ? ここにいるよ」
「やっぱり定年が近づくといろんな障害がでるもんだな……。それとも何か? 大福が奥さんで、他が娘だとでも……。まさかな、そこまで助平でもなさそうだし」
「当たり前だ! おかしいのはそっちだよ。俺と話すのに俺以外は見えないのか?」
近藤の的外れな言葉に呆れた吉村がヒントをだした。
「課長以外と言うたかて……、身内しかいてへんし、他に目につくゆうたら箪笥に仏壇くらいか……。なんや、仏はんにならはったんか? あかんがな、うっかりしすぎやがな」
ぶつぶつ呟いて見回していた佐竹が小さな仏壇に気付き、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「だから揃ってるって言ったじゃないか、どっかその辺で大笑いしてるはずだ。救援課の話が持ち上がる二年前に交通事故で一度に。その頃部長をしてたんだけど、仕事に身が入らなくなって腑抜け状態が続いていたのを市長が抜擢してくれたんだ」
「抜擢って、部長から課長だろ、格下げじゃないか。市長もつめたい奴なんだな」
「そう興奮するなよ。その人事のおかげで今があるんだから」
「そりゃあそうだけど、ちょっとなあ」
いきりたった近藤を木村が落ち着かせようとし、それでも納得しきれない近藤である。
「木村さんの言うとおりだよ。そのおかげで役所以外の者と働けるようになったんだし、いろんな考え方を教えてもらった。だから女房と娘のことも受け止められるようになったんだ。 それにな、確かに格下げだけど上司がいないんだ。いらん気を遣うこともないし、指示を待つ必要も許可を得る必要もない。それに丈夫になった」
信号機のように感情をはっきり表現する近藤を吉村は好ましく思う。
「そういうことやったんか。せやからこいつらの親代わりをしてるんやな? わからんのは丹梅や。なんでそんなに懐くんや?」
「近藤さんは風呂を作ってくれた。風呂の係を任せてくれた。大福は壊れた家で家族を探すのを見守ってくれた。服をくれた。佐竹さんはもらった服に最初に名前を書いてくれた。子供の傷の手当てをしているとき、優しそうな顔をしてた。そういう人に囲まれていたから一人ぽっちにならなかった」
訝しげな佐竹の疑問に、丹梅が頬を染めて答えた。
「だったら俺の娘でもあるのか?」
「アホか! そんなんでいちいち親子にされたら世の中ワイワイやないか」
すかさず発した近藤の一言を、佐竹は無残にはねつける。
「佐竹さん間違ってる。私が日本に来たのは皆さんを信用したから、好きだったから。でも、他の人達が信用できなかったら台湾に帰ってた。ここの生活は寂しくない、みんなが家族に思える。だから、おじさんかな?」
つたない言葉のせいで本心が伝わっていないと思ったのか、慌てて丹梅が佐竹の考えを訂正した。
「ほんで? 若女将は妹につきあってここで正月かいな?」
ついで佐竹は宮内に鉾先を向けた。
「他に行くとこないもん。親はいないし、一人っ子だし。家族はこれだけ」
まるで世間話のような気軽さで宮内が答えた。
「親と喧嘩してるのか? さては不良だったんだろう。いいぞ、大目にみてやるから」
その気軽さにつられて近藤が冗談を言った。
「大福の親は高校生の時に揃って旅立ったそうだ、この暮れに始めて知ったよ。二十歳そこそこのお姉ちゃんが懸命に生きようとしてたんだよ。誰の紹介もなしで市長に談判に来たんだ、相手が根負けするまで何回もな。俺な、自分が情けなかったよ、大福に負けてるんだから。でも何だな、女ってしたたかな生き物だな」
吉村は初めてその事実を口にした。
「そうだったのか……。それで向こうっ気が強くなったのか……。そうでなきゃ生きられんかったんだな。そうか、……辛い人生だったんだろうな」
ついつられて場違いな冗談を言ったことを近藤は恥ずかしく思った。
「だから、近藤さんも佐竹さんも間違っていないよ、生きてたんだから。丹梅や課長やアタシみたいに、どんなに努力しても修復できない家族もあるんだから、ちゃんと生きてただけでも偉いと思うよ。煙になったら何もできないんだから」
一同の当惑とは裏腹に、宮内の口調は普段とかわらない。
「えらいこと言わせてしもうたな、かんにんやで」
「とんだ正月にしちまってすまんな。だいたい木村さんがグズグズ言うからいかんのだぞ」
佐竹も近藤も嫌な思いをさせたことを悔やんでいた。
「みんな理解力ないね、一人ぽっちになったおかげで新しい家族をもらえたんじゃない。悪く考える癖、直したほうがいいよ。今日だって可愛い従姉妹を二人ももらった。人生、前向きに歩こうよ」
「な、いいおっさんがお姉ちゃんに諭されて情けないだろ、男って子供だな」
今日は近藤と佐竹の家族を仲直りさせることが目的だったのに、木村の家族も関係を取り戻すことができた。加えて、宮内と仲間との距離も縮めることになった。彼らの率直さこそが財産だと、吉村はあらためて思ったのである。
「根性の据わった娘さんだね、あんたなんかじゃ足元にもおよばんわ」
「ほんま、芯の強いお人や。この歳で係長になるゆうのも当たり前やわ。あんさんら、しっかりおしやす!」
近藤も佐竹も、それぞれ女房に叱られ、シュンとしていた。
「ところで兄弟、折り入って相談があるんだけど聞いてくれるかな」
急に居ずまいを正した村井が真顔で吉村に言った。
「何だよ、急に真面目になるなよ」
「いや、真面目な話だ。とびっきり無茶な相談だ」
「なんだよ、とりあえず言ってみろよ」
「あんた、家族をもたないか。いや、再婚なんか勧めないよ。実は、奥さんや娘さんも許してくれるような人がいるんだ。考えてくれないか」
「いまさら家族なんていらないよ。動けなくなったら施設の世話になるから」
「そうか、そうだよな。空元気がなきゃ男じゃないよな」
暫く俯いて考えていた村井が宮内に向き直った。
「犬使い、お前吉村を名乗るつもりはないか?」
「どういうこと?」
「吉村真琴。つまり、課長の養女にならないかと聞いている。丸四年、事あるたびに見てきたけど、お前達なら親子になれる。何か揉め事がおきたら、こうして頼れる叔父や叔母もいる。即答しろなんて言わないから真面目に考えたらどうだ。もう一人。丹梅、お前も娘になったらどうだ。いずれ台湾に帰るだろうが、勤めを果したら戻ってこないか?」
村井はこれまでにない優しい表情になり、そっと丹梅の頭をポンポン叩いた。
そのとたん、丹梅の眼から大粒の涙が溢れ出た。
言葉に困った宮内が丹梅の背中をさすってやると、我慢しきれなくなったのか、激しく頷きながら丹梅は宮内にすがりついた。
「見たか兄弟。まず自分の紐を出せ。犬使いと丹梅の紐を結べ。それを芯にするんだ」
そこまで言って村井は席を立った。
三月中旬。市職員の人事異動にあわせて実習生の配属が決まり、簿記のできる奈緒が営業に配属され、冷静なみちるは佐竹の下で働くことになった。
亜矢は、辞令をもらった翌日から犬を模ったワッペンを縫い付けて得意顔をしている。
「お姉ちゃん、知ってる?」
「ちょっと、ここは職場なんだから宮内さんと呼びなさいよ。で? 何の用?」
「みちるね、建築士の資格をとれって佐竹さんに言われたんだって。佐竹さんがつきっきりで教えるから今年か来年の試験で必ず建築士に合格するよう命令されたんだってよ。それに合格したら何とか書司の資格も取るように言われたんだって。奈緒なんか林さんに猛特訓されてるんだって。林さんが外回りするときは必ずお供させられて、行く先でからかわれてるそうだよ。そのうち新規開拓の練習を始めるって言い渡されたらしくてね、すっかりしょげてた。運転免許とれって言われたそうだよ」
「あのね、亜矢は何の係になったんだっけ?」
「救助犬」
「その犬なんだけどさ、出動する時はどうするの?」
「どうって?」
「交通手段よ。どうやって現地に行くつもりなの?」
「そりゃあ車ですよ」
「そうだよね。ところでさ、その車は誰が運転するの?」
「免許のある人」
「だったらその都度運転手をたのむわけだね。……あんたは馬鹿か! 免許とって自分でやれよそれくらい」
「免許とるの? ちなみに、お金は? 自分で払うの?」
「免許は亜矢だけの資格でしょうが。自分で払えよ、貯金があるでしょうが。近藤さんも亜矢も同じ給料なんだよ、まったく」
「奈緒といっしょか」
「嫌ならいいよ、小次郎を返してもらうから。亜矢には新しいのを担当させるから。それにね、警察犬の訓練も覚えてもらうからね。障害飛越に臭気選別、足跡追跡。遠隔操作も格闘訓練も。避難訓練にも出番があるし、新人のサポートもしなきゃいけないから忙しいよ。その分痩せるから感謝してほしいくらいだよ」
「なんなのそれー。鬼!」
「大丈夫だって、亜矢ならできるから。きっとアタシを追い越すようになるよ。それより、そろそろ新人の荷物が届く頃だから、体育館に保管するようにみんなに伝えておいてくれないかな。舞台の上にでも保管しておいてよ」
「わかりましたよ!」
「いいのかな、お雪の荷物も届くんだよ」
「そうだったそうだった。手伝ってあげなくっちゃ、さっそく知らせてくるね」
部屋を出てゆく亜矢に振り向きもせず大福は壁に貼られた日程表を見ている。
全員が集まる指定日までにあと十日である。
「お姉ちゃん相談があるんだけど」
「みちるまでケジメがつけられんのか。亜矢にも注意したんだけどさ、ここ職場だから公私混同しないでよ。明日から新人が来るんだからね、ダラダラさせないように悩んでるんだから。で? 何よ」
「ごめん、うっかりしてた。明日と明後日で新人が集まるんだよね。ここの場所少しわかりにくいから先輩が出迎えと道案内をしようということになったの。駄目かな?」
「あんたたちも心配してくれてるんだ、頼もしいね。だけど仕事はどうするの?」
「だから、そこが問題で……。どうせ着くのは午後だと思うんだよね。だから全員半休もらうのはまずいかな。ということで代表して相談に来たんだけど」
「もっと早く言わなきゃ困るよ、予定が狂っちゃう。具体的にどうするつもりなの?」
「名簿を借りていって到着時刻を尋ねようと。……ほら、ちょうど同じ人数だから一人一回の電話で済むじゃない。うまくすれば五分もかからないよ。到着時刻に合わせてホームに迎えに出てね、改札口にも配置して、要所要所にも案内を立たせればわかりやすいと思うんだよね」
「結局何人でできる?」
「ホームと改札口と駅の入り口。道路を渡って三ヶ所くらい、それとここの入り口。十四人くらいかな」
「しかたないね、班長会議で話してみるけど責任もてんよ。とりあえず名簿を貸すから連絡してみなさい」
ファイルから名簿を抜き出して、コピーして手渡し、
「もっと早く言うんだよ。でもまあ、優しい先輩に育ったんだから勘弁してあげる。ありがとうね、心配してくれて。なんとか業務で行かれるように説得してみるけど、期待しないでね」
「みちる、ちょっと話があるんだけど、まだご飯終わらんの?」
朝食を食べているみちるを見つけて大福が寄ってきた。
「昨日の話ね、納得してもらったから休まなくていいよ」
「仕事として? さすが係長、頼りになる」
「大声出さないの。ちょっと気になったんだけど、北海道組と沖縄組はどうなってる?」
「沖縄組は、全員二時頃到着便で来るらしいよ。北海道組は二便だって。何時に着くかはあたしではちょっと……」
「そう、到着時刻を確かめたいね。役割分担もあることだし、実習生は九時に食堂へ集合。それと、ホワイトボードも用意すること。三日間限定で全員あたしの手下になってもらうからね」
「そういうことか」
「だから早く食べて、放送してきなさい」
「えらく張り切ってるね」
帽子とエプロンをそのままに、両手に湯呑みを持って舟橋が隣に腰掛けた。
「見てた? 一年たつと成長するもんだね、ちゃんと後輩の世話をやこうとしてるよ。一人前ぶっちゃって」
「あんたのことだがね。立派なお姉さんやっとるよ」
「そうかな、遊んでるように見えない?」
「そんでええんだがね。あんたが居るで安心しとるんだわ」
「またおだてるんだから。明日の夕食、どうなるか見当がつかなくてごめんね」
「いいよ、何を食べさせてくれるか楽しみだわ」
「全員下痢して入庁式ができなかったりして」
「あはは、市長が慌てるだろうねー」
遠慮のない高笑いをおさめた舟橋が真顔に戻って宮内の背中を軽く叩いた。
「あの子達に感謝するんだよ、見違えるくらい明るくしてもらったんだでね。あの子達があんたを明るくしてくれたんだよ、忘れんといてね。そういえば、昨日近藤さんの奥さんが来てね、勤めがみつかるまで手伝うって言うんだわ」
「手伝うっても採用はちょっとね。職員の家族を採用したらどんな横槍がはいるかわからないよ」
「給料はいらないんだって。じっとしてるのは性に合わないそうだよ」
「そうか……。ねえ舟橋さん、非常食を作って売ったらどうかな。ニュースで見るのは市販のおにぎりや菓子パンばかりでしょ? 受注生産でどうだろう」
「売れるかね」
「そんなことわからないけど、でも、そうなれば子会社を作って職員にできるかも……」
「あんたも苦労性だね、課長に似とるわ。なんなら献立考えてみようか、近藤さんといっしょに」
「そうしてくれる? 佐竹さんの奥さんもいいかもしれない、あの人京都だから味付けが違うと思うよ」
「それもええね」
「今日から三日間、全員アタシの手下になってもらうからね。みちるから聞いたんだけど、みんな後輩の心配してくれているそうだね。ありがとうね、すごく嬉しかった。会議に諮ったら皆喜んでね、仕事としてお世話することになったの。だから半休取る必要ないからね。だけどね、もっと早くに相談してくれないと慌てるだけだよ」
「そんなこと言われても、仕事は切羽つまったことなんだから馴れてるでしょう?」
「うーん、言い返せないのが悔しい。まあいいや。とにかく、役割分担を今から相談してもらいます。もう出発したかもしれないから時間がないよ。テキパキするんだよ」
実習生を全員集めて入庁式にむけた準備が始まった。
「役割を言うよ、誰が担当するか話し合って決めてちょうだい。ただし、時間がないから手早く決めること。わかった?
まず、出迎え。飛行機組と鉄道組ね。飛行機組は沖縄と北海道の出身者におねがい。
到着時刻はどうなの? 一時間くらいの違いなら喫茶室で時間つぶして待っててね、それで全員つれて戻ってきて。別便に間に合うようにもう一組が行ってきて。
誰が行くか相談してちょうだい。
次に鉄道組。ホームでの出迎え係、改札口での案内係。駅の入り口、街頭での案内、正門。全部で七組、各組二名」
「質問、犬はだめですか?」
「今回はよそうよ。正門ならかまわないけどね。他の質問は? じゃあ相談して。五分で決めるんだよ」
五分も待つまでなく次々にホワイとボードに名前が書き込まれる。
「うわっ、仕事に較べると早いね。そうとう怠けてるんだな、普段は。
しかたないね……。次いくよ。寝具と制服の準備をする係に四名。入庁式の受付四名。会場への案内四名。駐車場係二名。入庁式後の案内係が十名。これは施設案内だよ。ここまでで四十二名だね。残りは明日の夕食を作ってもらいます。十分で相談してちょうだい」
ワイワイ騒ぎながら役割分担が終わった。
「出迎えの係、服装は?」
「制服で行きます。目印になるから」
「わかってるじゃないの。無線持って行くんだよ。まさかとは思うけど、地下足袋や安全帯はだめだよ、安全帽もだめ。それと、名簿をコピーして持っていったほうがいいと思うよ。飛行機組は事務所で交通費を受け取ってくれる? 領収書をもらうのを忘れないでよ。おつりをネコババしたら許さないからね。
荷物整理の係、送ってきた荷物と制服を間違えないようにおねがいね。名前を大きく書いて貼っておいてよ。調理係、献立を考えてちょうだい。他の職員も食べるんだから大変だよ。自分の役割がおわった人、入庁式まで用事のない人は他の人を手伝うこと。わかったね」
「合点でぇ、でございます係長様」
「ちょっと、誰が言った? 大丈夫かな。広報に配属された人、写真をお願いね」
「写真について提案!」
「なに?」
「集合写真だけでは顔が小さいからグループ写真はだめかな」
「別にかまわないけど」
「課長と係長が並んでると親が喜ぶと思うよ」
「それなら小次郎も参加させたらいいんじゃないか?」
「だったらあたしも並ばなきゃね、化粧しようか?」
「亜矢は邪魔だ、小次郎だけでいいよ」
「でもあたしが担当してるんだよ、小次郎が動かないよ」
「係長がいるんだぞ、反論できるか?」
「……できない……」
「市長にも協力を御願いして……」
「ちょっと、馬鹿言わないでよ。忙しいんだよ、できるわけないじゃないの」
「お願いするぐらいはかまわないですよね。五回くらいですむんだからさ」
「誰がそんな交渉するのよ。あんた言い出したんだから責任もって交渉するんでしょうね」
「そんなこと考えるまでないよな、誰がいいと思う?」
「係長!」
全員示し合わせたように宮内を指差している。
「嘘でしょ? 嘘だよね。アタシ泣きたい」
四月一日、市長の理解が得られて今年も新人を迎え入れる日がやってきた。男も女も関係なく、経験したことのない仕事を初歩から教えられた若者達が、すっかり着込まれた作業衣に丁寧にアイロンをかけて、新米管理職の手足となって入庁式を取り仕切っている。
体育館には、これからどんな生活が始まるのかわからない不安で緊張した顔が並んでいる。我が子を案じて何人かの親も出席しているし、近藤や佐竹の家族も見学に来ている。
吉村の挨拶がすみ、彼らの意識を変えさせるために掟の説明が始まった。誰もが怪我をしないように、怪我をさせないようにという気持ちをこめて近藤が演壇についた。
真っ黒に日焼けした顔と無精髭、ほとんど禿げてしまったのを機にツルツルに剃ってしまった頭。手甲を巻いた地下足袋姿で腰には安全帯を締め、使い込んで飴色になった皮手袋を手にしている。小脇に安全帽を抱えた姿は、すぐにでも作業できる状態である。
どう贔屓目にみても危険人物としか映らない風貌をことさら厳めしく装い、しばらく新人達の顔を眺めまわしておいて、荒っぽい第一声を発した。
「俺は近藤だ、鳶の責任者をやっとる……」
穏やかだった会場に冷たい風が吹き込んだかのように緊張がはしった。
新人や家族から見えない場所にいる者は大きく手をひろげて煽る仕草をしたり、音をたてずに拍手をしたりしている。ふわふわした気分を引き締めておきたいという近藤の想いを職員皆が心得ている。
「去年とおんなじやないか、どんならんなあ」
壇上に並んでいた佐竹は、去年と全く同じ科白に思わずぼやいていた。とはいえ、適度の緊張感をもたせることに異議はない。決して無茶をしない近藤だからこそ許される言葉だろうと思っている。隣にすわった吉村が佐竹の呟きを聞きつけて、吹き出すのを堪えているのがチラッと見えた。声は出さなくても、小刻みに震える肩がその証拠であろう。
『課長も柔うならはった。親身になって職員を救おうとしたはる。わいも、今が華やな』
正月の出来事以来、吉村との間の垣根がずいぶん低くなり、佐竹ははんなりしていた。
壇上の様子を視界の隅にとらえ、つられて表情をくずしながら、吉村係長が新人達の驚く顔を眺めていた。そう、宮内真琴という名を大切にするために、吉村課長の養女になったのである。それを知るのは、本当に心を許しあえる僅かな者しかいない。宮内の身にも様々な出来事があったが、子供の頃の寂しさを帳消しにして余るほどの仲間に囲まれている充足感がある。そんな感傷的なことよりも、この中から新しい妹や弟ができるのだろうかという期待から、華やいだ表情になっていることを本人は全く気付いていない。
どんな若者との出会いがあるのか。その興味にただ支配されている。
佐竹にはその笑顔が清々しく、まぶしくてならない。
了