【81】宝石の使い方
市民街の路地へ、俺たちは滑り込むように飛び込んだ。
石畳はところどころひび割れ、両脇には洗濯物が無造作に干されている。昼間だというのに人影はなく、代わりに漂うのは生活の匂いと、わずかな埃っぽさ。
そんな雑多な空気を裂くように、俺たちは奥へと駆け抜けた。
目の前にある建物へ、ユーディアは速度を落とさずに壁を蹴って軽やかにその屋根へと跳び上がる。
その動きは相変わらず人間離れしていて、まるで風に乗ったかのようだった。
遅れまいと、俺もすぐに技能を口にする。
「《影足》」
――しかし、何も、起こらない。
「……あれ?」
いつも使えていた技能が反応しない。
なんでだ?魔力はまだあるぞ?
焦る俺の頭の中に、呆れきった声が響く。
『その技能は“影のある場所か、夜間にしか使えない”という制約があっただろう』
『――忘れてたっ!?』
そうだ!
ダンジョンでは常に薄暗かったから忘れていたが、ここは真昼間。頭上からサンサンと降り注ぐ日差しが、いつもは薄暗い路地を眩く照らしている。
背後から、荒い足音が近づいてくる。
複数人。しかも結構速い。
俺は顔を上げ、ユーディアが登った屋根を睨んだ。
……高い。ちょっと手を伸ばした程度では届かない。
引き上げてもらう?
いや、あの筋力ひよこにそんな芸当ができるとは思えない。
舌打ちしかけた、その時。
『せっかくだ。使うといい』
コートの内側が、もぞりと動いた。
次の瞬間、何かがするりと滑り出し、俺の手のひらに収まる。
――それは、赤い宝石だった。
拳ほどの大きさがあるそれは、透き通った深紅の中に、マゼンダ色の魔力を渦巻かせている。さっきまでユーディアが食い入るように見ていた石だ。
よく見ると、その内部の魔力がピンと張り詰め、細い線となって広がっていく。
やがて複雑に絡み合い――紋様を描く。
まるで、魔法陣だ。
『私の技能を封じてある。《怪盗歩行》と唱えてみたまえ』
『は!?』
思わず間の抜けた声が漏れる。
技能を、宝石に?
そんな無茶苦茶なこと――
背後で、足音が一気に近づいた。
――考えてる暇はない。
宝石を強く握りしめ、前に掲げる。
「《怪盗歩行》」
その瞬間。
宝石が鋭く光を放ち、弾けるようにマゼンダ色の魔力が溢れ出した。それは霧のように広がり、俺の全身を一瞬で包み込む。
身体が――軽い。
いや、軽いなんてもんじゃない。
重さそのものが消えたみたいに、存在がふわりと浮いている。
ユーディアがいる場所めがけーー踏み込む。
ただ、それだけで視界が一瞬で跳ねた。
気づいた時には、俺はすでに屋根の上……ユーディアの隣に立っていた。
「で、出来た……!すげぇ!」
思わず声が弾む。
足に力を込める必要すらない。ただ“行こう”と意識するだけで、身体が勝手にそこへ運ばれる。
しかも、まったく疲労がない。
ーーこれが、《怪盗歩行》。
いつも《偽相盗用》の頭アッパラパーな状態で使うことが多かったが……こうして正気の時に使うと確かに《影足》の上位互換なのだとわかる。
下を見下ろせば、追っ手たちが呆然とこちらを見上げていた。
それらを横目に、一歩、踏み出す。
それだけで、景色がギュンッと流れた。
屋根から屋根へ。壁から壁へ。
まるで風そのものになったかのように、俺は街の上を駆け抜けていく。
いつの間にか隣ではユーディアが楽しげに笑い、並走していた。
「ククク、どうだ。悪くないだろう?」
「最高だな、これ……!」
風を切る音が耳を打つ。
追っ手の気配は、もう遥か後方だ。
俺たちはそのまま、屋根の上を疾風のごとく駆け抜ける。
「魔物から取れる魔石には、元の魔物の魔力が混じっている。魔道具の燃料には最適だが……このように“技能”を閉じ込めることは出来ん」
瓦屋根を蹴りながら、ユーディアは軽やかに言い放つ。風を切る音の中でも、その声は妙にはっきりと耳に届いた。
「だが宝石は違う。魔力を持たぬがゆえに、加工と技術次第で、あらゆる“器”になる」
数mはある小道を軽々と飛び越える。
それでも体に一切負担がない。
「適切に細工し、特殊な技能を用いれば――他人の技能すら封じ込められる。もっとも、入れられる力は宝石のグレード次第だがな」
俺は手の中の宝石へと視線を落とす。
脈打つように巡るマゼンダ色の魔力。それは確かに、俺のものではない。
純度の高い、“ユーディアそのもの”の魔力だった。
ーーこれ……俺、何もしてないのに使えてるよな……?
自分の魔力を一切消費していない。
それなのに、体は羽のように軽いままだ。
つまり……この宝石は、ユーディアの魔力を貯蔵してそれを使って技能を使っているのだ。あまりにも便利すぎる。
「希少な《怪盗系統》の技能を、劣化させずに封じ込められる宝石など――国宝級だ。そんなものを、ほいほい売る馬鹿がどこにいる」
……確かに。
この世界では“技能”こそが価値だ。
それをノーリスクで扱える道具なんて――手放す理由がない。特にユーディアのように元から魔力が少ない人にとっては、魔力や技能を貯蔵して必要な時に使えるなんて……まさに夢のような品物だ。
「この辺で降りるぞ」
言うが早いか、ユーディアは屋根の縁を蹴った。
俺も続いて飛び降りる。
――ふわり。
着地の衝撃は、ほとんどない。
まるで見えない手に受け止められたみたいに、静かに地面へ降り立った。
「……すっげぇ」
思わず呟く。
《影足》とは比べものにならない。体への負担が段違いだ。
「さて」
くるり、とユーディアが振り向き、俺へ手を差し出す。
「宝石は返してもらおうか」
「……えー」
「“えー”ではない」
ぴしゃり、と言い捨てられた。
しかし、あの風になったような感覚を覚えてしまうと、こんな素晴らしいものは手放しがたい。
「それは私の魔力で動いている。使い続けたければ、私が魔力を補充せねばならん。“ただの宝石を愛でたい”だけならば止めはせんよ?」
「ちぇ……わかったよ」
渋々、宝石を差し出す。
あーぁ、それすげぇ便利だったのになぁ。
名残惜しく宝石から指先が離れる。
間髪入れず、代わりに、トン……と別の宝石が手のひらに乗せられた。
「……ん?」
先ほどより一回り小さい、楕円形。複雑なカッティングでキラキラと周囲へ反射光を散りばめている。
色は、青みを帯びた深い紫。俺の魔力にどこか似ている色だ。その内部では、より濃密な魔力が静かに渦巻いていた。
「これは?」
「君からスピアを一本譲り受けただろう?それの礼と……怪盗デビューをした君への餞別だ。今回依頼した宝石の中で、一番高品質のものだぞ」
そう言われ改めて見るが……
「さっきのと比べても、色と大きさくらいしか違いが分からないんだけど」
「この高密度の純度が分からんのか?まるで違うだろうに……」
そんなこと言われても素人の俺が分かることなんて微々たる事だけだ。ユーディアは肩をすくめ、やれやれと首を振る。
「簡単に説明しよう。先程のものは、私の魔力を込めなければ使えん。だが――」
すっと、手の上にある青紫色の宝石を指さす。
「それは、君の魔力で“私の技能”を発動できるのだよ」
「は!?」
思わず声が裏返る。
ーーそれってつまり、俺が《怪盗歩行》を使えるのと同じじゃんか!!
しかも魔力を蓄えられるなら、緊急時の切り札にもなる。冗談じゃなく、破格の性能だ。
「ってことは、《影足》の制約もなしで、昼でもお前みたいに動けるってことだよな!?すっげぇ――!」
「いや、それには《怪盗歩行》は入れていない」
「へ?入れて、ない……?」
思わず間の抜けた声が漏れる。てっきり今の《怪盗歩行》が使えるのかとワクワクしていた気持ちが、しおしおと萎えていく。
「じゃあ……何を入れたんだよ?」
《怪盗歩行》が便利なのでそれで良かったのだが……ユーディアがわざわざ餞別として寄越したものだ。
それ以上の何かがあるのだろうかと考えながら、俺は首を傾げた。
そんな俺に、ユーディアは不敵な笑みを浮かべ、一拍置いてから告げた。
「それに込めた技能はーー《無名讃歌》だ」




