【73】久しぶりの【せせらぎ亭】
俺たちは、昼前の【せせらぎ亭】にやって来ていた。
深夜から明け方にかけてレオニスを成敗し、ローレン先生と戦ったせいで、まだ朝食を取れていなかったのだ。
食事を作ることも出来たが……せっかくダンジョンから生還したのだ。
金もあるし、久しぶりに外食をしよう、という話になった。
店内に入ると昼前ということもあってか客の姿はまばらだ。その入口で、自衛団の軽装をしたガルドさんがちょうど店を出ようとしているところだった。
「アルノーさんっ!?あんた、生きてたのか!?」
ガルドさんの大きな声に、周囲の視線が一斉にこちらへ集まる。
それと同時に、キッチンから一人の女性が慌てて顔を出した。ニーナさんだ。
「あぁっ!本当に!?アルノー君なのね!?」
彼女はそのまま駆け寄ってきて、俺の肩をがしっと掴んだ。
「エドくんとユノちゃんから、救助隊でもアルノー君を見つけられなかったって聞いてたから……てっきり、もう手遅れかと……」
「ご心配おかけしました。なんとか、無事に戻ってこれました」
そう言ってから、俺は隣のユーディアの腕を軽く引く。
「紹介させて下さい。コイツ、俺のパーティメンバーで……師匠のユディって言います。コイツがいなかったら、俺は戻って来られませんでした」
「そうなのね……ありがとう、ユディさん」
「いえ、とんでもない。私も彼のおかげで帰って来られたようなものですから」
ちらり、とユーディアがこちらを見て口元を緩める。
俺が“師匠”だと紹介したのが、どうやら嬉しかったらしい。
「こいつぁ、たまげたなぁ。本当に無事だったとはよ!まあ、俺はアルノーさんの図太さなら大丈夫だと思ってたけどな!」
ガハハ!と豪快に笑いながら、ガルドさんは自衛団の制服のまま「案内するぜ」と席へと連れて行ってくれる。
通されたのは、以前、技能祝いをしたあの少し高級なテラス席だった。
夜は幻想的だったが、昼は日差しがよく入り、とても明るい。視界も開けていて、飲食街の様子を一望できる。
「メニュー置いとくから、ベル鳴らしてくれ。昼は詰所に行かなきゃならんのでな」
「ありがとうございます」
「それじゃ、ごゆっくり!」と手を振りながら、ガルドさんはそのまま出勤していった。
今、テラス席には俺たちしかいない。
貸切のようで、少しだけ得をした気分になる。
「せっかくのダンジョン脱出祝いだ。朝から酒を飲んでも構わんだろう?」
いそいそとユーディアが酒のメニューを開く。
ダンジョンでは酒が一切なかった。《神の舌》でそれっぽい飲み物は作れたが、やはり“酔えるかどうか”は大きく違う。
「いいけど、飲みすぎるなよ?」
「無論だ。今日中に宝石の加工と怪盗服のオーダーも済ませたいからな」
「ギルドへの報告書もあるだろ?」
「そちらは猶予をもらっているだろう?2~3日は問題ない。それに、今回の件はそのまま書ける内容でもないからな。どこまで報告するか、どう説明するか……事前に擦り合わせが必要だ」
酒のページに目を走らせながら、ユーディアは淡々と続ける。
「どうせ時間がかかる。ならば先にコートを修理に出しておけ。そちらの方が時間を要するかもしれん」
パパッと優先事項を提示してくれた。
さすがは頼れるユディえもんである。
俺は、技能祝いの時に飲んだ一番高い酒――『シャンポン酒』を選ぶ。
ユーディアはしばらく悩んだ末、赤ワインをボトルで頼むことにしたようだ。ついでに揚げ物の盛り合わせも注文する。揚げ物はダンジョンでは食べられなかったものだ。楽しみで仕方ない。
ベルを鳴らすとニーナさんがやってきて注文を取り、ほどなくして酒が運ばれてきた。VIP待遇のような手際の良さだ。
「すぐに揚げ物も用意するわね!とびっきり美味しいやつ!」
「ありがとうございます、楽しみです!」
俺が素直にそう言うと、ニーナさんはもう一つメニューを差し出した。
「お酒を飲むなら夜用を出したけど、昼はランチやカフェもやってるの。もし足りなかったら、こっちも見てね」
「へぇ、分かりました。腹に余裕があれば頼みます」
ひとまずランチメニューは脇に置き、俺はグラスに酒を注ぐ。
ユーディアもワインを注ぎ、グラスの脚を優雅に持ち上げた。
「それでは――」
「ダンジョン脱出を祝して――」
「「乾杯ッ!!」」
チン、と軽やかな音が鳴り、二人同時にグラスへ口をつける。
2ヶ月半ぶりの青空の下、極上の酒が口内に広がる。
香りが鼻へ抜け、確かな酒精が体に染み渡るのを感じ、思わず目を閉じた。
……《神の舌》で、アルコールまで再現できたらなぁ。
「あぁ、美味い……」
ワインを一口含み、ユーディアはしみじみとそれを味わう。
そして、すぐにもう一口飲もうとして――
「はい、ストップ」
コートを伸ばし、グラスを持つユーディアの腕を止める。
「くっ!」
「“くっ!”じゃねぇよ。最初の一口はともかく、空きっ腹に酒はダメだって言っただろ。お前、後に響きやすいんだから」
「……確かに。もう二日酔いは御免だからな」
観念したように、ユーディアは大人しく腕を下ろす。
「――と、言うとでも思ったか!」
次の瞬間、コートで押さえていたはずの腕からグラスが消えていた。
気付けば、反対の手でワインを傾けている。
酒を飲むために《怪盗遊戯》使いやがった!?
「せっかくのダンジョン脱出祝いであり、君に色々と打ち明けた記念でもあるのだぞ!これほど気持ちが軽いのは久しぶりだ。それにこの青空の下――もはや我慢など無粋というものだろう!」
「お前な!?ほんと知らねぇからな!?どうなっても介抱とかしねぇからな!?」
このアホ、せっかくの人の好意を……!
そこへ、ニーナさんが揚げたてのフライの盛り合わせとサンドイッチを運んできた。まだ注文してから数分しか経っていない。
「もう出来たんですか!」
「ちょうど仕込みが終わったところだったのよ。ふふ、飲み過ぎには気を付けてね。ごゆっくりどうぞ」
すでに二杯目を注いでいるユーディアを見て、ニーナさんは苦笑しながらキッチンへ戻っていく。
「「いただきます」」
二人で軽く手を合わせ、俺はフィッシュフライにかぶりついた。
ザクザクとした衣の食感と、じわりと溢れる魚の脂がたまらない。
ダンジョンでは《神の舌》で味そのものは再現できたが――食感や温度、そして食欲をそそる見た目まではどうにもならない。
見て、食べて、感じる。そのすべてが揃ってこそ、満足できるのだと改めて思う。
「そういやさ……お前の技能のことだけど……」
周囲をもう一度確認してから、声を落とす。
「――まだ、お前消えないよな?」
心配になって尋ねると、ユーディアは呑気にフライを平らげ、次に手を伸ばしながら答えた。
「アルノー君のお披露目で、十分すぎるほど注目は集められたからな。しばらくはミレアス中で我々の噂が流れるだろう。その余韻が残っている限りは問題ない」
それを聞いて、胸を撫で下ろす。
時間の猶予があるなら、こちらも動ける。
「世間からの認識が薄いと、忘れられやすいんだよな。今まではどうしてたんだ?」
「決まっている。怪盗として活動するのだ。ただ盗むのではない。より派手に、より鮮烈に――貴族の神経を逆撫でする形でな。ああいう連中は、一度受けた屈辱をいつまでも忘れん」
そういえば、最初に領主邸へ予告状を送りつけていた。
あれも、注目を集めるための一手だったのだろう。
世間からの評価がどうであれ、記憶に刻み込まれればいい――それがユーディアのやり方のようだ。
「そういや、前に別の国から来たって言ってたよな?そこでも怪盗やってたのか?」
「ああ。以前は南東の“聖エルディオン神官皇国”にいてな。あちらの貴族は一通り遊び尽くしたので、かねてより興味のあったミレアスまで足を伸ばしたのだ」
ワインを軽く揺らしながら、ユーディアは続ける。
「さすがに距離があってな。道中の村や街で適度に騒ぎを起こしつつ進まねばならなかった。到着するまで、消えぬかと気が気ではなかったよ」
世間から離れる長旅など、ユーディアにとっては致命的なリスクのはずだ。
「……もしかして、ミレアスに来てすぐ領主邸に予告状送ったのって――」
「フッ、さすが察しがいいな。その通りだ。長旅で俗世との接点が薄れていたからな。早急に注目を集める必要があった。領主邸なら、宝のひとつやふたつはあると思っていたのだが……」
「アテが外れたな」と肩をすくめるが、その表情に悔しさはない。
「おかげでアルノー君に出会えた」
「……まぁ、俺もお前がいなかったら今頃処刑されてただろうしな。お互い様だ」
唐揚げをつまみ、酒で流し込む。
……はぁ〜!
昼間から飲む酒って、なんでこんなに美味いんだろうなぁ!
「……さて、少し腹も満たされたところで……今後の話をしよう」
青空を仰ぎながら酒を味わっていると、ふとユーディアが切り出した。
「……《無名讃歌》をどうするか、だよな」
世間から離れれば忘れられ、やがては自分自身すら消えてしまう。その厄介な性質をどうにかする方法を、酒で少しぼんやりした頭で考える。
「パッと思いつくのは、技能の封印とか……逆の性質の能力で打ち消すとか……いっそ技能そのものを消す、とか?」
「ふむ……言うは易いが、それをどう実現する?」
まさにそこが問題だ。
具体的な手段が何一つ思い浮かばない。
サンドイッチを頬張りながら考え込んでいると――ふと、ユーディアがまだやっていないであろう方法をひとつ閃いた。
「図書館!」
「む?」
ユーディアがわずかに眉を上げる。
「初心に戻ろうぜ。最初、俺たちがやろうとしてたのは【師弟契約】の解除方法を探すことだっただろ?俺がユーディアに文字を教え始めたのも、そのために図書館で調べるって話になったからだ」
そうだ。調べ物といえば図書館。
そのために、ここまでコツコツと文字を教えてきたのだ。
ダンジョンの図鑑を二冊読み切った今なら、ユーディアも十分に調べ物ができるはずだ。
「【師弟契約】の解除を調べるついでに、技能の封印方法とか、効果の打ち消し方とかも探してみよう。何か手がかりが見つかるかもしれない」
「なるほど……図書館か。私にはあまり縁がなかったが、技能の一覧や研究書の類もあると聞く。似た性質の能力に対する対処法が載っている可能性もあるな」
意を得たように、ユーディアは軽く指を鳴らした。
文字を読めなかった頃の彼にとって、“図書館=調べ物”という発想自体が薄かったのだろう。
頭の中で、“あとで図書館へ行く”を追加する。
「……そういやさ。アジトまでの道は消えてたのに、なんでアジトそのものは残ってたんだ?」
道すら消えるなら、あの不自然な空き地ごと消えていてもおかしくないはずだ。ポン子くらいしか招いていない場所だし、世間的には“存在しない”も同然だろうに。
「それを言うなら、もうひとつ不可解な点がある」
そう言って、ユーディアは首元から冒険者札を取り出した。そこには確かに“G”の刻印が残っている。
「本来なら、私はギルドで登録すらしていないことになっているはずだ。にもかかわらず、この札は無事に残っている」
「確かに……」
他にも、ギルドでは“俺が書き損じた”ことになっていた。ユーディアが存在しないなら、そんなミス自体起こらなかったはずなのに。
一方で、ポーターさんの店での投げナイフ購入は“なかったこと”になっている。歴史が修正されるなら、俺が買ったことになっていてもおかしくない。
消えたものと、消えなかったもの。
その違いは――
「…………もしかして、俺か?」
「どういう意味だ?」
自分でも半信半疑のまま、考えを口にする。
「俺が関わったものだけが、残ってるんじゃないか?」
ユーディアがわずかに目を細める。
「関与の有無で結果が変わる、ということか?」
「たぶん。ほら、【師弟契約】のおかげで、俺はユーディアの素顔を見れるだろ?完全じゃないにしても、《無名讃歌》に多少の耐性があるんじゃないかと思う」
指を折りながら、一つずつ整理していく。
「冒険者札が残ってるのは、俺がずっとユーディアをパーティメンバーだと思ってたから。ギルドの書き損じも、俺が職業欄に“盗賊”って書いて血判を押したから。アジトも、俺が住んでて細かいところまで覚えてたから……とか」
逆に、ポーターさんの投げナイフや、クラリスさんのティーカップは、ユーディアが単独で起こした行動だ。
リナがユーディアの活躍を覚えていなかったのも同じ理屈だろう。
道についてはどこも同じような見た目で印象が薄いし、俺自身も細部を覚えていなかったのが原因かもしれない。
「……一理あるな」
ユーディアはサンドイッチを手にしたまま、納得したように頷いた。
「もしそうなら、俺がユーディアと他人の間に入れば……完全じゃなくても、“毎回初対面になる問題”は軽減できるかもしれない」
試す価値はある。
そう考えながら具体的な方法を組み立てていると――
ユーディアが、くっと笑いを噛み殺した。
「“今後の話をしよう”と言っておきながら、真っ先に私の問題の対策を考えるとは……君らしいな。アルノー君」
「えっ」
今後の話、と言われたから、当然アジトでの話の続きだと思っていたのだが。
首を傾げる俺に、ユーディアは人差し指を向ける。
「まずは――君の帰還用の指輪、『精霊王の気まぐれ』を取り戻しに行こう」




