濡れたジャベリン
ご覧いただきありがとうございます。
騙されたと思って読んでみて、騙された!と叫んで下さい笑
――まるで映写機の光をあてられたスクリーンのように、その情景は脳内で断続的に映し出されている。
カーテンの隙間から漏れた朝の光が、男を現実の世界に呼び戻す。すぐには働かない頭をたたき起こしながら、男はベッドから這い出た。
目を擦りながら洗面台の前に立ち、顔を洗った後歯ブラシを手にとる。念入りに歯を磨き終わると、リビングに移動してエアコンのリモコンにスイッチを入れた。
(……暑いな)
まだ、六月だというのに恐らく30度近くはあるんじゃないだろうか。パジャマがわりのシャツは汗でべっとりと湿っている。
男はソファに腰を下ろしテレビを点けると、司会の男性とコメンテーターが、昨日起こったニュースについて予定調和な会話をしていた――
「――と、いう内容だったんだけど」
「……そう言われてもなぁ」
こめかみを人差し指で掻きながら、パイクは困った表情で苦笑いしている。
「そもそも、エア、コン?……だっけ。あとニュース……とか分からん言葉が多くて、その夢の状況を思い浮かべられないよ」
「ダメか……」
「それにな、カイト」
「ん?」
「毎回不思議に思うんだが、何でお前さんは俺たちの知らない言葉や道具が分かるんだ?」
バーカウンターを挟んでの二人の会話。パイクは、グラスを磨きながらそう答えた。
二人のいる場所『ジャベリン』は、パイクの経営するバーだ。カーブのかかったバーカウンターと、木製の丸テーブルが四ヵ所配置されていて、店の中心では蝋燭火のついたシャンデリアが店内を鮮やかに照らしている。
そんな中でカイトはグラスを手に取り、人差し指でカラカラと氷を撫でていた。この店に来る客層の多くは固定客であり、彼らが日々の不満や疲れをここで吐き出していく光景が日常的に見られる。
(……俺も何で理解できるのかは、未だによく分からないんだよなぁ)
そう思いながらカイトはくいっとロックのウィスキーをあけた。彼自身、なぜ夢にでてくるものを理解できるのかは分からない。
「でも、分かるんだ。これは、エアコンと呼ばれていて、温度調節した空気を吐き出す機械。これは、テレビ。遠く離れた場所の風景を写し出すことのできる箱形の機械だってことが」
ジェスチャーを加えながらカイトはパイクに説明を続ける。が、やはりイメージの共有は難しいらしい。ふっ、とパイクが鼻で笑う。
「不思議なもんだな。2ヶ月前は自分の名前すら分からなかったくせに、俺達の知らないことばかり話すってんだから――」
――2ヶ月前の夜、気がついたらカイトはジャベリンで酒を飲んでいた。既に半分酒に飲まれている状態で、パイク曰くいつの間にか入店しており、黙って酒を飲んでいたそうだ。
その日は結構な賑わいで、大騒ぎしながら仲間と談笑する者、バーカウンターに突っ伏して眠っている者、楽しそうに飲みながら会話をするカップルなど、常連客でジャベリンは溢れかえっていた。
パイクとカイトが初めて話したのもその時だった。覚えているのは、話しかけたさそうに何度もこちらを見てタイミングをはかっているパイクの姿。リピーターの集うこのバーで、一言も話さずに黙々とウィスキーを飲んでいる姿は、店の空気から見て明らかに異質だったと言える。
「――自殺志願者か、はたまた文無しか。あの時はそのどちらかだとヤマをはっていたのにな」
ガクっと、カイトは頭を垂れる。
……そんなに酷かったのか?
「それが話しかけてみりゃ、自分の名前も知らない。年齢も知らない。どこで何をしていたのかも分からないってんだからたまげたよ」
両手を広げて上に向け首を左右に振る彼は、その日からカイトの恩人となった。
「……感謝してるよ、本当に」
追加したウィスキーに口をつける。
カイトの持つ最も古い記憶にあたる日。即ち2人がこのバーで出会った日。自分のことが分からない、更には、何故その場にいるのかも分からないという困った人間に対し、目の前の中年男性は親切にも1から教えてくれた。
『ウォールレイン』と称される国の王都フルミネンセ。カイトが今いるジャベリンもその中にある。何百年も降り続くと伝わる雨に覆われたこの王国は、王都を中心に6つの貴族領で構成されている。
森林や山脈、湖などの自然が豊富で、人口は500万を越えており、王族、貴族、平民、そして隷民と身分が明確に分けられている。
カイトがパイクに教わったのは、日常生活に欠かせない常識である。常識などあげればきりがないが、貨幣についてすら知らなかった彼にとって、パイクに教わることは全てが新鮮だった。
(ホント……文字通り“恩人”だな)
カイトが自虐的に笑ったその時――
ガシャーン
ガラスの割れる音がジャベリンに響き渡った。
よろしくお願い致します。
気付いた点があったらアドバイス下さい。