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明日への眠り

 六 明日への眠り


「待たせて悪かったな、自分から来るなんてえらく珍しいじゃないか。それも土産付きだ。どうせ下心があるんだろ?」


 市長は突然の来訪に嫌な顔をみせず、雑用から開放されることを歓迎している。どうせ目的なしに来訪するはずはなく、定数増の訴えではなかろうかとふんでいた。


「定数増ならまだ返事できんぞ。だいいち市長の権限でできることじゃないからな。本来なら予算をたてる時期に議会の承認を貰っておかなきゃいかん。長年の役所勤めだから意味はわかるだろう?」


 機先を制して吉村の口封じにかかった。


「定数増については市長の頑張りに期待するしかありません」


「市長に指図するのか」


「市民の利益のために働くのが公務員です、最高責任者が率先して働くのは当然ですよ」


「おらんぞ、そんな鬼みたいな部下は」


「もう一つの話のことですが」


「宮内を係長にという話だな? 問題は、宮内の指揮を職員が素直に受け入れるかだ。女だし若いし、大丈夫なのか?」


「確かに若いですが、班長として救援課の運営に初めから関与していますし、災害救助犬の訓練士を養成するのも全部宮内が取り仕切ってきました。他の班と違って誰の援助も期待できない状況で勤め上げてきました。一番若いこともあって潤滑剤のような、緩衝材のような存在です。市長なら宮内の行動力を理解していると思います。ただ、班長連中は宮内のことをよく理解していますが、全部で二百五十人も職員がいるんです。よく知らない者が指示を聞かないと困るから正式な役職をつけたいのです」


「確かにあの時はびっくりしたなあ。若い娘が市長に談判に来るんだから、気の強い娘がいるもんだと感心したよ。とにかく、あんたがそれだけ言うのなら間違いないんだろう。わかった、次の異動で辞令を出す。だけど当分忙しくなるぞ、教育というのは簡単じゃないからな」


「実は、自分の仕事が見えてきたので、それを実現したいと思います」


「あんたの仕事といったら救援課の責任者のはずだが」


「だから、これから職員を救援してやろうと思うんです」


「そんなことは本来業務ではないんじゃないか」


「勿論私的な時間を当てるつもりです。これまでどこへ救援に行くのも全部私がかかわっています。それで、当面は私の補助という立場で同行させて、ゆくゆく幹部にしたらどうかと考えています。そうすれば職員に割いてやる時間が増えると思うんです」


「何でそんなことする必要がある?」


「市長は職員の多くがどんな生活をしていたか承知していると思いますが、奴らの家庭が修復できないまま今日に至っています。家族が離散した状況を修復しなければ、子供達に善い影響を与えられませんよ。子供達の心に歪を残したままだと必ず次の世代に狂いが生じます。だから、奴らの生活再建を救援してやろうと思っています」


「理屈としては理解できるけど、個人の生活に踏み込むことができるのか?」


「それはわかりません。相手の気持ち次第ですから一切約束できません。ただ、働きかけを諦めたら進展がないのは断言できます。家族関係が修復できれば名古屋の住民が増えることになります。それは市長がいつも言っていることにつながりませんか?」


 市民税を減税することを糸口にして、名古屋市の人口を増やし住みよい町としての先駆けとなることを市長は目論んでいる。だから、それを逆手にとって吉村は自分の思いを語った。


「なるほどな、そういうことならあんたの言葉を尊重するか。来月の一日が防災の日だから、前日に辞令を渡すように手配するから、後でリストを送っておいてくれ。いらんことかもしれんけど、自分の問題も解決するようにな」



 商店街でみかけた西瓜を抱えて家に戻った吉村の様子に、大福も三人娘も、丹梅までもが困惑の表情でいる。夏休みを利用しての東北旅行から戻った当日なので疲れが残っていて、五人は初めて案内された吉村の住まいを占拠していた。エアコンを効かせた居間で雑魚寝をしている間に吉村が外出してきたらしい。なぜか上機嫌で、何を言っても 「いいよ、いいよ」 と薄笑いをうかべているのは確かに異様な光景でしかない。


「やったなー」


 吉村の思惑を知っているだけに、大福はうそ寒い気配を感じていた。




 九月の人事異動に伴い、一日付けで災害救援課の人事異動が発令され、当日は防災関係の催事で辞令を発布する状況ではないことから前日に辞令が交付された。

 吉村の希望通りに宮内が係長に、他の班長は主査となっている。ただし、役職がどうであれ給与には一切反映しないとの但し書きがついていた。


「災害救援課が発足して三年たち、国内はもちろん、外国にも名古屋市災害救援課の名前が知られるようになりました。皆さんが真摯な姿勢で勤務に精励してくれたおかげです。今後、市長が交代しても、議会がどう変わろうとも続けるべき事業なので正式に職制を適用することにしました。今後は防災意識の啓発に重点をおいていただきたい。啓発活動に便利という理由で、災害救助犬を担当し年齢の若い宮内を係長にしました。今後とも一層協力して職務に励んで下さい」


 市長の訓示に皆が無言で抵抗している。


「そんな顔するなよ。今言ったように、これからいろんな人と交流してもらうことになるから肩書きが必要になるんだ。名刺も用意するからな。あんたらが実力本位だというのはわかるけど、日本人は肩書きに弱いんだ。機嫌直せよ」


「そんな事どうでもいい。みんなに内緒でこんな事したのが気に入らん」兵藤がぼそっと呟いた。


「あのなあ、勘違いしてないか? 人事を差配するのは市長の、俺の権限なんだぞ。吉村の言うことを俺が聞くと思うか? 人事異動をお前達に相談するか? どこの会社でもそうだろう、そんなに甘くないぞ。それとなあ、なるべく多くの者に現場経験を積ませてもらわんと困る。今日にも名古屋を災害が襲うかもしれんのだからな。言っとくけど俺が最終責任者だからな、業務命令だからな」



 それから二週間、名古屋まつりが終わって朝夕の風に冷たさを感じるようになってきた。


「大福も来てくれ」


 林が課長の席にむかう時に声をかけた。


「今日までの集計だけど……、注文が四千五百。どうする?」


「そんなに人気があるのか? どうするよ」


「それだけ売れたのなら六千作ったら? もっと注文がくるかもしれないね。これをきっかけにして他の物も考えたらいいよ」


「待てよ、俺たち商売人じゃないんだぞ」


「利益ばかりを追求しなければいいよ。防災用品の普及目的なら文句のつけようがないと思うけど。それに、たくさん売れなきゃ資金ができないよ」


「ちょっと待てよ、定価六千円で六千台だろ? 合計三千六百万。仕入れを引いて九百万が利益か。消費税分が四十五万。これでは二人分の人件費だな」


「慌てなくてもまだ増産できると思うよ。それに、第二段を売ればいい」


「具体的に何を?」


「林さん、どんな時にも必ず必要な物は?」


「水と食料」


「でしょ? だったら、食料を守る容器とか、洪水になって米が水浸しになったら食べられないから、勝手に密閉する容器があれば安心じゃないかな」


「他にあるか?」


「どこの家でも箪笥の上にいろいろ積み上げてるでしょ? それが落ちてこないような物とか、ガラスの飛散防止フィルムもいいよね」


「窓な」


「二人とも甘いね、想像力が貧困だよ。台風なら窓だけど、地震だったら食器棚が危ないんだよ、割れ物が詰まってるんだから。それに、折畳めるリヤカーも売れると思うんだけどな。荷物を運んだり避難にも使えるし、狭い場所でも使えるし、人力だから燃料はいらないよね」


「お前なあ、そういうことは日頃から言うもんだぞ」


「研究不足、観察不足。あんたらが暢気助なだけだよ、反省しなさい。ちょっと犬の訓練見に行ってくるから相談してて。それから課長、そろそろ市役所行くよ。市長のアポとっといてね」


「早く戻れよ、決算報告書の作り方教えるから」


 腕をブンブン回しながら表に出て行く宮内に声をかける。


「市長に面会ですか?」


「増員の交渉だよ、燃えてるんだよな」



「これが去年の事業報告。こっちが決算報告。毎年今くらいから準備しないと間に合わなくなるからな、それに、早めに提出したほうが受けがいいから。データを書き換えるだけだから悩む必要はないって。それと並行して自然保護団体で教えを受けてくること」


「そんなことできるわけないでしょ。書類だけでもすごい数だよ、それに出張? 何考えてるの」


「幹部の宿命。今年の夏まで全部俺一人でやってきたんだぞ、現場出張もあった。今は役割分担ができてきてるから負荷が減っているんだぞ。それに、今年も就職が厳しいんじゃなかったのか?」


「夏休みに誘わなかったらよかったんだ、大失敗だよ」


 今年の夏休み、宮内は三人娘に誘われて里帰りに同行したのであった。交通費をうかすために丹梅と吉村を誘ったのだが、三人娘の家族や友人たちとの交流ができてとても嬉しい思い出となったのである。ただ、移動の車中で吉村の悩みを言い当ててしまった。そのせいで自分を係長にされたと悔やんでいるのである。


「きっかけはそうだな。でも視野が広がったろ?」


 宮内のぼやくのは先刻承知。係長就任を内示したときの激しい抵抗を思い出すたびに笑みがこぼれる吉村である。思いつく限りの理由を並べ立て、なんとか逃れようとする宮内を、業務命令の一言で黙らせ、どうして宮内を指名したのかゆっくりと諭したのである。切れ者の林が、やくざ者のような近藤が、周囲の目配りを欠かさない佐竹が気持ちよく認めたことを教え、ようやく納得させたのである。

 次のリーダーとして育てるのが吉村の勤めなのである。

 年度末に提出する書類を今年は宮内に作成させようと、宮内の頭をコンコン叩きながら吉村の講義が続いていた。



 梯子製作が軌道にのり、この一週間は休日を返上して梱包済みの梯子を受け取りに授産施設を何度か往復した。月が替わるまでにあと五日。確かに自分の負担に不平を言っている間にも、不安を抱えたままの高校生が暗い気持ちで毎日を送っている。


「わかったわよ! 後でまとめて休んでやる」


 事務所中に大福の叫びが響いた。


「そんな、元気を無駄使いしない。市役所でエネルギー切れになったら困るだろ」


「ということは、今日の面会ですね。何時?」


「今日は四時が指定時刻。だから早く仕上げないと遅刻だぞ」


「やってます。でも、そんなゴールデンタイムいいのかね。今日は暇なのか? ……できたっと。記録して完了。お待たせしました。では課長、出陣ぢゃ!」



 これが、係長に任命されてから四度目の交渉である。

 根回しも何もなく、単刀直入に要望を伝える姿勢は災害救助犬の採用を申し込んだ頃と全く変わっていない。進歩できていないと捉えるべきか、手垢のついていない心を保っていると捉えるべきか。


「もう良い返事がいただけると思って出てきました。今日こそ許可をもらって帰ります。アタシの中では決定してますからね」


 市長室に通されて、ろくに挨拶も済まないうちに大福が市長に迫った。


「ちょっと待てよ、とにかく座って話さなきゃ落ち着かんだろうが」


 吉村がぼやきながら応接椅子に引きずつてゆく。


「あいかわらずせっかちな奴だな、とにかく座れ。だいたいな、毎回増員増員と唸らなくても、来た目的はわかってるんだから、もう少し落ち着けよ」



「悪いけどコーヒー三つ持ってきてもらえんかな、一つは甘くしてほしい。興奮してるから糖分を与えた方がいいだろう」


 コーヒーを注文した市長が応接椅子に腰掛けるなり、吉村が立ち上がった。


「お前も立て」 大福の襟を掴んでいる。


 座れと言われて腰をおろしたばかりなのに、いったい何がしたいのよと大福が剥れるのを尻目に深々と頭をさげた。


「このたびは無理なお願いを許可していただきありがとうございます。一握りにすぎませんが有為な若者を救うことができます。ありがとうございます」


 再び最敬礼する時に大福の頭を左手で押し下げた。


「何のことだ? とにかく座れよ。コーヒーを飲みながらにしようや」


 市長は相変わらずそ知らぬ顔をしている。


「課長、どうしたんです?」


 宮内が不思議そうに市長と課長を交互に見ながら尋ねた。


「コーヒーを甘くするよう頼んだだろ? 甘い返事という謎かけじゃないか」


「えっ、それじゃあ許可してくれるの? 交渉成立? やった、夢みたい」


「だから丁寧にお礼を言わんと……」


「誰も許可するなんて言ってないぞ、なんでそっちだけで盛りあがる?」


 一人蚊帳の外におかれた市長が苦笑いをしている。


「市長、照れなくてもいいよ。正直に生活すると楽だよ。で? 何人?」


「今年は五十人で我慢しとけ。係長に任命した時から不安だったんだ。いずれこういう無理難題を言うだろうなと怖れてたんだけど、係長にしてからこれで四回目だぞ。二回目と三回目は大きな犬連れてきて受付素通りするんだからな、えらい向こう意気の強い娘だわ。それに、直談判するのはこれが二回目だ。芯の強さはピカイチだな。まあ地方の窮状も深刻だから理解はできるけど、何故市民を採用せんか文句が出るだろうな。わしが市長でいる間は庇ってやるけど、きちんと説明できるようにしておくんだぞ。聞いてる? おい犬使い!」


 市長の話など大福の耳には届いていない。早速明日にでも学校に案内を出して、説明会を省いていきなり面接会にしなければ間に合わない。筆記試験を省くのなら作文の提出を求めるのは仕方ないか。自分の前にコーヒーが届いたことにも気付かず薄笑いを浮かべている大福を、市長と吉村が笑って見ているが、当の本人は渦巻く考えに翻弄されている。




「突然で悪いけど明日、いや、明後日も休むから留守番たのむな」


 名古屋駅で地下鉄をおりて、救援課まで歩いて戻る途中である。


「病気……じゃないよね、どこか出かけるの?」


「生活再建、絶対秘密だぞ」


「夏に言ってたこと始めるんだ?」


「実はもう始めてるんだけどな、何度か電話で話をしたんだけど、少しずつ話を聞いてくれるようになってきたから実際に会いに行ってくるわ。重荷だったことが少しずつ好い方向に向かっているし、増員のことでは勝手に突撃する娘ができたし、今なら正月に間に合うかもしれんからな」


 宮内になら何を話してもかまわない、吉村はそれほどに宮内を信用している。吉村の思いに応えるように、宮内は立派な女房役を務めていた。


「うまくいくといいね」


「大福は家族の話を一度もしないけど、うまくいってるのか?」


「あたし? 職場以外に家族はいないよ」


 社交辞令のつもりで尋ねたことにあっさり答えた。


「いないって、……天涯孤独か?」


 家族がいないというのは、きっと遠く離れているからだろうと吉村は一人合点した。しかし、念のためにもう少し詳しく尋ねることにした。だからいたって気軽な口調のままである。


「高校三年生の時にね、二人揃って逝ちゃった。誰だってそうでしょ? いきなり、一人ぽっちにされたら何をする気もなくなっちゃう。本当はまだ引きずつてるかな」


 瞬間に尋ねたことを後悔した。つい気楽な娘相手の会話のつもりだったのに、思い過去を背負っているらしい。しかも感受性が豊かな青春期である。どうすれば気持ちを穏やかにしてやれるか、それを考えると軽率な自分が嫌になってきた。


「なんか腹へったな。どうだ、鰻でも食べないか?」


「あたし、小学校に入る前から引越しばっかりで、友達が長続きできなくてね、すぐになくすことの繰り返しだったの。父は転勤のたびに役職が上がるから納得してたのかな。でも、役職が上がると責任も重くなるでしょ、結局仕事を辞める勇気がなかったんだろうね、責任に押し潰されちゃったんだと思う。貯金と保険金があったから、卒業するまではそれで。卒業後は警察犬訓練所にお世話になって訓練のしかたを教えてもらった。

 なんとか使い物になるようになったんだろうね、そこで働くよう誘われたんだけど、その時に救援課の話がもちあがって。まだあまり救助犬のことが知られていないから理解してくれるか不安だったけど、動かなきゃ前に進めないと思って。どっちみち失くすものがないから強いものよ。市長に考えていることを話しに行って、で、今があるわけ。師匠も背中をおしてくれたし。無謀なことしたおかげでいっぱい家族ができちゃった。だから今は毎日が楽しくて」


「お前、重い話をあっさり言うなあ。大丈夫なのか?」


「ウジウジしてる暇がなくなった」


「そうか、なら心配ないな」


 吉村は心底ほっとした。悲しい過去を思い出させてしまったことを、どう挽回しようかとばかり考えていたのである。宮内の様子に安心して救援課への道を急ぐことにした。


 その背中を鷲掴みにした宮内が不敵な笑みを浮かべている。


「鰻は?  奢りでしょ?」


「奢るなんて言ったか?」


 聞くが早いか携帯電話を取り出した。


「何? どっか電話?」


「問題児と丹梅を呼ばなきゃ」


「何で」


「みんな課長の娘だよ。太っ腹見せなきゃ」


 意外な展開に吉村は財布の中身が心配でならない。




「亜矢、里中先生と、看護学校行ってる同級生の連絡先教えなさい」


 初めての櫃まぶしにむしゃぶりつく亜矢に宮内が尋ねた。


「何で? せっかくの鰻が冷めちゃうよ」


「そんなに時間かからないでしょ? 早く携帯出す」


「でも、何で?」


 亜矢が見せた連絡先を自分の携帯に登録して、


「あたしも知っておく必要があるの。食べ終わったら教えてあげる」


 上目遣いに様子を探りながらも、三人の箸は大車輪で回転している。



「すいませーん、もう二人前ください」


 宮内と吉村が半分も食べないうちに四人の料理が空になってしまい、四人が頭を寄せて相談した結果の注文である。


「追加分は自分達で払うんだよ、でないと課長が蒸発するかもしれんからね」


「心配しなくても優しいお姉ちゃんが援助してくれるから大丈夫だって」


「誰のことよ?」


 四人が一斉に宮内を指さした。


「こういう時は優しいお姉ちゃんなんだ。誰だった? 賞味期限切れだとか冷酷な先輩だとか言ってたの。納得できないね」


「いつも冷静な宮内さんが何を勘違いしてるんですか。せっかくできた優しくて美人のお姉ちゃんに甘えてるだけじゃないですか」


「優しくて美人? 亜矢ー、あんた本当に嘘のつけない正直な子だね。今日は亜矢のスローテンポに免じて許してあげるけど、ちゃんと敬いなさいよ」


 満更でもないという顔で追加分の支払いを承知する大福に、三人がニタッと笑って盛んに頷いている。


「なんか騙されたように思うんだよね」


「そんな、錯覚ですよ」


「ねえ宮内さん、お雪の連絡先どうするんですか?」


「新しい取り組みとして梯子の販売を始めたでしょ? それと防災教室に力を注いだことを評価してくれて、定数増の許可がでたの。それでね、夏に話をした時に看護学校に行ってると言ってたでしょ、前から医療関係者がほしかったけど、それだけを募集できないから先送りしてたの。あたしが直接連絡するまで秘密だよ。こっちにも条件があるんだから」


「今のは大雑把な話でな、本当は大福が市長に何度も交渉して押し切ったんだよ。誰にも知られないようにして頑張ったんだ。それに、日曜日に犬の躾教室やアジリティーを個人的に続けているのも評判いいんだ。いつも厳しく当たっているかもしれないけど、こつこつ積み重ねるところを見習ってほしいもんだな。市長も頼りにしているようで、そういうのが評価されてる」


 吉村は、実際の理由を包み隠さず話して聞かせた。



「それで、何人くらいなんですか?」


「今年は五十人だって」


「今年はですか?」


 みちるが聞きとがめた。


「うん、今年は五十名で我慢しとけって言われた」


「ただ人数だけじゃなかったんですね?」


「何回言わせるの、今年は五十名って言ったよ」


「それなら来年も採用できるかもしれない。初めから予定してたら慌てなくてすむよ」


「来年のことは聞いてないよ」


「宮内さん、確かめたほうがいいよ。今回だけなら今年はなんて言わないと思うな」


「そうか……、そうだよね、それが自然だわ。超ミニスカートが似合う事といい、頭が冴えてる事といい、みちるはあたしの分身みたいだね。課長、実際はどうなんです?」


「みちるの観察眼はすごいな。本当はな、定数倍増をもちかけたんだ。ただし五年計画でな。最終的な人数は決まっていないんだから、第一回の五十名かもしれないし、これで打ち切りかもしれない。それにしても意外だな。すごく冷静に見聞きしてるんだ。その才能を活用できる部署を考えなきゃいかんな、才能がもったいない」


「あれ? そうすると亜矢やあたしは凡人ですか?」


 みちるが褒められたのに嫉妬したのか、奈緒が口を尖らせた。


「困ったな、そっちに話が脱線するか。奈緒には奈緒の才能があるし、亜矢にも才能があるよ。だからこうして世話焼きのお姉ちゃんができたんだろ?

 大福には野生の勘が残っていてな、目も耳も他の職員より敏感なんだ。鼻が利くからな。見てみろ。丹梅だろ、亜矢に奈緒にみちるを吸付けてしまったボス犬だ。でもな、誰でもいいってわけじゃない。大福が選んだには理由があるはずだ。きっとお前達の才能を見抜いているからだよ」


「才能だなんて、あたしは美貌だけかと思ってた」


「亜矢は黙ってな! 美貌に関してはアタシが上よ」


「罵り合いはいいから、話を戻さないか」


「そういうことなら課長に免じて今回は譲ることにして、じゃあ、あたしが電話して宮内さんに替わるのは?」


「それは後でいいから、次の話だよ」


「待って、その顔は人を騙そうとしてる時の顔だよ、なんか胸騒ぎがするね」


「もしかして、正月休みを取り消すとか言うのかな」


「配属先を内緒で教えてくれるとか?」


「みちる、アタシは他人を騙したことないつもりだけど。亜矢は雪に埋まる実家に帰省するの? 奈緒もまだ勉強していないことがあるはずだよね、どうして配属先を決められる? なんか教えるのが嫌になってきた。丹梅にだけ教えようかな」


「それだめだよ。われら四人、バイリンガル美女カルテットはいつもいっしょでなきゃ。代表幹事の結城亜矢が許さないよ」


「わかったわよ、ちょっと耳寄せなさい」


「……………………・」


「げっ、ええのけ? 甘えられるのけ?」


「まいね、そらぁなんねぇ」


「なしてか? 嬉しくないべか?」


「お前達が結婚するまで親代わりになってやるから仲良くするんだぞ。丹梅も一緒だ」


「言っておくけど、一番年長はあたしだからね、姉の言いつけは守るように」


 ちょうど追加注文した分が食卓に配ばれ、四人がいそいそと茶碗によそい始める。


「茶漬けにして食べてみたら? おいしいよ」


 せっかく鰻をおいしく食べているのに勿体無いという目を向けていたが、一人が試すのにつられて四人が盛大に啜り始めた。


「どうだった?」


「こんな食べ方初めて。おいしかった」


「こんなに刻んだ鰻も初めて食べた」


 亜矢と丹梅は満足そうな顔で何も言わない。


「さて、お腹がいっぱいになったから吉村一家帰るよ」


 宮内が勢いよく立ち上がった。




「お雪? 亜矢だよ、元気にしてる? そう、元気でなきゃだめだよ。今から大事な話があるけど、都合いい? うん、それは直に聞いて、係長に替わるから。

 係長? 小次郎が働くのを実演してくれた宮内さん。そうだよ、課長の他には係長しか役付きがいないんだから偉いさんになっちゃった。とにかく替わるから」


 亜矢が久保博子に連絡をとっていた。


「久保さん? 救援課の宮内です。夏に恥ずかしいのを見せちゃったね。ところでね、あなた名古屋で働く気持ちあるかな。ようやく増員が認められたから募集を予定してるのだけど、あなた看護学生だったよね。それを見込んでスカウトしようかなと思ってね、どう? といっても条件があるよ。その条件はね、救援課の職員として名古屋の看護学校で勉強してもらうこと。学校は夜間部になるかもしれないよ。看護士の資格がとれたら救援課専従の看護士になること。この条件であなたをスカウトする。赴任は四月。学校のことがあるでしょ? 手続きで名古屋に来なきゃいけないだろうから、旅費は工面したげる。泊まるのも心配ないよ、まだベッドの余裕があるから。早めに返事くれない? そう、事務所に連絡してもらえるかな、待ってますから」



「先生、亜矢です。いいニュースだよ、今年も採用枠がとれたんだって。それでね、お雪を看護学校に通うという条件でスカウトしてくれるんだって。係長がお雪に説明してるとこ。終わったようだから代わるね」


 久保博子との話を終えた亜矢はそのまま里中に電話をしていた。


「救援課の宮内です。夏には恥ずかしいところをお見せしました。係長ですか? それは課長の陰謀ですよ。亜矢から何かききましたか? 増員の許可が出たので去年と同じように。……そうです。それで久保さんについてですが、こちらで看護学校に通ってもらって、資格がとれたら看護士として働いてもらいたいと考えています。資格をとるまでの間ですか? 当然正規職員の身分ですから心配いりませんよ。ですが、夜間部に通ってもらうことになるかもしれません。とりあえず先生に報告しておこうと思いまして。また連絡させていただきますので……。」



 宮内が秋田に電話をしている頃、吉村は近藤の家族を訪ねていた。


「何度か電話で話をさせていただきましたが、今日は直接お願いしにきました。夫婦の間のことに口を挟む立場にないことは重々承知しています。しかし、家族関係を修復できる可能性がないものか考えていただきたくてお願いに来ました。納得できないことがたくさんあると思いますが、先に本人の今日までの生活を説明させて下さい」


 近藤が救援課に採用された経緯に始まり、日々の生活・言動・仕事への取り組み・対人関係・収入・金銭管理など、吉村は知っていることをすべて語った。そして、関係が壊れたきっかけと本人からの働きかけに話題を移してゆく。


 焦ってはいけないと自制しつつ、つい熱が入りすぎるのをどう抑えようか、林の助言を受けるべきだったと後悔もしていた。




「パソコンに去年の記録が残してあるはずだから探して、そこに送信先のリストがないか調べてちょうだい。あったらメモリーにコピーしといてよ」


 誰の指示も待たずに大福が動き出している。与えられた仕事をこなすためではなく、何も考えずに必要なことを自ら求める気持ちが芽生えてきたのかもしれない。


「それから、あんたたちの記録DVDから訓練風景を使うから、そっちも準備しといて」


「そんなに一度に言わないでよ」


「スローペースなのは口だけでいいよ。早くしないと十一月になっちゃうよ。手と頭はどんだけ使っても減らん」


「……なんか鬼に見える……」


「声が小さい! ぼやくのはいいけど、去年の今頃の気持ちを思い出しなさい。憂鬱だったんでしょう? 去年の亜矢がたくさんいるんだよ、助けてあげたくないの? ほれほれ、がんばれ亜矢」


 ぼやきながら、一年前の自分をこうして救ってくれたんだと亜矢は実感していた。ほとんど無条件に博子にも救いの手を差し伸べようとしてくれている。その反面、採用されない者はどんな想いで生きてゆくのだろうと、割り切れない不条理も感じていた。


「どこ行くのよ!」


「便所」


「もう少しで終わるんだから我慢しなさい!」


「あーもう! 鬼、鬼、鬼、オニー……」




 図らずも同じ日、村井は京都に佐竹の家族を訪ねていた。今日の分の仕事を日曜日にやりこしておいて、早朝に納品をすませて駆けてきたのである。表立って動けない林の代わり、村井が佐竹の妻と会うのもこれで三度目である。佐竹との出会いから現在までの関係を説明し、どんなことをしているのかを克明に語った。仕事の内容、日常生活、職場での人間関係、そして、名古屋で出会った友との交流。それを免罪符にするつもりはないが、佐竹が実直な生活を続けていて、家族を呼び寄せる環境が整っていることも含めて村井の知る限りを語った。三度目ということで幾分かは警戒心を解いてくれた妻は、固い表情で黙って聞いていた。佐竹には中学三年生の息子と一年生の娘がいる。二人とも利発そうな、そして物怖じしない子供のような印象を受けた。父親を許してやってくれないかと村井は子供達に訴えていた。原因を作ったのは佐竹本人だろうが、互いが背負っている重荷を取り除くには互いの歩み寄りしかないと語った。もし、もし少しでも可能性があるのなら、働いている姿を見てほしいと願ってもいた。


 半日がかりの話し合いを終えて退出した時、秋の夕日は大きく傾いていた。




 二日も休むと、久しぶりに出勤したような錯覚に陥るから不思議である。普段どおりに仕事がすすんでいることに安堵しながらも、吉村は僅かな不満を感じていた。課長が不在なので困ったというお世辞の一つもあれば可愛げがあるのに、誰もがいつもと全く変わらぬ素振りをしている。休んでいる間の出来事と対処を半ば上の空で聞いていたことを棚に上げて、警察へ行くという大福の言葉に吉村は引っかかっていた。


「さっき説明したでしょ、年末特別警戒パトロールのお手伝いをすることになったって。だからその打ち合わせに行くって言ってるんじゃない」


「だから、俺は許可していない」


「仕方ないでしょ、休んでいる間に決まったのだから」


「俺が休んでたら何でもありか?」


「課長が許可するほどの内容じゃないよ。パトロールに出る時刻だって、仕事終わってからなんだし。制服着て出てゆくから報告しただけで、個人的な行動ともいえるんだよ」


「俺は休んでた方がいいんだな」


「何言って……。あーっ、子供帰りしてる。いい、パトロールは実習生が自発的に考えて警察に申し出たんだよ。みんな課長に褒めてもらおうと思って相談してるのに、そういう芽を摘むつもり? 犬の訓練のしかた教えたよね。褒めて褒めて、やる気をみせた時どうするんだった? 背中を押してやるんでしょ? 頭叩いてどうするの! 他の職員だってみんな課長に褒めてもらおうと思っていつも以上の働きをしてたんだよ。そんな我侭が可愛いのは小学校の三年生までだわ!」


 予期せぬ強硬な反撃にたじろいでいると、


「そんな顔してるとやる気なくすから気分転換してきなさい。今日は戻らなくていい! 警察に行ってきます」


 入り口の引き戸を叩きつけるようにして大福が出て行った。



 とぼとぼと姿をみせた吉村を一瞥した村井は何も言わずに機械を停めて表に誘った。


 喫茶店に落ち着いて


「へこんだ顔してるけど、何かあった?」 村井が初めて口を開いた。



「実は……」


 近藤の家族に会いに行ったところから今朝の出来事までを語り、長いため息をついた。


「そういうことな、めでたいことじゃないの。若手が自立しようとしてるんだろ? いよいよ軌道にのった証拠じゃないか」


 村井の答えは明快だった。


「要はつまらん勘違いをしてたんだ。我に返って情けなくなったんじゃないの?」


「そこまでできた男じゃないよ」


「当たり前だ、そんなにできた奴なんかめったにいないよ。この際遠慮なく言わせてもらうけど、組織の中で生きてきた奴って、看板のおかげでものを言ってるのに気付いてないよな。自分が偉くなったと錯覚してるよな。出入り業者に対する言葉だって人扱いしてるとは思えない時がしょっちゅうだ。小僧に横柄な態度をとられたり言われたりしてみな、殴ってやろうかと本気で思うことがあるんだぞ。言ってる本人は自覚していないから始末に負えん。そのくせ自分達は労働者だって、賃上げだボーナスだって騒ぐだろ? その自称労働者がな、出入り業者を相手にすると社長に豹変するんだ。自前で揃えられないから外部調達するんだろ? まだ武家制度を引き摺っているとしか思えんよ。できた人ほど妙な権威を否定するもんだ。あんたも悪い習慣から抜け出せていないってことだ」


「悪い習慣か?」


「救援課の成り立ちを思い出してみろよ。組織から疎外された者ばかりで創設したんだよな。看板でものを言うのを笑い飛ばす連中の集まりだろう? 運営が軌道にのって、世間に認められて、チヤホヤされてくだらん役人根性が息を吹き返したのか?


 実習生は別として、他は全員腕一本で生きてきた奴等だ。うまく舵取りをすれば懸命に働いてくれるんだよ。へそを曲げさせたら梃子でも動かないのも奴等の習性だ。何でへそを曲げると思う? つまらん事にこだわったり、くだらん権威を持ち出した時だぞ。それに、指揮者がいなくても立派に勤めをはたすことを願って人選したよな。親分がいない間というのが、自分が休んでいた間じゃないか。その間に不都合があったのか?


 勝手にパトロールを申し出たのがどう悪い。そうやって心配かけないようにしてるんだから誉めてやるべきじゃないか。失敗してもいいじゃないか、失敗させたらいいくらいだ。嫌な思いをした経験は忘れないものだぞ。職員の家族を仲直りさせたいという願いは素晴らしいと思う。是非笑顔を取り戻させてやってほしい。だから、採用に関することや議会に報告する書類のような、あんたでなければできない事以外は気にしないようにするべきじゃないか? そうしないと部下が育たないぞ」


 自分の腕と才覚だけで生きているだけに村井の指摘は容赦ない。絶えず餌を探し続けねば生きられない境遇の村井にとって、見栄や体裁のような集団の中でしか意味をなさないことは語る価値すらないと捉えている。


「どうしたら解決するか……。なるべくシコリを残したくないし、困ったなあ」


「顔の前で手合わせておけば解決じゃないの。下手につまらん言い訳するよりよっぽど効果的だと思うがな。くどいようだけど、野良犬の集まりだからな。公務員に通用することが一番なんて考えると拗れるぞ。あっさり認めることさ」


「簡単に言うけど、勇気がなあ……。ごめん、ちょっと便所行ってくる」


 吉村が立ち上がると同時に村井は携帯電話を取り出していた。


「村井です。ご無沙汰してます。今良かったかね? 実は吉村さんに寄生虫が湧いたから虫下しをしたいんだけど、時間の都合つかんかな。今日でなきゃだめだよ。例の鰻屋でどう? 大隈さんと宮内も来てほしい。時間は? えっ?  六時な。悪いね面倒かけて。馬鹿な、あんたの部下じゃないの。出てきたから、はい、失礼します」


「電話だった?」


「お得意さん、納期延びたから今日は納品しなくていいそうだ。となると、今日の予定はキャンセルか。どうだ、授産施設の見学しないか。経験値上がるぞ」


「経験値? ゲームかよ」


「俺にとっちゃあ仕事以外は全部遊び。救援課にかかわったことも遊び。難しく考える知性がないんだよな、自慢じゃないけど」



「あの姿見ろよ。みんな懸命に働いてるだろ? いろんな障害を負った奴等がな、本当はこんな仕事じゃなくて普通の仕事をしたいだろうに。けどな、梯子の仕事がとれたからまだいいんだ。ここの経営状況を聞いたら驚くぞ。


 何年か前の政府が合理化を口実に福祉予算を減額したせいでな、こういう施設に通うために銭払わなけりゃならなくなった。奴等の給料知ってるか? 六千円だぞ。最低時給で一日分しかないんだぞ。それでも、ああして働けることを喜んで懸命に仕事してるんだ。浮かせた予算何に使った? どこぞの金持ちが高笑いしてるんだろうに。溶接機がここにあったら溶接も発注してやりたかったんだけど、なかなかなあ。とにかく、追加発注は何度でも歓迎ってことだ」

 授産施設で梱包作業をしている者の間を歩きながら村井が語る。作業者の背中をもれなくポンと叩いて軽く手を上げる。


「安く作るなら全部外国に発注してしまえばいい。でも、それで誰が喜ぶ? こういうところにもっと稼がせてやりたいよ」

 吉村は言葉を発することができなかった。何か言ったとしても上滑りな言葉にしかならないような気がした。



「吉村さんは溶接ってどういうことか知ってるよな」


 ロボットアームが自動的にパイプを溶接するのを見ながら村井が語りかける。


「金属を溶かして接合することだろ?」


「うん。ちょうどいいや、講義してやるよ。


 金属が溶けるには高温にしなけりゃいけない、それぞれの材質で溶ける温度が違うんだ。

 だけど、高温を作り出す方法が決まっていたら温度を変えることは、まあ不可能だな。それでも材質に応じた温度にしたいから電流値を変えて対応するわけさ。

 うまく溶接できる状態にしたとして、こんどは熱の問題がおきてくる。溶接って局部的に高温にするのだから、他の部分は冷たいままでな、そうなると熱変形がおきる。始末が悪いのは、溶接しているところが、母材側と空気に触れるところとで冷めるのに時間差ができることだな。熱い時、まだ赤い時にはなんでもなくて、冷めてきた時にキュッと宿むんだよ。だから変形しないように溶接しなけりゃいけない。これは製品にするためだから避けられない技術的なことだ。こうして自動で溶接しているのを見ると速いと思うだろ? どうせならもっと速く溶接できる機械に換えて利益を上げようとするわな。そうすると、速くできるのだから安くしろということになっちゃうんだよ。機械を換えるということは設備投資、平たく言えば銭使うんだよ。どうして値下げのために借金する必要がある? 仕事量のこともあるけど、設備投資する価値あるか? ないよな。こう説明するとあんたが生きる社会と全く噛み合わない社会が見えてこないか?」


「そんなこと言われても……」


「そうだな、住んでるところが違うから仕方ない。でも、あんたたち公務員はもっと敏感でなきゃいかん。なんて、慣れんこと言ったから腹減った。このまま付き合ってもらうよ」


「いや、帰るよ」


「今日一日気分転換しなきゃだめだって。心配いらん、知り合いの店だし、運転してるんだから酒なんか飲まんよ。食事をして解散」

 少し強引かと思うが他に口実をみつけられない村井である。


「この店なんだけどね、すごく上品な奥さんが給仕してくれるんだよ。何であんなに上品な奥さんが凶暴な亭主を選んだのかが大きな謎なんだよね」


 言いながら店に入ると


「悪かったな、凶暴で。迷惑かけたか?」


 当の亭主が腕組みをして立っている。仕事帰りのグループや家族連れがニヤニヤ笑っていた。


「ひょっとして聞こえてた?」


「全部な。店の前で大声出すな、筒抜けだ」


「性格悪いかわりに耳はいいんだ」


「嫌な客だな、まったく」


 薄笑いを浮かべて言い放つ目は奥を指している。


「品は悪いけど俺だって行儀だけはいいんだぞ。奥さん、どこに座ればいいかな、今日は娘っこ休みなの?」


「そこ邪魔だからこちらに」



「遅いぞ、何を道草してるんだ。自分が呼んだくせに五分も遅刻じゃないか」


 案内された先に市長の姿があり、市長を挟むように大隈と大福も座っている。


「おい、これって……」


 吉村が村井に苦情を言うのを抑えて、


「チャンスだ、拝む真似しろ。遅刻を侘びるつもりでやれ」


 仕事を放り出して一日自分を引き回し食事に誘った村井の真意に、吉村は初めて気付いた。

 自分にこんな芸当ができるだろうかと思う。仕事をしなくても給料がもらえる自分達とは別の世界に住んでいるからこんなに優しくなれるのだろうか。吉村を驚きと嫌悪感が同時に襲っていた。


「遅れてすいません。時間の配分を間違えてしまって。無条件にごめんなさい」


 村井が顔の前で両手を合わせる。まだ棒立ちの吉村の足を踏みつけて同じポーズをとらせた。市長に、大隈に、そして大福に向かって三度拝む真似をする。


「吉村に寄生虫が湧いたって? 保健所に虫下しがあるだろう」


 市長も大隈も事情をまったく知らない。


「ここ飲食店だから、そういうこと言うのは反則でしょう、亭主が怒鳴り込んでくるからやめようね。処置は済ませたから大丈夫。いやね、ああでも言わないと忙しいのを理由に集まってくれないと思ってね。新体制から三ヶ月過ぎて慣れてきた頃だし、慣れからくる行き違いがおきる頃だし、少し早いけど忘年会をして、創設から自分がどんなに成長したか語り合うのはどうかなと考えたわけですよ」


「忘年会だと? 今日は十月だぞ、いくら月末だっていっても早すぎるだろうが」


「なんだ、それ。人を病気にして呼びつけたのか、考えられんな。元々常識外れだから仕方ないけど、もう少し働かす知恵があるだろうが」


「だからさっき拝んだじゃないの。二人とも文句は言うけどね、もう三年以上たつのに一度だってそんな誘いを受けたことなんかないじゃないか。いくら守らん公約を平気で言う商売にしてもひどいじゃないの。だから集合をかけてやったんだ。いつまでもそんなことぼやくようでは器が小さいって言われるよ、太か男にならんね」


 村井は笑ってとりあわない。


「料理がくるまで待つ必要ないでしょう。ここの閉店時刻もあることだし、まず、市長から語ってもらえんかな。最初に構想を聞いてどう思った?」


「正直に言うとな、なんて馬鹿な話だと思ったんだぞ。そうだろう、ホームレスを市の職員にするなんて考えられるか? 素人を災害救助の専門家に仕立てるというのも夢物語だとな」


「それがどうして実現した?」


「そこなんだ、誰かの口車にのせられたんだな。憎いことにわしらの全く知らん分野で攻めるわ、野心をくすぐるわで前のめりにさせられたんだと思うな」


「で、できて、予想通りの活躍を始めて、再選の得票にも結びついてどう思ってる?」


「年間二十億の予算な、あれ死に金だと諦めてたんだ実際。それがどうだ、全然聞いたことのない町との交流が始まって、外国にもパイプができて、テレビが宣伝してくれるおかげで名古屋の評価が高くなったんだな。ただ厄介なこともあるんだぞ。へたな政策打てんだろう、痛し痒しということだ。結論としては、広い視野を心がけるようになった気がする」


「大隈さんはどう? 議会の重鎮だから変わらんか?」


「ワシもなあ、市長が言い出したのを聞いて、こいつは本当の馬鹿かと思ったぞ。常識外れも極まったということだな。あんたが入れ知恵したんだろう、意地の悪い例をもちだされて考えてしまったんだ。それが過ちの第一歩だな。あんたの話を聞いて、この常識外れを実現したらどうなるか計算したさ。結局、市長と相乗りになったから会派の中で浮き上がって肩身を狭くしたんだけど、今じゃどうだ、イメージアップできて余計に発言力がついてしまった。わし個人のことはどうでもいいけど、名古屋が注目されてるんだ。国から補助金を貰えたし、出費を抑えることもできたし、注文がはいってるんだろ? ありがたいことじゃないか。わしも市長といっしょだ。視野が広くなった気がする。政党の名前で頭ごなしに決めつけなくなったし、提案の中身をよう考えるようになった。

 言っとくけど市長だけが偉いんじゃないからな、議会が理解して協力したから今があるんだぞ、忘れちゃ困るからな」


「そうだな、何かと衝突ばかりだったし言葉だけの市民本位だったからな、両方とも。市長と議会の衝突は悪いことじゃないと思うよ。馴れ合いが一番の悪だから、衝突するくらいでいいんじゃないかな。その方が緊張感があるし、外野としては面白い。犬使いは?」


「宮内です。市長だって、大隈さんだって、村井さんだって、初めからあたしに関わった人達なんだから真っ先に名前を覚えて普通でしょ? どうしていつも犬使いなのよ」


「怒るなよ。おじさん達はな、おまえがかわいいんだ。名前で呼ぶのがもったいない。違うか? 大隈さん」


「市長もそうか、村井さんはどうだ?」


「いっしょいっしょ。自分の娘だったらいいなと思うよ」


「そういうことだ。ありがたく思え」


「それなら正月には遠慮なくお年玉もらいに行かせてもらいましょうか。脱線するとこだったね。あたしは、自分の提案を受け入れてくれると期待していなかったから夢みたいだった。犬が頑張ってくれたし、ズブの素人がよく犬を操ってると感心してます。おかげで災害救助犬がどんなに優秀かを理解してもらえるようになって喜んでいます。躾教室や模擬訓練の参加者が増えてることも嬉しいです。それに、救助犬が救援課の広告塔みたいな存在になってるし、訓練士としてやりがいがありますよ。がむしゃらだったけど、やればできると思います。やらなきゃ始まらないと思います。それに、あたし身寄りがないんです。転校ばかりしてたから親しい友達もいなかったし。救援課で働けるようになって友達がいっぱいできました。妹や父親もできたんです」


「父親ができた? 恋人じゃなくて?」


「父親と妹です」


 言いながら吉村を指さした。


「なんだ? 吉村さんが新しい父親?」


「他をさがしてもこんないい父親はいないと思います。丹梅は妹の第一号です。あと三人いるんですよ」


「いい話だね、生きる安心が生まれるね。吉村さんは?」


「私は、この歳になっても学ぶことを教えられて、同時に、人の恐ろしさを思い知らされました」


「そんな凶暴な奴がいるの、嫌だね。警察呼ぼうか?」


 そ知らぬ顔で村井が呆れたふりをしている。


「救援課の成り立ちからそうだけど、相手の意識を操作するのに長けた人がいるようで、私なんかでは気付かないことに気配りしている。その気配りが絶妙だから操作されていることに最後まで気付かない。その気配りの底にあるのが何かはわからないけれど、仮に、それを共生とすると納得がいくんです。それを支えているのが損得を度外視できる馬鹿さ加減。ただね、そういう生活で蓄えた知識を武器にされると対抗する術がないんです。


 鍛え方が足りないのでしょうね。意表をつかれて戸惑ってしまうこと自体、術中にはまったことになりますから。


 私はイワシなのかもしれない。つくづくそう思います。弱い者同士が団子になって大きな群れに紛れ込んでいるんですよ。集団の奥で一人前に強がっているんですね。それが少し実績を積んで、自分の考え通りに物事が運ぶとアジになったと錯覚してしまいます。アジってイワシを食べる魚だから偉くなったということですね。でも、アジになんかなっていない。群れの表面に押し出されただけなんです。それに、アジも群れで生きていて、捕食される存在だということです。結局、群れの中からしか物事を見られない存在だったんですよ。自分の失敗は部下が補ってくれる。部下の失敗は自分が庇ってやったと思い上がる。だから群れの中は安全なんです。こんな野良犬と勝負できませんよ」


「野良犬というのは認めるけどね、野良犬だって群れようとするんだよ。悲しいことに猜疑心が強くてだめなんだ。餌さがしが忙しいから群れることができないだけなんだ。次は俺でいいかな?」


「まだ駄目だよ、これからが肝心だから。……実を言うと、今朝失敗したんです」


「それはよそうよ」


「思い上がって舞い上がっていたのに気付かず、宮内に叱られてしまって、村井さんの工場へ逃げていったんです。そうしたらね、仕事を放り出して話し相手をしてくれて、気が付かない間にこんな場を用意してくれて。こんな人が役所にいなくて良かったですよ、絶対勝てない。市長が救援課に居場所をつくってくれたから、救われたんだと思います」


「つまらんこと言っちゃ駄目だよ。みろよ、座がしらけてしまう。だいたい俺みたいな野良犬が役所で勤まるか? 冗談にも程がある。話を戻して、俺としては、自分の想い描いた理想に一歩踏み出してくれたことが嬉しくてたまらないよ。俺みたいな者の考えを聞いてくれて、実現してくれただけで満足してる。ある意味で自分の理想が実現したんだから。次の小説を書きたくなってきた、次の理想も実現できるといいんだけど」


「何を書くのか知らんが、次はわしに花を持たせろよ。市長だけにいい顔させたのではいかんからな」


 大隈が口をはさんだ。


「そうだね、次は大隈さんに相談するかな。前の時は誰にも相談できなかったから、他にやりようがなかったんだよ。だいたいね、市民の提案をきく窓口がないこと自体が間違いなんだよ」


「それで、これからどうしようとしてる?」


 市長が吉村に向き直った。


「私の役目としては、事務手続きを大福に教え込むことと、年明け早々に採用試験をすることが本来業務としての仕事です。その前に職員の家族を再生できればと。できれば家族揃って正月を迎えさせてやりたい。仕事を進めるのは他の者がやってくれます」


「実習生の発案で年末警戒パトロールに協力することになって、今日も警察で打ち合わせをしてきました。市長も参加するんですよね、みんなで警護してあげるから安心してよね。あとは、災害防止の観点から里山保護について自然保護団体と話し合いを始めました。ゆくゆくは漁協も巻込もうと画策してます」


 宮内が補足説明をした。


「お前らの方がよっぽど凶暴だろう。だけど、警察に協力するのはいいことだな。そうやって報道にのるようにするんだ。そうするとな、救援課の認知度が上がるだろ、市長が交代した途端に解体させられたら意味ないからな。それと、どうだ? 一番若いのが係長になって苛められることはないか?」


「それはないですよ、うちは実力主義だから役職なんか無視してます。犬に関しては認めてくれてるから何も不都合ないし、でも少し優しくなったかな」


「丹梅はしっかり学んでる?」


「最近は協議機関について学んでいました。まだ課長の許可をもらっていないけど、採用面接に連れて行こうと考えています。何を基準に採用しているかを現場で見学するのもいいと思いまして」



「ところでな、あんたの入れ知恵か?」


 市長が村井に矛先を向けた。


「何のこと?」


「定数倍増計画」


「初耳だな、倍増するの?」


「あんたが裏で糸引いてるんじゃないんだな?」


「誓って初耳」


「吉村がな、きっと今後も就職が厳しいだろうから五年計画で定数を倍増してくれって頼みにきてな。思いつきだろうがな、こうしたらどうだと」


「どんな内容ですか?」


「他の自治体にも救援組織を創設させるようにワシに働きかけろと。そこへ訓練のできたのを移籍させろと」


「それも一案だな、全国に子会社をつくるのか……。いや、フランチャイズだな、資金はむこう持ちでか。……案外いけるよそれ」


「わしのとこにも来たぞ、企画書もって」


「それで?」


「市長と二人で相談だよ。おもしろそうだなと思ったら負けだな、悔しいけど」


「具体的には?」


「話を始めたよ、駄目かもしれんがな。そこへ元気のいいのが係長になったろう、毎週のように直談判が始まってな、根負けして増員を許可したんだ」


「そうか、また救われる学生がいるんだ、よかった」


「だけどな、あの大きな犬を連れて乗り込んでくるんだぞ、脅しのようなもんだ」


「そんなことは予想してたんじゃないの?」


「まあな」


「で、どうだった俺の考え。仕事を求めていた人すべてが救援課の職員みたいな人材ではないけど、得がたい存在がいることをわかってもらえました?」


 言いたい放題に話させてから市長と大隈に村井が向き直った。


「広く民衆の意見を聞くように努力します」


「右に同じ、ただし市長との闘いはやめん」


「しかしなあ、前から疑問に思ってるんだけど」


 吉村が首を傾げて呟く。


「何、そのボソボソした言い方やめようよ」


「救助したことが逆に不幸の始まりになる場合もあるだろ? 手放しで喜べるのかと」


「経済的問題か? 確かにあるよなそういう不安。ローンで買った家が流されたりしたら借金だけ残るからな。でも死んだら全部終わりだよ。苦しむことはない代わりに喜ぶ可能性もない。生命保険の被保険者だけ死ねば万々歳かもしれんがな、まあそんな冗談はさておいて、夜逃げしたっていいじゃないか。全く別の生き方をさぐることもできるはずだし、心配しなくたっていずれ死ぬのが生き物の宿命なんだから焦ることはない。いくら矛盾を感じても助けなきゃいかん。どうしても堂々巡りを始めたら……」


「はじめたら?」


「眠ることさ。よく眠って体力や精神力を回復させるのが一番」


「眠ることができるかな」


「どうしても眠るんだよ、生きるために。それが明日につながるんじゃないか」


「明日への眠りか……」


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