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開かれた意識

 三  開かれた意識


「皆集まってくれ、今日の連絡をするぞ」


 被災者を交えて朝の体操を終えた時、街灯に括り付けた拡声器が集合を促した。


「政府の緊急援助隊が昨日到着しました。災害救援課の役目はこれで終了。皆お疲れさん。

 事故なく大勢救助できて町の人達が感謝してます。政府の援助隊に引き継ぎをしたら帰国するから、朝食後は帰国準備を始めてください。説明を兼ねた案内に何人か対応してもらいます。明朝出発しますので、準備ができたら自由行動とします」


「課長、テントや装備どないします?」


 佐竹は被災者達に備品を残してやりたくなって吉村に尋ねた。


「救護用テントと便所、それに風呂もは置いとこうや、無いと不便だろう。風呂の沸かし方を覚えただろうから皆で協力するだろう。自転車とリヤカーも残そう。ただし、今日は野宿だから寝袋まで仕舞っちゃだめだぞ。保存のきく食料を子供用に残して、他は支援本部へ託す。子供達のこともあるから救援隊と役所へ行って頼んでくるわ」


「そんなケチなこと言わないで、全部残してやろうよ。素手では仕事できないんだからさ」


 方々から佐竹に賛成する声があがる。それが佐竹には嬉しくてたまらない。


「わかった、任せる。苦情がでたら俺があやまることにする。とにかく相談して残す物をまとめておいてくれ。ただし、手ぶらで帰るのは格好つかんからほどほどにな」


 諦めたように同意した吉村に、


「よくよくアホの集まりやな、わしら。よし、ちゃっちゃと荷物の仕分けや」


 晴れ晴れとした顔で佐竹は語りかけた。



 帰国と言われてもあまり嬉しく思えない。複雑な想いが皆を支配している。まだ落ち着き先が決まらない子供はどうなるのだろう。損得抜きで子供達の面倒をみてくれるところがあるのか、役所がきちんと対応してくれるのかと案じられる。台湾の社会では親を亡くした子供が希望を失わずに生きてゆけるかが気がかりだった。

 道具を纏め、本部テントを萎ませている姿で察したのだろう、いつもあちこちにかたまって遊んでいる子供達が遠巻きに男達を見ていた。


 一家の安否を確かめに来た弟夫妻が、崩れた家に貼っておいた紙をたよりに本部で丹梅と再開したのは、丹梅が救出された四日後だった。兄一家のことも心配ではあるが、自分達の家を住めるように整理し、兄一家も避難生活ができるようにして出てきたらしい。兄の家へ行ってはみたものの、ただ瓦礫に埋まった屋根があるだけなので呆然となったそうである。俯いて暫く考えていた丹梅は、しっかり顔をあげきっぱりと自分の意見を言った。


「日本から高雄を助けに来てくれた人達が、夜遅くまで働いてくれている。悪い人に拐われないように、親を亡くした子供達の面倒もみてくれている。だから、子供達が落ち着くまでの間、私も手伝う。他人と仲良くしなさい。自分のことばかり考えるのはよしなさい。お父さんとお母さんがいつも言っていた。だから、もう少しここに残ってできることを手伝いたい」


 実は、丹梅が救出された翌々日、身元確認をしてほしいといって警察官が丹梅を訪ねてきた。仕入先で被害に遭ったようで、関係者の情報で家に行き、貼っておいた紙を見てやってきたらしい。警察官に伴われて両親の遺体を確認に行った丹馬は、翌朝になって泣き腫らした顔で戻ってきた。身寄りがなくなったこともあり、そのまま救援本部で寝泊りしながら手伝いを続けているのである。



 いつもと違って冗談を言わずに黙々と片付けをする彼等を手伝いながら、丹梅はいいしれぬ不安にかられていた。誰彼問わず、『帰国』と書いて示すと皆が悲しそうに頷く。

 一緒にいる時間が短かかったのにとても寂しかった。そして、言葉が通じないことをもどかしく思った。



 昼前になって宮内が兵隊の服を着た男と戻ってきた。


「国に帰るの?」


 丹梅は思わず声にしていた。

 男が宮内と何か話していたが、


「日本政府の救助隊が到着したので、明朝帰ることになりました」 通訳をしてくれた。


「助けてもらったお礼をできない。短い時間しか一緒にいなかったのに寂しい」


 少し俯き加減で丹梅が搾るように言った。


「元気だして、立派な大人になりなさい。寂しかったら手紙を書きなさい。日本に来たら泊めてあげるから。そのかわり、ホテル代の前払いとして明日の朝まで手伝わせるぞ」


 宮内はそう言って紙に住所を書き、少し寂しそうに笑った。                  


「手伝うからこれをほしい」


 気が付いたら宮内が着ている作業衣の袖を握っていた。                    


「そうか、寂しいか……。よし、あげる。着なさい」


  着ていた作業衣を羽織らせ、帽子もくれた。


「おー、似合うよ。丹梅を名古屋市救援課台湾支部長に推薦する」


  大声で笑って、


「ほれ、ご飯ご飯」


 と楽しそうに歩いて行く。



「おい、見てみろ。丹梅が制服着て歩いてる。やっと採用してもらえたか?」


「かわいい救助隊員だなぁ、一緒に名古屋帰るか?」


  作業衣を着た丹梅をみつけると皆が声をかけてきた。


「ちょっと待ちやー」


  佐竹は個人的に何もしてやれないことへの侘びのつもりで、丹梅の背中に自分の名前を大きく書いた。それを見て皆が真似をしたので、あっという間に背中が寄せ書きになってしまったが、丹梅は皆の名前で埋められた作業衣が嬉しかった。国の思惑とは無関係に、他人の不幸に手を差し伸べようとする人達がここにいる。そんな人達に接することができてよかったと丹梅は思った。つい何日か前までは全く知らない人達だったのに、ずつと昔から一緒に生活してきた人のように感じている。今もらった服に皆の想いが籠められたようで、少しだけ寂しさを我慢できるような気がした。



 普段どおりのガヤガヤうるさい食事の最中に宮内が突然立ち上がり、


「ちょっとみんな聞いてくれない? 提案があるんだけど。ここにいる丹梅を名古屋市災害救援課の台湾支部長に推薦します」


 と叫んだ。


「おーっ」という声がする。どよめきが広がる。


「反対意見ある?」


 仁王立ちになって周りを見回すと、皆が笑顔で拍手をしている。


「胸反らしても大きく見えんのが辛いな」 冗談を言いながら賛同の拍手をしている。


「どの口が言ったのよ、こんなグラビア美女つかまえて。見る眼ないの?」


「大福、悪い癖や。自分を見失うたらあかん、しゃんとせんかい!」


  佐竹は宮内の脱線癖を嗜めるつもりで先を促した。


「佐竹さんありがとね、危ないとこだった。だいたい茶々いれるからいかんのだよ。ご飯食べながらどういうのがウケルか考えてたのに忘れちゃったじゃないの」


「結局なにをしたいんや?」


  佐竹の言葉で吾に帰った宮内だが、考えていた筋書きを忘れてしまったようだ。


「だから、きれいに胸を反らせて、片手を腰にあてて……。そうだった、課長を指差すんだった」


「ほんで? でやねん!」


 佐竹の応援に後押しされて、


「どうよ!」


 と言って胸を張った。


「そんだけするのにあないな手間かけたんかいな、難儀なこっちゃ」


  佐竹のからかいに再び爆笑が湧き上がった。

  仕方ないなという顔で笑っていた吉村だったが、見れば紙に何かを書いている。立ち上がって丹梅を手招きして前に立たせ、書いていた文章を読み始めた。


「馬 丹梅、本日付をもって名古屋市災害救援課 台湾支部長に任命する。平成二十四年九月二十六日  名古屋市災害救援課長 吉村 巧」


  耳元での通訳で意味を理解したのか、丹梅は弾けるような笑顔になった。


「アホや、こいつらほんまもんのアホや、課長までアホになりよった。かんにんしてえな」


 この吉村の行為は佐竹にとって一番の驚きであり、一番の喜びでもあった。規則に縛られることが減ってはいたが、吉村がここまで柔軟になってくれたことが何より嬉しく、吉村が自分の垣根を取り払おうとしているのなら、自分も垣根を取り払おう。じんわり涙が出そうなのを堪えながら、佐竹は拍手を続けていた。



  後片付けを再開し、街頭に取り付けた拡声器を外す前に、明朝救援課が帰国することを丹梅が繰り返し伝えると、あちこちのテントから人が出てくる。手助けに感謝する人、手助けの打ち切りに不安そうな人。その人々に囲まれるだけで男達は満たされていた。




  テレビニュースで災害救援課が現地を離れる場面を放送している。

 いよいよ帰国することになったのを知って集まった人達がバスを取り巻いている様子が映っている。犬にむらがる子供の一団も映っていた。


『災害発生の翌朝から、救出活動や親をなくした子供の保護活動を続けてきた、名古屋市災害救援課の職員が帰国することになりました。政府の緊急国際救助隊の到着により約十日間の任務を終えるもので、災害発生直後からの素早い対応に、現地では……』


「飛行機何時に着くんだった? 迎えに行かんと何しでかすやらわからんでなぁ、あいつら。予定いいだろ?」


  昼のニュースを途中で消して、市長は秘書に確認をした。


「今日は来客の予定はありません。議員との懇談会が三時まで予定されていますが、少し早めに切り上げます。到着予定が五時ですから三時に出れば十分間に合います」


  議員との懇談会といっても、軌道にのっている市政なので情報交換会のようなものである。ましてや初めての海外派遣で大活躍した職員が戻ってくるのである。些細な用事なら後日に繰り延べてかまわないと市長は考えていた。 




  みすぼらしい作業衣の一団が到着ロビーに姿をみせると一斉に照明がともされ、ストロボが青白い閃光を放った。


「多くの方々のご理解に支えられて、初めての海外救援活動を無事に努めてきました。発生直後から現地入りしたので救出できた人数が多かったと思っとります。今後も災害がおこったらすぐに駆けつける態勢をとっとりますので、物心両面の支援をお願いします」


「傾いたアパートからの救出場面が反響をよびましたが」


「うちは職人の集まりだからね、あんくらいは大騒ぎするような事ではない……。皆の顔見てやってくれよ、自信が漲ってるでしょう」


  インタビューに答える市長は誇らしげな顔をしている。ロビーに並んだ作業衣を取り囲む輪がいくつもできていた。


「手短かにたのむよ、みんな疲れてるんだから。休日なしで働いたんだからね、また別の日にでも取材してもらえばいいから早く帰してやってくれよ」


  テレビという言葉に過剰反応をしたのを思い出した市長は、なるべく彼等が映らないよう、テレビカメラの動きが気になっていた。どう非難されようが、なるべく早くカメラから遠ざけてやりたいという気持ちで一杯である。


『やっぱりテレビが来てるわ。かなんなー。なんとか影に隠れたろ』


  佐竹はなるべく自分が映らないよう人の背に隠れていた。それでも安心できず、帽子を目深にかむり、胸のネームを荷物で隠している。絶対安全ではないだろうが、そうしか方法がなかった。一刻も早く立ち去りたいのが本音なのである。

 ともあれ、こうして初めての外国派遣が無事に終わった。




「明日は昼から出勤。後始末が終わったら休めるようにするからもう少し辛抱してくれ。

 今夜ここで泊まりたいという者は体育館で寝てほしい。それじゃあ解散。お疲れさん。ゆっくり風呂に入ってくれよ」


  殆どの者が宿泊を希望しているのを知って吉村は呆れていた。その吉村自身、誰も待たない自宅に戻るつもりはなく、体育館で雑魚寝するつもりだから同類である。

  留守番を任されていた者に囲まれて業務終了が告げられた。

 クズ屋もクズ長も営業も帰宅せずに彼らを待っていた。殆どの者がアパート住まいを始めたとはいうものの、家族と疎遠になっている者が多く、帰宅しても話す相手がいないのでついつい話が弾む。自宅通勤者も時刻を気にしながら残留組に引き留められていた。

 まだまだ立ち直れていないと吉村は思う。帰りを待つ家族があってこそ立ち直ったといえるのに、彼等には帰るべき家庭がない。経済的な安定がもたらされれば崩れた家庭の修復が進むと安易に考えていたのは全くの間違いだったことに気づく。あくまで本人が努力すべき問題には違いないが、同じ問題を抱えた者同士が解決の糸口を後押ししてくれたらと願っているのに、気配すらない現実に失望していた。





  勉強会を始めて三度目の会合になる。一度目は、このまま検討するに値するものなのか答えを持ち寄り、二度目には、どういうシナリオが好ましいかを話し合い、そして三度目の今日は、他の議員や外部の委員にも集まってもらっている。比較的柔軟な思考ができ、口の堅い者ばかりに声をかけて、彼等がどんな反応を示すのか知りたかった。今日は村井も呼び出されていて、村井の説得がうまく伝わるのかも知りたかった。


  発起人を代表して市長が内容説明を始めると、方々から失笑が洩れてきた。


「わしから補足させてもらうけど、最初市長からこの話を聞いたときは前に座っとる者みぃーんな笑ったんだ、あんたらみたいに。だけど、発案者の村井さんの説明を聞いたら何も言えなくなって、二度集まって相談した結果、どうしても仲間を増やさなきゃいかんということで声をかけたということなんだ。だから、市長だけの提案ではないぞ。前に座ってる者全員の共同提案なんだ」


  市長の説明が一段落すると、議会でも古株の大隈が語りかけた。普段反目しあっている市長と大隈が同じ意見であり、共同提案するとの発言が出席者を驚かせた。


「いいか、大事なのは、明確な目標を共有することだ。いちいちあれがいかん、これがいかんと揚げ足をとるんじゃなくて、どうしたら実現できるか考えるのが大事だろう。方法は皆で相談すりゃいいことだ。役人や知識人の言うことばかりが正しいんじゃないからな、騙されたと思って一度聞いてもらえんかな。

 あんたが説明しなきゃだめだぞ、他の者じゃ説明しきれん」


  大隈はそれだけ言って村井にあとを任せた。


「役人でも知識人でない私が説明するのは間違いですが……」


  身構えているであろう参加者の気持ちを解すことをねらって、村井は冗談を言った。


「市長の説明で概略を理解してもらえたと思います。私の狙いはあくまで失業対策に刺激を与えることなのですが、せっかくだから災害救助専門の組織をつくったらどうか、しかもそれを市の正規職員とするよう市長に提案しました。

  いつも行政は雇用対策とか失業対策という言葉を使いますが、実際に行政が雇用を確保した例を私は知りません。公共事業をすれば雇用が改善されるという迷信に縋っているだけです。何を言おうが、行政が直接雇用しないかぎり他人任せにすぎません。公共事業が雇用対策になるとの見方にしても、大手業者が懐を肥やすのが先で、地元業者には孫請けみたいな仕事しかまわってきません。子飼いの下請け業者が優先ですからね。これでは、お金を出しても不安定な就労形態が解消される保障はないということです。厳しい言い方をすれば、市民の税金を他人にやるようなものです。

  その他にはどんなことをしていますか。減税や融資や補助金しか考えつかないのが行政の実情ですね。でも考えて下さい。いくら減税してもらっても貧乏人には恩恵がないじゃないですか。融資を受けようにも返済の目途が立たないじゃないですか。本当に融資が必要なのは赤字の業者ですよ、赤字の決算書を提出して融資してくれますか? 結局は金持ちに有利な内容ばかりで、そこに振り向けられる予算のせいで、本来救済されるべき人が犠牲になっているのです。私の提案は、緊急に支援すべき人を直接救う一案です」


「でもな、なにも公務員として採用する必要はないんじゃないか?」


「いえ、公務員でなければいけないんです、公社ではだめなんです。権限の所在がどこかわからないような組織では機能しません。災害救援というような緊急事態ならなおさらです。上司や監督部署にお伺いをたてている間に手遅れになってしまいますし、どんな看板を背負ってるかで信用度が段違いですよ。

 地方自治だとか地方分権だなんて叫んでいますがね、自治体自身が慣習や既存の価値観にとらわれない知恵をもっていることを日本中に発しなければ実現しないと思いますよ。

 全国の自治体にも、国にも、新しい自由な発想を認識させねばなりません。はっきり言って、これまでのようなイベント一辺倒で名古屋を宣伝するという方法は、無駄な経費ばかりかかって効果が薄いと思います。自治体って興行主じゃないですよ。そんな人気取りは考え直すべきだと思います。

 新規事業を立ち上げると言いますが、自治体の誰がそんな知識や知恵をもっているのですか、技術をもっているのですか。そんな人いないじゃないですか。立派な人がいるなら何故もたもたしてるんですか、結局は業者が開発する経費を肩代わりするだけですね。

 災害にみまわれない限り必要ないという意見があることは承知しています。しかし、これを自衛隊に置き換えてみて下さい。名前と目的は違いますが本質は全く同じです。毎年必ず台風被害が発生するのですから自衛隊より現実的だと思います。それに、自治体からの直接支援というかたちで、言葉が悪いけど恩を売ることができます。いろんな所への支援は職員の実践訓練になります。通常訓練だけでは自信がつかないから、被災地支援で実践訓練させてもらうと考えて下さい。数をこなすほど熟練しますよ。いざ名古屋で災害発生ということになったらすごく役立つし、きっとそれまで支援した地域から、人手も物資も利子つけてお返しがくると思います。そういうのがお付き合いじゃないですかね」                        


  そして、社会で仕事を求めている人の中に、目的に適った技能の持ち主がたくさんいることを村井は説いた。



「本当にそんなにうまくいくのかね?」議員が一人立ち上がって疑問を口にした。


「わしも同じこと言ったんだ。村井さん紐、ちょっと縛って見せてやってくれないか」


  待ってましたとばかりに大隈が村井に実演を勧めた。


「じゃあ簡単なのをご披露します。ここに何もしてないロープがあります。ちょっと巻いて、……端を潜らせれば、等間隔に結び目ができて坂の登り降りにとても便利です」


  村井は話しながら結んだロープを出席者の手にとって見せ、


「もう一本のロープで……、命綱を結びました。輪に足を通して余ったロープで胴体を巻いて、できあがりです。ためしてみましょうか」


  机に上ってロープを天窓に巻きつけた。皆が自分に注目しているのをたしかめて足を浮かせ、次いで両手を広げた。


「どうです、結び方知ってると便利でしょ?」


 そしてそのまま宙吊り状態で仰け反ってみせた。            



「こんな具合に災害救助に役立つ能力をもった人が、町で仕事をなくしてブラブラしてるの、もったいないでしょ? そして、学者のように知識だけではだめなんです。あとは皆さんが名古屋をどういうやりかたで守るかを考えて下さい。ただ、この組織が有効に機能するほど名古屋の評価はあがるし、最終的に市民に貢献できると、つまり名古屋を守ることになると思います」


 村井の説明が終わった。



「だけど、行政改革を進めることに反することになる」 中堅議員が発言した。


「不安要素が多すぎると思いますよ」 薄笑いをうかべて発言する学者もいた。


「いいですか?」


  もうこれで最後にしようと思いながら村井は発言を求めた。


「どれだけ行政改革をしたところで行政のすべき仕事が減るわけではありません、逆に増えると思います。皆さんの考える行政改革は、無駄を省くという口実で外部委託させて、余剰人員を非公務員にすることではないですか? そういうのはただの人員整理でしょ? いわゆる天下り先をつくるだけの効用しかないですよ。大企業みたいな人員整理をしたらどうなります? 失業者が益々増えると思いませんか? それに失礼だけど、公務員が簡単に再就職できると思いますか? 公務員が役所を離れて何をできますか、どんな値打ちがありますか? 

 不安要素が多いのは当然です。今の段階は提案者の夢の世界ですから。でも、夢をみるときには可能性を追求するのが当然で、負の要素に意識をあまり向けないものでしょ? 心配しなくても議会や世論が大騒ぎして不安要素を教えてくれますよ。その解決策を考える努力をするのがあなたたちの仕事だと思います。

  議員も学者も、私達現場で働く者からすれば口先だけで生活しているように見えます。いくら理屈をこねても、できないことはできないんですよ。

  床に敷いた畳の上を自転車で通り抜けることは簡単にできますよね。十mの高さでならどうですか、怖くて自転車では無理ですね。二十mならどうです、歩いて渡れますか? 五十mならどうです、立てますか?

 同じ大きさなのに全く違いますよね。でも、理屈では当たり前にできるはずなんです。議員も学者も理屈どおりに自転車で渡れるんですよね、どうです? 実際には無理でしょ? だから、できる範囲の活動でかまわないじゃないですか。いくら力んだって、できないことはできないのだから」



「実言うと、ワシも今のあんたらと同じ思いだった。そんなこと馬鹿げてると笑おうとしたんだけど、笑う種を見つけられなかったんだ。今日はひとまず帰って、ゆっくり考えてもらえんだろうか。来週また勉強会をするから、そのときにどうするか教えてもらいたい」


 市長の言葉で散会になった。




  勉強会の出席者は回を重ねるごとに増え、議会に条例案を提出してもなんとか成立させられるまでになり、正月気分をひきずつて定例議会が始まった。

 目標は定例議会中に可決し、翌年度から実施。しかし、採決にあたって会派ごとに賛否を決める慣例があるので楽観はできない。市長と議員有志の共同提案で乗り切ろうという目論見が裏目に出て、勉強会に声がかからなかった議員の不満が爆発した。誰を誘うかについては議員個々の考えによるものなので、声のかからなかった議員はそれぞれ信頼されていなかったと憤慨した。事実、誘われなかったなりの理由があるのだが議会は当然紛糾する。会期末が近づき、このままでは廃案になる可能性が囁かれるようになっても会派ごとの検討会で先行きの見えない議論が続き、採決までの道のりはずいぶん先に思われた。



  一方で、議案提出が報道機関の知るところとなり、地方ニュースのみならず、奇抜な内容なので全国ニュースやワイドショーでも取り上げられて無責任な意見が続出し、それに煽られる格好で、市民の反応は市長の支持率低下という結果となって現れていた。

 提案者を中心に住民への説明会を重ねて理解を得ることに力点をおき、採決に際しては議員の自主投票で乗り切ることにこぎつけるまで一ヶ月ちかくを要した。

 二度目の会期末は目前に迫り、当初から予測したこととはいえ、難儀なことだった。


 条例案が可決された以上、中途半端に投げ出すことはできない。ましてや、全国が注目した新事業なのでなおさら失敗は許されない。新しい企画を打ち立てられない政府の鼻を明かしてやりたい、勉強会に参加した議員の想いは強かった。


 それでも新しい意識を取り入れるきっかけができたようで、勉強会に賛同した者の心に多角的な視点から観察する意識が芽生え、これまでと違って所属組織の意向にとらわれない、開放された意識が徐々に広まっていた。


 自分が知らず知らず纏っている殻、価値観からの開放こそが他人との共存のための妙薬であることを感じている議員もいる。欲から離れろということを多くの者が学習したのではないだろうか。



  また一歩進んだ。振り返れば、歩き始めた場所がはるか遠くになっている。

 市長はそう感じていた。



  条例案の成立をうけて設立準備委員会が発足した。すでに設立準備会を開いていたので実質は昇格ということなのだが、正式な委員会となれば反対票を投じた者の意見も参考にせねばならない。 委員会役員の選出と事務局の提示した工程の承認を、本部設置場所と予算を、人材募集要目をという具合に委員会での検討がなされてゆく。そして、委員会で検討され決定した内容は、毎回報道機関を通じて翌日には市民に周知させることになっていた。

 名称は名古屋市災害救援課。市長直属の組織で、名古屋駅に近い小学校が本居地である。


 児童数の激減を理由に学区再編をされ、年度一杯で廃校になる施設の再利用である。交通機関が集中しているので外部からの見学には便利だし、都市高速道路により拠点とするのに好都合な地理的条件にある。


 人材確保については、市職員では能力判定ができないことから、基幹となる人材を確保して助言を求め、選考するための部外協力者を求めることになった。                        

 採用業種は、土木、建築、鳶、営業、金属加工、運輸、調理、犬の訓練士等で、将来は医師、看護士、介護、保育士なども確保したい希望をもっている。

 村井からのおねだりは、佐竹・林・近藤の三名を基幹要員として先行採用することである。もちろん委員会に出席させ、その場で面接させるという条件で。


  準備委員に指名された村井の次の作業は、面接要員の確保である。議員や学者の価値観では相手の技量を判断できないのだから固辞するわけにいかず、頭痛の種であった。うまく佐竹達四人を確保したとはいうものの、とても足るものではない。ため息をもらしながら知り合いを口説いてまわるしかなかった。町工場を営んでいる関係で会社員の知り合いが少ないことが幸いではあるが、これまでの経緯を説明すると例外なく、暇人だの世捨て人だのと笑われても、早くしなければテント村での年越しをさせてしまうと焦っていた。



 コオロギが情けない音を草むらに響かせ、ようやく酷暑から開放されることを予感させるようになった八月終盤。いよいよ面接会の期日となった。

 新聞で、テレビで、役所の掲示板で募集案内を徹底したし、ハローワークも協力してくれた。失業者対策という性質上、転職希望者は受け付けないことも徹底した。採用される保証がないのに現在の職を棒に振る危険は避けたい。何度も何度も放送してもらった。

 その初日、面接会場の総合体育館には、前夜から泊り込んだ希望者が会場を一周する列を作っていた。すべての審査を終えるまでの一週間に限り体育館での宿泊を許可していたので、名古屋近郊だけでなく各地から希望者が集まってきている。現住所がなくても携帯電話などで連絡がつけば受け付けるし、連絡方法がなくても、自分の責任で区役所に出向くことができるのなら善しとした。市内に住む者がこれから集ってくるだろうから、かなりの人数になることが予想される。



  佐竹は休憩すらとらずに懸命に人波をさばき続けていた。必死な形相の者もいれば投げやりな表情の者もいる。同時に、何を基準に選考するのか、佐竹自身が迷ってもいた。


「今日も暑いなあ、冷たいビールでも飲みたいなあ」


  何気なくそう語りかけると喉を動かす者が多い。経歴を尋ねると、ことさら吹聴する者もいるし、軽薄な話し方の者や、猪武者もいる。


『かんにん。酒飲みと軽薄なんは治らんさかいな。強がりも遠慮してもらうわ』


  腹の中で呟きながら短い時間で判定し、最後に交通費として二千円を支給する。次の者が席につくまでの間に判定蘭に記入する作業の繰り返しである。それが二日間続いた。


  待ち時間を少なくして、より多くの人に対応するために業種ごとの入り口を設けたことで、未経験であっても空いた部署を希望する者が続出したので余計に忙しい。


『気持ちわかるわ。藁どころやない、縋れるもんなら蜘蛛の糸かて縋りとうなるわ』


  少しでも可能性の高い受付に並ぼうと右往左往している姿に、つい最近までの自分が重なってしかたない。なかなか順番が回ってこないので声を荒げる者もいれば、強引に割り込みをする者もいる。それがどんな結果を招くか理解できないことはないだろうに、つい本性を剥きだしてしまう。そして不採用を知ったとたんに強烈な批判を繰り広げるのだろう。そんな状況を観察する佐竹には採用権が与えられている。生殺与奪、そら恐ろしい言葉だと佐竹は感じていた。


  二次審査に進めた者は採用予定数の三倍程度に絞り込まれ、五人程度のグループで簡単な作業をさせて様子をみることになっている。 

 手早いことが良いのではなく、そつなくこなすのが良いのでもない。作業の進行を把握して、自分の意見を表明することを求めていた。危険な場面では最初から作業手順を見直す潔さを、作業の遅れた者を手伝うやさしさと、知識に裏打ちされた技能であることを求めていた。たえず工夫する性格であり、指示されたことにも疑問をもち、危険から自分を守ることを優先する性格を求めていた。酒に溺れるとか、軽薄な者はどんなに資質がよかろうが排除し、そんなことを総合して採用者が決められた。


  合格者名簿を書く手を休めた村井は、大仕事を終えた安堵と、他人の希望をもてあそぶことになったことへの後悔に潰されかかっていた。

 一方で、吉村は黙々と事務処理をこなしている。専門的な分野に口を挟むつもりはない。とにかく今の段階では村井の助手であり、未知の領域を、半ば他人事のように眺めるしかないが、既に採用された四名との関係が円滑なのに救われている。



「残念だけど、また次の機会に……」


 その言葉は解雇宣告と同じで、本人の自信を奪ってしまうだろう。希望をもてなくなって自ら寿命を縮めるきっかけとなるかもしれない。それを考えると佐竹は辛い。


『もし誰ぞ自殺でもしよったら、わいは殺人者になるんやろうか……。かなんなあ、こんなん嫌やわ。せやけど、ええいしゃあない。村井はんの気持ちを汲んで、あんじょうせな』


  辛そうに、できあがった合格名簿を点検する村井の横顔を見ながら、佐竹はそう決めた。



 二次審査の翌日に採用名簿が会場に張り出されると、ため息ばかりが密かに聞こえる。

 またしても不採用になったことへの落胆である。こんなに時間をかけずに結果を知らせればよいのにという思いもあったと思う。それに反して、合格した者が声を発することはなかった。同じ境遇の者として、他人を気遣って浮かれ喜ぶことができなかったのだろう。

 不採用になった者が会場を去って二時間後、会場の後片付けを済ませた一団が廃校の正門に横付けされた市バスから降りてきた。今日は新しい生活の門出だから、通用門はふさわしくないとの配慮である。玄関前に立った市長が手を大きく広げて皆が体育館に移動するのを嬉しそうに見ていた。


「たのむぞー、たのむぞー」 


 最後の者が通り過ぎるまで胴間声が響いていた。



  体育館で簡単な入庁式がすむと、改造のアイデアを見つけるために夕食までの間は自由行動である。その間、佐竹は吉村を手伝って身分証作りに没頭していた。


『あった、わいの身分証や。これで安泰や。契約社員みたいな気分やったからな』


 自分の身分証明をみつけて、佐竹はようやく夢から醒めたように安堵した。


「林はん、あんたの身分証もちゃんとあるでー。近藤はんのもあったし、ほんまもんや」


  佐竹は嬉しくて大声を上げていた。




「帰宅する者には申し訳ないけど、もう少し残ってもらうよ」


 体育館で夕食を食べている中を吉村が歩いている。


「食べてる最中で悪いけど、作業衣と靴を支給するから呼ばれたら取りにきて。時間の都合で正式な作業衣を今日は渡せないけど、まだ救援活動はできないから臨時ので我慢してもらうよ。正式なのは、背中に刺繍をいれる。だけど今日注文したのだから今日渡すのは無理だ。だから、刺繍のないのを一着支給するから、とりあえずそれで我慢してよ。それと、明日は日曜日だけど出勤してもらうよ」


「何するんだ?」


「役所の手続きがあるし、ここの改造を相談してほしい。材料や道具も揃えなきゃいかん。要は設立準備だよ」


「質問があるのだけど。休みはどうなるんだ? いや、飯が心配で」


「市の職員だから祝日と週末は休みだよ。ただし、食事の心配があることは承知しているから、調理係は休日も交代で仕事をしてもらう。犬の係も同じ。休日出勤の分は別に休んでもらうからね。今日は土曜日だから本来なら休みなんだけどこうして出勤しているし、明日も出勤してもらう。改造工事が終わるまでは休日返上を覚悟してほしい」


「休みたいというんじゃないんだ。今日採用してもらったのはいいけど、明日から連休にでもなったら飯に困るというだけだ。飯の心配がないなら年内無休でもかまわないさ」


「他に質問ないか?」


  あたりを見回して質問者のないことを確かめ、


「ちょっと聞きにくいんだけど、手持ちの現金が心細い人はいるかな? 給料日は一月先だからな。当座の資金なら用立てるから、希望者は作業衣を渡す時に申し出てほしい。日割り計算で今日と明日の二日分を明日支給する。来週金曜日に五日分支給する。今月はそれで凌いでほしい、俺の裁量ではそれが精一杯だ。それと、寝具を用意したから自分で運んでくれよ。その費用なんだけど、無償というわけにはいかんから勘弁してくれ。一式七千円、給料から差し引くからね」



「足立さん、作業衣と靴な。それと、身分証。なくすなよ」


「あっ、本当に名古屋市の公務員になったんだ。嘘みたいだ」


「本物だって、嘘だったら市長が来るわけないよ。ちゃんと公印があるから本物だよ」


「うまいこと騙して、タコ部屋にでも連れて行かれるのかなぁと思ってた」


「ここは市営のタコ部屋だよ、知らなかった? 通勤組か? 結果発表の後は直行だったから連絡できなかったしな、しくじってしょげてると心配してるかもしれんな。道草するなよ、身分証明を見せるんだぞ。前払いどうする?」


「今月は家族の世話になるよ。給料日に満額もらう」


  あちこちで同様の会話がされ、半数を超える者から前払いの申し出があった。

 全員に配り終えて解散になったのは六時、まだ明るいうちに帰宅できる時刻である。



  翌日は、通勤希望者以外の全員に転入の手続きをさせることから始まった。健康保険・年金にあたる共済会への加入・失業保険の加入等、庶務係は書類作成に忙殺される。幸い日曜日なのでその負担を減らすために村井は手伝うことにしていた。もっとも、どんな話し方をすればよいかすら判らない吉村にとって、村井の存在が頼りといえる。相手の風体や話し方をどうこういうつもりはないが、たえず身構えている自分を感じていたので、彼等との話は村井にまかせて、事務処理を進めておこうと吉村は考えていた。佐竹は村井を補うべく三人して応援することに決めていた。


 調理係だけは話に加わらず、持ち場で仕事を始めている。当面は中学校の栄養士にたのんで作ってもらった献立に従い、職員が仕事に慣れてきたのを見計らって献立を決めることになっていた。うまい具合に、学校給食の栄養管理士だった者が職員に含まれていて、栄養管理を期待できることがわかった。そのかわり、調理経験のある者は皆無なので、キャンプと大差ない食事が提供されるかもしれない。そして、住み込みも通勤者も区別せず、食材費は全員で負担することになっている。だから、昼食は当然全員が食べるし、夕食も食べられる。朝食に間に合うように出勤するなら朝食を皆といっしょに食べてもかまわない。住み込む者に食事を提供しなければならないので、休日を与える余裕などない。


「それでは、みんなに真っ先にしてもらう仕事の説明をするよ。それで、何をしてもらうか書くから、アイデアを出してもらいたい。

 まず館内配置を説明すると、一階は事務室や食堂に使い、二階は倉庫にする。災害時の避難所にも使うつもりだ。三階は男性用の、四階は女性用の居室と風呂に使い、屋上は訓練場所と洗濯物干しにする。便所工事は後回し。順番に便器の取替えをする予定。

 それで、一つの教室で何人寝るかだけど、知恵をだしてほしい」


  体育館の舞台にホワイトボードをおいて村井が切り出した。


「あの広さなら中を仕切ってもけっこう寝られるぞ。二段ベッドを向かい合わせにして四人部屋にしたらどうだ。そうだな、幅四m、奥行き三mありゃ着替えも楽だしロッカーも作れる」


「仕切りをいれるなら天井まで仕切ったらどうかな。天井裏に荷物をおけるはずだけど」


  遠慮がちに声が上がった。


「二段ベッドはいいけど、市販品を並べるのか?」


 自作させようという魂胆をおくびにもみせず村井が尋ねた。


「作った方が安いわ。パイン材なら安いもんだ。柱たてて、垂木かましてコンパネ敷いたら完成だわ。全部ネジ止めでいいんだろ?」


  案の定市販品など眼中になく、自作を基本に考えているらしい。


「問題は、部屋数と配置だな。外が見える部屋と見えん部屋ができたらおもしろくないからな」


「全部見えない部屋にすれば不平はないだろう。窓側の場所は共用でどうだ」


 少しずつだがいろんな意見がでるようになってきた。


「で、結局何人寝られるんだ?」


  いろんな意見を頷きながら聞いていた村井は本題に切り込んだ。


「六部屋無理かな」


  誰かが言った安直な意見にがっかりしたように村井が言う。


「居室に使えるのは各階三つだぞ、いずれアパートで生活してもらうにしても定員二百五十名なんだ。それでは百五十名しか生活できないじゃないか。せめて八部屋、できれば十二部屋で考えてくれ。それで、材料と道具はどうだ?」


「コードリールと延長線がいるな。電動ドライバと丸鋸もいるし、補強板もいるな」


「大工の経験者いたよな、ざっと材料見積もりを出してくれ」


  材料と工具類の概算見積もりをまかせ、村井は次にうつった。


「次は風呂だが、どうやって教室を風呂に改造する? 太陽熱温水器の中古をさがしてるからそれも含めて考えてくれないか。それだけでは湯が足りないからその対応もな。水道工事の経験者いないか?」


「俺、工事だけだから難しいことわからん」


  まだ三十代の若者が手を挙げた。


「それでいいんだ。で、どう思う?」


「ちょっと経費がかかるけど、電気温水器がいいな。火事にならないし燃料タンクも必要ない。ガスより安いと思う」


「電気なあ、長期停電になったらどうする?」


「そんなこと考えなかった。まあ発電機を用意するとかさ」


「なるほどな。ところで、防水処理をどうする?」


「屋上に貼る防水シートでだめかな。尖った物をぶつけたら破れるけど、温水器の能力で浴槽の大きさが決まるだろ。だから今は浴槽の大きさを決められないじゃないか。好きなように変えられるのはシートだぞ」


「よし、その線で考えよう。さっきの水道屋、材料見積もりをたのむ。電気温水器は一番容量の大きいので考えてくれ。それと、配管工事は鳶に手伝ってもらうからよく話し合ってくれ。次に……」


「待った、まだあるのか?」


  なかなか終わりそうもないことが不満なのか質問がでた。


「あるさ。工場、犬小屋、それにコンテナもいる」


「コンテナ?」


  妙に裏返った声で驚く者がいた。


「弁慶みたいに道具を背負って行くのか? まさかパネルバンを考えてないよな」


  なかなか全体を見られない者がいることに村井は苦笑した。


「パネルトラックでいいだろう」


「外国に行く時に飛行機に積めるか? 船は遅いしな、飛行機用コンテナがいるんだ」


「ちょっと待てよ、外国なんて初耳だぞ」


「何言ってるの。災害がおきた時に救援に行くための組織なんだぞ、市長や議員を説得する時に外国への派遣もあることをはっきり言ってある。でなくても、沖縄や北海道はどうするんだ。北海道まで鉄道で行くのか、沖縄へは船か? 飛行機しかないじゃないか。だから飛行機に積めるコンテナがいるんだ」


「外国なんてきいていない」


「どうしても嫌か? 他にも嫌な奴いるか? 今知りたい」


「知ってどうするんだ」


  村井が急に話を中断したことに不安を感じたのか、小声になった。


「辞めてもらう。外国人は救えないというのなら辞めてもらう。災害救援課ができて要員を整えるところまではこぎつけたけど、まだ正式に発足していないんだ。吉村課長に全権を委ねたわけじゃない。設立に関わった以上俺にも責任があるから、意義を理解できない者を残すわけにはいかん」


  そう言うとき、村井は厳しい表情をしていた。


「外国派遣て初耳やけど、外国というのは全部か?」


  せっかく縁あって採用されたのを反古にさせたくないと思い、舞台の下から佐竹が訪ねた。基幹要員として採用された四人は、面接を担当していたことで皆と同列に扱われることはなく、舞台の下で並んでいたのである。その四人ですら外国派遣は初耳だった。


「全部だ。主義主張、宗教の違いなんか関係ない。アフガニスタンかもしれん、イラクかもしれん。被災者がいて、相手が拒まないかぎりどこにでも行く。それが不満か?」


  うまい合いの手だとでも言いたげに村井が答えた。

「さよか……、地域も関係ないいうわけやな? おもろい、そらおもろいわ。それやったら外交官と同じやないか。嫌や言うた奴、どないする? わいは残るで、ワクワクするわ」


「人が困った時にしか出番がないんだからワクワクするなよ、趣味悪いぞ」


「せやけど外交の立役者になるかもしれんにゃで、ワクワクするわ」


「皆どういう生活しとったか知らんがな、俺は家族も友達もなくして、仕事にありつけん日ばかりでな、生きる意欲もなくしてたんだ。公務員にしてもらって、食う心配とネグラの心配がなくなったとたんにワガママ言ってグズるんか? ここに拾ってもらえなかった者のこと考えてみろよ。俺どこでも行くぞ。俺は鳶だ、どこへだって飛んだるぞ」


  近藤が大きな声を出した。


「今発言があったからちょうどいい。皆に紹介しておきます」


  村井は四人を舞台に呼び上げた。


「面接で見た人が多いと思いますが、この四人は基幹要員として設立に尽力しました。

  まず、この関西訛りは佐竹さん、一級建築士です。工作場や犬小屋の図面はすでに佐竹さんが作ってくれました。次の、自分で鳶と言ったのが近藤さん。外見は怖いけど温厚なおもしろい男です。そして、パリッとしたのが林さん。証券会社で営業をしていたそうで、救援課の営業マンになります。最後に災害救助犬を担当する犬使いと用心棒」


「犬使いじゃないです。救助犬担当の宮内と小次郎です」


  宮内が一歩前に出てペコりと頭を下げた。


「災害救助犬の係になった人は、この犬使いの指導を受けてもらいます。警察犬訓練士の卵だから犬の専門家でね、このでっかいシェパードが用心棒だそうです」


「何度も言うようだけど、犬使いじゃなくて宮内です」


「あのな、わいら三人の間では大福て呼んでてん。色白やし、ポチャポチャって柔そうやよって」


「どうする? 俺は犬使いでかまわんが」


  佐竹は仲間内で言っていた渾名を披露したが、村井は犬使いにこだわっていた。


「どうせなら大福の方が納得できる、色白っていうのがよかった。佐竹さん、正直だね」


「ところで、太陽熱温水器やけどな、アテはあんのか?」


  佐竹は村井に尋ねてみた。建築関係の設備なら自分の方が詳しいはずだから。


「業者にたのんでるんだけど、なかなか中古がなくて」


  実際、畑違いの村井に中古をさがすのは無理だろう、中古などないのだから。


「解体業者に当たったか? 案外あるんやで。あれな、転売できる物ちゃうからな、全部廃棄しよる。せやからな、解体の時に回収したらただで貰えるで」


  思わぬところで魅力的な知恵を授かったと村井が喜んだ。


「口はさんで悪いけどな、何を運ぶのだってトラックがいるだろう、あるのか?」


  後の方で男が立ち上がった。


「まだないんだ。どうするか悩んでいるんだよ」これにも村井は正直に答えた。


「どうだ、解体屋で買うってのは。国産車なら簡単にお釈迦にならんぞ、心配だったら輸出業者から買ったらええ。中古一台分ありゃあ十台は買える。自分達で整備して車検とったら経費がかからん。そういうことならやるぞ」


「あんたは自動車整備の経験者か?」


「俺か? 工作係の兵藤っていうんだ。一応整備士だ。ガソリンもディーゼルもシャーシも全部二級。普段は溶接をしとったがな」


「ありがたいな、なるべく出費を抑えたいから助かるよ。

 さて、そろそろ昼食にしようか。夕食から自前の給食を食べてもらうから楽しみにしてくれよ。食器はアルマイトだ。学校の給食みたいだがな、それも愛嬌だ」



 昼食後も話し合いが続いた。救助に有効な道具類を自作することや、なるべく低価格な道具類を地域の防災訓練の場で紹介し、頒布しようという案や、救援活動費を捻出するために協力会を組織しようという案も出されたが、自治体が収益活動をすることの是非を含め、その件は市長の判断を仰ぐことになった。

 あらかたアイデアが出尽くすと、当面の問題である設備工事の打ち合わせをし、いつのまにか夕刻になっていた。吉村が引き出してきた現金を封筒に入れて希望者に配る頃に食事が始まる。銘々が食器を持って配給を受ける姿は炊き出しと同じだが、誰も苦情を言う者はいない。



「おかわりしていいか?」


「一通り行き渡ったら全部食べてよ。残したらばちが当たるでね」


「久しぶりだよこんな食事、大勢で食べるとうまいな」


「口の利き方を知らんねー、味付けがいいんだよ。正直にうまいっていうんだよ」


  管理栄養士だった舟橋まい子が機嫌よく声をかけながら皆が食べるのを見守っている。


「大工工事やる者はちょっと集まらないか、段取りを相談しようや」


「水道工事の係も集まるぞ」


  体育館に活気が漲っていた。



「村井さん、一日潰させてすみません。俺ではこうはできなかった。どんな話し方をしたらいいかわからないというのが本音なんです。とりあえず方向付けをしてもらえたので助かりました。困ったら相談にのって下さい」


  食事をしながら吉村は村井に侘びていた。


「俺だって話し方なんかわからないさ。ただね、率直に思うことをはっきり言うほうがいいよ。つまらん気兼ねとか、もってまわった言い方は好くない。とにかく、次の休みまでの仕事ができたんだから大丈夫だよ。土曜日までには顔をだすから、どうしても困ったら電話してよ。それと、班長を選んでおいたほうがいいな。課長の指示を徹底させるためにも、皆の気持ちを知るためにも都合がいい」


「だけど、誰を班長にすればいいんです?」


「この工事で見極めるしかないな。佐竹・近藤・林の三人はきっと役に立つし、助けてくれるだろう。宮内は無投票当選として、兵藤ってのも使えると思う。土木や広報、調理も、必要なんだよな助っ人が」


「そうですね。それとなく観察しておきます」


「それにしてもうまいな、この茄子田楽。舟橋さん、この田楽残ってたら少し土産にもらえないかな、女房に食わせてやりたい」


  皆の食べっぷりをみるためにテーブルを回る舟橋が脇を通りかかったのをつかまえて村井がかわいいおねだりをした。


「まだ残ってるよ、少し包んどこうか?」


  舟橋が嬉しそうに答えた。皆喜んでくれたが、こう直截的に誉められて悪い気はしない。


「もらえる? 今日の日当、この田楽がいいや」


「あんたお世辞がうまいね、みんな見習ってほしいもんだね」


  舟橋はすっかり村井の話術に警戒心を解いている。


「吉村さん、調理はあれでいいんじゃないか?」


  立ち去る船橋を村井の目が追っていた。



 材木を山積みにしたトラックが校舎に横付けするたびに、手すきの者が手送りで上の階に運び上げてゆく。ちょうど砂糖に蟻が群がるような観を呈している。いかに畑違いの仕事であっても学習能力が発揮されると本職でさえ煽られるしまつで、構造が簡単なこともあってどんどん工事がはかどってゆく。

 家屋解体業者に電話をかけまくったところ、太陽熱温水器の廃棄予定が四台みつかり、ありがたく使わせてもらうことになった。貯水タンクの隣に温水器を並べて周囲を囲い、洗濯物干し場にする予定なのだが、こちらはなかなかはかどらない。佐竹は新しい建屋の図面を手に現場を歩きながら、協調性が偏りをみせ、どこにもありがちなセクト化が芽吹いているのを感じていた。



「おーい、そんな荷物はいつでもいいからこっちを手伝えよ。すぐ済むからさ」


  屋上に足場を組んで温水器を吊り揚げようとしても、肝心の人手が居室つくりに集中していることに水道工事は苛立っていた。


「おい、いいかげんにしろよ。ネグラなんかいつでもできるだろうが。機械がなけりゃ風呂工事ができんのだぞ」


  いくら水道工事がそう叫ぼうとも、


「風呂なんかいつでもいいじゃないか。寝床が先だ」


  大工は全体を見る眼をもたないようで、自分の仕事しか眼中にないらしい。


「何だと、馬鹿野郎。もう頼まん。おーい、鳶さんよー、犬小屋作りに変更しようや。あとでほえ面かかせてやる」


  何度たのんでも協力を得られないことに腹を立て、水道屋と鳶は工事を中断して犬小屋の建築現場に行ってしまった。



「おーい、いつんなったら風呂が使えるんだ?」


  夕食の最中、大工が食器を持って立ち上がり、辺りを睥睨している。


「風呂なんか当分先だ。銭湯さがせ」


  小一時間もかからない僅かな手助けを断られて、いまいましそうに水道屋が応えた。


「このクソ暑いのに風呂なしか、いい気なもんだな。汗でヌルヌルなんだがな」


「手伝いを頼んだのに、知らん顔されて仕事なんかできるか。当分犬小屋で手一杯だよ」


「おい、人より犬が先か」


「やかましい、どうせ風呂なしの生活に慣れてるんだから我慢できるだろうが。鳶さんにも迷惑かけちゃったんだ、当分我慢してもらう」


「なんだと、こっちは汗びっしょりでネグラ作ったんだぞ」


「まだ寒くないからどこでだってごろ寝できるだろうが、偉そうにするな」


  水道屋と大工の応酬が少しずつ激しくなっている。


「いいかげんにしてよ。ここは食堂だよ、私の仕事場だ。喜んで食べるんだったらいいけど何だよさっきから。喧嘩なら外へ出てやれ。私の仕事場で勝手なことするな」


  舟橋が癇癪をおこし、アルミのトレーを片手に仁王立ちになった。


『難儀やな、道理の判らん奴がいよる。なんぞせなあかんのやろか』


  食堂の隅で食事をしていた佐竹は、黙って成り行きを窺っていた。


「はいごっつおーさん。舟橋さん、今日もうまかった。毎日旨い飯食わせてもらえるから天国みたいだ。ただな、ラッキョウがないのが惜しいな。それで満点なんだがな」


  佐竹の心配が通じたのか、今までのやり取りを聞いていなかったかのように、近藤がガラガラ声で舟橋に話しかけた。その呑気な様子を馬鹿にされたと受け取ったのだろう、大工がいきり立った。


「横からいらんこと言うな。幹部が悪いんだ、幹部ならちゃんと指示しろよ」


「まあそうだな、俺達が悪かったことにしようか」


  座ったまま大工に顔だけ向けて近藤が言うと水道屋が立ち上る。


「だからな、明日は俺も水道屋も大工仕事をするから、今日大工仕事してた奴で水道工事やってくれ。人数だって俺達の三倍おるんだから楽なもんだ。それでいいだろ? 工作場もあるし、犬小屋も高所作業がいっぱいあるんだから俺も暇じゃないんだ」


「馬鹿言うな、あんなもの吊り上げるなんてできるか」


「そうか? そんなの一人でできるはずだがな。いいや、吊り上げるのは手伝ってやる。それでいいだろ?」


『なんとか収めたのはええけど、何ぞ考えでもあるんやろか。近藤はん、子供みたいなとこあるさかいな』


  食堂を出る近藤の背をチラッと見て佐竹はそう思った。



  翌早朝、昨夜の言葉が気になって早めに起きだした佐竹が校舎脇に来てみると、近藤が一人でごそごそしている。


「こんな早うから何してんねん」


「おう、ちょっと懲らしめてやろうと思ってな。もう一日二日待ってくれ。きっちりケジメつけたる」


  声と言葉で佐竹であることを悟ったのだろう、近藤は振り返りもせずに答えて整備前のトラックを引き出してきた。屋上に揚げる機材を一まとめに括り、トラックで一気に屋上まで吊り上げてしまった。


「無茶しなや。おまはんの顔、悪ガキそのものやで」


  佐竹は近藤の薄い頭を小突いて食堂に誘い、そ知らぬ顔で朝食を始めた。



「おっ、ラッキョウがある」


  近藤はさも嬉しそうに食事を終えると調理場に声をかけた。


「ラッキョウ、旨かった。あんたが漬けたのか? ラッキョウはいいなあ、後味がさっぱりして、家庭の味はたまらんわ。ありがとうな」


「旨いって言われると何でもするよ、乙女の心を擽ったね」


  わざわざ調理場に顔を出した近藤に舟橋が穏やかに微笑んだ。


「舟橋さんが乙女か、お天道様が西から登るようなこと言うなよな」


  大工が屋上に行ってみると、たしかに荷物が床より少し高くに吊り上げられている。が、それを手元に引き込もうにも足場が途切れている。慌てて近藤にかけあっても、


「お前たちの方が人数が多いんだ。三倍も雁首そろってるんだから楽にできるはずだ」


  近藤はまったく取り合わず、大工が諦めて去ると窓を開けてタバコを吸うばかりである。


「なあ、早めに飯にして姿隠そうや」


  何を考えているのか、イタズラ坊主のように楽しんでいた。



  夕食時、昨日のせりふを水道屋が口にして双方総立ちになった。


「あそこまで手伝ったのにまだ宙ぶらりんか、一日何しとった?」


「落ちたらどうするんだ。無茶苦茶なことしやがって」


  大工の一人が突然怒鳴り声をあげた。


「俺でも落ちたら死ぬんだぞ、俺が落ちるのはいいのか?」


  近藤は薄ら笑いを浮かべながら、穏やかに返したつもりだが、大工の神経を逆なでするのに十分な効果があった


「できるわけないだろうが」


「だから手伝ってくれって頼んだのに知らん顔したのは誰だった? 俺達は明日も大工仕事する。ちゃんと仕事してるから心配するな。明日またやってみろよ。ただし壊すなよ、半年分の給料じゃ弁償できんらしいぞ。早くせんと他から苦情がでるからな、急げよ」



  近藤の思惑を知らない吉村は異様な雰囲気にうろたえ、村井に救いを求めていた。


「どういうことか説明してもらおうか。どうして荷物が宙吊りになってるんだ?」


  夕方に現状を見た村井が穏やかにたずねると、


「実はな……」


 足場が途切れて引き込めないのを大工が訴えた。


「こっちの言い分はわかった。そっちの言い分をきこうか」


 手助けをしない大工に、意味を理解させるためだと水道屋が訴えた。


「そうか、お互いに自分の受け持ちしか見えてなかったということだな。それで子供みたいに喧嘩したわけだ」


  村井はそこで言葉を切り、双方をじっとにらみつけていたが、


「お前達何考えてるんだ! 面接を思い出せよ、共同作業させたじゃないか。協力できる者しか採用してないんだぞ。大工! お前達二十五人もいてどうにもできないことをたった八人でやろうとしてるんだぞ、少しくらい手伝え! 鳶と水道屋! ガキじゃないんだぞ、幼稚なまねするな! 今から全員で屋上に据えてこい、 行ってこい!」


  突然大声で一喝した村井の脇で吉村がオロオロしている。


『あかんわ、完全に腰が退けたあるがな。温室育ち丸出しやがな』


  本性を垣間見せた村井、穏便に済ませたい吉村。二人の対比を佐竹は楽しんでいる。


「いいんですか? あとでやっかいなことになりませんか?」


  ただ叱っているだけ、ということが理解できない吉村は、心なし青ざめてきた。


「なに、あれくらいなら十分もあればできるはずです。ここで待ってればいいんです」


  そうは言われても、それが新たな火種になりはすまいかと吉村は不安でならない。




  二十分ほどで全員が揃ったのをみて村井がきりだした。


「みんなよく覚えておいてほしい。ここはまだ紙の家なんだ。マッチ一本で簡単に燃えてしまう。みみっちい縄張り根性なんか捨てないと紙のままだぞ。もう二度と作ってもらえないんだぞ。だから気持ちを入れ替えてくれよ。たのむよ」


「そんなん言うても誰が差配ふるのかわからんのやで、自分の仕事がかわいいがな」


  少しガス抜きをしてやろうと考えた佐竹が異議を唱えた。


「だからなんだよ、ちょっと手を貸すくらいできんのか? 思い出せよ、いくら職探ししても、住まいがないから諦めた者もいるだろう。誰かが保証人になってくれたら、住所を貸してくれたらどんなに有難いか身にしみていないのか? 災害救援ってどういうことだ? 他人の手助けだろうが。善意の有難味を一番知っているのはお前達じゃないのか? そう信じてここを作ってもらったんだぞ。公務員になったからって浮かれるな!」


「村井さん、そんなに怒鳴らなくても……」


「冗談じゃない! 赤の他人を遊ばせるために税金使ったんじゃない。みんなの城にできるようにという願いがこもってるんだ。俺の考えに不満があれば言え! どうしても嫌なら辞表を書け!」


  なんとか落ち着かせようとする吉村をはねつけて、村井が最後の言葉を突きつけた。


「なんだ偉そうに、大人しくしてたらいい気になりやがって。気に入らんのなら辞めてやらあ」


 大工のグループから三人が立ち上がった。


「何が不満なのか言わずに辞める方を選ぶんだな」


  きつい眼で睨みつけていた村井が静かに口を開いた。


「ああ辞める。ごちゃごちゃ言ってられるか、面倒くさい」


「どうして課長以外の者の指図を受けなきゃならんのだ、ふざけるな!」


「すまんがな、課長はまだ俺の部下なんだ。市長も議会も素人だから俺が仕切ることになってるんだ。仲良くやってるなら怒鳴ることもないが、なんだこのざま。仲間内で揉めるようなことで他人を救うなんておこがましいわ。課長、給料と離職証明を用意してくれ」


  何を思ったか、採用したばかりなのに村井は退職を迫り、辞めるといった三人が椅子を蹴るようにして食堂を出て行った。


「村井さん、事を荒立てないで」


「後の喧嘩、先にせいってな、短気な者を残すことはできん。いいか課長、あんたはもう慣れっこだからいいだろうがな、公務員になったらどんな悪態つかれるか想像できるよな。いちいち喧嘩腰になって勤まるか? 採用した俺の失敗だよ」


『あかんがな、あいつらせっかく掴んだ職を棒に振りよった。後先考えな泣かんならんのに……。村井はんもああまで言わいでもええのに……。確かに気の短かい者は後々不都合やわなあ。待てよ、ひょっとして膿出し、したんやろうか……』


  佐竹の観察が続いている。


「大声出して悪かったな。ところで俺から頼みがある。班ごとに班長を選んでくれないかな。これからは班長が集まって相談しながら屋台骨を立ててもらいたい。ただし、選んだ班長を無条件で認めるとは限らん。よく話し合って選んでほしい。明日の午前は作業中止、班長が決まりしだい班長会議。課長は素人なんだから助けてやってくれよ、たのむよ」


  早くも櫛の歯が三枚欠けてしまった。このことに後悔はないが、この先何枚の歯が欠けるのだろうか。独り立ちさせられる日はいつだろうか、村井の不安は当分拭えない。


『確かにワイワイやから班長がいるわなあ、けど、誰を選んだらええのかまだ判らん。基幹要員やゆうて紹介されたさかい、わいらが引き受けなしゃあないやろな。難儀やけど辛抱せんとな』


 佐竹は村井の胸中を察して、林と近藤と宮内に因果を含めることにした。




  思わぬ中断をした分、作業を再開してからの仕事ぶりは見事なものだった。

 屋上までの揚水は、水道管を太くしたことでポンプが不要になったが、断水対策として貯留タンクを設置し、周囲を囲った洗濯物干し場の屋根にあるだけの太陽熱温水器を並べた。工作場は鋼材で骨組みを作り、外板にはアルミ板を、屋根には工場用の波鋼板を使い、断熱材で囲って隙間風にも気を配った。自動車整備用に大きな入り口としてある。


 犬舎は鉄骨作り二階建て。断熱用の発泡スチロール板を床も含めた全面に挟みこみ、防水処理を施してある。掃除用の水道を通し、四十頭を収容できる。本館外壁には足場を固定できるように金具を取り付け、屋上からロープを垂らし、運動場には、家屋解体で出た廃材と残土で山を二箇所つくった。ここまでは佐竹の構想がそのまま活かされている。さらに、便利に使える工夫を佐竹は随所に施していた。

 そして、登録を済ませたライトバンとトラックが並び、動物愛護センターから十頭の犬が引き取られてきた。電気温水器のように高価な買い物はあったが、工具類に経費がいった以外は最低限といえる費用で準備が整った。


  そうして発足式の朝がきた。うっすらと打ち水の跡が残る正門には『名古屋市災害救援課 発足式会場』の看板が誇らしげに立てられ、その脇で宮内と小次郎が来客を出迎えている。さすがに若い女性だけあって折り目のピンと立った制服を着ているが、会場へ案内する者も駐車場へ誘導する者も皆一様にヨレヨレの制服姿である。アイロンのきいた作業衣なんかでは仕事ができないという開き直りと、できるだけ他人に負担をかけずに準備をしてきたことへの誇りがそうさせているのだろうか。


  朝から全員で運動場にも打ち水をし、演壇に少しだけ花を飾り、下足で入れるように保護シートを敷き詰めた体育館に椅子を並べ、国旗と市旗が屋上のポールにかかげられた。

 報道が来てカメラを設置し、地域の防災関係者や職員の家族も来場し始めた。役所からも局長級幹部が集まり、警察や消防からも出席者がやってくる。

 色褪せたトラックやライトバンが真新しいナンバーをつけて工作場の前に並べられ、引き取ってきたばかりの犬は専用の運動場に放たれていた。

 いかに無愛想な者の集まりであっても晴れがましい気持ちになっているようで、朝から馬鹿丁寧な言葉遣いがあちこちで交わされていた。


「以上をもちまして名古屋市災害救援課発足式を終了いたします。続いて施設の案内をしますので、時間の許す限り見学していただければと願っております。後ろにお茶を用意しましたので準備が整うまで暫くお待ち下さい」


 吉村が閉会を告げると職員が一斉に立ち上がり、


「よろしくお願いします」 大きな声が体育館に響いた。




 課長が市長や議員のグループを引き連れて案内に出た五分後、佐竹は役所幹部の案内に発った。口のうまい林が報道機関への対応をすることになっているし、見栄えと話題性から宮内がテレビを案内することになっている。消防や警察関係は近藤の担当になっていた。 好き好んでこんな役目を引き受けたのではないが、報道から遠ざかろうとする者が多く、やむなく引き受けたのである。とはいえ、自分も近藤も報道とは関わりたくないことを相談したら、林が万事呑み込んでいるかの顔をして頷いてくれた。他の参加者には誰彼なく対応することになっている。

 佐竹が外に出たとき、市長のグループが犬舎に入るのが見えた。



「まず、屋外施設から案内します。屋外には工作場と保管庫を建てました。道具類を作ったり、自動車整備もします。隣の空き地には支援資材を運ぶためのコンテナを配置します。前に並んでいるのがわたいらの足です」


 工作場の前で佐竹が説明を始めた。


「ずいぶん古いなあ、大丈夫なのか? ちゃんとした車が買えんのか?」


「廃車買うてきたさかい、外見は見んといてくださ。ちゃあんと整備してナンバー受けました。経費節減ですわ。国産やから調子よう走りまっせ。

 運動場の山は、倒壊した家屋からの救出訓練や、災害救助犬の訓練に使います。あと、避難場所をつくる訓練もしまっさかい、今歩いたはる場所も穴だらけになります。

 本館の隣に犬舎を建てました。中は二階建てで、最大四十頭収容できます。あいつら毛皮着てるくせに寒がりや暑がりがいてるそうで、屋根も壁も床も断熱材を挟んであります。

 犬舎の隣の仕切りは犬の運動場です」


「けっこうな大きさだけど、建築費がかなりかかったんだろう?」


 工作場も犬舎も教室ほどの大きさがあり、棟もかなりな高さがある。幹部連中は、むき出しになった大きな鉄骨から建築費の心配をしているのである。


「そうやねえ、コンクリ、鋼材、壁板、断熱材、電線、照明。けっこう買わせてもらいましたけど、皆で作ったさかい、他はなんぼも……」


「職員だけで作った? たいしたもんだな」


「大工も水道屋も揃うてますし、鳶もいてます。溶接や塗装で食うてきた者ならぎょうさんいてます。税金を使わせてもらうんやさかい不便な物にせんとこ。見てくれは我慢しょうちゅうことで」


「あのロープは何の目的?」


  校舎の壁に何本ものロープが垂れ下がっている。


「鳶を訓練するそうですわ。もっとも、クレームがつきましたけどな」


「あれで登るんだろ? いいじゃないの」


「そうなんやけど、一般の建物にあんな都合のええ物があるか言われて……。あの状態になったら一山超えたことになりますやろ、どうにかして屋根に上る訓練ができるよう考えんかい、そう叱られました」


「なるほど、それは理屈だね……」


「後ろが詰まってまっさかい、次案内します。後が楽やよって屋上からにしまひょ」



「この階は女性用で、三階が男性用の居室です。ここが浴室です、洗濯や洗面もここでできます。屋上の温水器はこの真上にあります」


 屋上から降りて四階に案内し、揉め事の発端となった浴室を見せたあとで居室に移った。


「こっから先が居室です。奥の部屋が未使用やから、そっちを見ていもらいます」


  入り口を開けると薄暗い空間が広がっている。


「なんだこれは。こんなに暗くしたら勿体ないじゃないか」


「確かに暗いけど、寝る場所で不公平にならんよう相談した結果がこれですわ」


「不公平って何のこと?」


「外が見えるかどうかです。それやったらいっそ全部囲ってまえですわ。そのかわりに窓際を広うとりました。見てのとおり、二段ベッドを向かい合わせにした四人部屋が十です」


「これも職員が作ったのか? けっこう金がかかっただろう?」


  頑丈そうな柱が並び、壁も床もコンパネの寝台が並んでいる。壁紙でも貼ればよいのに、素材がむき出しの質素な造りではあるが、十分な広さがあった。


「費用でっか? そうやねえ、割ったら二万円ほどやろうか」


「そうだろう、十部屋だから四十万。ロッカーも含めて全部で六十万か。それでも安いよ」


「違いまっせ、一部屋二万円。せやから全部で二十万円や」


 どんな計算をしたのか、幹部達は倍の金額をそれでも安いと言うのを佐竹は訂正した。


「馬鹿な。それが本当なら他の事業はどうなるんだ? ちゃんと集計してから言わなきゃ恥かくよ」


「会計報告を見てください。そしたら納得できるやろ。まだ隠し玉がおますよって、その梯子を上ってもらえまへんか」


「上の段に何かあるの?」 


「もっと上です、明かり点けまっせ」


「これはまた……」


  梯子段を最後まで上ると天井裏が大きく広がっている。中腰を強いられるが、しっかりした板が一面敷き詰められていた。


「通常は私物置き場ですが、緊急時には人が寝られるようにしてあります。ですから、この天井裏だけで二十名以上、窓際でも五名は寝られます。全体で三百人ほどの受け入れ能力がおますす」


「何のために?」


「帰宅困難者の避難所ですわ。とゆうても焼け石に水やけど」


「ここまでやって二万円か……」


「そのかわり美観なんか無視やから殺風景でっしゃろ?。二階は物資の倉庫にしたのでカラッポやさかい一階に降りまひょか」


  他の議員や幹部もかわるがわる天井裏を覗き、佐竹の説明に感心している。



「学校ちゅうのはありがたいもんでんなあ。真っ先に心配なんが食事やけど、何からなにまで揃ってて大助かりや。廊下も広いし館内放送も完備したぁる」


  だいたい一巡したので元校長室に案内すると、市長や議員が揃っていた。


「これで館内を一通り見てもらいました。何ぞわからんことがあったらお答えしますが」


「本当に職員だけで作ったのだね? 潰れるとか倒れるということはないのだね?」


  幹部から質問が出た。


「わいが設計したし、ちゃーんと図面通りにできてまっさかい、簡単に壊れたりしまっかいな」


 不敵な笑いをうかべて佐竹が言い放った。


「佐竹は一級建築士だそうです。建築関係は間違いないと思います」


  隣で吉村が細く説明をした。


「そんなら、わいはこれで失礼させてもらいます」


  やれやれと一安心して応接室を退出した。



  毎日憂鬱そうだったのが嘘のように、晴れやかに施設を案内する息子を見つめる家族がいる。子供連れの家族もいる。その姿を追う報道がいて、家族と隔絶した職員が遠巻きに立っている。

 テレビへの案内を終えた宮内は、そんな光景を眺めながら運動場で犬の相手をしていた。

 自分の家族を案内するでもなく、かといって家族のいない者とふざけるでもなく、犬が咥えて来るボールを沈んだ表情で投げ続けている。手持ち無沙汰でふらふらしていた佐竹は、その様子をみつけて近づいていった。


「寂しそうやなあ、案内する家族いてへんのか?」


「アタシ? ちょっと都合が悪くて。それより佐竹さんは?」


「実はわいもいっしょや。別に用とちゃうさかい、ほなな」


『妙に影が見え隠れする娘やなあ。この娘もわけありやろか』


  噛み合わない会話になりそうな、そんな気がして互いに相手になるのをやめた。




  それから二年が経過し、今回の海外派遣は八度目の救援活動だった。

 手探りで始めた訓練ではあったが、飯の種にしてきた仕事が基本になっているので飲み込みが早い。自分の身を守ることすら知らない者がいなかったので反復練習を徹底するだけでよく、いろんな案を持ち寄っては技能の向上に努めることができた。


  たしかに、初回や二度目の救援活動では目を見張るような成果には結びつかなかったが、未経験なのだから仕方ない。ただ、相手からの救援要請の有無に拘らず駆けつけ、災害現場で働く姿勢は認められた。三度目、四度目の出動で地滑りと水害を経験し、救援に赴いた町や、その周辺自治体からの視察が来るようになった。活動の様子が放送されることで、自治体からの問い合わせも増えてきている。発足して三年目を迎え、国からの補助金を獲得することもできた。今回の海外派遣は、特に認知度を上げるのに役立っているだろう。


 台風三回、洪水三回、土砂崩れ一回。そして、今回の地震災害。

 人々が生きようとする気力を取り戻すために、僅かでも力になれたと思う。




  話は遡るが、七月中旬の蒸し暑い夜、吉村が林に誘われて喫茶店にむかっていた。あと一週間もすれば夏休みが始まるからか夜の街に制服姿の高校生が溢れている。たまには職場を離れようと案内された喫茶店に村井が待っていて、いったい何事かと訝る吉村に、村井が言いにくそうに相談をもちかけたのである。

  救援課が発足して約二年経過し、その間にアパートに移るなど、自立を果した職員が半数になった。市営住宅に移り住んだ者もいる。一方で家族の修復がかなった職員はまだ一人もいない。つまり、まだ立ち直れていないということなのだが、個人の生活に踏み込むことができないので悩んでいると言うのである。それについては自分も感じていたし、互いを後押ししないことを歯痒く感じていたと吉村も語った。

 村井は、佐竹と近藤の家族をどうにか修復できないだろうかと強く願っている。吉村にとって二人はいつも自分を補佐してくれる実直・生真面目な同僚である。いつも愉快に緊張を解してくれる近藤も、たえず冷静な佐竹も大事な仲間である。繁華街に出歩くこともせず、特定の女性の影もない生活を続けていることは、家族に対する誠意であり思慕であろう。村井の相談をはねつける理由はどこにもなかった。

 二人にに悟られないよう家族に働きかける相談がその日にまとまり、それぞれの家族に対する働きかけが始まったのである。



 職を失った人を救済するという当初の目的は達成することができ、付録程度に位置づけていた救援活動も予想外の展開をみせている。ただし、まだ僅か百五十名を救済したにすぎない。発足当初に採用した百名と、半年後に採用した五十名だけである。発足当時の事務職員は吉村を含めて五名。その内の一名は災害救助犬を売り込んだ宮内で、初めに去っていった三人を除いた総勢百五十二名が在籍している。定数は二百五十名なので、あと九十八名の採用枠が残っていて、吉村はその採用枠をどうするか迷っていた。


 もうすぐ師走。依然職を求めてさまよう人は街に溢れ、更に新卒者の就職内定率が社会問題になるほど悪化している。特に、東北・北海道・沖縄では内定率が五十%を下回る高校が続出しているらしく、就職できないことを理由に、留年や大学院を選ばざるを得ない学生がかなりの数にのぼっているらしい。卒業が即失業となる社会とはいったい何だろうか。いくらなんでも企業まかせでは社会が成り立たなくなってしまう。採用権を与えられていることもあり、できればそんな地域から新卒者を受け入れてやりたいと吉村は考えたようだ。班長会議で吉村が提案すると、その場にいた皆が口々に賛意を表した。中途採用の自分達は現役で働ける時間が短い。あと十五年もしたら腕利きの職員は誰一人いなくなっているだろう。警察や消防のように、自前の職員を育てることが必要だと誰もが口をそろえて言った。ただ、現場で生きてきた者の僻みなのか、大学生を採用することに多くの者が反対した。努力不足を棚に上げ、理屈をこねて正当化しようとする傾向を嫌っている。


『課長、うまいこと誘導しよったなあ。あんがい役者やなあ』


 吉村の話し方を佐竹は感心して眺めていた。

 早速該当する県の教育委員会に事情を説明し、募集案内を発送したのは秋の盛り、無茶を承知で説明会を行ったのは、十月の終わりに近かった。



 その説明会の日、佐竹と宮内は秋田にいた。航空会社も鉄道会社も、災害救助犬を盲導犬と同じに扱ってくれることになり、一昨日盛岡駅で吉村と別れて小次郎と共に秋田にきていた。昨日の山形では佐竹が説明に立ったので、今日は付き添いのような立場である。


 宮内は小次郎を従えて、高校生が座っている通路を一巡りしてから壇上に上がった。台湾で働いたままの服装である。高校生より小柄な宮内が、立ち上がると自分より頭一つ大きい犬を意のままに操っているのを見て会場はざわめいていた。


「こんにちは、名古屋市災害救援課の宮内です。いつもは大福と呼ばれています。今日は寒いのに集まってくれてありがとうございます。サービスのために小次郎を連れてきました。サービスと言ったけど、犬は相棒なのでいつもワンセットなんです」


 笑ってくれるだろうという目論見が見事に外れてしまったようで、会場には咳払いすら聞こえてこない。


『アホ、しょうむない冗談言うさかい、見てみい、白けてもうたがな』


 佐竹は壇上で笑いを堪えて眺めていた。


「おもしろくなかった? 笑う場面だよ、ここ。つい先日も台湾南部地震の救援に行ってきましたが、ニュースで映りましたか? そのとき一緒に働いたのがここにいる小次郎と、伝助というダックスフンドです。埋まっている人を七十人以上発見したんですよ」


 宮内が自慢げに言うと会場にどよめきがはしった。


「今日来たわけは皆さんもうわかってますよね? 四月から私達といっしょに仕事をしてくれる仲間をさがしに来ました。人捜しは小次郎が一番うまいんです。横の人は、建物の強度診断や、防災工事の指導を担当している一級建築士の佐竹です。

 私達は名古屋市の職員ですが、災害救助や防災意識の啓発活動だけが仕事です。だから、救援課の職員になって、いずれ秘書課に転属したいとか、局長や助役になりたいという希望をもつ人、残念だけど絶対に転属はありません。それに、私達の仕事は役所の人で簡単に務まるような内容ではなくて、専門技能を身につけないとできません。だから、私のように犬と一緒に働いたり、調理、土木、高所作業、工作、営業、宣伝、庶務というように専門分野が分かれています。始めは全部の部署を体験して、本人の適正を判断してから正式に配属を決めます。それに約一年を予定しています。

 さて、肝心の試験についてですが、私達の組織はちょっと変わっていて、筆記試験をしないのです。何ができて、どんな考えをもっているかを聴いて採用を決めます。男女の区別も年齢の区別も一切ないんですよ。二十代の班長が五十代の職員を束ねる班もあるくらいですから原則的に平等、対等なんです。だからこその厳しい面はありますが、困った人の力になれるように能力を向上させるのが仕事です。ただ残念なことに、ここにいる全員を採用するわけにはいきません。定員の都合で、一つの県で六名程度しか採用できません。でもね、内緒なんだけど、東北と北海道と沖縄にしか募集をしていないんですよ。特に就職に困っている地域の人達を仲間に迎え入れようと相談してそうなりました。

 もう一つ。どこかの会社に応募する時に、一校から一人応募するのが普通になってきてるよね、うちはそんなことしないからね。極端な例えだよ、全員同じ学校から採用ということもありえるんだから遠慮しなくていいよ。さっき言ったように、学力試験をしないんだから何が採用基準なのか予想できないぞ。学力勝負、体力勝負では通用しません。何が必要なのかは自分で考えてください。ということで、近日中に採用試験をします。関東や関西や九州の友達に教えちゃだめだよ。

 さっき平等だって言ったよね。男女の区別をしないのだから、男子が調理をして、女子が土方や鳶の仕事をすることもあります。そういうことを承知のうえで応募して下さい。案内のちらし貰ったでしょ? そこに詳しく載ってるから、家でよく話し合って下さいね。

 最後に繰り返しますが、不採用になる人の方が多いので、あきらめずに就職活動を続けるんだよ。

 これは私達の制服です。ヨレヨレの格好で失礼かなと思ったんですけど、職場の仲間が皆さんを応援してくれるような気がして着てきました。皆この服に誇りをもっているんです。それと、せっかくだから小次郎も挨拶したいそうです」


 急に厳しい表情になった宮内が小さな身振りとともに


「降りろ! 行け!」


 鋭い声で命令すると、小次郎が会場の隅へ走って行った。




「見えるかな、これは犬笛です。遠かったり、騒音で声が届かない時に使います。人には聞こえない高い音を出します。この笛の合図で小次郎は自由自在に動いてくれます」


 胸にさげた細長い金属性の笛を会場に並ぶ若者に示して口にした。



 何の素振りもなく音も聞こえないのに、会場の隅にいた小次郎が突然演台に駆け寄り、止った。向きを変えて歩き出す。止まる。座る。向きを変えて走る。止まる。伏せる。そして、宮内めがけて駆け出した。演台の上に跳びあがり、大福の横に座った。その姿勢から演壇に跳び乗ると生徒の方を向いて座った。宮内が人差し指を唇に当てると同時に、体育館に小次郎の咆哮が響いた。


 館内が静まり返っている。小次郎の咆哮がきえても残韻が時間をかけて生徒に沁みこむさまが見えるほどに静まり返っていた。

 宮内が頭をさげ、話が終わったことを伝えると、大きな拍手が沸きあがった。犬が働くのを初めて間近で見て驚いたのだろうか、目をキラキラさせるだけで拍手をしていない生徒もいて、どの顔も嬉しそうに輝いている。


「いやぁすごいものを見せてもらいました。皆さんも職業人がどんなにすごいかよくわかったと思います。大変失礼なことをお尋ねしますが、宮内さんは大変若いようですがおいくつなのですか?」


「何歳に見えます? 実は皆さんと殆ど同じ十九歳です」


「十九歳? それではまだ卒業して一年……」


「うそうそ。二十三歳、皆さんより少しだけお姉さんです」


「宮内さんは災害救助犬訓練士の班長だそうです。こんなに若いのに責任のある仕事をしておられるそうですよ。宮内さんが説明してくださったことをよく家で話し合って、挑戦したいという人がいたら先生に申し出て下さい。質問の時間をとりたいけれど、次の会場へ……」


「少しだけ、ほんの少しだけですけど、犬に触ってみたい人」


 司会を遮って宮内が尋ねると、半数ほどの生徒が手を挙げている。


「三十分だけ出発を遅らせます。会場の中を回るから触っていいよ。ただし、いくら魅力的だからってあたしに触るのはなしね。それと、頭より首や背中を撫でる方が犬が安心するから。顎や耳の後ろは特に喜ぶよ。もう一つ、これは守ってよ。顔の前で指をヒラヒラさせないでね。犬の習性でね、目の前でヒラヒラする物に食いつく危険があるから注意してね。指くらいなら簡単に食い千切るからね。最後の注意さえ守ってくれたら絶対に咬むことはないから心配ないよ。

 それじゃあ先生、会場を回ったらそのまま次に向かいますので、何かありましたら携帯に連絡して下さい」


『へえー、うまいことやりよった、あなどれん娘かもしれんなあ。嬉しそうな顔して、あないな顔久しぶりやなあ。せや、丹梅と仲良うしてた時以来の顔や』


 佐竹は新たな発見をしたように感じていた。




 やがて空気が温み、桜の蕾が膨らむ陽気となって、新規採用者が名古屋に揃った。

 着たきり雀の一団と、とりどりの学生服が隣り合う妙な取り合わせの入庁式がすみ、皆で決めた掟を教え、まばゆい若さを仲間に引き入れて新たな歩みが始まった。


『木村の奴、ふだん物言わずやのになあ。それも大事なことを噛み砕いてきっちり言いよったがな。なんぞ裏があるんやろうな』


 班長連中の挨拶で、木村が意外なほど上手に語りかけるのを聞きながら、あらためて各々の過去に踏み込まない関係でしかないことに佐竹は気付いた。かといって、深い関係に踏み込もうとしない現実も感じている。相手が言わぬにはそれなりの理由があるのだろう。それは自分も同じなのだから。


 明日からは訓練に精出す日々が待っている。特に新卒者にはすべての仕事内容を体験してもらい、将来の礎になってもらう狙いがこめられている。今の救援課を支える中心メンバーが退職しても、若者がいる限り受け継いでもらえる。市民から存続を期待されるには、十分な可塑性のある彼等をきちんと教育する必要があり、新卒失業者になることを免れた喜びを自覚している今が肝心な時期である。新たな展開を選択した救援課。今回の採用は男女ほぼ同数になっている。


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