1話 赤い世界へ
ぼんやりとした明るさを目蓋に感じる。とくとくと自分の体の脈打つ音。
血の流れるさーっという音。寝がえりをしたい。打てない。何か狭い所にいる。
伊織の17年近く生きてきた中、例にない体調の良さと動きにくさである。
目を開いても薄暗い。自分の病室であれば常に何らかの灯りは見えていた。
ふにふにとした柔らかい感触。自分の指、腕、足、その感触が奇妙だ。
足や背中を伸ばしてみても、感触は毛布やシーツのそれではない。固くざらついた物。
ベッドのフットボードや床、でもない。脆そうな感触。何か異常が起こっている。
それを言うなら、まず辰巳伊織という意識がある事が異常ではあった。
「きんきゅう、ひなん、ってことでいーよな」
舌ったらずな自分の口調に驚きながら、足と背中をつっぱり、力を込める。
検査用の器具にしても、誰かに異常を知らせるか、ここから脱け出す助けになるはず。
ペキ、パキパキパキ…!
軽快な音と共に、その器具はあっさりと口を開けた。
明るく、暑い。そして乾いた世界だった。
赤い岩と砂礫の世界。遠い地面に入る長く黒い亀裂は深い地溝だろうか。
時折目に入る木々は細く頼りない。そこかしこに存在する緑の太いサボテンが力強く、この
辺りの気候条件に適しているのは彼らの方なのだと納得させられる。
伊織がいる小高い岩山の上を、強い風が吹き抜けていく。
からり、と音がして頭から先ほどまで天井だと思っていた物が落下する。
卵の殻だ。
胴体も、足元も卵の殻にすっぽりと埋まっている。
「さべっじ、がーでんのなか、か?」
卵から這い出し、時々ぼやける目をふにふにする手で擦りながら、周囲を見渡す。
スタッフか両親がいたたまれずに再度接続を行ったのだろうか。ゲームに?
まず意志疎通を図るだろうし、放置するというのもおかしな話だ。
「なにより、あばたーがちがう」
伊織の作成したアバターはドラゴノイド、竜人の剣士。強靭な肉体を持つ狩人だ。
だが今の体はどう見ても2、3歳の子供である。腹部だけが妙にぽっこりとしており、
足元が見にくいほど。褐色の肌と四肢の端に所々生えた黒い鱗だけは、ゲーム内部の
アバターと共通している。
「しっぽ…がある?ねんれいと、しっぽだけはちがう?」
お尻の先にぶっとく短い尻尾が生えている。意識するとぴくぴく動く。
尻尾をよく見ようとしざま、バランスを崩して転倒する。
「いた、っく、ないな。それに、タマゴ?」
頭が大きく、尻尾まである事でバランスが取り辛いことを嘆く伊織の周囲、岩山の
頂上辺りのくぼみに4つの黒っぽい卵状の物が目に入る。
こつこつ、と慎重に卵の表面を叩いてみる。数瞬後、再度ノック。返事はない。
「かた、い…?」
卵、というよりは卵の化石のようにも思われる。
ここは廃棄されたドラゴノイドの住処、という所だろうか。
何らかの事情で住人は去り、死んだ卵だけが残された、という設定か。
「やだ、こっちでもじんせいハードモード…」
伊織はとりあず不平をこぼしてみる事にした。