外国デビュー
一 外国デビュー
「とうとう来ちまったよ、外国に」
もう幾度めになるだろか。この竹内という男は、暇さえあれば日本を離れたことを嘆いている。よほど日本を離れることに抵抗があるようだが、だからといって強引に帰国するだけの根性はないようで、駄々っ子がおもちゃをねだるのと根は同じなのだろう。
「最初っからのお約束じゃないか、嫌ならここで働かんことだ」
何を言っても無駄だろうと皆で無視をしていたのだが、とうとう辛抱できなくなった坂本が哀れむような表情で答えた。
「だからごねたじゃないか、俺が代表して」
相手になってくれる者がいたからか、竹内は俄然元気を取り戻して攻勢に転じた。
「誰も代表なんか頼んでないぞ、女もおる中でお前だけが愚図ったんじゃないか。外国、外国ってお題目唱えやがって、恥ずかしくないか。根性なしが」
「みんな言う勇気がなかっただけだろうが、正直に言ったらどうだ」
「どこへ出張でもええでないか! 今さらグズグズ言うな、みっともない」
坂本にしたところが、どちらかというと自発的ににやってきたのではなさそうだ。
初めのうちこそ宥めようと努めたのだが、竹内が図に乗ってまくしたてることに我慢を抑えきれず、とうとう癇癪をおこしてしまった。
全身埃まみれの男達が道端に腰かけてそんな話題に興じている。額から胸元から、背中も尻も、太股のあたりも噴出す汗が染みをつくっていて、その染みが埃を吸いつけ、こびりついた土埃で迷彩服のような斑模様になっている。
「お前ら何ちゅうレベルの低い話をしてんだよ、なさけない。そんなことどうでもいいけど、禁煙じゃないんだろうな。どこもかしこも禁煙だーってこきやがって、そのくせタバコ売ってたら世話ないわ。まるっきり詐欺だ」
安全帽をあみだにしてしきりと汗を拭っていた近藤 稔が、うんざりしたように吐き捨てた。顔を左右にふってあたりの臭いを嗅ぎながら胸ポケットからくしゃくしゃになった吸いかけのタバコを大事そうに取り出し、嬉しそうに火をつけた正にその時、グラグラッと地面が揺れ、うず高く積み上げられた瓦礫がバラバラ落ちてきた。
咄嗟に全員が立ち上がり不安そうに周囲を窺うが、ほどなくして揺れがおさまり、転がり落ちる石くれがなくなると、ぶらさがったままの看板や電線が揺れているだけである。
新たな被害の発生が見当たらないのを確認して、再び全員がしゃがみこんだ。
「けっこう揺れたな、ナマズの野郎まだ成仏しとらんな」
せっかくのタバコが短くなってしまい、近藤は不満げである。
「そんなにタバコがすいたいか? 外国だぞここ、うかっとしてたら罰金だぞ。くそ暑いし、見ろよ、飲んだ水がすぐ汗んなっちまう。やっぱり日本から出るのは間違いだって」
「嫌なら飲まないいじゃん。飲むで出るんだらぁ。な、飲むの止めまい」
いつもは話の輪に加わらない水野が三河弁で呟いた。
「そんな……、死んでまうがや。それとも干物にしたいのか?」
「辛気臭いなあ、べらべら喋ったら余計喉が渇くだろうが。泣き言ばっかり言うな!」
危険と隣り合わせの仕事がそうさせるのか、近藤の言葉は荒っぽい。とはいえ、性格が荒いのでないことは獰猛そうな風体に不釣合いな愛嬌のある眼がいつも笑っていることで窺い知れる。その近藤が二本目に火をつけながら鬱陶しそうに吐き捨てた。
この男達、汗が吹き出るというのに長袖の作業衣を着て、丁寧に手甲を巻いている。はだけた襟元から汚れていない首筋がのぞいていて、いつもは襟元まできっちりボタンをかけていることが窺える。手首ばかりかズボンの裾も脚半でおさえつけてあるのは、袖や裾が邪魔にならないための気配りなのだろう。生地は厚手の木綿製。体の保護が目的の服装なのだろう、丈夫さを重視するあまり通風を無視していることは確かである。
「タバコはいいのか?」
儚い抵抗と知りつつ竹内はつい声にしてしまう。
「これは精神の清涼剤だ! お前の愚痴よりはるかにましだろうが。お前には意地ってものはないのか。それになあ、遠い近いは時間で測る御時世なんだよ。そんなに嫌なら一人で帰れ、名古屋に帰って荷物まとめろ」
押しかぶせるように近藤が言い放った。
「俺、近藤みたいに前向きになれんわ。鬱になってやるぞ」
そう言われて竹内の声が呟くように小さくなってしまった。
「心配するな、何も考えてないだけだ。そうだろう近藤さん」
大きな飴玉を舐めていた木村秀治が野次を入れた。この男、大柄で筋肉質のわりにいたって穏やかな話し方をする。何を遠慮しているのか積極的に仲間と打ち解けるでもなく、かといって孤立を好むでもない。努めて名古屋弁の世界に馴れようとはするのだが、随所に九州訛りがのぞく。 それを詮索されたくないからこそ仲間と距離をおくのかもしれない。
「ご名答。けどな、考えてみろよ。たった今北極で熊がアザラシ食ってるかもしれんだろう。アフリカでライオンが腹上向けて寝てるかもしれん。けちくさい根性は捨てろよ」
近藤は能天気だと言われたのに嫌な顔をせず、盛大に煙を吐きながら無邪気に笑っている。煙が眼に沁みるのか時折瞬く視線の先に、同じ作業衣姿で犬を連れた一団がやってくるのを捉えていた。
「こんな仕事しとったらなぁ、危ない時だけだ、真面目になるの。命の危険さえなかったら特にこだわりなんかないわ。現場が外国だって関係ない、居場所があるだけいい」
大きなコンクリートを避けながら間近に近づいた一団に軽く手を挙げて、近藤は腰をずらせた。近藤の言葉自体、傍観者として聞いている分には何気なく聞き流すかもしれないが、なげやりな響きの裏に懊悩が首をもたげている。木村はそれに気付き、なんとか話題をかえようと思った。
「俺は命張る仕事じゃないからそういう気持ちにはなれんけど、みんなでワイワイ言いながら仕事するのはいいなぁ。結果はともかく、途中がな。補い合うのが好きだな」
近藤の地下足袋に対し、木村はスポーツシューズのような安全靴を履いている。普段は長靴でいることが多いのだが、幸いなことにぬかるんでいないので水虫の心配をせずにすんでいるようだ。
「そうか? たしかに失敗して死ぬっていう心配は少ないだろうけど、仏を見るのははるかに多いだろう。気味が悪いのと可哀相なのとで俺には……。肝っ玉が小さいからな」
「強面の親分がビビリかよ。まあたしかに馴れっこになっちゃったよな。初めなんか死人の臭いが鼻についてな、いつまでも匂うんだ、あれは嫌だったな。だけど不思議に今日は朝飯がうまかった。……ってことは何か? 鼻が馬鹿になったのか?」
「誰の鼻も馬鹿になってるって、濃いか薄いかの違いだけだ。町中に死人の臭いが充満してんだぞ。鼻が嗅ぐのをやめただけだ。こいつらがかわいそうだ、狂いそうだろうに」
犬連れの一団が合流し、腹這いになって荒い息をついている犬の背中に水をかけてやりながら、近藤は大きな舌を出して喘ぐ犬を気の毒そうに眺めている。
その一団にあって、一人ぽつねんとタバコを吸う男がいた。
「あいもかわらずアホな話しかしよらん、気楽でええわ」
苦笑いとともに口をついて出た言葉は流暢な京都弁である。他の者と違って、この男だけスケッチブックを持っていた。他にも、粘着テープやらスプレー塗料も上着のポケットにつっこんでいる。
この男、名を佐竹 亮という。普段から口数が少なく、自分の世界を邪魔されたくないのか身の上を語ることがない。妙に冷静で、周囲を観察する癖がある。
『せやな、とうとう外国に来てもうたな。この先、どこへ行くんやろう』
佐竹の視界に、建物から剥がれ落ちそうな看板が僅かな風でクルリと回るのが見えた。
看板が回る様が花びらの舞い散るのと妙に重なり、佐竹はぼんやり自分の世界に沈んでいった。
あれは櫻吹雪が最盛期の公園であった。名古屋に住んで三年目の春である。今日こそ勤めが決まりますようにと公園の便所で身だしなみを整えていた朝、顔と髪をきれいにして大事にしている上着に着替えたとき、片肘の後ろ側が擦り切れているのに気付いた。ようやく掴んだ面接の機会をこんなことでつぶしたくないが、かといって別の手立てなどあるはずがない。なぜなら、佐竹は名古屋に知己など一人もいないのだから。
悄然とベンチにすわると、地吹雪のように桜の花びらが舞っていた。つまらないことが理由で気力が萎えてしまった佐竹は、 風雅を愛でる余裕などきれいさっぱりなくしていた。こざっぱりした身なりの男が隣に腰掛けたことにも最初は気付かなかったが、やがて、ため息をつきながらタバコを吸う男がいっこうに立ち去らないことに気付いた。
何か重い荷を背負っている。しかも、佐竹と似た境遇ではないだろうか。時間を気にする様子もなく、陰気に俯く姿は佐竹自身とよく似ていた。
「失礼やけど、えらい元気おまへんな。何があったか知らんけど、元気だしなはれ」
それが林 将との出会いであった。互いに同じ臭いを放っているのを感じ、それから二時間ほど身の上をボツボツ話し合っただろうか。
「何してるの、のんびりしてないで面接受けなさいよ。約束は何時なの?」
事情を知った林が親身に奨めてくれるのだが、上着が擦り切れていると言えるものではない。煮えきらぬ返答をする佐竹を改めて眺め、林はその理由に初めて気付いた。
「とにかく私の服で行きなさい。ずっとここで待っているから」
せっかくの申し出ではあったが、すでに約束の時刻が迫っていて到底間に合いはしない。上着が擦り切れていることを知った時点で佐竹は面接を諦めていた。断りの電話をしながら、僅か二時間前に知り合った者に親切にしてくれた林に強く惹かれていた。
それから夕方までいろんな話をして互いに別れ辛くなり、携帯電話の番号を教えあい、そして時間が許せば語り合うようになっていた。佐竹にとって、林は名古屋で掴んだなによりの財産である。
出会って一月ほどして、佐竹と林が例によって時間つぶしをしていたとき、ちょうど公園で老人会が祭りの準備をしているのに出会った。ようやく歩けるような人を含め、老人達がテントを張ったり机を並べたりしている。その危なっかしさに思わず手が出ていた。
営業マンだったという林では手伝いにならないが、年寄りでは怪我をしないとも限らない。一張り、二張り、三張り目で林が役に立たなくなってしまった。
軽くため息をついて辺りを見回すと、自分と同年代の男がトボトボ歩いている。佐竹は何も考えずこの男に加勢を求めた。
「もし、ちょっとすまんが、てっとうてもらえんやろか。いやな、老人会が祭りのしたくらしいんやが、足腰立たんような人もいて危なっかしいさかい」
どこの誰とも知らぬ相手に臆面もなく手助けを求める佐竹に、気軽に応じてくれた男が近藤 稔であった。年寄りが危なっかしい手つきでまごまごするのを二人の男が手伝っているのを見て、何も言わずに働き始めた。互いの素性を知らぬままに殆どテントを張り終える頃、老人会から手伝いを頼まれていた村井由蔵がやってきた。
まだ準備を始める時刻ではないのに大仕事が終わっているのを見て、大喜びで佐竹たち三人に礼を述べに来た。細々とした準備は老人会でなければできない。おかげで仕事がなくなってしまったと村井が喫茶店に誘い、そこであらためて自己紹介をすると、近藤も解雇されて求職中であることが判り、それを知って村井が哀しそうな顔をした。
「とにかく、あんたたちの腕を活かさにゃいかん。俺も職人だ。職人の仕事がないなんて世の中は狂ってる。きっと元気になれるよう考えるから、時々話をしないか」
村井はそう言って帰っていった。
突然村井に呼び出された喫茶店には、すでに林が待っていて、やがて村井が、約束時刻を五分残して近藤もやってきた。この三人とは妙に気が合い、あれから一年、月に一度くらい集まって話に興じてきた。しかし、今初めて村井に打ち明けられるまでは、皆何も知らされずにいた。内容自体は新聞やニュースで知っていて、そこで働けないものだろうかと募集が始まるのを待ちわびているのが正直なところである。あまりに荒唐無稽で現実味のない事業の、村井が提案者だという。いったどうすれば村井の考えが実現したのか、佐竹にはさっぱり理解できなかった。自分では考えられないような無茶をしたのだろうか、しかし、どう工作したところで叶うこととは思えない。それにしても、そこまで自分を信用してくれていたことが嬉しかった。
村井の説明によれば、名古屋市に災害救助と防災活動を受け持つ専門組織が新設されることになったそうで、その基幹要員として働かないかということである。定年まで年収は固定らしいが、住まいも食事もすべて心配しなくてよいらしい。もし不安定な生活が続いているのなら、正規の公務員として力を発揮してもらいたいということである。
年収はたしかに多くはないと思う。しかし、日々萎えてゆく気力。生への執着すら失せてゆくことに失望していただけにありがたいと思った。それ以上に、どこの馬の骨ともしれぬ自分のために骨折ってくれていたことが信じられなかった。
村井が差し出したタバコの箱から近藤が、林が一本ずつ抜き取り、佐竹も涙を滲ませながら一本抜き取っていた。
「うわーっ、きついタバコだなあ。煙が滲みて涙が出てきた」
大きな手の平で両目をおさえて近藤が鼻をすすりあげた。
「おおきに。ほんま、おおきに」
佐竹は村井の気持ちに、言うべき言葉を失っていた。
「いったいどんなことをしたのですか、コネでもあるんですか? でもなあ、いくらコネがあったって新しい部署をつくるなんてできるはずないだろうし」
林は、村井が何をしたのか不思議でしかたないようである。
「そんなこといいじゃないか。それより、今のを固めの盃と思っていいか?」
村井は悪戯坊主のように三人を見回して満足げに言った。
「馬鹿、俺はゲコだ。ヤクザじゃないから盃なんかいらん。けど、裏切らん。約束する」
近藤は顔を覆った手をはなそうとせず、鼻水をすすりながら言った。
それから十日後。本物の市役所で、テレビで見たのと同じ顔の市長を目の前にして、それでも気を遣って洗濯したての服を着た近藤と佐竹。会社勤めに戻ったような背広姿の林が並んでいた。
あれこれ技術的な質問をされはしたが、過去を詮索されなかったことは、ありがたくもあり不思議でもあった。更に驚いたことに、居並ぶ委員の中に村井がいて、ただの関係者でない証拠に、ちゃんと名札が立っていた。
その場に若い娘が一人いた。同じ仲間であることを知らされ、村井の言ったことに嘘がなかったことを佐竹はあらためて知ったのである。
そして半月後、梅雨間近の六月。市役所に用意された小部屋が準備室となり、雑務が始まった。佐竹にしても近藤にしても堅苦しい役所での仕事は苦痛だったが、林にとって開店準備はお手の物である。目標を与えられると、ベンチで蹲っていたのが嘘のようにイキイキしだした。半日かからず大まかな作業は理解し、夕方には細部についての提案をバンバン打ち出すようになった。そして、壁一面に紙を貼り、工程表を書き上げてしまった。
石橋を叩くことが基本だった吉村 巧は、林の手際よさ、先の先を見通すような仕事の進め方に圧倒されていた。なるべく回避したい作業を率先して引き受け、いとも簡単に処理してしまい、負担になることがわかっていても必要と思えば抱え込んでしまう。吉村はそんな林に対し、圧倒的な敗北感を感じていた。
一方で、佐竹も近藤も市役所では無能な存在でしかない。面接に同席した娘が独自に犬探しをしているのを知り、近藤と二人して役所からの逃亡を相談していた。
本部施設が無人なのをよいことに、不用品の搬出や改造方法の調査をすることにしたのである。もちろん、夜間警備の名目で宿泊費を節約する魂胆もあった。。
それからのことは、まさにあれよあれよという日々であった。良い縁にめぐり合えたものだとつくづく思う。林や近藤、村井という得がたい仲間を得られたのだから。
「ほんま。わいもやけど、ここはアホの寄り合いや」
指先を焦がすタバコの熱さでふっと現実に戻った佐竹は、柄の悪い言葉を聞き流してクスッと笑った。
ジリジリ照りつける日差しを遮る物とてない道端で、男達の談笑が続いている。
誰にも未来はわからない。明日のことも、五分後のことも。一秒先に何がおこるかさえも……。できるのは、自分に都合のよい未来を夢想することだけかもしれない。
四日前の朝、始業前の教室は普段とかわらず賑やかであった。昨日も授業があったのだし、仲の良い者同士なら時を構わずに携帯電話で話しているというのにいくらでも話の種は湧いてくるようで、高校三年生の彼等にとって当たり前に朝が始まろうとしていた。
机に額をつけてうとうとしていた馬 丹梅は、自宅前の通りをトラックが走り抜ける地鳴りに似た、ドンドンドンという音を聞いたような気がして頭をもたげた。
『妙だな、通りは運動場の先にしかないのに。何だろう、空耳かな?』
窓の外にはいつも通りに校庭しか見えない。合点がいかぬまま机に伏したとたん、またしてもドンドンドンという小さなはっきりとした音が耳に届いた次の瞬間、突然椅子を蹴り上げられたような衝撃にみまわれた。教室の馬鹿騒ぎが急に静まり、「地震?」 誰かの声を跳ね飛ばすように強い縦揺れが始まった。
何度揺れたかなんてわからないし、どれくらいの時間揺れていたかもわからない。誰も声を発していなかったような気がする。ひょっとすると、自分を含めた全員があげていた悲鳴を聞くことができなかっただけかもしれない。突き上げるような縦揺れは驚愕のみを与えて、何を為すべきかを考えるゆとりはおろか、恐怖心すら奪ってしまった。
縦揺れがおさまったのも束の間、激しい横揺れが始まってようやく心臓が口から飛び出そうな恐怖心が復活したのだろうが、それにに気付くゆとりなどなく、ましてや身を守ることにすら思い至らない。ただ机にしがみつくのが精一杯である。大きく振り回されるような強い横揺れによって床に投げ出された状態で、気が動転しているからか起き上がることすらできない。足も手も、倒れてくる机や椅子に叩かれたというのに痛みすら感じない。突進してくる机から頭を庇う行動を無意識にとれていたのかなどわかろうはずがない。ただ、何かは判らないが、手に硬い物が触れる感触はあった。
『逃げなきゃ、のけなきゃ』
焦る気持ちとは裏腹に、身動きができないまま地の底にでも落ちるような感覚がして、丹梅の意識はぷっつりと途切れた。
台湾南部を大規模な地震が襲ったニュースは、時をおかずに世界中に伝えられた。沿岸部では津波の被害も出ているらしく、特に最南部地域の被害が甚大な模様である。
男達が派遣された町は、海から少しだけ離れた小高い場所にあったことが幸いして、津波の被害を受けずにすんでいる。川を遡ってきた津波に煽られた小型漁船やレジャーボートが、浸水したり転覆したり沈没したりはしたが、幸いなことに人にかかわる被害は報告されていない。それでも、建物が崩れ電気やガスが止まり、命の源というべき飲料水の供給がいたるところで寸断されてしまっている。それどころか、随所で地割れや陥没が、大きな段差や出水が発生し、乗り捨てられた自動車が道路を埋め尽くしていることもあって、避難と救難の足を奪ってしまった。
地震発生から三日目になり、発生直後のショック症状からいくらか落ち着きを取り戻しつつあるのだろうが、行方不明者の捜索に加え、食料と医薬品が極端に不足していることが気がかりである。医療機関も甚大な被害を受けていて、施設の被害は当然ながら、医療従事者にも被害が及んでいることから、負傷者の治療ができない状況が続いている。唯一の救いというべきは略奪行為がみられないことで、住民が理性を保っている表れだろう。
そんな混乱の真っ只中に男達はいる。
瓦礫が寄せられた通りの片隅。すぐ脇を何台もの車が通り、家族の安否情報を求めて多くの人々が右往左往している。混乱の只中にいる人々の姿を見やりながら、どこで休憩するかというのが男達にとって毎度繰り返される悩みの種であった。
状況が状況だけに、人目につきにくい場所で休もうという意見があった。人々のおかれた状況や感情を考えればしごくもっともな意見ではある。逆に、いかに人目を避けるとはいえ絶えず誰かに見られているのだから、物陰での休憩は怠けているように受け止められるとの意見もあった。しっかり働いた疲れを癒すのは当然のことで、二次災害を防ぐ意味からも人目につく場所で堂々と休もうという意見である。どちらも肯ける意見であり、決めあぐねているうちに、考えることに倦んでへたりこんでしまったのが今の場所である。
単に男達が鈍感なだけかもしれないが、休んでいることを咎める視線を感じないでいられることはありがたかった。
「今日は何人掘れた?」
別の男達の遠慮ない声がする。
「八人。んで、仏が四人。まだ昼前なのにこの数だ。昨日はまっと率がよかったのに、やっぱり時間おくとあかんな」
「こっちもくたびれてるんだ。仕方ないよ」
「横たで泣かれたら休憩なんて言えんぞ。命拾うんならいいけどな、仏の数が増えてきたら元気が失うなってまう。俺達仏掘りにきたんじゃないだらあ、なんか病めてきちゃう」
確実に遺体が増しているからか、水野の三河弁から元気が失せ、大きく広げた股の間に頭を落としそうにうな垂れている。
「やっぱり寒いほうがいいな、こう暑いと傷みが早いわ。鼻で息吸えんのだから」
竹内がまたしても後ろ向きの発言をし、まさに的を射ていたためか、場の空気が一気に寒々しくなってしまった。
「なんでもいいけどさぁ、休む時くらいは明るい話題にしろよ。生々しすぎるわ」
自ら小心者と言って憚らない近藤が耐え切れなくなり、己を鼓舞するために一声唸り、二度三度、立て続けにタバコをふかした。
「そうだな……。ところでな、皆仏に行き会った時どうしてる? 俺は、安全帽のままだけど、おじぎしてる。宗教が違っても通用するだろうから」
木村がそう言って見回すと、皆一様に頷いている。
「なあ、そん時なんだけど、腹の中で五つ数える間頭を下げるようにしないか? これも何かの御縁だから」
小石で地面に何やら書きながら木村が続けた。
「お前らも、生きてるのを優先して捜してくれよ。仏には悪りぃけんど、息しとるもんが先だもんな。それに、ガラの始末も頼んどかんと危なてしゃあないし」
いくらか気力を取り戻したのか、水野が訴えるような眼で捜索にあたる者に向き直った。
「ごめんね。でもね、哀しそうに哭くんだよ。それはわかってほしいな」
救助犬と共に生き埋めになった人を捜索している宮内が申し訳なさそうに呟いた。
「生きてる人を探すよう教えてあるんだけど、ここにも死んだ人がいるって、哀しそうにするんだからかわいそうでね。生存者がいたら大喜びで尻尾振るのにね」
言いながら宮内は、シェパードの血だらけになった前足を丹念に包帯で巻いている。
男達がこの地で仕事を始めた当初は胡散臭そうに遠巻きにしていた人々も、彼等が懸命に働くのをを見て話しかけてくるようになった。普段どのあたりに人が多かったか、どこに体の不自由な人がいたかを伝えに来、住民が行っている救出活動への手助けを求めに来るようにもなった。その都度誰かが様子を見に行き、無線で伝えられる状況によって応援を送ることが増えている。そして今日、手伝いを申し出る住民や子供があらわれた。町が自力で再生しようとしているのを感じ、とても嬉しい出来事だった。
「ところで、学校で掘り出したお宝どうしてる?」
ふっと柔和な表情になった近藤が誰にともなく訊ねた。
「タンメイか?」
水野が意味ありげにニヤリとした。
「うん、賢こそうじゃないか。歳格好が娘に似てるから気になってなあ。まだ家族が見つかってないんだろう?」
凶暴そうな顔を恥かしそうにゆがめ、近藤が父親の表情をみせた。
「本部で名簿こさえとるらしいぞ。学校の友達やら、家の近くの住民やらの名簿らしいわ。よう思いついたもんだ。靴配ったり薬配ったり、手伝いも始めたみたいだ。それに、ほとんど怪我しとらんかったもんな、運のええ娘だわ。お前娘おるのか?」
一口水を含んで水野が様子を伝えた。
「……二人な」
寂しそうに呟いた近藤が空を仰いで首筋を拭ると、タオルに垢がこびりついている。
「ほうか、かわいいだらぁ。話し相手ぐらいしてくれるか?」
近藤の気持ちには無頓着に、水野が勢い込んで更に訊ねる。
「それがな……、あんな生活だったから女房が怒っちまって、まだ許してくれん」
「アパート借りたんだらぁ。また一緒に生活できるでないか」
空を仰いだままの近藤に水野がなおも食い下がった。
「そうは思うんだけど、信用なくしてまったでなあ……」
「借金でもこさえたのか? それとも女か。女だったら許してまえんわな」
「そんなんじゃないわ。クビになったの言えなかって、派遣や日雇いでごまかしてたんだけど、就職できんうちにバレてまって。さんざんな恨み言のあげくに、子供連れて実家に帰ってまった」
「謝り行ったか? 会ってやりん。 毎月給料もらえるだで大丈夫だて。 な、会ってやりん」
まるで自分のことのように水野が懸命に近藤の勇気を促している。誰もが抱えている問題だけに他人事ではいられないのだろう。が、家族に会うことを勧めている水野自身も同様の悩みを抱えていて、やはり家族に会うことに臆している。
『アホちゃうか。そないなことできるわけないやないか』
黙って聞いていた佐竹は苦々しく呟き、タバコをもみ消した。
右も左も判らぬ外国で汗まみれ、埃まみれになっているこの一団。
タバコを旨そうに吸う男も、外国で働いている我が身を嘆いている男も、それをからかって楽しんでいる男も、土木工事・高所作業・電気や水道の応急処置・避難所の設営管理や食料配給、連絡調整等を専門に行う職人集団であり、すべてれっきとした名古屋市職員である。不当解雇や派遣切りにより再就職できないまま社会に絶望した者や、卒業に際して就職できないままアルバイトを渡り歩くことでしか収入を得る術がなかった者の生活を安定させるために考え出された全国初の組織である。災害救助のためだけの正規職員として採用されていて、建築工事現場の作業員が単に制服を着ただけのように、公務員とは到底信じてもらえない風体である。さまざまな職種の技術者や熟練者が中心なだけに、無愛想で口の悪い頑固者が揃っているが、社会から見捨てられたことを社会のせいにせず、自責する者達である。
年間の自殺者数が三万人を越すという異常な社会を恨まず、犯罪に手を染めることもなく、今日を生きるためだけにひたすら耐えた者達である。言葉も汚く荒っぽい。名古屋弁に限らず、雑多な方言が勝手気儘に飛び交い、、相手の機嫌を損ねないよう気を配るとか、責任逃れの方便を考えることなど一切ない。本人達にすれば、公務員として周囲から非難されないよう十分すぎる配慮をしているつもりらしいが、災害救助という目的に集中することで手一杯らしく、人道だとか崇高な任務と世間で言われても、くだらない言葉遊びと軽蔑して笑い飛ばしている。助けられる喜びを素直に感じてくれたらという願いはあるが、自分たち自身が救われた喜びを身にしみて感じているだけに、恩返しをしたいという気持ちにつきうごかされ、自分達の辿った経験から他人の、特に貧乏人の不幸に強く共感するやさしさにあふれている。