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外国デビュー -丹梅(たんめい)-

  四日前。台湾南部で大地震発生が報じられた二時間後には、派遣される者の人選とともに資材の準備が始まっていた。派遣要員に指名された四十人余にはすぐさま休養待機が命じられ、技能訓練中の者が航空コンテナに資材を詰め込んでゆく。スコップ・ロープ・バール・ハンマ・釘・粘着テープといった、どこにでもある物がほとんどで、特殊な機材としては、小型浄水器と発電機、避難テントくらいである。また、応急措置用に足場用パイプや合板も用意されている。そして、自活用食料・飲料水・燃料の他に、配給用食料や、米袋二つ分の飴玉も用意されていた。とはいっても救援課が提供できる食料ではとても足りないので、少しでも多く配給できるようにと、営業班なりの救援活動が始まっていた。


「電話で事情を説明して協力依頼してあるから、手分けして貰いに行くぞ。目標、荷台満載。積みきれなかったら応援を頼め。本隊出発は六時、荷物は五時半出発、積み込み完了は五時だ。だから四時には戻ってくれ、遊びじゃないから時間厳守。いいな! くれぐれも事故のないようにな」


 営業班長となった林が指示をだしている。手分けして物資の調達に走るつもりなのだが、荷造りを考えると自分たちに与えられた時間は四時間ほどしかない。食堂で用意してくれた弁当と水筒を持って一斉に散った。少しでも多く現地に届けられるよう精一杯のことをしたい。裏方を支える部署での、彼等なりの闘いが始まっていた。


『こういう時は緊急自動車扱いしてくれたらいいのに』


 胸の内でそう呟きながら……。



 愛知県は全国で売られる土産用菓子の中心産地なので煎餅や餅を製造している事業所が多く、協力を得る環境に恵まれている。災害救助に赴くことを説明し、型崩れで商品にならず廃棄処分される不良品を無料で提供してもらうのである。

 規格外の食品を配食することに批判があったとしても財政には限度がある。体裁をつくろって無駄な経費をかけることに何の魅力も意義も抱いておらず、命をつなぐための食料と割り切っている。医療関係の商社にだって期限が迫った在庫品が眠っているだろうし、スーパーにも眠った在庫があるだろう。ホームセンターには道具類や小物類の不良在庫があるかもしれない。どんなものであれ現地には必要だろうし、幸いにも名古屋には余力がある。被災者が生き延びるための大切な物資をかき集めることが、営業のすべき救援活動なのである。



 解体業者から購入した不揃いのライトバンが、物資を提供してくれた店の善意と、営業マンの想いを荷室に溢れさせて戻ってきた。


「うわーっ、すごくたくさん集めてきたぞ。喜ぶぞー、きっと。舌先三寸でこんなに集めるんだからすごいなあ」


 歓声をあげて総出で荷物をコンテナに手送りしながら、


「どがぁしたらあねぃなこと言えるかわからんわぁや。あらぁ騙あとるんとついじゃ」


「こら、今何を言ってたかわかるように言えよ」


 遠慮のない話を林が聞き咎めた。


「どうしたらあんなこと言えるかがわからん。きっと騙しとるのと同じだ。そう言うたで」


「俺は詐欺師か?」


「ううん、ちぃと違うで。もちぃと悪いで。詐欺いやあ、自分が相手騙あとるんわかってやりよろうが。こんな、人を騙あとるこぉ気づいとらあで。いよいよやれんぃのう」


 とたんに爆笑がおこった。


「おぼえとけよ、晩飯のおかず半分食ってやるからな」


 次々に荷物を手送りしながら、こういう仲間ができたことが林には嬉しかった。



 林は、証券会社の営業マンという経歴をもっている。ただ、営業方針をめぐって上司とひどく対立し、解雇に追い込まれてしまった。そのことに後悔はないが、他に知識も技能もないことから、失業保険の給付切れを目前にしても再就職ができなかった。縁あって佐竹と知り合い、近藤とも知り合い、ああして村井と知り合うことができた。まったく畑違いの救援課に採用され、営業能力をかわれて班長を務めている。賛助会員の開拓や、今回のような救援物資を集めるのが仕事である。当時の友人達とは疎遠になっているが、偶然巡り合い、受け入れてくれたこの村がすっかり気に入っている。人と人との繋がりを大切にし、外へ広めようとする試みに共感した。この村は、それが一層濃密だと感じている。



 災害発生から八時間、現地の状況を説明している横では資材の点検が行われている。


「おい、クズ屋。靴入れたか?」


 説明を受けている一団から声がとんだ。


「在庫の半分、千足入れました」


 資材点検をしていた若者が一瞬嫌そうな顔をして答えた。

 靴は、町内会に呼びかけて足に合わなくなった靴を提供をしてもらったもので、今回も被災者に配るつもりでいる。歩くにせよ働くにせよ、足を怪我していては他人に負担をかけることになる。復興作業に支障がでるし、医療にも無用な負担をかける。破傷風予防の意味がこめられていて、同じ目的で古着も在庫している。


「クズ屋、服は?」


 若者の嫌がる表情がおもしろかったのか、更に声がとんだ。


「まだ暑いんだよ、行く先台湾だよ、寒くないでしょうが。災害なんだから、少しぐらいの汚れは辛抱しなきゃ。次の便で送るから今は靴下だけで我慢してもらいます。それと、クズ屋って言うなよな」


 クズ屋を蔑称と勘違いしているらしく、若者は顔をあからめて立ち上がった。                   


「前田君、ていねいな言葉で馬鹿にされるよりいいだろうが。ジジイが可愛がってくれてるんだからありがたく思え。次いくぞ……」


 総責任者である災害救援課長の吉村 巧が、苦虫を噛んだような顔で続けた。


「新しい道具を作ったんだ、使ってみてもらえんか?」


 説明が一段落した頃、小柄な兵頭正一がおずおずと吉村に話しかけた。


「どんな物?」


「リヤカーだ。折り畳みにしたから場所はとらん。元が廃棄自転車だから大人四人が限度だと思けど、救急車になるだろう。それと、もう一台追加できんか?」


「もう一台?」


「鋼材が邪魔になると思うからプラズマ切断機をな。鉄骨は焼き切るのが一番だ」


「胴体切断じゃないだろうな、危なくないか?」


「生身は切れん、悪くて火傷くらいだ。死ぬのと火傷とどっちがいい?」


「なにかと問題にならんかなあ」


「蛙の面に小便だわ。素人が御託ならべても石っころ一つ動かんのだぞ。きっと役に立つ」


「誰でも扱えるのか? 目方は?」


「発電機とコンプレッサーがセットだから少し目方がかさむが誰でも使える」


「わかった、大至急用意してくれ」


「クズ長、リヤカーや一輪車があると助かるわ」


「呼び方変えろよ、クズ長はいかん。馬鹿にされとるみたいだ」


「そんなら、ク長でどうだ。区長じゃないぞ、クズ屋の親分ってことだぞ」


 陽気な笑いがおこった。


「それと、梯子に補強の手摺りをつけといたから、渡り板にする時に弾まんはずだ。つないだら滑り台になるから、階段が崩れてたって大丈夫だと思う。ただし、救助者にロープ巻くのと、尻当て敷くのを忘れるとヤケドになるぞ」


 苦笑いをうかべて、改造した部分を示しながら兵藤が説明をした。



 彼等の道具は、一般のホームセンターで買うことができる材料で作ることが基本になっている。現場でないものねだりをしてもはじまらないので、簡単に修理や代用ができるよう配慮されている。雇用対策の一環として採用してもらったという恩を強く感じているので、廃棄物から装備を作ることで市への財政負担を減らそうという意識が高かった。粗大ゴミを再利用して生きてきた生活の知恵には違いないが、それが習慣化していることに誰も気付いていない。

「俺達が日本の顔だというのを忘れんように。六時に出発するからそれまで休憩。夕食の用意ができてるから済ませておくようにな」

 吉村がしめくくった。


 皆がてんでに食堂にむかい、コンテナの前には大小二頭の犬と、犬を担当する、少女と還暦を迎えるような年齢の男が残った。吉村は犬の背を撫でながら、犬が甘えるのにまかせている。


「大福、こいつらの調子どうだ?」


 大柄のシェパードを相手にしている少女に尋ねた。


「小次郎も伝助も体調万全ですよ。色艶よし。軟らかすぎず硬すぎず、細すぎず太すぎず、長さといい臭いといい理想的なうんこしてますよ。摘んで確かめます?」


 大福と呼ばれた少女がニコニコと答えた。呼び名のとおり色白でやわらかそうな、ぽっちゃりした外見の少女である。 



 災害救援専門の組織を創設することに議会の承認が得られたとの報道がなされた翌日、市長に会わせろと単身で市役所にのりこんできたのがこの娘である。

 用向きを尋ねる受付に、


「新聞で報道された災害救助組織に取り入れてほしいことがある。市長直属の組織ということなので是非市長に面会させてほしい」


 そう粘っていた。


 翌日も、その又翌日も市長に面会を求め続け、二週間通い続けた熱意に打たれて市長が面会に応じたときに、挨拶もなしに災害救助犬の導入を熱心に働きかけたという経歴がある。少女というには年齢が嵩んでいるが、小柄でふっくらした容姿はまだ高校卒業直後といっても通用する。少し伸ばした髪を無造作に束ねて犬の尻尾のように垂らし、鍔広のキャップをかむり、軽快な運動靴を履いている。時折襟元でキラキラ輝くチェーンの先には単四乾電池ほどの飾りがついていて、よほど大切にしているのかそれを外すことはない。


 宮内真琴 二十三歳、警察犬訓練士の卵である。

 根気負けした市長が実証実験をもちかけ、まだ専門訓練をほどこした犬がいないことに不安をおぼえながらもその申し出を受けて立ち、居並ぶ議員の前で見事に成功させて救助犬の有効性を認めさせた。市長にしても議員にしても犬の能力を認めはしたものの、最悪でも広告塔としての宣伝効果があるという不純な、つまりスケベ心で現在の居場所を獲得した女性である。その当時はまだ成人を迎えたばかり。若さ故の怖さ知らずかもしれないが、とにかく自分の信念で強引に前進しようという荒業を得意としている。飼育放棄されたシェパードの小次郎を相棒に、救助犬班の責任者として指導もしているのだが、どこか寂しげで、組織の中で最も年下ということで他の者とふざけあうことははあまりない。


 飼育にせよ訓練にせよ、経験者が一人もいないことから救助犬担当班は誰の支援も受けられないでいる。その部署を切り回しているのである。

 なかなか打ち解けられないコンビを横目に、訓練を楽しむ小次郎に高度な課題を課してゆく。何度も何度も繰り返す姿を職員に示していた。

 褒めて褒めて、つい後ろを向きそうになる背中をポンと叩いてまた褒める。

 もう一度やろうかなという表情をみせたときに


「ね、わかる? 今みたいにさんざん褒められればやる気でてくるでしょ? 犬だって同じ。いっぱい褒めてやればどんなことにも挑戦するようになるから」


 そう励まし、


「犬の力を使うんじゃないよ、使わせてもらうんだよ。だったらそれなりの接し方があるでしょ」 


 そう叱る。小次郎を訓練する前に、人の訓練にかかりきりになっていた。


 すべてを委ねられる重圧を宮内はこの若さで体験し、立派に耐えている。

 災害救援課に集まった者は、人も犬も社会から見放された者同士である。同じ境遇の者同士気脈が通じるのか、よくいっしょに遊んだ。童心に帰って遊ぶことが犬にとっても人にとっても心が癒される環境だったのかもしれない。



「うんこは任すから、早く食事すませろよ」


 話を切り上げて事務所にむかう吉村の背に、


「そんなことでは訓練士になれんぞー」


 宮内の嬉しそうな声が響いた。


 背後ではトラックがコンテナを積み込んでいる最中である。

 ふと見れば校舎に朱が射し、まだ青さの残る空に一つ、星が姿を現していた。




「みんな聞いてくれ。わいの出る幕ちゃうけど、とりあえずわいの指示で動いてくれ」


 夜通しかかって救援本部を設置する公園にバスが止まった時、佐竹はおもわず立ち上がって皆の顔を見回していた。神戸での体験で学んだことを活かすにはそうせざるをえない。こんな過酷な状況だからこそ強力な統率力がいる。それには体験者である自分が最適だろうと判断してのことである。その佐竹に対して反対意見のないことを確かめて、吉村が頷いた。吉村を含めて全員が被害のすさまじさに圧倒されていたのである。


「まず本部の設営を全員でせなならん。わいが場所を指示するさかい、テントを張ってくれ。木村はんは便所の穴を掘ってくれ。水野はんは飲水の確保。近藤はんは発電機や浄水器を据えてくれ。課長は役所へ行って調整、それと警備の警官を常駐させてくれ。大福は街を歩いて広報や。言葉が通じんでもかまへん、背中のレスキューを見せて歩くんや。飯炊きは炊き出しにかかれ。皆わかったか」


 いつも控えめな佐竹の怒鳴り声で最初の目標を与えられ、バスの中にウオーッという怒号が渦巻いた。

 銘々が道具を持ち出すのと同時に、佐竹はテントを張る場所に棒で線をひいてゆく。


「誰か便所の床と仕切りにする板を探してくれ。緊急事態や、廃材集めてこい。それと、配給用のテーブルを用意してくれ。ええか、ここが完成せなんだら何もでけんさかいな、ちゃっちゃとするんやで。手ェ抜いたらしばきあげるで」


 建築現場を仕切ってきた経験は無駄ではなかったようで、佐竹の指示が矢継ぎ早に繰り出されている。一時間ほどで十棟ほどのテントが展張され、資材コンテナや発電機も据え付けられた。その様子を監督する佐竹の口が閉じることはない。


「適当なとこに照明とスピーカーを取り付けてくれ、アンテナも忘れんように。木村はん、掘った土は埋め戻しに使うさかい山にしといてくれよ。他の者は怪我人をさがせ。広報は薬を配布。量がないさかい最低限の手当てですましてくれ。あんじょうたのむで」


 襟元につけたマイクに声をかけて携帯電話を取り出した。


「林はんか? 佐竹や。今本部を設営したとこや。早速ですまんが、食料と薬を送ってくれ。何日ももたへんわ。騙してでもええ、盗んでもかまへんよって大至急送ってくれ」


「わかってるよ。今日も集めたし、市民からの援助物資が集まり始めてる。これから和菓子屋に協力要請の電話をするところだったんだ。明後日頃には市長が飛ぶから、その時に届けるように準備するよ。怪我するなよ、あんたが頼りだからな」

 さすがに林だけのことはある。佐竹の悲鳴を見越して次の手を打っていてくれる。神戸での苦い思いを再現しないですむように佐竹は頭をフル回転させていた。




「おーぃ、ぼちぼち交代だぞー」


 瓦礫の山の陰から怒りを含んだ声が響いてくる。


「今行くってー」


 すっかり体力の回復した男達が雑談に区切りをつけて立ち上がると、瓦礫のあちこちに赤旗が立っている。五体を駆け巡る血の証であってほしいと誰もが願っている。


『班長は一時間後に本部前に集まってくれ。連絡することがある』


 無線連絡を聴きながら瓦礫に向かう男たちの表情に気負いはない。


『できることをしよう』が、合言葉になっている。だから決して無理はしない。絶対に自分達が要救助者にならないという掟がある。 




 広場の片隅で犬の吠える声がした。


「伝助、仕事してるか?」


 毛並みが埃に覆われたダックスフンドに木村が声をかけると、伝助がとびついてきた。


「噛むなよ、偉そうに。ちゃんと仕事しろよ。小次郎、ちゃんと見張れよ」


 現場に入って二日が過ぎようとしている。災害救助犬はまだまだ元気な様子だが、やはり今日は昨日に比べて発見数が減っていた。というより、死者が圧倒的に多いのである。


「ガラスがいっぱいで怪我が心配です。通路だけでもガラスの撤去をお願いします」


 宮内が悲鳴を上げた。


「犬は素足だよ、みんな逆立ちして歩いたら意味がわかると思うけどな。だいたいね、みんなと違って、足血だらけにしてても黙って働いてるんだからね」


 まだ若い宮内は、皆の冗談を受け流すことができずに不満を噴出させている。


「臨時の掃除夫を雇ったから期待してくれ。今日の作業だけど、夕方で終わろう。まだたくさん埋まってるだろうけど、生命力に期待しようよ。明日から目一杯掘ってもらうから」


 皆に座るよう身振りで促しながら吉村が言った。


「まだ八十時間しかたってないぞ、もうちょっと粘れるんだけどな」


 思わず木村が異議を唱えた。食料も水もない状況で生きられる目安は七十二時間とされているが、それを少し過ぎただけなのでまだ生存率は高いといえる。


「確かにそうだけど、昨日も今日も目一杯働いてもらってるから、皆の体力があるうちに休んでもらいたい。皆がへたばったら明日からに影響する、無理しちゃいかん。それと、掃除夫を呼んであるから紹介するよ」


 トラックの陰にむかって吉村が手招きすると、瓦礫の山には不似合いな背広姿の市長が顔を覗かせ、とたんに全員が怒号を発した。


「なんだぁその格好は! ここは行楽地じゃないぞ」


「視察に来る暇と金があるんか。いい身分だなー、そもそも自分が親方だろうが!」


 元々遠慮とは無縁な者の集まりなだけに、手頃な攻撃対象が現れたというだけで喧嘩のような騒ぎになる。悪気がないのは態度で明々白々なのだが。


「ちょっと俺の話も聞いてくれよ。あんまりワーワー言うんなら帰るぞ。せっかく土産持ってきたのに、持って帰るけどいいのか?」


 市長も皆に負けないような胴間声を張り上げた。聴衆を惹きこむコツを弁えているからか、市長の発した土産という一言が、支配していた熱気を一瞬で冷やしてしまった。


「おい、土産って何だろ?」


 よくよくイジマシイ性分が染み付いてしまって、誰ともなくぼそぼそ声になっている。


「さあな、暑いから缶ビールかもしれん。そういやぁ、あいつ焼酎党らしいぞ」


「缶ビールだぁ? 市長だぞ、おい。市長が缶ビールみたいな安物持ってこれるか?」


「甘いな。ケチで評判なんだぞ、あいつ。だけど、最悪でもコーラは欲しいわな」


 土産という言葉に反応してざわめきが広がり、皆が市長の言葉を待つ雰囲気ができると、


「皆が怒るように作業衣で来んといかんのだけど、今日はここの市長と援助の仕方を相談しに来たんだからこんな格好なんだ。大きい声では言えんけど、外務省の役人が体裁構うからな、嫌々なんだぞ。明日だけですまんが、俺がトラックに乗るから勘弁してくれよ」


 荒っぽい言葉に臆することもなく市長がニタニタしながら話を続けた。


「ちょっと待てって言ってるだろうが、わかってるから。土産だけど……」


 無言の抗議か、バラバラ飛んでくる小石を避けながら市長が切り札をみせた。


「だけど?」


「餅を持ってきてやったからな、被災者に食べさせてやってくれ。林が名古屋中の菓子屋に呼びかけて集めてきたんだ。もーのすごい量を集めてきたわ。食料もぎっしり用意したから安心してみんなに食わせてやってくれ。服や毛布も、薬も持ってきたぞ」


「なんだ餅かよ、ビールじゃなかったのか。泡だけでもいいのによぉ……」


 飲めもしないのに力をこめて訊いた男がへたりこんだ。市長が部下に対する訓示でもなく、部下が市長に対する礼儀もないことが、かえってこの組織の一体感を感じさせる。


「いい組織に育ったなぁ。本当は政府が組織しなきゃいかんのだがな、なさけないなあ政治家って。だけど、政府が組織すると型にはめてしまうだろうし、応用する力も、部下の責任を肩代わりする包容力も望めんだろうな」


 男達の表情もさることながら、公園にいる被災者の様子が男達の働きを証明していると市長は確信した。現に、遠巻きに囲む人々の中から何人も挨拶に進み出てきている。


「いろいろ中傷してくれたけど、今頃赤い顔してるんじゃないですかね」


 市長の言葉に適当な相槌をうちながら、住民達が我々を受け入れてくれていることに吉村は安堵していた。


「組織をつくるのに抵抗されたけどな、考え出したのは一市民なんだ。わしも同じでな、柔軟な発想ができんということだ。偉そうな能書きたれずに、市民の声を聞かなきゃいかんということだな」


 この市長、災害救援課設立を自分の手柄にしようとはせず、市民の発想であると言って憚らない。その率直さが憎めないし、偉い。吉村はそう思った。



 市長の説明によれば、明日頃ようやく政府の調査員が出国する段階で、現地を視察して何が必要かを調査するらしい。必要な物の想像くらいつきそうなものだが、直接確認しなけれ理解できないのだろうか。基本的な必需品のみで現地に飛び、追加で物資を送らせれば時間を無駄にしないことになぜ気付かないのだろう。物資以上に大切なのは、取り返しのきかない時間ということが理解できないのだろうかと政府に呆れる市長であった。。実働部隊が到着するまでには更に日数がかかるので、少なくともまだ何日かは自分達が日本を代表していることになる。気を抜くわけにはいかない。とはいえ、到着してこの方自分は役所tの調整に徹していて、現場の取り仕切りは佐竹にまかせっきりであることを不甲斐なく感じていた。当の佐竹は吉村の情報をもとに作業指示を出し、自分は被害家屋の調査でひと時もじっとしていない。sれなのに職員の体調や能力を判断しての人員配置は絶妙で、日頃の用心深い性格が十分に発揮されているのだろう。佐竹だけでなく、職員の働きを 正当に評価させることが吉村に課せられた任務かもしれない。



「役所では何と?」


「えらく礼を言われて、よっぽど困ってるんだなあ。それより嫌なことを耳にしたぞ。実はなぁ、子供が行方不明になってるそうなんだ」


「発見が難しくなってますから……。遺体の収容が増えてるようで」


 吉村がすまなそうに言い訳するのを市長が真顔で遮った。


「どうも拐われてるらしいんだ。きっと人身売買だ、腹がたつ。人間じゃないぞ……」


「以前もそんなことが国際問題になったことがありましたね」


「ここはまだ治安がいいらしいんだが、他所では商店や銀行が襲われたりしてるそうだ」 


「じゃあ。……どうです、ここに子供たちを集めたら。ただし、帰国までの間ですが」


「そうか。 そうしてくれるならさっそく警官を増やすようたのんでくる」


 あれこれ迷う暇はない、吉村の提案を受けて市長が元気づいた。


「ちょっっ、今日の泊まりは?」


「帰ってくるって、わしも雑魚寝させてもらうからな」


 手近な自転車にまたがった市長が笑顔で振り向いた。


「もう一人、アホが増えたみたいやな。けっこうなこっちゃ」


 聴くともなしに聞いていた二人のやりとりに薄笑いをうかべ、佐竹が呟いた。



 救護テントの前で焚かれたな焚き火で焼いた餅を振舞う頃には、役所から戻ってヨレヨレの作業衣に着替えた市長がだみ声をはりあげていた。行き場を失った子供達は、犬を相手に走りまわっている。その元気な姿こそが被災者にとって大きな救いとなる。

 本部のある公園にも避難民がたくさん野宿している。救援課の本部があって絶えず人が出入りしている事や、警備の警察官が常駐しているので安全な印象があるのだろう。救護テントと便所があることも野宿する人には都合が良いようだ。


 衛生状態を保つために、そろそろ風呂を用意してやらねばならないと吉村は考えていた。当初用意したシャワーでは希望者の半分も利用できない状況だし、水を用意するにも限度がある。浴槽だと水がたくさん必要なのは事実だが、何人もが一度に利用できるし、シャワーより排水する量を抑えられる。あくまで緊急措置なので大袈裟なことはできないのと、風呂の形式が現地の風習に馴染まないかもしれないが、ここは我慢してもらうほかない。


「近藤さん、相談があるんだけどな」


 本部テントの陰で洗濯をしている近藤をみつけて吉村が話しかけた。


「なんか用か?」


 汗まみれの作業衣をわずかな水で洗いながら、近藤が咥えタバコの顔を上げた。


「明日にでも風呂を作ってもらえんかな。せめて五人や十人は浸かれるくらいの大きさで」


「グランドシートの余分あるか? コンパネとパイプもいるぞ」


「敷く分と浴槽にする分と……、どうにかなるだろう。三つに仕切って、洗い場・汚れ落とし・浸かる専用にしようか。だから、浴槽は二つでいいだろう」


「それなら柱を六本立てて、周りと屋根はグランドシートで覆って、浴槽二つと洗い場だな。湯はどうする?」


「外で沸かして補充するしかないよ」


「そんなに早く沸くか?」


「空き缶コンロで沸かすしかないがな、火の中に石を入れておけば二回沸かせるよ」


「石? そんなもんでどうするんだ」


 石で湯を沸かすと言われても意味が判らず、近藤はキョトンとしている。


「薪を燃やすときに石を入れておくんだよ。焼けた石を水の中に入れたらどうなる?」


「あー、なるほどな。課長頭いいな、案外悪知恵が働くじゃないか。あとは、水だな」


「子供に手伝ってもらおうよ、少し働いたほうが気が紛れるだろうから」


「よっしゃ、まかしとけ。いいやつ作ってやる」


「それと、便所はまだ使えるか? 帰国までの間に追加を掘ってほしいんだが」


「そいつは木村に相談してくれよ、俺の専門外だ」



 席に戻り、焚き火を囲む人達の安心した様子を眺めている吉村の前に丹梅がやってきた。小学校高学年くらいの男の子を連れていて、後ろには弟だろう、五人が男の子に隠れるように立っている。親が帰らないのでじっと待っていたが、食べるものがなくなり、町へ行けば助けてもらえないかと歩いてきたらしい。公園の外から様子を窺っているのを丹梅が見つけて連れてきたようだ。


「大丈夫だぞ、お父さん達がみつかるまでいていいから安心しな」


 けなげな男の子の肩に手を置くと顔がゆがんだ。見ればシャツにもズボンにも乾いた血の染みができている。何かにぶつけたのだろうか、額の傷からはまだ血が流れている。


「佐竹さん、腹へらしてるようだからたのむわ。それと、傷が深いようだから血止めもな」


 食料配給の場所に陣取って、時折現れる被災者に対応している佐竹を手招きした。


「おっ」


 答えて佐竹は焚き火にむかい、盛んに手招きをして兄弟を呼び寄せた。


 ポケットに残っていた飴玉を握らせ、水の入ったペットボトルと焼けた餅を差し出す。醤油を入れた皿と砂糖を入れた皿を並べて、食べるまねをすると意味を理解したらしく、よほど空腹だったのか皆が餅にむしゃぶりついた。

 腹の虫が満たされたのをみはからって、濡らしたタオルで子供達の顔や手を拭ってやっていた丹梅も心配そうに隣に腰をおろした。

 人心地ついた子供達の怪我の具合をみると、幸いなことに年長の男の子以外は擦り傷程度ですんでいる。男の子の手足の傷はまだふさがっておらず、出血しているところもある。


「すぐに止めたるさかいな」


 佐竹はポケットから瞬間接着剤を取り出して、ポタポタと傷口を塞いでやった。手足の傷の処置がすみ、一番傷口の深い額の処置にかかろうとした時、


「みんな食ったかー。どうした、怪我か?」


 同間声を響かせて市長がやってきた。


「出血してたから血止めしてますねん」


「おい、それって接着剤じゃないか。無茶苦茶するなあ」


「医療行為とちゃいまっせ、単なる血止めですわ」


「そんな物使って大丈夫か? 消毒は? ばい菌はいったらどうするんだ」


「消毒薬なんぞのうてもな、こないして傷を密閉したらばい菌の入りようないがな。どないしても消毒せぇ言うんなら大福呼んでもらえます?」


「呼んでどうするんだ」


「一発どついて泣かしたって、こぼした涙で消毒や」


「そんな無茶苦茶」


「市長、よう覚えとき。ツバはあかん、雑菌の巣―や。けどな、剥きだしの目ん玉守ってるんは涙だけでっせ。目玉の奥は脳味噌やからな、あの殺菌力は最高や。おまけに、銭がいらん。国帰ったら医者に訊ねたらええわ」


 市長の心配をよそにポタッポタッと接着剤を垂らして、息を吹きつけ接着剤を乾かす。


「痛みとか発熱は誰かて嫌やわな。けどな、どっちも自分の体がばい菌と闘こうとることの合図なんや。せやから応援したったら早う治るもんや。風邪ひいて熱出たときは布団にくるまってじっとしてたらええ。いらん銭使うて解熱剤飲んだりしたらいつまでたっても治らへん。薬は毒の親戚や、薬で丈夫にはなりまへんで」


 口調はそっけないが、佐竹は市長の目をじっと見据えて逸らさない。


「いやぁ、いい勉強になったな。知らんことばかりだ」


 佐竹の視線を受け、おもわず市長がたじろいだ。


「いやぁ、いらんこと言うてしもた。テント戻るんやったらこの子ら寝かしたってもらえんやろか、安心さしたらな。場所がなかったらワシの寝場所でえぇわ。今日は張り番兼ねて外で寝っさかい。……そやった、市長を顎で使うてすまんけど、この子らに靴選んだってほしいんやけど。なっ、このなりや、せめて足元だけでもあんじょうせんと」


 去り際に振り返った佐竹は、わが子を見る親になっている。


「おう、甘いもんも食わせてやらぁ」


 この男も失業によって全てを失っていたのだなと市長は察した。生活資金だけでなく、社会からも見放され、おそらく家庭も崩壊してしまったのだろう。人をこのような生活に陥れるのは、突き詰めれば人の欲望にほかならないと思う。村井が語ったように、素晴しい知識や能力をもちながら社会から放逐される現実に身震いせざるをえない。同時に、こういった貴重な人材にめぐり合えたことに感謝していた。




 丹梅が意識を取り戻した時に感じたのは静かすぎることだった。近くにいるはずのクラスメイトの気配を感じられず、恐る恐る開いた目は何も写さない。手足が鈍く痛み、思うように体を動かせないままじっとしているしかなかった。たまに誰かが呻くような声がする。どうしたんだろう、悪い夢の続きだろうか、などと考えているうちに再び気が遠くなった。 


 次に目が覚めた時、誰かを呼ぶ声を聞いた。よかった、耳聴こえる。少しだけ安心した。

 息苦しいので頭を動かしてみた。大丈夫、動かすことができる。うつ伏せになっているから息苦しかったのだとわかった。ゆっくり頭をあげてゆくと遠くに光が見える。さっきの声はそこから聞こえたようだ。私がここにいることを知らせなきゃ。大声で叫んだつもりなのに微かな声しか出ない。

 お父さんのところへ帰らなきゃ、お母さんのところに帰らなきゃ、そう思って何度も何度も叫んだけれど誰も気づいてくれない。叫び疲れて喉が渇いた。お腹もへった。どうしよう、どうなっちゃうんだろう、このまま死んじゃうのだろうか。いろんなことが頭に浮かんだが、不思議なことに涙は出なかった。


 犬が吠えている。まだ夢の中かなと思ったけれど、何度か吠えるのが聞こえた。

 どうしたのかな? 光が見えた方から黒いものが近づいてくる。鼻息が聞こえて、匂いを嗅ぎ、一回吠えて顔をペロペロ舐められた。犬だったんだ。でもさっき聞こえたのとは違う甲高い声だった。


 犬が戻って光が見えるようになると、なにやら外国語が聞こえる。動くことができないのでそのままでいたら、だんだん光が大きくなって人の顔が現れた。助けに来てくれたのだと初めてわかった。

 手足が痛かったのは窮屈な格好で長い時間いたからだろう。その場で水を飲ませてもらい、しばらく蹲っていたら少しずつ力が戻ってきて、まだ痛かったけど自分で歩けた。



 テントまで運ばれて、水を飲んでご飯を食べて、家に帰ろうとしたら 『待』と書いた紙を見せられた。

『救助隊』と書いて 「リーベン ライラ」と言った。

 日本から来た救助隊なのか。また何か書いて自分のことを指差している。

『吉村 巧』この人の名前? 『馬 丹梅』横に自分の名前を書いてみた。


「タンバイ?」


「タンメイ」


『疲労困媒 暫時眠』 何が言いたいのか解からない。やっぱり帰ろうと立ち上がりかけると、『休養』と書いた。

 もう少し休めと言おうとしてるのかな? 警察官がいるから心配ないか。



 すっかり眠ったようで、目が覚めたら夕方になっていた。

 犬を連れた人が帰ってきた。小さい方の犬が尻尾を振ってじゃれついてくる。クンクン匂いを嗅いで顔を舐めようとするので思い出した。私を見つけてくれた犬じゃないかな、匂いを覚えているのだろうか。犬の紐を持った人達も嬉しそうに笑っている。

 この人達が見つけてくれたんだ。今まで出なかった涙が急に溢れ出した。



「タンメイ」 呼ばれて振り向くと、大きな犬を連れた女の人が紙を持ってきた。


『大福』 自分を指差し、 「だいふく」と言った。

『同行、帰宅』と書いて、「意味わかる?」 心配そうに窺っている。


 帰っていいのかな? ついてくるのかな?

 テントの奥に連れてゆかれて靴をもらった。校内履きシューズがボロボロになっているのに初めて気付いた。古い靴ばかりだったけど、丈夫そうなのを選んでくれて、履き替えるよう手まねをしている。そして、ポケットから飴玉を取り出して口に入れてくれた。

 大きな犬といっしょに町に出たものの、崩れたり、傾いたりした建物ばかりでどこを歩いているのかすらわからなくなってくる。


 ようやく家に帰ってはみたけど、自宅も店も、近所の家も全部崩れて屋根しか面影が残っていない。あっちこっちさんざん歩き回っても知った人にすら出会わない。その間ずつと一緒に歩いてくれた女の人が、『馬 丹梅 在 日本国 名古屋市救援課』と書いた紙を崩れた家に貼り付けてくれた。


 帰り道、手を引かれて行った先は学校だった。一階は崩れてペシャンコになっていて、二階にあった自分の教室が頭の高さにある。壁は全部崩れていた。指差すところで私が見つかったらしい。椅子の座面に机をもたせかけて椅子と机に手を合わせた。私を救ってくれた椅子と机に感謝しなさいという意味なのだろうか。

 それからテントに戻った。


 そこにいる人達の様子は日頃見慣れた光景とは全く違っていた。偉そうな顔をして命令する人がいないし、自分の意見ばかりを主張しようと言い争うこともない、自分からすればとても不思議な人達だと思った。食事を終えてからでも、真っ暗な町に男達が戻ってゆくのを見て、こんなに暗くなっているのにまだ助けようとしてくれていることを知った。

 明日から、親を捜しながらこの人達の手伝いをしよう。丹梅はぼんやり思っていた。



 朝になり、携帯電話に登録してある名簿に一斉にメールを送ってみたが返事のない相手がけっこういる。その時に気付いたのは、自分が救出されたのが地震の翌々日だったことである。返事のない相手には、まだ発見されないまま四日目を迎えている者がいるかもしれない。そう思いながら返事のあった相手に他の者の安否を尋ねているうちに電池がきれてしまった。だから、わかるだけの名簿を作ってみた。学校、隣近所、通りの店。名簿を壁に貼って外を見ると、行き場をなくしたような子供がいる。親と連絡が取れないようなのでテントに呼ぶと、皆心配そうにしてここにいられるようにしてくれた。

 この子達の親が見つかるまで私もここにいよう。丹梅はそう決めた。



 救援活動三日目。

 周辺の水道に手を加えて共同の水場を作る仕事は一段落し、各家庭のブレーカーを遮断して回る仕事も順調に進み、電気が復旧したときに無人の家から火事になる危険が減ったはずである。ブレーカー確認と同時にガスボンベの元栓を閉じておいた。そのおまけに、調べに入った建物に取り残された人を少なからず佐竹は発見している。

 立ち入り禁止の張り紙を貼った建物で何があろうが、佐竹には関心ない。どうにかして人数をやり繰りし、保護している子供のそばに配置したいし、捜索にも振り向けたいと、当然課長が考えているだろうことを見越して佐竹は働いていた。



 近藤は朝から本部の若手を助手にして風呂を作っていた。  

 床板を敷き、浴槽にする板を立て、板が倒れないように丈夫な杭を板の外側に打った。立てた板の内側をグランドシートで覆えば即席の浴槽になる。足場用のパイプを柱にして回りを囲い、屋根にもグランドシートをかぶせた。見た目は掘っ立て小屋だが風呂としての要件は整っている。


「よっしゃ、こんなもんだな。子供らに手伝わして半分くらい水入れとけよ」


 残りの作業を若手に任せて近藤が本部席に戻ると、丹梅が古靴をせっせと運んでいる。その横で吉村が気遣うように立っていた。


「課長、風呂できたぞ。今日はちょっと足延ばしてみらぁ、まだ行ってない所があるからな。丹梅、今日から番台やれよ」


 厳つい顔に不似合いな柔和な笑顔を残して、近藤は自転車で町に消えていった。



『本部を右へ、初めての大通りを左へ、約一キロのところに傾いたアパートがある。七階建てだ。そこに要救助者複数。手すきの者集まれ。梯子とリヤカーがほしい。ウィンチと滑車もいっしょにたのむ。人手がほしい』


 支援要請の無線である。


『近藤はんか? わしや、佐竹や。今本部で無線聞いたわ。十分で行くさかいな』


 安全帽の無線機が助太刀を求めている。今日も朝から原型を保っている建物の強度診断をしていた。電気ブレーカーやガスの元栓を確認しながら立ち入り禁止措置をとってきたのが一段落して、本部で汗を拭っている矢先だった。



 コンテナからリヤカーを二台引き出し、展開した一台にもう一台を載せる。梯子を五本とビニール板、ロープと滑車を積んで原付の後ろに縛り付けるとエンジンをかけた。

 通行人がいるし、タイヤが外してあるのでスピードをだすことはできないが、それでも機材を担いで走るよりはるかに速い。

 とても座っていられない振動に辟易し、ステップに立ち上がって原付を走らせると、五分ほどで現場が見えてきた。大きく傾いたアパートの外壁を人がよじ登っているのが遠くから見てとれる。最上階のベランダからロープが何本も垂れていることから、すでに何人かが最上階を捜索しているのだろう。五階のベランダに何人か集っていて心肺蘇生を試みている様子も覗える。


『でやっ、なんとかなりそうか? 今準備すっさかいな』


『息も心臓も戻らん。担架で降ろすわ』


 ウィンチにつなぐロープの片方を担架に括りつけ、滑車をそえる。もう一本のロープを担架の先端に結ぶ。結ぶ位置は舵取りロープであることを教えている。  



『担架受け取れ』


 無線に声をかけて


「山崎はん、舵取りや。木村はんは野次馬をのけさせ。真田はんはウィンチ固定、固定したらブレーキ握れ。後藤はんはロープ支えぃ」


 佐竹は現場を仕切り、皆が持ち場についたのを確認して再び無線機に声をかけた。


『準備できたで、怪我せんようにせえよ。玉掛けは鳶がやれ』


 そう言ってベランダを注視する。


『よっしゃ、巻け、巻け、巻け。よっしゃ、止めろ。壁から離せ……』


 担架に括りつけたロープが滑車を通って原付の後輪に巻きついている。実際はリムを二巻きして残りをもう一人が支えている。玉掛けの指示に従ってアクセルを吹かしたり、ブレーキを緩めたりすれば少しくらいの目方を上げ下げできる。壁面を擦らないよう向きを整えれば臨時クレーンとなるのである。

 佐竹は担架が宙吊りになったのを確かめて、荷台に積んできたリヤカーの展開を始めた。



 地面に降りてきた担架をリヤカーで医者のいそうな場所へ運ぶ間も、被災者の救出作業が続いた。いつ余震がおきるかわからない状況の中で、被災者を背負って壁面を伝い降りるしかないのだから相当な疲労がともなう。かといって、被災者の目の前で休憩することもできず、特に鳶の連中は疲れきっていて、いつ余震が襲うかと考えるゆとりなど、とうに意識の彼方に消し飛んでいた。

「やっぱり、ベランダには避難用の穴がいるな。市営住宅建てるときには避難孔作ってもらわないといかんな」誰もがそう思った。



 小次郎が前足で土を掻く動作をし、大きく吠えると、そこに赤い布を巻きつけた棒を宮内が立てる。発見の目印である。少し大きな穴があれば伝助が潜りこんでゆく。

 行き止まりなのか人を見つけたのか、伝助の甲高い声がした。瓦礫に埋まった人にとって、近くで犬の吠えるのを聞くのは、心強いのではないか。ひょっとして、一舐めして元気づけるのかもしれない。忙しなく動き回る犬の行く先々で、一本、また一本増えてゆく目印が、生きたいという訴えだった。

 市長は、トラックで危険物を集めながら、そんな作業の一部始終を眼に焼き付けていた。



 夕方になって、今夜帰国する市長が皆と夕食を食べていた。


「どうだ、現場体験してみて。次に派遣される時は一緒にくるか? 他の政治家と違って現場で働いたんだ、見直したわ。臨時職員に雇ってやってもいいぞ」


 近藤が機嫌よく話しかけ、好意を抱いたのだろうか佃煮の壜を差し出している。


「冗談じゃない! あんな怖いことできるか。あんたらぁ、たいしたもんだ、感心した。こういうのをテレビでやってもらわんとな」


 市長は初めて間近で救出現場を見て総毛だっていた。この、どこにでもいる作業員にしかみえない男達が、殊更気負うこともなくこなすことを初めてその眼で知ったのだから。


「冗談じゃないぞ。そんなの連れてきたら追い返してやるからな」


 テレビという言葉に木村が過剰に反応した。木村だけでなく、多くの者が嫌な顔をしている。市長にすれば、社会に自慢したい気持ちであり、男達にも自慢してもらいたい気持ちからの発言なのだが、どうも世の中は複雑なようである。吉村がそれ以上触れるなと言いたげに目配せしたのに気付き、市長が話題を変えた。


「消防のレスキューに負けんことやって、子供の世話をして、電気も水道も手当てして、捜索から救出までやってるんだぞ、今日は風呂まで作ったそうじゃないか。金かけずに風呂作ったなんて初めてだ。どう思いついたのか知らんが、もっと自慢したらいいんだ。一番すごいのが、誰も指示しなくても皆が一斉に動いて無駄がないことだ。消防でも警察でも指揮者がおるだろう、指揮者なしであんなことをできるのが不思議で仕方ないわ」


「風呂か? あれなあ、人が浸かったから風呂だけど、水を溜めとくのに便利だろう。解体したら嵩張らんし、都合のいい大きさにできるのが売りなんだ。風呂桶みたいな水槽は運ぶだけでも面倒だし、転用しにくいしな。あんたらみたいに頭のいい人には不思議かもしれんが、自分の持ち場がわからんようでは職人と言えんて」


 いっこうに手を伸ばさない市長にぐいっと佃煮を押し付け、近藤が応じた。


「指揮者ならいてまっせ、その都度変わるからわかりにくいやろうけどな」


 いまさら何を言い出すのかと呆れた顔で佐竹が答えた。


「無線で聞こえてたのもそれか?」


「あるところまでは全体を見られる、ちょっと離れた場所の者が仕切ったらえぇ。そのあとは実際に手ぇ出してる者が仕切らな細かいことが掴めん。仕切りをまかせたら気持ちに余裕ができて、次にいる物の準備にかかれる。職人やったら当たり前のこっちゃ」


 どんな職業でも同じだろうに、それが理解できないとすると無駄に歳をとったのかと佐竹は市長に僅かな哀れみを感じた。


「そうか。すさまじい外国デビューになってしまったけど、自慢できる組織だぞ、これ。帰ったら盛大に宣伝せんとな。賛助会員も増やさにゃいかん。なんとか慰労会をできるようにするからしっかり働いてくれよ。あんたも役所に来た時にはもっと堂々としたらいいんだでな」


 吉村にとって市役所はすでに寄る辺ではなくなっている。だから市長の言葉には無関心である。そんなことより、本部で面倒をみることになった子供達の行く末が心配だった。


「そんな心配は……。それより、どうなるんですかねこの子達」


 今日も炊き出しに長い列ができていて、本日開店の風呂にも入浴待ちの長い列ができている。近藤に言われたように、丹梅が十分ずつに区切って入浴を制限し、湯と水の補給の指示をしている。慣れないので湯の補給が滞りがちだが、幸いなことに暑い気候なので人肌くらいの温度が快適らしく、湯を頻繁に沸かす必要がないのがありがたい。


 そして、吉村の視線の先では、食事を終えた子供達が小次郎と伝助に纏わりついていた。


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