予期せぬ台風
五 予期せぬ台風
広島から戻った吉村の様子が少しおかしいことに佐竹が気付いた。運転疲れではなさそうな、いつにもまして考え込むような素振りをみせている。
『なんか妙やな、近藤はんには心当たりがなさそうやし、現地での心配事でもなさそうや。元に戻ったらええけど、いっぺん話せなあかんな』
佐竹は林と近藤に相談してもなお、吉村の様子が気になってならない。こうなったらしゃあない、村井はんの知恵借りることにしよう。気が決まると行動は速か
った。
村井を交えた四人が頭をつき合わせ、あれこれ推測してみたが結論が出ず、個人的なことで悩んでいるのかもしれないし、もっと大きな悩みかもしれない。いずれにせよ他人が立ち入るべきではないことはわかっていても、吉村個人もさることながら、救援課の運営に影響が出ないかと佐竹は心配なのである。
突然呼び出され、口々に自分を気遣う質問を受けた吉村が、ようやく重い口を開いた。
「実は、あと一年で定年になるんだが、このままでは自分が去ったとたんに救援課が迷走する畏れがある。リーダーを養成しなかった自分の責任だけに悩んでいるんだ」
それを聞いて皆がハッとした。何から何まで課長におしつけて、ただの工員に徹していた自分達の責任でもあったし、課長の年齢などに全く興味なかったことも責められるべきである。つい今しがたまで他人事と考えていた自分達は、やはり大人になれていない。
すっかり黙りこんでしまった三人に、村井が意外な解決策を提案した。
「あくまで与太話として聞いてくれよ。たとえばだけど、あの犬使いの宮内を係長にしたらどうだろう。まだ若い、しかも女性、芯がしっかりしていて頭の回転も速い。若すぎるという意見もあるだろうが、それこそ絶対に得られない宝じゃないかな。部外者の俺に言えるのはそこまでだ」
「大福をか? 若すぎるし、女だぞ。皆が納得するだろうか」
近藤は難しそうに眉を寄せ、納得しきれない様子である。
「だけど近藤さんの班も佐竹さんの班もそうだけど、営業だって炊事だって誰かに手伝ってもらいながらやってきました。大福だけは違います。誰にも手伝いを頼めないのに弱音を吐いていません。年齢も性別も関係ないですよ」
じっと考えていた林が近藤に反論した。
「ほんま、大福には勝てん。たいした娘や。あれなら皆納得するんちゃいますやろか。皆が納得せいでも市長命令やったらどうにもならへん。そうとちゃうか、近藤はん」
佐竹はこれまで観察してきたことを思い出していた。日頃は歳相応の若者にすぎないが、行動力もあり、人を惹きつける魅力もある。陰に隠れてコツコツ努力を欠かさないし、他人に優しい娘でもある。ただ、時折みせる寂しそうな表情が何に由来するのかはわからない。村井の提案を冗談として受け止めたが、案外適任ではないかと佐竹は考えを改めた。
「なるほどねえ、大福を係長にねえ。いや、気が付かなかった、俺は馬鹿だなあ。若いのと女性ということで完全に除外してたよ。そうだよ、救援課は対等だったんだ、平等だったんだ。そんなくだらんことで人事を悩む必要なかったんだ」
急に吉村が元気を取り戻した。なんのことはない、古い慣習から抜け出せていなかっただけのことだった。
「だけど、皆納得してくれるか? 班長会で応援してくれるか?」
吉村は林と佐竹が賛成しているのを確かめて近藤をじっと見つめた。
「なんだ、俺が反対するって心配か? 考えてみりゃ俺達を黙らすような奴は他におらん。俺はまだ中学生並みだな」
そう言って近藤も快く賛成にまわった。
「村井はん、おおきに。課長も元気にならはったし、次の親方の目星もついた。またあんさんに助けられたわ」
相談をもちかけた手前もあり、佐竹は村井に頭を下げた。
「相談が煮えたのなら急ぐべきだよ、次の人事異動までの時間がないよ」
この四人、相手の悩みを解決しようと懸命になり、素直に耳を傾けられる四人である。林も近藤も将来の上司を年下の者に推す度量をもっている。現代社会では得られない存在だろうと佐竹は思った。
平穏な日が続いている救援課に思わぬ方角から台風がやってきた。
「課長、市長から大至急来るようにってファックスが届いてますよ」
賛助会リストに目を通していると、実習生が紙切れを一枚持ってきた。
“仔細は追って説明する、宮内と小次郎を伴い十時に市長室に来られたし”
「大福と小次郎だ? 意味が解からん。あと三十分しかないぞ、たまらんな」
吉村は思わずぼやいていた。
小さなバッグを片手に、しきりと腕時計を気にする市長の姿がある。その他に公用車が五台。信号が青になり、吉村が玄関に着く寸前に公用車は列になって玄関を離れ、市長だけが取り残されていた。
「遅刻だぞ、十時の約束じゃないか」
バンという安っぽい音をたてて後席に乗り込んだ瞬間に仏頂面で喚いた言葉である。
「約束なんかしてませんよ。これで精一杯ですがね」
その態度が我慢ならず、むっとして吉村が言い返した。
「まあいいわ、高速で常滑へ行くからな」
「だから、何の用なのかもわからずに来たんですよ。なんで常滑へ行のかもわからないし、こっちにも都合があるんですがね」
人の仕事を急に邪魔されてはたまらない。抗議の思いで吉村は後ろを振り返った。
「あんたらの後始末に行くんじゃないか。いらんこと言ってないで運転しろよ、時間に追われてるんだから」
「公務さぼってレースですか?」
何のことか見当がつかないが、険悪な空気が漂い始めたのを感じて宮内がとぼけた質問をした。
「誰が競艇なんか行くんだ! 飛行場だわ」
「だから尻拭いって何のことですか? 私疑われて困ってるんですけど」
「あとで説明する、とにかく大騒ぎになっとるぞ」
市長はそう言うなり黙りこんで書類と格闘を始めた。
「プーチン、プーチン」
ざわざわとした人声にまじって若い女性の声が遠くに聞こえてくる。
「プーチン? ロシアの首相でも来たのか?」
とにかく帰りたいばかりの吉村は人波に背を向けていて状況が判らない。
「いや、中年のグループ、女の子が手振ってる」
宮内もつまらなそうに人波を眺めていた。
「知り合いをみつけたんだろ? よくあることだよ」
「あらら、中年組が市長と握手してるわ。カメラが追ってるよ」
「お客さんの到着か」
「あの子あんな場所で荷物広げなくてもいいのに……。ちょっ、課長あれ見て!」
到着口で荷物を広げ、汚い上着を女の子が取り出したのを見て、宮内の声が裏返った。
「何かあるのか?」
どうせどこかの映画俳優かなにかだろうと吉村はとりあわない。
「いいから見なさいよ」
「うるさいな、どれだよ」
「あれ」
大福の指の先に、取り出した上着を羽織り、狂ったように手を振る女の子の姿があった。
「丹梅……か?」
容姿、背格好、丹梅そのものである。しかも上着は救援課の制服だった。
「……そうみたい。えっ? うそ!」
何事がおこったのか理解できず、二人が驚いている間に丹梅が駆け寄ってきた。
「父清」
「お前、何でここにいる?」
「大福」
「本物だよね? 信じられない、ほんと、何でここにいるの?」
あっけにとられている二人に市長が近づいてきた。
「お客さんに挨拶するのが先だろう」
顔を赤くし目蓋をピクピクさせて、大笑いしたいのを必死にこらえている様子である。
「台湾政府を代表して、高雄から去年のお礼に来日されたんだ。きちんと挨拶せんと外交問題に発展するぞ。挨拶が先だって。ほれ、みんな来るんだぞ、犬も一緒だからな」
「あなたたちは地震の翌朝に突然現れて、たくさんの人を救って、突然帰国してしまいました。他の町では掠奪や誘拐がおきていたけど、高雄では平穏に再生を図ることができました。皆本当に感謝しています。あれをきっかけに高雄でも救助隊を編成しようと、こちらの台湾支部長が精力的に運動していますよ。馬 丹梅です。すっかりあなたがたの虜になってしまいましてね、それで同行させました」
横から高雄市長がにこにこと説明した。
「あなたを見つけてお父さんって呼んでいたでしょう? プーチンというのは、お父さんの丁寧な呼び方です。日本語ではお父様ですね」
小柄な男が、昔覚えた片言の日本語で説明してくれる。
「お父さん?」
吉村は驚いたように丹梅を見やった。
「いつもそう慕っていますよ、あの子」
「お父さんか、そらぁいい。そっちの犬使いとだって親子に見えることがあるからなあ。そんなら妹ができたようなもんだ。な、犬使い。国を越えたなあ、たいしたことだ」
市長が機嫌よく宮内に向き直った。
「犬使いじゃない! 小次郎は相棒です。私は宮内! いいかげん覚えてもらえんかな」
「テレビに写ってるって、こんな顔がニュースで流れたら嫁にいけなくなるぞ」
「で? これからどうするんですか?」
吉村は市長の考えを尋ねてみた。
「このまま東京へ行って、政府と外務省に挨拶してくるで、戻るのは明日だな。滞在予定は一週間だそうだ。丹梅はわしが身元を引き受けて二年間の就学扱いになってる。救援課での実習を希望してるから面倒みてやってくれ」
「じゃあ本当に救援課の仲間?」宮内の声が裏返った。
「だいたい、市長の知らん間に支部長に任命するから、尻拭いしなきゃいかんようになってしまったんだろう。ちゃんと責任とれよ」
「尻拭いってそのこと……」
「とにかく、今日は東京に連れてくけど、明日からちゃんと面倒みてやってくれ」
「そういうことだったんですか……。で? これからの予定は?」
「一時の新幹線に乗らないと間に合わんのだ。わしと丹梅を乗せて新幹線まで送ってくれ、他は公用車に乗せる。秘書が仕切るから心配いらん。遅れるといかん、駐車場へ行くぞ」
市長がせかせか歩きだし、その後を吉村と大福に挟まれた丹梅が小次郎のリードをとって歩いてゆく。
『お知らせします。名古屋災害救援課台湾支部長 馬 丹梅が来日しました。到着の模様は夕方のニュースで放送されると思います。名古屋には明日到着しますので、明日は歓迎会をしたいと思います。アイデアを寄せて下さい。尚、明日以降はここで住み込み実習を行います』
すべて言い終わる前に事務室の扉が勢いよく開いた。
「今の本当か? 丹梅おいでたのか?」
水野が三河弁を丸出しにして駆け込んできた。
「おい、今何て言うた? 丹梅来たてか? 聞き違いちゃうやろな」
便所で用足しをしていた佐竹は、放送を聞くと途中で止めて事務所に駆け込んでいた。
何が理由かわからないが、丹梅には特に強い思いがあるのは事実である。強烈な体験を共有する同志でもあり、親を亡くしても自棄的にならず、自分のすべきことをさがす強さに惹かれたのかもしれない。休憩しているときにふと近藤がみせた父親の本能と同じものなのだろう。
「二人ともばかに早いな、どこにいたんだ?」
ニタニタしながら吉村が尋ねると、
「今日は遅い昼飯。そんなことより、どこにおるだ」
水野が面倒げに答えた。
「便所やがな、途中で止めて出てきたんやないか。ほんまに来てるんか?」
佐竹も勢い込んで答えた。
「今は新幹線、今日は東京泊りだそうだ。今日は政府に挨拶らしいよ、明日来るから」
「よっしゃ、みんなで作戦練ったろ。水野はん、行くで」
佐竹は、水野の腕を掴むと事務所を出ていこうとする。
「いらんことするなよ」
「心配しらん、上手いことすっさかい」
廊下から佐竹の声が響いてきた。
真夏の宵、ビルの谷間で盛大な焚き火が燃え盛っている。
救援課の入り口一帯には打ち水の痕が残っていて、台湾からの一行と市役所幹部と議員有志が、災害救援課で焚き火を囲んでの夕食会が始まっていた。
市役所幹部や議員は台湾の状況を知らないので、野外バーベキューを口実に災害現場を体験させることにしたのである。当然椅子など用意していないので、汚れてかまわないように全員作業衣に着替えてもらっていた。
「ちょっと特殊な趣向だけど、こういう状況になったら何が必要かを感じてもらいたいので、我慢して付き合って下さい。新聞やテレビの人達もいっしょにやってもらって、体験を市民に知らせてもらいたいのでよろしくたのむね。座る場所は決まっていないから好きなとこに座ってかまわんし、うろうろしてもかまわんよ」
市長の発声でおよそ歓迎会とは程遠い食事会が始まった。
「どうだ? やっぱり台湾の人は慣れてるのが判るか? 台湾の人達は全員尻の下に木切れやら板を敷いてるだろう? 議員さんや幹部は地べたにそのまま座ってる。こういうのが体験で身に付けた知恵だ。服を破らんことも身を守ることにつながるのを体験で覚えたんだろうな。だけど日本人はそれを知らん。災害救援課ではどうやって被害を少なくするかを知ってもらう活動に集中してるんだけど、なかなか周知が図れんのが現状なんだよ」
新聞記者を相手に市長の説明が続いている。
「あんたなあ、突然こんなことされたら心の準備ができんのだぞ、何もできなくて当たり前じゃないか。事前に説明してもらわないと困るじゃないか」
普段の防災訓練では来賓として参加する者ばかりなので、こういう場合にどうすれば良いか判断できない者がほとんどである。だからこの趣向は来賓には甚だ不興である。
市長の隣では大隈が苦情を噴出させていた。
「大隈さん、こんなこと言っちゃいかんがな、地震の予告は今だかつて一度だってないぞ。台風みたいに予測ができたら逃げればいいじゃないか。突風や地震はいつくるかわからん。だから、被災することを前提に被害を食い止める知恵を働かさなきゃいかんだろう。この食事だってそうだ。災害救援課としては前代未聞のご馳走だけど、あんたらには粗末に見えるだろう? けどな、実際の災害現場で提供できるのはずつとみすぼらしい食事を少ししか提供できないんだぞ。一人でも多くの人が生き延びることが大事だからな」
「そうだけど失礼だろうが」
「ワシも知らなかったんだ。だがな、台湾の人達の顔見てみろよ。上等な料理もいいけど、心の通う食事より美味いもんがあるか?あんたらも遠慮せずに職員の中に紛れ込んだらいいんだぞ。わしの知らんことがいっぱい聞けるかもしれん。市民に警告をしてやってもらいたい。どれだけ頑張っても全部を守ることはできんのだからな」
「あたし亜矢、結城亜矢。いっしょの部屋だよ、それからこっちが」
「あたし菊池奈緒。それと、こっちにいるのが」
亜矢が勝手に紹介しようとするのを奈緒が横取りする。そして、更にみちるを紹介しようとして同じように本人に横取りされてしまった。
「及川みちるだよ。この三人とあんたが同じ部屋の仲間だからね」
「寝るのどっちがいい? 上? 下? どっちでも好きな方譲るから仲良くしようね」
奈緒とみちるが同じ二段ベッドを使っていて、亜矢のベッドが一人分空いているらしい。
「台湾に二段ベッドがあるのかな。プライバシーがないように思うけど馴れたら楽しいよ」
少しでも早く溶け込めるようにと盛んに話しかける亜矢に、冷静な奈緒が待ったをかけた。
「日本語わかるかな、英語が話せればなんとかなるかもしれないけど」
「奈緒英語できるの? あたし数学と物理は得意だったけど英語は苦手だから」
亜矢が呟くように言った。
「みちるが得意らしいよ。とにかく一番賢いのはみちるだから」
そんなやりとりを笑顔で聞いていた丹梅が怪しい口調で言った。
「台湾の老人に日本語を少し習いました。簡単な言葉ならわかります。英語なら話せます」
「字は?」
「意味がわからないことがある。字の使い方が違う」
「奈緒どうする?」
「困ったことだぞ」
料理を食べるのを忘れて唸り続ける二人にみちるが呆れていた。
「翻訳機買って丹梅の首にさげておけばいいじゃない。始めは機械の世話になって、だんだん言葉を覚えればいいでしょ? あたし達は中国語を、丹梅は日本語を覚えることができるでしょ?」
「国際派になるわけか……。バイリンガル美女集団の誕生? えーんでねぇか?」
「久々のえーんでねぇかだよ。みちる、やっぱり頭いいわ」
バチバチという音をたてて炊き火が燃え盛っている。山の中なら揺れる灯りが木立をうきあがらせて幻想的な雰囲気を醸し出すのだろう。能を楽しむ雰囲気かもしれない。しかし、高層ビルに囲まれている立地条件では荘厳さのかけらも感じられないが、物事にこだわらない者達にとってそんなことはどうでもよかった。
ほとんどの者が焚き火で肉を炙っている。ほどよく炙った肉を削ぎ、干魚を炙る者や焼いた味噌をつつきあう者もいる。唄もなく、ましてや踊りもなく、あちこちにかたまった物同士が笑う声が聞こえてくるだけである。少しの酒に酔って鼾をかいている者もいる。
最初こそ仕事に精出していた報道関係者も、徐々に腰を据えて話しに加わっていた。
実習生のグループから解放された大福がふらふら歩いているところを地元放送局につかまり、吉村に救いを求めてきた。
「吉村さんここにいたんですか。宮内さんに話を聞こうとしたらえらい勢いで逃げられて、まあこれで二人から話を聞かせてもらえることになったから良かった」
「聞いて得するようなことなんかないよ、そんなことしてないで食べてよ」
「吉村さん、やっぱり特集番組に協力して下さいよ。さっきの災害を防ぐ内容を盛り込んで全国版で放送するから、きっと実践する人がいると思いますよ。何も災害は名古屋だけにおきるわけじゃないでしょう? どこの地域の人であれ、それで救われるなら意義があるし、新しいアイデアが寄せられるかもしれないじゃないですか」
「だけどなあ、顔を晒したくない者もいるから……やっぱり難しいよ」
「わかった、市長に掛け合ってみます」
「行っちゃったよ」
「でもね課長、顔を晒すことで抱えている問題を解決する糸口にできる可能性もあるよ。近藤さんも佐竹さんも、他にもたくさん」
「ところで、本業はどうです? うんと儲けてしっかり税金を納めて下さいよ」
前触れなく吉村が工場を覗いてみると、仕事がないのか村井はパソコンゲームをしているばかりで、久しぶりの訪問というのに素っ気無い対応である。
「見てのとおり開店休業だよ。知り合いもみな同じ。自家製品じゃないから弱いんだよね。お客さんのところにも注文がないらしいからどうしようもないよ」
「実は、お願いがあって来たんだけど」
「鉄砲でも作れってか?」
「そんな物どうすんの、それに作れるの? だから今日は真面目な話なんですよ。これなんですがね……」
手帳に挟んだ図面を取り出した。
「今使っている梯子なんだけど、学校や地域に売ろうかということになって、どこで見積ってもらえるか相談に来たんですよ」
「ふうん、何を企んだ?」
「だから、人聞きが悪いからやめてよ。企むって悪い響きだよ」
「これがカジヤの言い方なの」
「今年、東北と北海道と沖縄から新卒を採用したのだけど、まだ景気が悪いから就職浪人が大量に出そうでね。それで、予算に負担かけないようにして救済できるように、林さんと佐竹さんがが提案した財源確保ですわ」
「ほう、良い発想だね。一皮むけた?」
「大々的に宣伝するわけにはいかないから、避難訓練に積極的に参加して、実演販売みたいにすれば売れるのじゃないかと……」
「アルミパイプの曲げと溶接か。この図面の変更はできる?」
「変更と言うと?」
「機能と強度さえ満足できるなら、寸法や加工方法を変更していい?」
「完成品で正式な図面にすれば良いと思うけど」
「じゃあ、二週間あずからせてもらえるかな、知り合いに当ってみるわ。できたら作業所にも……」
「作業所?」
「障害者の作業所だよ、あっちも経営が大変だろう」
「作業所で大丈夫かな?」
「シール貼るとか梱包とか、対応できる部分だけさ。でもいくらかにはなるから」
「そっちに考えがまわらなかった、まだ未熟だね」
「目を開くことさ、知ると判るの違いと同じよ。風景として眺めていては見えないものがあるのと同じ、意識を一点に集中しすぎると見えなくなることもあるさ」
「試作品作ったから見てくれる?」
十日ほどして村井がやってきた。たまたまその時、吉村は職場を去ろうとする職員の説得をしていた。
「神野さんと岡本さん、もしこっちで作ることになったら実際に製作する人達」
「そりゃあお世話になります。ところで、試作品は?」
「目の前にあるでしょ」
「これ? 使ってるのと全然違うけど……」
「図面変更できるって言ったじゃないの。作り易く、体裁良く、少しでも軽く、強度は要求以上にということでデザインし直したらこうなった。機能性重視だったろ? 試してみてよ」
「どうしよう、誰か呼ぼうか?」
「呼んでどうするの。外でなけりゃ試すことはできないよ。鳶のとこ行こうよ」
吉村はしきりに首をひねっている。素人にとって、外観の違う物は別物としか捉えられないのだろうか。
「大丈夫だって、外観の違いなんか大したことじゃないから。ちょっと邪魔するよ」
村井は笑いながら事務所を出て行った。
「うーん、どうしても納得できないか? 最初の説明と違うことはないはずだけどな、そもそも納得したから応募したんだろ?」
「あの時は金がなかったし、仕事もなかったから……。だけど、出動しても手当てがつかないんだよな。なんかおかしくないかな」
「だけど普段はここで訓練するだけだろ、手当てを出せというなら普段の仕事はどうなるんだ? 値下げしてもいいのか?」
「どうして値下げなんだよ、はっきり言うけど安いんだよ」
「たしかに日当だけを較べれば安いけど、雨も嵐も関係なく給料払ってるんだよ。保険も年金も整ってるんだし、寝るのも食うのも心配ないはずだがな」
「それに、高校生も同じ給料らしいな」
「それも最初に説明したはずだがな。熟練も素人も全部横並びだって」
「なんであんなヒヨッ子と同じ給料なんだよ、それもおかしいよ」
「だったら教えてもらいたいんだけど、自分は高校生より全てに勝ってると思うのか?」
「当たり前だ」
「そうか、農林高校や工業高校の出身者もいるし、商業も水産もいるんだけど胸張れるのか? コンピュータの達人もいるよな」
「そんなこと関係ないだろ?」
「だけど、何が役立つか誰にもわからないじゃないか。それが勘違いじゃないか」
「まあいいや、そんな話をゴチャゴチャするつもりないから。とにかく辞めるから」
「しかたないな、日付はどうする?」
「今日まででいい。すぐに荷物を運ぶ」
「うん、わかった。じゃあ保険と年金の書類を作っておくよ。離職証明もな。永い間ごくろうさんでした、おかげで楽しかったよ」
「退職金は?」
「すまんが、退職金は最低五年在籍しないと支払えない。そういう規定になってる。書類は三十分で用意するからあとで寄ってくれ。今日までの給料も準備しておく」
これで十五人目。せっかく生活が安定したというのに収入に不満をもって離れてゆく。何か壮大な目標をみつけて巣立つのなら応援したいが、表面上の収入にばかり意識が奪われ、ままならない日雇いに血眼になっていたことをすっかり忘れてしまっている。
帳簿を何冊か抜き出しながら吉村は力の抜けるのを感じていた。
「誰だと思ったら、蛍カジヤか」
近藤が遠慮のない声をあげた。
「誰がホタルだ! 山賊に言われる筋合いないわ」
村井も負けていない。
「山賊だ? そんなふうに呼ぶ奴一人もおらんぞ」
「残念だったね、ここにいる。どうせ山賊顔が怖いんだろうよ」
近藤の顔の前でニヤニヤ笑いながら自分を指差す村井が立っている。
「相変わらず口が悪いな、もうちょっと上品に喋れんか?」
「山賊に品を教えてもらいたくないわ。品で物が作れるか」
「いいなあ、こういうやりとり。息が合うっていうか、間の取り方が絶妙っていうか。妙に気が合うんだよな、やっぱり職人同士だな。公務員になって堅苦しいと覚悟しとったのが楽んなった。あいにくゲコだからな。コーヒーとタバコならいっくらでも付き合うぞ。で? 今日は何しに来た」
「梯子の試作品ができたから、どうかと思ってな」
「えらく格好変えたな。要は使い物になるかだけど、腕は確かだろうな。若い者に試させていいか?」
「壊すなよ、まだ俺達の物なんだからな」
「これ使ってみてくれ。遠慮なくコキオロスんだぞ。まず、抱えて走る。登る。繋いで具合をみる。渡して何人乗れるか試す。担架として使えるか。ま、そんなもんか」
「今までのと較べりゃいいですか?」
「そうだな、ちょっとでも悪いところがあったら遠慮するなよ。こいつ、悪口言われるとヒーヒー言って喜ぶ妙な癖があるからなぁ、遠慮はいらん」
「おい、悪いけど俺達本職だぞ。素人が作ったのに負けるわけないだろうが。それにな、変な趣味ないからな」
無駄なことをするなとばかりに村井が笑っている。
「黙って見とれって。すぐに剥れる化けの皮ーか?」
実習生が走りだした。途中で何度か持ち替えているのは今までの物のようだ。
「まず一勝だな」 村井が笑う。
梯子本来の使い勝手に違いはなさそうだ。
「芸がないな、こういう使い方教えてないのか?」
村井が歩み寄り梯子に上った。上ることには違いがないが、降りる段になって、手摺りを足で挟んで滑り降りてきた。
「何やった? ひょっとして同業者か?」
「潜水艦みたいだろ? 昔な、重量鳶やってたんだ。修理の時には高い場所もあるから慣れたものよ。山賊の近藤親分がこんなことも教えてないとはな。だけど、
今までのだとこんな芸当はできないよな」
「うるさい奴だなあ。……繋がなきゃ意味ないだろうが」
「問題あるか?」
「何人乗れるかが一番大事だ」
「今までのは何人乗れた?」
「三人」
「じゃあ、三人から始めないとな」
「もう六人乗ってるけど、これでも弱いか?」
「……担架だ」
「うちのはビニールシートで作ってあるから寝心地いいぞ、柔らかいし冷たくない」
「まいった、こんならええわ」
「だから、本職をナメタラいかん。誰が蛍だって?」
「おい亜矢、ちょっと兵藤さん呼んで来い」
「どうした? あらら、立派なのができたでないの。やっぱり本職だな。そうか、ここはこうしたら綺麗だな。これはロープ掛けか?」
「吊るか縛るか、どっちにも使えるように追加しといた」
兵藤は改良してある部分を感心して見ている。
「班長、あの人誰なんです?」
亜矢にとって村井は初めて見る顔だった。
「ここの生みの親だ」
「生みの親は市長と議会だよ。育ての親が吉村課長」
村井が訂正する。
「だったらあんたは何だ。やっぱり蛍じゃないか」
「そうだなあ……、さしずめ、天の声か?」
「天? あんた神様になったのか、拝んどかんといかんのか?」
「おい、拝む前に賽銭だせよ。今時は神様も貧乏なんだぞ」
「ベロも出せるか。なんぼなんだ、見積もり出たんだろう」
「見積もり書、安くしてあるから。ただし、金が絡むから、横槍が入らんように入札忘れるなよ」
「そこが問題なんだよね」
吉村は困った様子である。
「なんで? あんた永いこと公務員やってきたんだから入札の手順くらいわかるだろ?」
「手続きの問題じゃないよ。この見積もりより安かったらどうなるかということさ」
「試作品の審査をすればいいだろう。最低でもこれよりいい物でなきゃ意味ない。値段と品質を総合して決めるのが正式な入札だと思うけど」
「ということは、他の業者が落札ということも」
「それが入札じゃないの」
「じゃあ、当初の図面で公募するよ。それをどう改良するかも審査対象にする」
「そうしなきゃ駄目だよ。説明のつくようにしておかなきゃ」
「うん、そうする」
商売にしたかろうに、自分達の都合は一切口にしないまま村井達は帰っていった