【71】異変
商業街に到着すると、すでに大勢の人で賑わっていた。
露店が並び、呼び込みの声が飛び交い、朝の活気に満ちている。
その喧騒の中――
「あれあれ!アルノーさんじゃないですか!」
聞き覚えのある声に振り向くと、ポーターさんがいた。ちょうど布を敷いて、商品を並べているところらしい。
「お久しぶりです!あの後、自分の作った武器の具合はどうでした?」
「あ、あぁ……うん。すごく助かったよ。今も愛用してる」
少しだけ言葉に詰まりながら答えると、ポーターさんはぱっと顔を輝かせた。
「わぁ〜!嬉しいなぁ〜!またぜひ、他の商品も見ていってくださいね!」
満面の笑み。
――だが、その視線は一度もユーディアへ向けられない。
嫌な予感が、背筋を撫でる。
「……あの、ポーターさん」
思わず、口を開く。
「こいつ……ユディに投げナイフ売ったの、覚えてますよね?俺がスピア買った時、一緒に買ってたやつ」
「えっ?投げナイフ、ですか?」
ポーターさんは首を傾げ、すぐに台帳のようなものを取り出した。慣れた手つきでページを捲っていく。
そして――静かに、首を横に振った。
「いえ、うちで投げナイフは取り扱ってないですよ。仕入れ台帳にも記載がありません」
「いやいや、そんなはず……その日の売上とか見てもらえません?」
「は、はぁ……?」
少し困ったようにしながら、別の台帳を開く。
ページを確認し――再び、首を横に振った。
「やっぱり売ってませんね。売上も合ってますし、お金もいただいてません」
「そんなはずは……か、書き間違えとか……」
自分でも苦しいと思いながら口にすると、ポーターさんは苦笑しながら台帳を見せてくれた。
そこには……スピアの売上だけが記載されている。
「あの日売れたのは、アルノーさんのスピアだけでしたから。書き間違えるはずもないですよ~」
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クラリスさんのお店、エヴァレット旧蔵店にやってきた。
扉を開けるとカラン、とベルが鳴り、奥からクラリスさんが顔を出す。
「いらっしゃいまーー」
俺の顔を見た途端、ハッとクラリスさんが息を飲む。そして、一歩一歩、夢でないかを確かめるようにゆっくり近づいてきた。
「……アルノー君、なの?」
「はい。……ご無沙汰してます、クラリスさん」
そう声をかけると、クラリスさんの目から涙が落ちる。ゆっくりとした動きで、俺を抱きしめてくれた。
「良かった……生きてたのね……!アルノー君の救助隊がダンジョンへ行って、見つけられなかったと聞いてから……てっきり、もう……」
「心配かけてすみません。あの、これ……お返しに来ました」
俺はコートから『深度計』を取り出し、クラリスさんの手に握らせる。
「……えぇ、確かに。ありがとう、アルノー君」
大事そうに受け取ると、クラリスさんは涙を拭いて俺を見た。
「それより、朝からお茶でもどうかしら?冷めてしまったけれど、昨日マドレーヌを焼いたのよ。良ければ、後ろのお友達もご一緒にいかが?」
嬉しそうにそう言うが……俺は複雑な気持ちだった。
「……覚えてませんか?ユディのこと」
「ユディ……さん?」
クラリスさんはユーディアを見る。
そして……案の定、こてりと首を傾げた。
「ごめんなさいね。これでも記憶力はいい方なのだけれど……もう歳だからかしら?」
「クラリスさん、ユディの紹介は2回目……」
「こら、アルノー君」
ユーディアに肩をトン、と掴まれ……俺は少し荒くなりそうだった声を抑えた。
「……その『深度計』を貰った日、一緒にマフィンを食べながらユディと遺物や歴史の話をしたじゃないですか」
そう聞くと、クラリスさんは困ったように微笑みながら再び首をこてりと傾げる。
「……確かに遺物や歴史の話をしたわ。その日はアルノー君は1人で来ていて……難しい顔をしてたけど、マフィンとお茶を楽しみながら必死に聞いてくれていたでしょう?」
「それは……」
「アルノー君」
ユーディアが再び止めようとする。
だけど、止まらない。
それが本当なら、おかしなことがある。
「クラリスさん。その日、ユディがティーカップを割ったの、覚えてませんか?青色の細やかな装飾で、縁が金色の……」
「えーと……」
クラリスさんはよく分からないという顔で、今出てきたお茶会室をチラリと見る。
「そのティーカップなら……今、使っているものかしら?」
その視線の先。
お茶会室にある、
レース編みのクロスが敷かれたテーブルの上に――
あった。
青い装飾に、金の縁。
ユーディアが割ったはずの、あのティーカップが。
「あれはこの店のオープン時に作った、世界にひとつだけのオリジナルティーカップなの。私がデザインしてね?だから、もし割れたらきっと覚えているでしょうけれど……別の何かと間違えていないかしら?」
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なんなんだ。
一体、なんなんだ。
何がどうなっている?
アジトへ向いながら、俺は両手で腕をさする。
自分の記憶と、この街での出来事に……あまりにも乖離がありすぎる。それも全て……ユーディアに関する事だ。
何が真実で、何が間違いか分からない。
現実に起こって無いことが俺の記憶にあるなんて……まるで記憶を改ざんされたような気分だ。
早く、帰ろう。
一度、アジトでユーディアとゆっくり話をしたい。
俺は自然と足を早める。
「アルノー君」
後ろから声がかかる。
振り返ると……ユーディアが足を止めていた。
その顔は……酷く悲しそうな顔をしている。
「どうした?ユーディア。具合でも悪いのか?」
心配になり駆け寄るが……ユーディアはチラリと店と店の間にある、ただの壁を見つめる。
「覚えていないかね」
「……は?何を?……あ、その壁、さっきも気にしてたよな?」
そう声をかけるが……彼の表情は変わらない。
「アルノー君。アジトまで、帰れるかね?」
「いや、さすがに帰れるっての。街の地理は一通り覚えたんだぞ?何を今更……」
そう、何を今更なのだ。
……なのに、そう聞かれて初めて気がついた。
ーーアジトへはどう行けばいいんだ?
「……は?」
俺は頭を抱える。
そんなはずない。毎日、帰ってたはずだ。
ダンジョンに長く居たせいで、道を忘れた?
いや、クラリスさんや冒険者ギルドの場所はしっかりと覚えている。
俺は、ユーディアを見る。
ユーディアは………………壁に触れていた。
「アジトはこの先なのだよ、アルノー君」
「いやいや。さすがに壁の中を通って移動した覚えは……」
……この状況は、さっきまで会ってた人に俺が問いかけていたのと同じだ。
ただ、問いかけるのがユーディアになり、答えるのが俺になっただけだ。
ということは……ユーディアの記憶では、その壁が道……だった、のか?
「上から行こう。……君が覚えているなら、まだあるかもしれん」
そう言うと、ユーディアは近くの路地に入り、技能で屋根へと跳び上がる。
俺もコートで即席の足場を作り、その後を追った。
しばらくすると、アジトが見えてきた。
そこへ降りる。
飲食街の裏手に、アジトはあった。
しかし……アジトへはどの道も繋がっていない。
完全に路地裏から隔離された、奇妙な空き地。
建物の壁にぐるりと囲まれ、上からでなければ侵入できない構造になっている。
唯一の経路らしいものは、細い水路だけだ。
アジトの中へ入ると……異変に気がついた。
アジトには、俺が置いてきたものがそのまま残されていた。器、鍋、タライ、箸、本、シーツ……確かにここで生活していた痕跡。
だが、
そこに、
ユーディアが住んでいた痕跡だけが、綺麗さっぱり消えていた。
あいつが使っていた器も、スプーンも、綺麗だからと拾ってきた石も――何ひとつ残っていない。
それどころか、いつも寝ていた梁には、分厚い埃と苔がこびりつき、まるで長年誰も触れていなかったかのようだった。
「なん、だよ、これ……」
理解が出来ない。
気味が悪い。
不気味で、背筋を虫が這うような感覚に襲われる。
――俺は、剣と魔法のファンタジーな異世界に来たはずだ。
なのに、記憶と現実がここまで食い違うなんて――俺と現実、どちらが壊れているのか、判断すらできない。
そもそも、アジトへの道を完全に消し去るなど、いくら魔法でも不可能なはずだ。
それなのに、周囲の壁は自然に風化していて、最初から存在しなかったかのような違和感のなさだ。
こんなの…………ホラーだ。
「アルノー君」
ビクリと体が跳ねる。
振り向くと、ユーディアが入口に立っていた。
「……恐ろしいかね」
「恐ろしいっていうか……何が何だか……頭、おかしくなりそうで――」
パァンッ!
突然、コートが何かを弾き、魔力が削られる。
ーーは?攻撃?
ユーディアの方を見ると……
ゆらりと、マゼンダ色の魔力が動いていた。
バッと、ユーディアから距離を取る。
「そのコート、これも弾くのか。便利でーー面倒だな」
手に薄いマゼンダ色の魔力を纏わせ、俺の方へ腕を伸ばしている。
ーー何かの技能を、発動しようとした?
「……おい。今、俺に何をしようとした?」
「…………」
「おいッ!!!!」
思わず怒鳴る。
しかし、ユーディアはーーーー無表情だった。
「……こんなの、気味が悪いだろう。アルノー君」
「答えになってねぇぞッ!何をしようとしたッ!?」
「…………すまん」
「だから、答えになってねぇッ!!」
俺が凄むと、ユーディアは観念したかのようにゆっくりと口を開いた。
「……君の記憶を消そうとした」
記憶を……消す!?
思わずスピアを構えると、ユーディアはゆっくりと手を上げた。
「もうしない。約束する。だから武器をしまえ」
そうは言うが、俺はスピアを下ろす気はまだない。
「なんで記憶を消そうとした?」
「……君に怖がられたく無かった」
「だから消そうとしたってのか!?本人である俺の許可無しで!?」
「今までも消してきた。都合の悪いことや、変に勘ぐられそうなことなど……何度か」
あまりにもあっさりと、とんでもないことを平然と口にした。
「お前ッ……!!」
「だが、もう出来ない。そのコートがある限りな」
淡々と、言葉を続ける。
「アルノー君。ダンジョンから出たら……君に話しておきたいことがあると言ったな」
「それが何だよ!今関係あることか!?」
「ある」
即答だった。
思わず言葉に詰まる俺を、マゼンダの瞳がまっすぐ射抜く。
「君にその話をする前に……一度、恐怖を抱いた記憶を消して、冷静になってから全て話そうと思っていたのだ。先に今の状況を見てもらった方が話が早いと思い、帰還の報告を先に行ったが……ここまで君を怖がらせるつもりは、なかった」
そう言って手を下ろし、一度きつく目を閉じる。
そして、ゆっくりと開いた。
その表情は――俺が初めて見るものだった。
恐怖と不安。
あのユーディアが、心の底から震えている。
指先も、肩も、固く強ばり、わずかに揺れている。
それは……これから語る“何か”を、誰よりも恐れている顔だった。
それでも「話さねば」と覚悟を決めたように、俺を見据えている。
その姿を見て、俺はゆっくりとスピアを下ろした。
「話しておきたいことって、なんだよ」
その一言に、ユーディアの体が小さく震える。
そして――かすかに口を開き、震える声で告げた。
「私は――《定理所有者》なんだ」




